黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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南の辺境ヘルハーフェン

10.今暫く、このままでいてくれ

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 落ち着きを取り戻した主神オーディナルに促されてベッドに入ると、考えている以上に疲れていたのか、体が鉛のように重くなっていることに気づいた。
 まあ、今日は慣れないことが多かったし、先程の話を聞いて色々考えることもあったからな。
 優しく私の頭を撫でる感触にまぶたを持ち上げると、何とも言えない哀愁が漂う表情で「疲れているのだろう? 早く寝なさい」と言う主神オーディナルを見つめた。

「大丈夫です。私は、そう簡単に居なくなったりしません」
『……そう……だな』

 神の持つ時間からしたら、瞬く間に居なくなってしまうのかもしれない。
 しかし、それでもそう言わずにはいられなかった。
 寝るまで傍にいるよと頭を撫で続ける主神オーディナルは、今何を思うのだろう。
 そんな考えが頭を過るのだが、重いまぶたは自然と閉じられ、引きずり込まれるように眠りの中へ落ちていく。

『どうか……この子らに、ユグドラシルの祝福を……』

 祈るような主神オーディナルの声を聞いたのは、夢か現か……
 もしも、ユグドラシルが祝福を与えてくれるというのなら、私の分は主神オーディナルに与えて欲しい。
 私は自分の力で何とか乗り越えてみせる。
 だから……これ以上、優しいこの方が傷つくことの無いように……

 心のなかで願っていると、若葉色のクセのない長い髪をふわりと靡かせた誰かが、優しく微笑んでくれているようなイメージが浮かぶ。
 それはとても懐かしく、母のようだと感じたのである。



 眠りの中から覚め、ゆっくりと感覚が戻ってくるのがわかった。
 いつもの場所だと感じながらも無造作に手を振ると、我が領の鍛冶師が手掛けた短槍が現れる。
 主神オーディナルの力を得たソレは、夢の中だと言うのにシッカリとした重さと硬さを感じさせてくれた。
 やはり、夢であっても夢ではないのだなと実感するが……さて、今日はどういう趣向で彼女を迎え入れようか。
 イメージがしやすいのは、私の部屋や屋敷である。
 そういえば、領地にある庭はどうだろう。
 あちらも素晴らしい花々が咲き乱れていることを思い出すと同時に、なにもない真っ白な空間が懐かしい光景に彩られた。
 緑豊かな庭と、色とりどりの花々が咲き乱れ、それを鑑賞してお茶をするためのテーブルと椅子が設置されている。
 ここで、父との訓練後、よく休憩をしていたことを思い出した。

 その庭から少し移動した場所にある、父と弟と揃って鍛錬をしていた手頃な広場に来ると、手に持っていた短槍を前へ突き出す。
 軽く素早く動かせるが、まだ慣れない。
 もっと鋭く、もっと速く……

 何かを……いや、誰かの動きをなぞるかのように、体が勝手に動く。
 誰の動きだ?
 父ではない、ましてや弟でもない。
 二人は槍を使わないのだから当たり前だ。
 では、誰の動きなのだと問われたら、やはりわからない。

『───は、とても良い動きをするな』

 どこかで聞いた声が、喜びを滲ませてそう言った。
 大きな手で頭を撫でてくれる、見上げるほど立派な体躯を持つ優しい誰か……
 いつかはその人が扱う槍と同じ物を扱ってみたいと、憧れにも似た思いを抱いていたのは、いつの話だったのだろう。

「ま、また、落ちるなんて……ありえませんっ! 私の翼が限界になるまで……ぱたぱたっですーっ!」

 聞き覚えのある声が聞こえたと同時に、ぽすんっと頭に何か軽い衝撃を覚える。
 どうやら、上から落ちてくるのが癖になったらしい。

「せ、セーフ……です。え、えっと……ベオルフ様の鍛錬も、やはりすごく気合が入っているのですね」

 息切れをしていることにツッコミを入れたほうが良いのだろうかと考えながらも、口は勝手に動き出す。

「前後左右だけではなく、落下物にも気をつけなければな」
「い、いやですねぇ、意図してやったことではないですよ? 試したわけでもございません」
「飛んできたのか?」
「いえ、一応頑張ったのですが……ほぼ、垂直落下かもしれません」
「……やはり落下物ではないか」

 呆れた声でそう告げると、頭の上で翼をパタパタ動かしながら「ちーがーいーまーすー」と言っている彼女を、武器を消した手で包み込んで目の前まで持ってくる。
 手の平に載せられた彼女は、なんの警戒心を抱くこともなくチョコンとお行儀よく座っていて、何とも可愛らしい。
 指先で眉間から頭を撫でると、嬉しそうに目を細めるのが嬉しくて何度も撫でていると、ホッと癒やされるような感覚に包まれるから不思議だ。

「小さいな」
「大きくなることもできますよ?」
「クッションほどになれるのか?」
「……何を考えていらっしゃるのかわかりましたが、そこまで大きくなりません。限度というものがございます」

 打てば響くような会話を楽しみ、元の人型に戻ったルナティエラ嬢は、ジッと私の目を覗き込み、綺麗な形をした眉をひそめた。

「何か……あったのですか?」
「どうしてだ」
「随分とお疲れのようです」

 やはり隠し事は通用しないらしい彼女の肩口に、体を折り曲げながら額を押し付けると、いきなりのことで驚いたのか、小さく驚いたような声が聞こえたが、そのままの姿勢で深く息を吐く。

「……疲れた」

 暫くの沈黙の後、細い指先が後頭部を優しく撫ではじめる。
 その心地よさに目を閉じて、されるがままになっていると、彼女はいつもより柔らかく優しい声で語りかけてきた。

「そんなにお疲れになるまで何をしてきたのですか? 無茶はいけませんって言いましたのに……」
「色々あってな……それと、主神オーディナルから『鳳凰』について聞いた」
「あの時、過剰反応されていた件ですね。私に話をしても良いことですか?」
「ああ。主神オーディナルから許可は得ている」

 自分の口から言うのは、父の威厳というものが失われると考えたのかもしれない。
 まあ……あの弱った姿をルナティエラ嬢に見せたくなかったのだろう。
 主神オーディナルは「僕の愛し子にも話していいが、僕が居ない時にしてくれ」と頼まれていたので、多分、この時間を利用して話をして欲しいということに違いない。

「しかし、今暫く、このままでいてくれ」
「……ふふっ、いいですよ」

 何が嬉しいのか、上機嫌な声で返答をして私の頭を撫でる彼女の笑い声を聞きながら、話す時間を作ってくれているのだろう主神オーディナルのことが気になった。
 少しは……元気になってくれると良いのだが……

 主神オーディナルの話を聞き、その表情を見た時から感じていた後悔にも似た罪悪感が、ずっと胸にとどまり続けている。
 もしかしたら、主神オーディナルは心の整理ができていなかったのかもしれない。
 なのに、私との約束があったから、あれほど辛い思いを吐露することになってしまったことへの罪悪感か……それとも、別のなにかだろうか……
 その判断がつかず、言いしれないモヤモヤしたものを抱えていた私を知ってか知らでか、ルナティエラ嬢は頭に頬を擦り寄せる。

「頼りない妹ですが、もっと甘えてくださっても良いのですよ? 辛いお話なら、今は聞きません。ですから、自分の事を第一に考えてくださいね」
「いや……話したほうが良い。下手なことを言って主神オーディナルを傷つけてしまう可能性だってあるからな」
「そうですか……そういうお話なのですね」

 察しの良い彼女は押し黙ってしまった。
 一応許可が出たこともあり、額の位置をずらし、彼女の首筋に押し付けると柔らかくあたたかな感触が肌を通して伝わってくる。
 そして、花のような良い香りが一層強まった。

「昔も……こういうことがあったかも? ベオルフ様がとても困っていた時に、こうしていた覚えがあります」
「そうだったか?」
「落ち込んだときも……ですね」
「……そうか」

 優しい声色と手……確かにそうかもしれない。
 おぼろげだが、懐かしいと感じている自分が居たからである。
 さて、ずっとこうしてはいられないな。
 当初から予定していた庭の方へ彼女を誘い、いつも設置されているベンチへ座る。

「素敵な場所ですね……」
「我が領にある屋敷だ」
「ベオルフ様のお家は、お庭がとても素敵ですよね。綺麗な花もそうですし、植木も丁寧に刈り込まれていますもの」
「母の趣味だからな」
「本当に素敵なお母様ですね」

 ルナティエラ嬢がそう言っていたと知れば、母は大喜びするに違いない。
 今度、手紙に書いて知らせておこう。
 下手をすれば、「家宝にしましょう!」などと言い出しかねないが、その辺りは父に任せても大丈夫なはずだ。
 一緒になって騒ぎ出したら……まあ、その時はその時だな。

「ベオルフ様、手を」
「ああ、今日も頼む」
「はいっ! お任せくださいっ」

 手を握り合い楽な姿勢のまま、主神オーディナルの語った『鳳凰』について説明をする。
 彼女にも、主神オーディナルの深い悲しみが伝わったのだろう。
 長い話の間、何度か目を潤ませる様子を見せた。
 そして、その話の中、彼女が何を考え、何を思うのか……それがとても気になったのである。
 ルナティエラ嬢が変じる小さな小鳥の姿と共に思い出したのは、最北端の地で手に入れた守り石───
 これは偶然なのだろうか。

 ただ、主神オーディナルから聞いた言葉を紡ぎながら、頭の中にはなにか引っかかるものを感じていた。

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