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彼女が去ったあと
9.家族を守れ
しおりを挟む父と宰相殿と国王陛下との話し合いは有意義なものであったが、国王陛下の勧めもありミュリア・セルシア男爵令嬢の様子をスレイブに確認しておいたほうが良いだろうと、父の執務室をあとにした。
「ベオルフ、帰っていたか」
彼女が保護されている部屋へ向かう途中、丁度執務を終えたのか首周りの筋肉を解しつつ廊下を歩いている王太子殿下と遭遇し、気さくな態度で声をかけてくださるのだが、本日も仕事の内容が大変だったのか疲労の色が濃いようだ。
美しい白い石を丁寧に磨いて作られている廊下を、王太子殿下がこぼす愚痴を聞きながら歩き、目的地が同じであると感じたのだろうか、彼は仕事熱心なことだと苦笑した。
「あの男爵令嬢のところへ行くつもりか?」
「護衛をしているスレイブに、現在の状況を聞くつもりです」
「なるほど、あの令嬢との接触は極力避けたほうが良さそうだからな。あまり影響を受けていないようだと報告されている年配の女性たちに世話役を任せているからか、ご機嫌斜めらしいぞ」
どうやら、王太子殿下は彼女が危険であると判断されたようだ。
性別と年齢層によって、ミュリア・セルシア男爵令嬢の評価が違うことに気づかれ、既に配置も終わっているとなれば、いままでちやほやされていた彼女にとって、現状はとても居心地が悪いだろう。
彼女がこれ以上問題を起こさない保証はどこにもないのだから、こちらとしては細心の注意を払っておきたいものである。
王太子殿下の話によると、ヒステリックに保護されている部屋の物に当たり、手当り次第壊しているという。
私が唖然としているのを横目に「セルシア男爵に請求される金額が楽しみだぞ」と人の悪い笑みを浮かべているところを見ると、彼が卒倒するかもしれない金額にまで膨れ上がっているのだろう。
怒り方も、ルナティエラ嬢のように頬をぷっくりふくらませるくらいで済ませれば、愛嬌があっていい。
むしろ、わざわざ怒らせて眺め……いや、あまりやると本気で怒るだろうから、少しは加減しておこう。
「……セルフィス殿下のところへ向かわれるのですか」
「一応は弟だからな」
やれやれと言った様子で深いため息をつく王太子殿下の心をセルフィス殿下が理解し、もう少し周囲を見て動けるようになればいいと願わずに居られない。
私がそばにいなかった1年の間で、あれほど変わってしまうとは思わなかった。
人の心は脆く弱い部分があると知っているが、王族である彼がアレでは困るのだ。
権力や己の内に宿る強大な力を持つ者は、己を律することが出来る強い心を持たなければ、強大な力に心を食われてしまう。
王族にある権力は、誰も逆らうことが出来ないからこそ無闇に振りかざして良いものではないし、強大な権力に伴う責務などを見なかったことにして逃げてはいけないのだ。
そのことをセルフィス殿下にも理解して欲しいのだが、難しいのだろうか……
軽く挨拶をしたあと、セルフィス殿下の部屋へ続く左の廊下を進んでいく王太子殿下を見送り、私はそのまま真っすぐ、ミュリア・セルシア男爵令嬢のいる部屋へと歩みを進める。
右へ折れた道の先から歩いてくる男を見て、思わず眉をひそめてしまった。
「何をしている。アルバーノ」
「……学友に会いに来たらおかしいか?」
「面会許可はおりていないだろう」
「ああ、嫌味なくらい綺麗で女みたいな顔つきの男に、門前払いを食らったところだ」
どうやら、スレイブはちゃんとしてくれているようだと安堵のため息をつく。
スレイブがいて、アルバーノがミュリア・セルシア男爵令嬢に会えていたら、大問題である。
「すぐにまた会えるようになるだろうから、別にいいが……」
そういったアルバーノは、すました顔をして私の横を通り過ぎる間際に、小さな声で呟いた。
「家族を守れ」
思わず「なに?」と問い返した私に、アルバーノはこちらを睨みつけるように見て忌々しげに声を上げる。
「国王陛下や王太子殿下から目をかけられて調子に乗るなと言ったのだ。まあ、セルフィス殿下とミュリア嬢が結婚したら、今まで通りにはいかないだろう。せいぜい、いま与えられた特権を楽しんでおくことだな!」
先程の呟きとは全く関係のない言葉を吐いた彼は、フンッ!と鼻を鳴らして荒々しい歩調でその場を去ってしまった。
だが、いまかけられた言葉には、様々な意味があるように思う。
私の家族とセルフィス殿下とミュリア・セルシア男爵令嬢の結婚。
家族を守れというのは、どう考えても黒狼の主関連だろう。
それを、アルバーノが知っているということは、アルバーノを意のままに操っているのはヤツだということになる。
そして、黒狼の主は『セルフィス殿下とミュリア・セルシア男爵令嬢の結婚』を望んでいる……何故だ?
ルナティエラ嬢を絶望させるため?
愛想を尽かしているのだから、それは無いとアイツも理解しているはずだ。
では、他に理由があるというのか?
つまり、あの黒狼の主はルナティエラ嬢だけではなく、他にも狙いがあるということなのだろう。
その目的も探らなくては……次から次へと───
頭痛を覚えるくらい、私のもとへ舞い込んでくる数多くの情報量に、深い溜め息しか出ない。
しかし、アルバーノは大丈夫だろうか。
アイツはアイツなりに、私のことを心配してくれたようだ。
学園に入ってからの付き合いになるが、婚約者に頭が上がらず窮屈そうだとセルフィス殿下に言われても、朗らかに笑って「それが円満の秘訣です」と語ったあの時の彼と、今の彼は変わらないのだと信じたい。
神の花嫁になったルナティエラ嬢を冤罪と知りつつ追い詰めた彼に、全く罪がないとはいえないが、出来ることなら元気になった婚約者であるソメイユ嬢と、穏やかに日々を過ごして欲しいものである。
今回アルバーノは、危険を犯して助言をくれた。
もしかしたら、ルナティエラ嬢の件も、アイツなりになにかの策を講じていたか、手がかりになるような物を残している可能性が高いのではないだろうか。
彼女が冤罪だとわかる手がかりを───
アルバーノ……私が、必ず見つけてみせるから心配するな。
お前は、婚約者を守っていろ。
そして、そちらに注意がいかないよう、私があの黒狼の主をひきつけておこう。
だからといって、無茶はしてくれるなよ?
心の中で最近は見なくなってしまった、朗らかな笑みを浮かべるアルバーノに、そう語りかけ、このままずっと立ち止まっていることも出来ないので、当初の目的地へ行こうかと気を取り直して歩みを進める。
すると、再び嫌な視線を感じ、またかと顔をしかめそうになったのだが、ある意味ここからはヤツの力が及ぶ場所なのだと知れて良かったと考え直す。
つまり国王陛下や王太子殿下を守る何かは、ここから途切れていたのである。
それの意味する物が何であるか、現時点では明確な答えなど導き出せるわけがない。
しかし、注意を払う必要があると気を引き締めた。
何も知らないフリをして、ミュリア・セルシア男爵令嬢が滞在している部屋の前に続く廊下まで来ると、スレイブがこちらを一見してから、遠目でもわかるくらい嬉しそうに顔を輝かせ、忠犬のように駆けてくる姿が見える。
なんだろう……一瞬スレイブに耳と大きな円を描くようにブンブン振り回された尻尾が見えた気がしたが……見間違いだろう。
「ベオルフ様!」
「アルバーノがきていたようだな」
「どうやって潜り込んだのかわかりませんが、お引取り願いました」
「よくやってくれた。今後も、その調子で頼む」
「はい!」
ぱあぁっと顔を明るくして嬉しそうに返答するスレイブに、ミュリア・セルシア男爵令嬢の様子をたずねると、彼は表情を曇らせる。
「何か変なのです。ヒステリックに物を壊していたときとは違い、あの一件以降は妙に大人しくて……不気味ですね。まるで嵐の前の静けさのようです」
何を考えているのか……いや、『聖女』という言葉に反応していたのだから、ろくなことを考えていないだろう。
このタイミングでセルシア男爵との面会を許すとなれば、面倒なことが起こるに違いない。
さすがに、スレイブが可哀想か……?
しかし、彼以外の者に務まらない役目だろう。
万が一にも取り上げた首飾りと同じ効果がある物を所持していたら、普通の男などひとたまりもない。
「お前だけが頼りだ。すまないとは思うが任せたぞ」
「ベオルフ様のためでしたら、この身に何が起ころうとも些細なことだと笑って、いくらでも頑張れます!」
「いや、自分の身の安全は確保しろ」
「し、心配してくださるのですかっ!?……ありがとうございます!」
半ば勢いに押されて頷いてしまったが、女性のように頬に手を当ててくねくねしている姿は見ていて寒気がする。
男がそれをするな……などと注意するのも変な気がしてため息を付いていると、スレイブ同様、ミュリア・セルシア男爵令嬢の護衛任務についている近衛騎士団の数名がこちらを見てヒソヒソ会話をはじめてしまった。
スレイブがおかしいのは、いつものことだから気にしないでもらいたい。
これでも、仕事はできるから問題ないだろう。
しかし、彼らに向けられる視線が探るようなものではなく、スレイブから感じるものに似ているのは気のせいか?
まさか……な……
「何かあったら、すぐさま知らせてくれ」
「心得ました。必ずやベオルフ様にお知らせいたします」
「ああ、そうだ。前回の遠征でいつも使っていた短剣が壊れたと聞いた。我が領で作っている物だが、とても丈夫で錆びづらい。私の面倒事を引き受けてくれている礼に取っておいてくれ」
私には似合わない細工が施されたシルヴェス鉱の短剣をスレイブに渡すと、彼は感極まったようにそれを胸に抱き、「家宝にします!」と涙ぐむ。
いや、そんなに上等なものではないのだが……そこまで喜んでくれたのなら良かった。
身を守る手助けにもなるだろう。
用は済んだとばかりにスレイブに見送られながら来た道を戻り、人気のない廊下を歩いている途中で嫌な気配を覚えて立ち止まる。
『やあ、いろいろやってくれたみたいだね』
緑豊かな庭園の一点を、黒く塗りつぶしたような違和感を覚えさせる黒狼が、当たり前のようにそこにいた。
消滅前と寸分たがわぬ姿……つまり、黒狼の姿はいくらでも作り出せるということなのだろう。
厄介なことだ。
『キミは、予想外過ぎて困るな。まあ、それだからこそ退屈しないで済みそうなんだけどね』
「退屈……か」
『そうだよ、退屈なんだ。彼女がいなくなって面白くないんだよ。お気に入りの玩具を奪われた感じだ』
ルナティエラ嬢を玩具扱いとは、私を苛立たせることを言ってくれる。
この腹立たしいこの黒狼を、今度はどうしてくれようか……
私が発する剣呑な気配を感じ取ったのか、黒狼がニタリと暗く嗤う。
『そう怒らないで欲しいな。これから暫く一緒に遊んでくれるんだろう?』
「お前にルナティエラ嬢を渡すわけにはいかんからな」
『キミがボクと遊んでくれなくなったら、家族全員殺してあげる』
「心配しなくとも、逃げる気はない」
『いいね、そういうの!恐れを知らない人間は救いようがないバカだけど、キミは全て承知の上で、死んでも自分の言葉を貫いてくれそうだ』
「当たり前のことだ」
私の返答が気に入ったのか、楽しそうにくつくつ嗤っていた黒狼は、上機嫌に目を細めた。
『まあ、彼女の屋敷にしかけていた物を排除してくれた礼はしておこうかな』
そう言った瞬間、信じられないほどのプレッシャーを感じ、すかさず抜いた剣と腕で体をガードするように身構える。
一瞬、目の前が真っ暗になるような闇を纏った風が体の周囲を駆け抜けていき、冷たい汗が背中を伝う。
体から何かが大量に失われてしまった感覚がして、これが狙いだったのかと睨みつければ、黒狼は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
『やっぱり効かなかったか。面白くない……アイツと同じ特性じゃないか。全く、そういう人種はポンポン誕生させないで欲しいよ。まあいいや、驚かせることはできたようだし、今回はそれで満足して帰ってあげる。じゃあ、またね!』
そういうと、真っ黒の霧が黒狼の姿を覆い隠すように漂い、木の陰の中に溶け込み消えていく。
なんだ……?
私の中から大量に失われた物を、狙って奪ったわけではないのか?
感じる目眩と流れる冷や汗、気を抜けば震えそうになる体……現状、とてもマズイ状態なのだとわかる。
激しい頭痛を感じながらも、一刻も早く帰るのが良いだろうと、ふらつく体を叱咤して歩き出す。
こんなところをルナティエラ嬢に見られたら、怒られてしまうな。
脳裏に描いた彼女は、いつものように頬をぷっくり膨らませて「ベオルフ様!」と怒っているのだが、怖くもなく煩わしくもなく、ただ愛らしい。
頭を撫でて謝罪すれば、彼女はからかっていると勘違いして、どうすれば怒っていると伝わるだろうと考えこみ、何故怒っていたのか忘れるような人だ。
無駄だとわかっているのに、その癒やしが今は心から欲しい……と、感じてしまった。
もう、遠く……手が届くような場所にはいないのにな───
彼女のおかげかどうかわからないが、少し紛れた頭痛と目眩が再び襲ってこないうちに、何とか屋敷へ戻ろうと足早に立ち去る。
黒狼にとっては遊びでも、私にしてみれば命に関わる状況であるのだと再認識しながら……
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