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月と華
18.まだ可愛いものだろう?
しおりを挟むハルキがもたらした情報……ゲームという世界の話を聞いていると、どうやら以前にルナティエラ嬢が教えてくれた未来よりも、現状が近いようである。
それに彼女も気づいたようで、難しい顔をして黙り込んでしまった。
王太子殿下がミュリア・セルシア男爵令嬢に良い感情など持っているはずもなく、好感度なんてものは皆無……いや、それならまだマシだ。
清々しいほど真っ逆さまに落ちていくだけの好感度は、地面にぶち当たるだけでは足りず、深い谷底どころか、どこよりも深い海底まで突き抜けていきそうな勢いだろう。
しかも、それを紳士的な笑顔を張り付け、微塵も感じさせないところが末恐ろしい王太子殿下である。
ミュリア・セルシア男爵令嬢が、アーヤリシュカ第一王女殿下に食って掛かったりしなければよいのだが、あの世間知らずは絶対にやらかしてくれるだろう。
今からガイに言って、注視してもらったほうが良いかもしれない。
黒狼の主が下手に手を貸していたとしても、天敵とも言えるガイが相手では強硬手段に出ることもないだろう。
頼むから、王太子殿下を怒らせるような真似だけはしないでくれ。
ハルキは質問を重ね、この世界の現状がゲームの中でもルナティエラ嬢が主役になっている『月の章』というものに近いと判断し、詳しい説明をはじめた。
驚くべきことに、その話の中では私が主神オーディナルの加護を受けて『黎明の守護騎士』となることが確定しているらしく、まだこちらの世界では噂の段階であることがゲームという物の中へ記されている事実に驚きを隠せない。
そして、戦争が起こることは間違い無いようで、少しだけ憂鬱になった。
いや、その事実がわかっているのだから、未来を変えれば良いのだ。
それに、このゲームという物は、確定した未来を予言している物ではない。
私たちが努力することで、必ず回避できるだろう。
そうでなければ、人が何の意味を持って生まれ、生きているかわからないではないか。
私たちは意思を持たない人形ではないのだから───
ハルキが言うには、『華の章』ではミュリア・セルシア男爵令嬢が聖女になり、『月の章』ではルナティエラ嬢が愛し子になるという。
どちらかの祈りにより、主神オーディナルが降臨して戦争を終らせるというが……
ミュリア・セルシア男爵令嬢の祈りなんぞに、主神オーディナルが応じることなどあるのだろうか。
そんな小さな疑問を抱えながらチラリと視線を向けてみるが、主神オーディナルは目を細めただけで言葉にはしない。
いや、それだけで十分だろう。
アレは絶対にないな。
私に読心術など使えはしないが、『僕の愛し子を陥れてくれた馬鹿に、どうして僕の加護を与えなければならない。それなら他の誰かにするに決まっているだろう』という言葉が聞こえた気がした。
こういう時の候補に上げられるのは、王太子殿下あたりだろうか。
いや、説明が面倒だから私にやれと言い出すのかもしれない。
しかも、愛し子であるルナティエラ嬢を蔑ろにした者たちが自責の念にかられるよう、誰の目から見てもわかるような状態にしてから、神々しい演出を加えて思い知らせるのだろう。
意外とこの神は根に持つタイプである上に、自らの懐へ入れた者を蔑ろにされることを嫌うようだ。
『それくらい良いではないか。その程度なら、まだ可愛いものだろう? 』
だから、人の思考を読まないでください。
しかも……根に持つタイプということを否定しないのですね。
その程度と言いますが、アナタがやるから『その程度ではなくなる』のだと自覚してください。
『天罰の雷ではないのだし、大袈裟な……』
それは、論外です。
やったら、ルナティエラ嬢に泣かれますよ……と言葉を付け加えたら、物の見事に低くうめいて固まり『やはりそうなるか……』とため息をつかれた。
神であっても、色々と思うことがあるのだろう。
わからなくもないが、できるだけ自重してもらいたい。
私と主神オーディナルが、こんなやり取りをしているとは知らないハルキの説明は続く。
「ミュリアは『月の章』をどこまでやっているかわからないけど、存在は知っているはずだから、卒業パーティーで結月を国外追放か処刑することができなかったことにより、『月の章』に入ったと考えたのかもしれない」
「ど、どこまでゲーム脳なのですかっ!?普通、この世界に生きている人と接していれば違うって気づくものでは……」
「ルナティエラ嬢、少し待て」
フッと考えついたことがあり、思考をまとめるためにルナティエラ嬢の口を塞ぐ。
むぐぅと不満げな声を上げていた彼女も、私から何かを感じ取ったのか、すぐに大人しくなる。
彼が話す内容は、私にしてみたら理解するのには難しいことが多かった。
例えるなら『攻略対象』という言葉である。
最初は何を攻略するのかと首を傾げていたのだが、主神オーディナルが私にもわかるようにその辺りは説明してくれた。
その説明を聞いて私なりに理解した内容ではあるのだが『乙女ゲームという物は、たった1人の特別な女性が複数の男性と交流して、友人もしくは恋人になるという過程を楽しむ』という物なのだと感じた。
つまりは、男女の駆け引きをゲームと化した、こちらの世界では考えられない技術を用いた娯楽だ。
選択肢により決められた行動を取る『攻略対象と呼ばれる男』のパターンや好みなどを知り尽くしていなければならないのだから、その執着にも似た想いは凄いものだ……と脳内に響く主神オーディナルの言葉に激しく同意した。
しかし……そう考えると、『月の章』と呼ばれるゲームでは、ルナティエラ嬢が私を口説き落とすのだろうか。
いやいや、有り得んだろう。
むしろ、それをやってきたのはミュリア・セルシア男爵令嬢のほうだが……ゲームという物の知識を中心に考えて動いている割には、都合のいいところだけ自分本位に動いているようである。
そうだ……ミュリア・セルシア男爵令嬢に抱く違和感はコレなのだ。
この世界の常識が通用しないというよりは、全く知らないのではないか……という疑問さえわいてくる。
主神オーディナルの教えを知らないなど、この世界の人間にはあり得ない。
世間知らずという言葉で片づけられないことではあるが、はじめから持っていなければどうだ?
そうすれば、話は変わってくる。
「もしかしたら、ミュリア・セルシア男爵令嬢は……そのゲームと呼ばれる物の知識しか持っていないのではないか?」
そう呟くように言った私の言葉に、ルナティエラ嬢もハルキも目を丸くして呆然と私を見る。
「この世界に生を受け、この歳まで生きてきたにしては、『一般常識を知らない愚か者』という言葉では片付けられないくらい知識が無いように感じる」
ソレ以外には考えられない。
彼女の行動を一つ一つ思い返してみれば、丁寧な対応の部分がゲームの駆け引きと内容と同じである可能性は?
素があれだけ品性の欠片もないのに、時折ではあるが感情を全く感じられない上品な言葉はどこからきている?
全てがそうだとは言わないが、そのゲームというものから引用した言葉であったら?
そんなことがあり得るかどうかわからない。
しかし、人の夢に乱入してきて好き勝手放題だった彼女の言動を思い出しても、不自然な点が多すぎる。
「我々の世界は主神オーディナルの教えが第一だ。現在、セルフィス殿下の仮ではあるが妻の座にあるはずの彼女が、平然と私を誘惑してきた。この世界で、そういう行為をすれば……市中引き回して打ち首……だったか?」
確かそんな言葉だったか?と首を傾げて彼女に問えば、首を左右に振った彼女が右手の人差指をピッと立てて、得意気に微笑みながら自信満々に口を開く。
「市中引き回しの上、打ち首獄門です」
「それだ」
「いや、待って。おかしいよね。ソレおかしいよねっ!どうして時代劇から引用しちゃうのっ!?」
ふむ。
ゴクモンか、ゴクモンだな。
市中引き回しの上、打ち首ゴクモン……ゴクモンというのは何だ?
まあいい、あまり使うことはないだろうが、黒狼の主に言ってやるのも面白いかもしれない。
いや……下手な知識を持っていると知られるのもマズイか。
ルナティエラ嬢が得意げな様子であることを見る限り、時々これを話題にすることは良いかもしれない。
これくらいで喜んでくれるのなら安いものだ。
ノエルまで一緒になってはしゃいでいるが、ルナティエラ嬢が嬉しそうであるから楽しくて仕方ないのだろう。
喜ばせる方法を1つ知ったことが嬉しいのだな。
今度、一緒になって彼女からこの言葉について聞いてみるのも良いな。
「あの……オーディナル様」
「なんだい?」
「世界を巡る魂が、他の世界に渡って生まれ変わる時……時間の概念はどうなっているのでしょうか」
「門の生成度合いにもよるけど、多少誤差はあるかな」
「誤差……ですか」
「ちなみに、僕の愛し子は地球時間で5年前に亡くなっている。だが、今は18歳まで成長しているということを考えれば、同じ時間軸に転生するわけではないとわかるね?」
さらりとルナティエラ嬢が前世で亡くなった年数を主神オーディナルが暴露してしまうが、その言葉を聞いたハルキが唇を噛み締める姿に胸が痛くなる。
仲の良い兄妹だ。
守れなかったと自分を責める気持ちもあるだろう。
私の視線に気づいたハルキは、慌てて笑みを浮かべると「なんでもないよ」というように微笑む。
優しくも強い方だと思う。
やはり、ルナティエラ嬢の兄だった人である。
「ただし、ミュリアは外を巡る魂ではない」
外を巡る魂……?
主神オーディナルの言葉にルナティエラ嬢は動揺を隠せない様子で口を開くのだが、続く言葉が見つからないのか音にはならない。
そんな様子を穏やかな表情で見つめながらも「そこから導き出せる答えはあるかな? 」と問いかける主神オーディナルの言葉に、ルナティエラ嬢は思考がまとまったのか、ゆっくりと唇を動かした。
「憑依……している……もしくは、成り代わってしまったということでしょうか」
「そうだね。後者のほうが近いかな。この世界のミュリアは消え、地球の少女が残された器に入った……それが答えだ」
ミュリア・セルシア男爵令嬢の器に別人の魂が入っている。
そんなことを誰が考えられただろう。
その事実に衝撃を受けたルナティエラ嬢の呆然としている様子が痛ましくて、細かく震える肩を抱き寄せる。
信じられないことだが、主神オーディナルが言うのならば間違いないだろう。
ハルキが持ってきたゲームの知識を持った人間の魂……
何故ハルキが呼ばれたのか、何故ゲームが必要であったのか理解した。
ミュリア・セルシア男爵令嬢の中にいる彼女の行動原理は全てそこにある……が、そこから離れた行動も目立つ。
私を口説き落とそうとしたのも、その1つと言えよう。
『ご都合主義だな。自分の都合の悪いところはゲームの不具合。そして、こうなればいいと思うところだけは、現実的で自由に動けるから融通がきくと考えているのだろう』
呆れて物が言えない。
もし、そんな思考を持って動いているのであれば、自ずと身を滅ぼしそうではあるが、そうならないように手を貸している者がいるから厄介だ。
ある意味、体の良い操り人形なのだろう。
自ら疑問を持たず、己の欲望のままに動いてもある程度思い通りになってしまう現実が、より一層そう感じさせてしまうのかもしれない。
しかし、それなら……余計に苛立つものだな。
ルナティエラ嬢は、同じような知識を持ち合わせていたが、現実との違いに苦しみ、今だって葛藤し続けている。
記憶と知識と現実の狭間で、一番苦しんでいるのは彼女だ。
お気楽に思い通りになる、逆手に取って自分の有利に物事を運ぼうなどと考えても居ない。
ルナティエラ嬢は、意識せずに人々を助けようと動いている。
そこに、利己的な思いや考えなど無い。
だからこそ、ここにいる者たちは彼女の為に力を貸したくなるのだ。
放っておいたら、自らの身を削ってでもやりかねないからな……
「ミュリア・セルシア男爵令嬢は……いつからそんな状態になっていたのでしょうか」
「学園に編入する、二ヶ月ほど前からだね」
「つまり、我々が知っているミュリア・セルシア男爵令嬢は、既に別人であったということか……」
幸か不幸かわからないが、全くの別人であるならば元のミュリア・セルシア男爵令嬢が残念な性格と頭の持ち主ではないことに希望が持てるだろうか。
もし、本人が己の体に戻れたら……という前提ではあるが───
「彼女の魂は外の世界を巡る魂だ。本来ならば、次に転生する世界にいるはず……だけど、未だに我が息子はその消息さえ掴めていない」
「彼女の魂が次に転生するのは地球のはずなんだけど、その形跡がない。その原因というか、魂が転生していない理由は3つ考えられるんだよ」
先程は外を巡る魂ではないと言っていたのに、今度は外の世界をめぐる魂だという。
つまり……現在のミュリア・セルシア男爵令嬢は外を巡る魂ではないが、元のミュリア・セルシア男爵令嬢は外を巡る魂であったということか。
ややこしいな……
しかも、その外を巡る魂というのは何だ?
時空神とルナティエラ嬢が会話のやり取りを行っている間、疑問を口にしようかどうしようか迷っていたら、私とハルキの為に時空神自らが外を巡る魂について語り教えてくれた。
このことについて口止めされるが、ルナティエラ嬢の迷惑になるようなことはしないし、この世界でも理解できるものは居ないだろうと伝えれば、納得したようである。
ただ、「こりゃ、リュートくんは大変そうだ」と呟かれたのだが、どういう意味だろうか。
チラリと隣を見れば、何故かルナティエラ嬢が唇を尖らせて時空神を軽く睨みつけていたのが印象的であった。
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