黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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彼女が去ったあと

13.随分と珍妙な物語だな

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 ハーブを使った料理について彼女の説明が入り、それを黙って聞いていた。
 どうやら、ルナティエラ嬢は料理のことになると多弁になるようで、実に楽しげに語ってくれる。

「ジャガイモは他の素材の邪魔になりませんから、ベーコンやハムや魚にも合いますし、腸詰めにもいいですよ」
「ほう……それならば、最北端の村でも作れそうだ。喜ぶだろう」

 それは良かったと笑うルナティエラ嬢を見つめていると、穏やかな気持になれた。
 今日一日、とても大変だったのだ。
 これくらいのご褒美があってもいいだろう。

「でも、それほど時間が経っていなくて良かったです。兄のほうは、随分と時が流れているように感じましたから……」

 兄?
 はて……ルナティエラ嬢に兄はいなかったはずだし、クロイツェル夫妻からもそんな話は聞いていない。
 訝しげな視線を投げかけた私に気づいた彼女は、彼女は小首を傾げた後「あっ」という顔をして口元を白くて長い指で塞いだ。
 意図せず零した言葉であったのだろう。
 その様子から、明らかに聞かれたらマズイことなのだと判断できる。

「言いたくないのなら聞きはしない。貴女を困らせたいわけではないからな」

 安心させるためにそう言ったというのに、彼女は更に困ったような顔をして視線を彷徨わせはじめてしまった。
 落ち着かない視線は、すぐになにかの決意とともに私の方へと戻される。

「とても……信じられないお話になると思います。混乱させてしまうかもしれませんが……聞いていただいたほうが良いのではないかと……今後の助けになる可能性が高いお話もありますし」
「無理に語るのではないな?」

 静かな声で問いかけると、彼女は穏やかな表情でコクリと頷き、緊張するのか白くなった指を隠すように両手を握った。
 この様子では、よほど覚悟のいる話のようだと判断し、部屋にあるソファーの方へ彼女を誘導する。
 ソファーに腰掛けた彼女の隣に腰をおろし、この距離であれば何があってもフォローできるだろうという考え、一呼吸置いて口を開く。

「では、話を聞こうか」

 私が聞く態勢になったのを感じ取った彼女は、ゆっくりと語り始める。
 それは、私が想像しても居なかったことであり、彼女がなぜこれほど料理が上手で、様々な知識を持っていたのか理解できた瞬間でもあった。
 辿々しく語られる前世の『ニホン』という世界の話には、隠しきれない望郷の念があり、彼女にとってそれも辛いことなのだと理解するが、私にはどうすることも出来ない。
 その世界で生きていた彼女は死に、この世界に生まれ落ちたのだ。
 どんなに願っても、もう戻れないだろう。
 幸せな記憶があり、現状との違いに嘆いてもいいはずだが、彼女はジッと耐えたのだ。
 呪いなどの影響を受けながらも、前世の家族たちが彼女の折れそうな心を支えていたのではないだろうか……私には、そのように思えた。

 そして、何よりも不自然に感じたのはタイミングである。
 彼女はミュリア・セルシア男爵令嬢を見たときに記憶が戻ったという。
 何故彼女であるのか……
 その疑問も、すぐに解決に至った。
 まさか、他の世界でこの世界のことが物語になっているなど、誰が考えるだろう。
 しかも、その主人公があのミュリア・セルシア男爵令嬢だというのだから驚きだ。

「随分と珍妙な物語だな。あんな性悪女を主人公にしたらとんでもないものが出来上がるだろうに」
「性悪……ベオルフ様にはそう見えていたのですね。えっと……ミュリア様は、本来もっと……こう……お淑やかで儚げで、純粋な……」
「完全に真逆をいっているが?」

 私の言葉にうっと詰まったルナティエラ嬢は、困ったような顔をして私を見つめる。
 どちらかといえば、貴女のほうがその性格に近いだろうに……
 まあ、お淑やかという面で多少引っかかるかもしれないが、ミュリア・セルシア男爵令嬢に比べたら、とても純粋だ。

「では、ルナティエラ嬢は、その物語のように話が進むと信じ、彼女との接触を避けていただけではなく、セルフィス殿下も避けていたということになるのか」
「セルフィス殿下については、それだけではございませんが……」
「ああ……そういえば、不埒なことをしようとしていたから、避けても当然というところか」

 学園に入って早々、悲鳴を聞きつけ飛び込んだ中庭で女性にのしかかる男を見つけて蹴倒したのは良かったが、それがセルフィス殿下とルナティエラ嬢であったという珍事に見舞われた。
 さすがにこれには驚き、友達になったばかりのアルバーノと共に苦言を呈する……いや、完全にアレは説教だったか?……まあ、それ以降は随分と態度を改めたようだが、その件が原因で彼を避けても仕方がないだろう。
 ……そうだったな。
 あの時、アルバーノは穏やかではあるが、セルフィス殿下に女性の扱いはもっと考えるべきだと注意していた。
 あの頃の彼と、今の彼が同じであればいいと願わずにはいられない。

「物語とは違う部分もたくさんありますが、概ねの流れは同じでした。ですから、ベオルフ様には注意していただきたいことがあるのです」
「注意……?」

 そう問い返すと、彼女はコクリと頷き、一呼吸置いてからとんでもないことを口にしてくれた。

「物語の終盤で、王太子殿下が暗殺されてしまいます」

 なに?
 驚き声が出ない私は、辛うじて彼女の蜂蜜色の瞳に視線を向ける。
 とても信じられないことではあるが、彼女の目の輝きにも声の響きにも嘘はない。
 つまり、これはこれから先に起こるかもしれない事柄なのだろう。

「婚約した時期が物語より早かったので、少々驚いてしまいましたが……王太子殿下は婚約者と文通をされていらっしゃいますよね」
「ああ……」
「文通なら問題ないのですが、彼女から小包が届くことがあったら要注意です。それは、彼女からの贈り物ではなく、誰かが王太子殿下を狙って届けた毒が塗られたガラス細工の盃ですから」
「……そうか、エスターテはガラス細工も名産だったな」
「はい。細かな細工が施されたガラスは毒が付着していてもわかりづらいでしょう」
「そんなことになれば、両国の関係は再び……」

 エスターテ王国の王女が、グレンドルグ王国の王太子を暗殺したという話が瞬く間に広がり、両国の関係は悪化。
 間違いなく戦争になるだろう。
 暗殺者の目的は、両国の関係の悪化が狙いか?
 しかし、何故そんなことをする必要がある。

「その結果、戦争が始まり……セルフィス殿下とミュリア様も戦火に身を投じることになります」
「ミュリア・セルシア男爵令嬢も?」
「兄の死や自国の民の命が失われることに嘆き悲しむセルフィス殿下には聖剣を、彼を心から助けたいと願う彼女には聖なる宝珠が、天より降臨した主神オーディナル様から与えられるのです」

 どうにも、あの二人がそんな大それた存在になるようには思えないが……いや、その前に、そういう性格だろうか。
 兄の死には嘆き悲しむかもしれないが、民の命が失われても「しかたない」などといいかねないセルフィス殿下。
 形勢不利とわかれば、他の男をたぶらかしてでも国外に逃げるか、もしくは敵側に寝返りそうなミュリア・セルシア男爵令嬢だぞ?
 聖なる文字がこれほど似合わない二人もいないだろう。

 しかし、次の言葉は私にとてつもない衝撃を与えた。

「その強大な力でエスターテ王国の兵士から国を守り、戦争はグレンドルグ王国の勝利で幕を閉じます。そして、たくさんの犠牲を出し疲弊してしまったグレンドルグ王国とエスターテ王国は、新たに神聖カナルア国を築きます。二人はその国の王と王妃になり、末永く幸せに暮らした……というのが、物語の流れになります」

 その話を聞いた瞬間、全身が総毛立つような感覚を覚え身震いする。
 アルバーノが言っていたのは、このことか!

 『家族を守れ』というのは、かなり遠回しではあるが騎士団長を勤める父がいる立場から考えれば、大規模な戦闘か戦争へと結びつけてもおかしくはない。
 いや、戦争によりたくさんの犠牲が出るのなら、家族全員の命が危ないだろう。

 そして、わざわざ国王陛下だけではなく『王太子殿下に目をかけられて』と言ったのは、暗殺の疑いがあること伝えたかったのかもしれない。
 もしかしたら国王陛下も狙われている可能性がある。

 最後に、『セルフィス殿下とミュリア・セルシア男爵令嬢の結婚』というのは、戦争の末に築かれる国のことなのだろうか。
 そこまで計画されて裏では進行しているのだと……彼は私に伝えたかったのか?
 だが、彼の言葉とルナティエラ嬢の語る未来が奇妙に一致するように思え、背筋を冷たいものが伝った。
 不意に思い出されたアルバーノの不可思議な言葉は、ここにきて確かな色を持ち、私に警告してきたのである。

 なにせ、現状ではセルフィス殿下とミュリア・セルシア男爵令嬢の結婚などありえない。
 いや、彼女が懐妊していたら話は別だろうが……
 その場合、セルフィス殿下は王位継承権を剥奪されミュリア・セルシア令嬢共々、平民となり一生を送る可能性が高い。
 だとすれば、彼が言った『セルフィス殿下とミュリア嬢が結婚したら、今まで通りにはいかないだろう』という言葉に矛盾が生じる。

 だが、ルナティエラ嬢が語る通りになってしまったらどうだろう。
 主神オーディナルの加護を得た二人を、民は手放しで受け入れ「新たな王に」と望むはずだ。
 そうなれば、二人は幸せに暮らせるだろうが、民はどうなる?
 二人にとっての未来は明るいものかもしれない……しかし、この国の未来としては暗いものになるだろう。

 いや……待て。
 そもそも、あの二人に主神オーディナルの加護が与えられるのだろうか。
 どう考えても、ありえないだろう。

「その物語では、ルナティエラ嬢はオーディナルの愛し子だったのか?」
「い……いいえ……単に二人の邪魔をする、陰湿な婚約者ですね」
「それでは、あの二人が主神オーディナルの加護を与えられる可能性は……」
「事実はどうであれ、人々がそう勘違いすればいいのです」
「……なるほどな」

 そうか、そういうことか。
 そこで、黒狼の主……お前が一枚噛んでくるのだな。
 アレはルナティエラ嬢の死を望んでいただけではなく、この国を滅ぼすことを目論んでいるのか?
 いや……もしかしたら……

「まさか……黒狼の主は、大量の人の命を欲しているのか?」
「人の……命?」
「ルナティエラ嬢も、主神オーディナルではなく黒狼の主が裏で動いていると読んでいるのだろう」

 静かに頷いた彼女は、申し訳なさそうに私を見た。

「すみません。本当なら、私がなんとかするべきことでしたのに……」
「無理な話だ。話を聞いていれば、ろくな目に合わずに死ぬしかなかったのだろう。そうなるかもしれないと1年の間、呪いの影響を受けながら独りでその恐怖にも耐えてきたのだ。他者のことに気を配ることも出来まい」

 それに、これはアイツと私の勝負でもある。
 この勝負の勝者に与えられるのは、ルナティエラ嬢となるだろうか。
 ならば、本来参加資格があるのはルナティエラ嬢ではなく、彼女を守ろうとしている『リュート様』と呼ばれる彼だ。
 三つ巴になれば、それはそれで楽しめそうだな。

「王太子殿下の方は、私がなんとかしよう。あと、この話は、信頼を置ける方々にしてみようと思う」
「え……で、でも、信じていただけませんよっ!?」
「貴女が前世の記憶を持っている話をするのではない。『主神オーディナルの花嫁になったルナティエラ嬢が、私たちに神託をくだされた』と言って、王太子殿下暗殺の件とそれによって引き起こされるエスターテ王国との戦争の件を伝えれば良いだろう」

 なるほど……と、ルナティエラ嬢は感心したように呟いたのだが、次の瞬間オロオロしはじめる。
 今度はなんだ。

「わ、私はそんな大それた者では!」
「オーディナルの愛し子が何を言う」
「……あ、そうでした。で、でも、私にはそんな力なんてありませんもの!みんなを……守りたい人を守れず、こうしてベオルフ様にご迷惑を……」

 こういうところは、いつまで経っても変わらないのだろう。
 だが、本来聖女とはこういう人のことを言うのだろうな。
 力を与えられても、それを持っていたとしても、誰かのために使おうとする。
 そして、無闇にその力を誇示しない。
 まあ……彼女は多少、自己評価が低いのが……ルナティエラ嬢らしいといえばそうだろう。
 シュンとしてしまった彼女を見て、私は彼女しか見てわかる程度の変化しか無い苦笑を浮かべる。

「妹の面倒を見るのが兄の役目だ。それに、迷惑だなんて考えたことも感じたこともない」
「……私の兄たちは、優しすぎます」

 蜂蜜色の瞳に溜まった涙を見られたくないのか、うつむいてしまった彼女の頭を肩口に抱き寄せ、よしよしと慰めながら、前世『ニホン』と呼ばれる場所にいるらしい彼女の兄に語りかけた。

 私たちの妹は、優しくて本当に良い娘だな。
 できることなら誰よりも幸せになってほしいものだ……そう思うだろう?

 きっと、その彼が聞いたら笑って頷くだろうと容易に想像できてしまい、私は口元に笑みを浮かべる。
 今日だけで信じがたいモノを何度経験しただろうか。
 だがしかし、黒狼の主の真の目的は大まかにだが見えてきた。
 あの黒狼の主の狙いが、この国の……いや、生きる者の命だというのなら、やはり放っておくことなど出来ないだろう。
 まずは、目の前に迫っているかもしれない王太子殿下の暗殺を阻止しなくては……
 事実、起こるかどうかなどわからないが、彼女が前世で見てきた大まかな流れは同じだというのだから、用心するに越したことはない。
 こういうときにありがちな『多分、大丈夫だろう』という考えが一番危険なのだ。

 気を引き締めなければな……ん?

 いきなり肩に重みがかかり、先程まで遠慮がちに寄せられていた状態とは違う状況に疑問を抱き視線をそちらへ向ければ、くたりと肩に頭を預けた彼女からは安らかな寝息が聞こえてくる。
 慣れない魔力譲渡というものをして疲れているのだろう。
 私もまだ休息が必要なのか、急に体が重くなり意識がゆっくりとぼやけてきた。
 肩にかかる重みと共に感じる甘い香りに誘われて、誰かに導かれるようにゆっくりと瞼を閉じる。

『お疲れ様。今は二人揃ってゆっくりとおやすみ』

 大きく優しい手が私たちの頭を撫でる。
 誰かに守られている……幼い頃に父に守られていた安心感に似たソレは、力強くも心地良い。
 肩を寄せ合い、頭を寄せ合い、境界線が曖昧な感覚の中、私たち二人は穏やかな眠りの中へと誘われたのである。


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