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月と華
33.これが最後じゃない
しおりを挟む彼女の物言いたげな視線がこちらをジッと見ていたかと思うと、ふっくらとしたピンク色の唇が僅かに動く。
さて、何を言われるのだろう。
こういう反応をする場合は、予測不能の言動を取る可能性が高いために身構えていた私の目の前で、急な目眩に襲われ平衡感覚を失ったかのように彼女の体が傾いだ。
反射的に腕を伸ばして体を抱え込むと、何が起こったのかわからず戸惑いの色を宿した蜂蜜色の瞳が彼方へと向けられる。
「えっと……なんだか……めまいが……あと、視界がぼやけて……」
ぼやけているというには遠くを見ていることから、視覚での認識はかなり困難な域に達していると判断し、どういう状況なのか説明を求めるように主神オーディナルの方を見ると、かの神は苦い顔をして口を開いた。
「そろそろ時間切れか。今回は合流する前に色々とあったから仕方ないな」
ミュリア・セルシア男爵令嬢との一件を言っているのだろう。
確かに、あのやり取りでルナティエラ嬢に予想外の負担がかかっていてもおかしくはない。
少し無茶をした様子が見えていたからな……
「あ、あの、私っ」
なにかに焦りを覚えている声色を滲ませたルナティエラ嬢に違和感を覚えながらも、無理をしないでゆっくり休むよう言い聞かせるのだが、更に焦りを募らせる様子を見せる。
何を焦っているのだ?
安心させるように体を包み込むが、彼女のすがりつく手の力が強くなるだけで安心している様子は見られない。
それどころか、言葉にならない感情に心を乱しているように感じた。
「結月。ベオルフの言う通りだよ。無理は良くないから、帰っておやすみ。次に会う時には、ちゃんと情報を仕入れておくからね」
どうしたものかと悩み始めた私の耳に柔らかなハルキの声が響き、その言葉を聞いたルナティエラ嬢はピタリと動きを止めて声がした方へ視線を向ける。
視線は噛み合っていないが、幸いなことにこちらの声はハッキリと聞こえているようだ。
「次……」
「当たり前でしょ。これから、僕の持ってくる情報が役に立つはずだし、これが最後じゃないよ。だから安心しなさい」
その言葉を聞いたルナティエラ嬢の体から力が抜け、焦りが少しずつ消え失せていく。
そうか、こうして一堂に会するのは最後かも知れないと考えてしまったのだな。
そんなはずがないだろうに……
しかし、さすがというべきか……よくぞ見抜いたと称賛したい。
こういう時に、私はまだまだだと痛感する。
もっと、心身ともに支えられる存在になりたいものだ。
兄の身を案じるルナティエラ嬢と、妹に心配させまいと振る舞うハルキのような信頼関係を築きたいし、唯一無二の存在になりたいと願っている自分の思いはどこからくるのだろうか。
『お前は、僕の愛し子にとって唯一無二の存在だ。意外と自分のことがわからんのだな』
主神オーディナルの声に呆れの色が混じっているのを感じるが、果たしてそうだろうかというのが私の感想である。
私よりもリュートのほうが唯一無二の存在だと感じるし、ハルキだってそうだ。
さらなる精進が必要だと考えているのだが……違うのだろうか。
『まあ、完璧を目指しすぎて無茶をせんようにな』
完全に呆れ諦めたと言わんばかりの対応に不満を抱くが、この件では多少の我を通しても良いだろうと考えた。
ルナティエラ嬢の迷惑にならない範囲でそう考えるのであれば問題はないはずだ。
それに、大切だという気持ちに嘘偽りはない。
護りたいという気持ちにも───
ハルキに頭を撫でられて少しだけ幼い表情を浮かべる彼女は、何を思っているのだろう。
ただ、私にしがみつく手の力だけが強さを増し、必死に意識をこの場に縛り付けようとしているように感じられた。
「時空神様、兄を……よろしくお願いいたします」
「任せて。親友を見捨てるなんてことはしないから」
「え?親友だっけ?」
「ち、違うのっ!?」
「どうだろう」
軽快なやり取りのあと、文句を言いながらも最後には笑っている辺りが仲の良さを伺わせる。
人と神でも友情を築き上げることが出来るのだと、ハルキが教えてくれているようであった。
畏まるだけが神への対応ではない……そうかもしれないな。
出会った頃よりは随分慣れ親しんだとは感じているが、不遜ではないかと危惧している部分もある。
しかし、主神オーディナルはとても嬉しそうな笑みを浮かべるだけで何も言わない。
むしろ「まだ他人行儀過ぎる」と不満げである。
いつか……彼らのように気安い関係になるのだろうか。
以前のように───
……以前のように?
不意に浮かぶ言葉は過去の自分からのメッセージなのかと疑問すら覚える。
しかし、こういう言葉はいずれ実現されるのだろうと感じられ、自然の成り行きで良い方向へ向かうのだと思えた。
「オーディナル様、ノエル……どうかベオルフ様をお願いいたします」
自分が辛い時に、この方はいつも人のことばかり……
こんな状況にも関わらず私の身を案じてくれる彼女に、胸が苦しくなるほどの切なさを覚える。
もっと己の身を案じ大切にしてくれと願わずに居られない。
そばで守ることが出来ない故の苦しみに、キリキリと胸が痛んだ。
「わかっているよ、僕の愛し子。ベオルフなら僕が見ている」
「ボクもベオルフと一緒に頑張るからね!」
「ノエルも無茶をしないでね」
うん、大丈夫だよとノエルは私の体をつたいルナティエラ嬢の肩にぴょんと飛び乗ると、安心させるように彼女の頬に顔を擦り寄せる。
必死にその姿を捉えようと視線をさまよわせている彼女に不安が募った。
いつもは眠りに落ちて離れていったのだが、今回はシッカリと意識があるためか心がざわつく。
いなくなってしまう───
それは心に何とも言えない影を落とした。
らしくもなく不安な気持ちが胸を占めるが、彼女に悟らせないように自らの気持ちを抑え込む。
ここで私が不安を感じていたら、彼女は無理をしてでもそれが和らぐまで残ろうとするだろう。
そんなことを望んでは居ない。
「ベオルフ様……ごめんなさい」
「何を謝る」
「私は……何もできないから……力になりたいのに、何も……」
「そんなことはない」
貴女は理解していないだけで、そんな事実などどこにもないのだ。
これほど心の支えになってくれているというのに、わかっていないのだな……
「貴女は貴女にしかできないことをするべきだ。こちらのことは我々に任せておけば良い。全てを自分一人で何とかしようなどと考えないことだ」
「でも……」
自分には何も出来ないと考えているルナティエラ嬢に、私はあることを思いつき提案することにした。
こういうときは、目標を与えるのが一番である。
そして、彼女は自分のために努力することが難しくても、人のためにする努力を惜しむタイプではない。
特に彼のための目標であれば他の何よりも頑張り邁進するだろうし、迷っている暇もないはずだ。
「貴女は、リュートの心身を健康に保つことを考え尽力すべきだ」
そう伝えると、彼女は私の真意を探るように視線をあわせようと必死になるのだが、そんなことに労力を使うことはない。
ただ黙って聞いていれば良いのだ。
そう考え、彼女の頭を片手で抱え込む。
「万が一にもリュートがこちらへ召喚されても奴らの思い通りにならぬよう、ルナティエラ嬢は彼の心を守っていてくれ。健全な精神は健全な肉体に宿るのだろう?」
昔の話だが、そういって彼女に説教をされた覚えがある。
私が睡眠や食事をおろそかにして北の辺境から馬を飛ばして帰ってきたという事実を知った彼女は、珍しく柳眉を逆立て強い口調で語りだしたのだ。
全ては私のことを心配してのことであったが、アレには驚いた。
それからだろうか、少し無理をしようとすると柳眉を逆立てたルナティエラ嬢の顔がチラつくため、できるだけ食事と睡眠を取るようにはしている。
まあ、状況次第だがな。
なまじ力に恵まれており他の者よりも無茶が出来てしまうリュートには、それが必要なのではないだろうか。
心配して怒ってくれる相手がいると、その場の成り行きでやりがちである無茶な行動も、冷静な自分が「心配をさせるのか」と制止してくれるようになる。
意外とコレが効くのだ。
特にリュートのような人物であれば、ルナティエラ嬢を悲しませて泣かせる行動を避けるだろうことから考えても、私以上の効果が期待できるはずである。
そして、奴らの付け入る隙きを与えないくらい、貴女が彼の心の隙間を全て埋め尽くせば良い。
彼の心を満たしていれば自ずとルナティエラ嬢の心も満たされ、最悪の事態にはならないような気がした。
「それは、ルナティエラ嬢にしか出来ないのだ。頼んだぞ」
「はいっ」
元気の良い返事が聞こえてきたことで大丈夫だろうと感じると共に、彼女の輪郭がぼやけてきたことを知り、また離れてしまうのかと何とも言えない胸苦しさを覚える。
離れると考えるだけで、心が軋むように痛み辛くなる。
しかし、これはなんだろうという疑問も同時に浮かんだ。
強いて言うなら、半身がもがれるような痛みだろうか。
本来は離れるべきではない何かを無理やり引き剥がすような感覚に近い。
いなくなる、離れる、ダメだという焦りすら心に浮かび、思わず掻き抱くように腕に力がこもった瞬間、彼女は細かな光の粒子となって消失してしまった。
暫くは言葉にならない衝撃が心を包み込み、それを落ち着けるために目を閉じる。
荒れ狂う海のように波立った心を静めるには、少しの時間を要した。
「大丈夫か」
主神オーディナルの声に頷き瞳を開くと、心配そうな一同の表情が見える。
どうやら心配をかけてしまったらしい。
「すみません。大丈夫です」
「いや、お前たちを引き離すのは酷だとわかっているのだがな……」
主神オーディナルは、私の内にある焦燥を理解しているのだろう。
これにも何らかの意味があるらしい。
己ではコントロールが不可能なコレは、正直に言うと厄介だと感じた。
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