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彼女が去ったあと
6.この子を単なる石ころだというなら、怒りますよ?
しおりを挟む彼女がセルフィス殿下を部屋に入れなかった理由はいろいろあるだろうが、これも理由の1つであったのだろう。
あまりにもガランとした、生活感のない部屋に胸が痛んだ。
彼女に『絶望』を植え付けるために、あの黒狼が執拗で陰湿な策を巡らせていたはずだ。
それでも、ルナティエラ嬢は独りで耐え抜いた。
とても、心が強い人だと改めて感じる。
のんびりしているくせに、興味のあることには目を輝かせて突っ走る無邪気な姿しか思い浮かばないが、彼女のどこにそんな強さがあるのか不思議に思えてしまう。
いや……そんなことはないな。
彼女は強かったではないか。
心をすり減らし帰ってくる私を、当たり前のように支えてくれていた。
辺境と呼ばれる最北端の人々と心を通わせる切っ掛けをくれたのも、彼女だったのだから───
クロイツェル侯爵夫妻も私と同じく、改めて言葉なく部屋を見渡し、沈痛の面持ちで現実を受け入れているようであった。
この方々にとって、大切にしたい娘に絶望を与える者の1人として動いていたという事実は、苦しくつらいことであろう。
心で大切にしたいと願いながら、捻じ曲げられてしまった感情は、正常に戻れば戻るほど己を責めさいなむに違いない。
しかし、色が抜け落ちてしまったような顔色をしていても、ひとつひとつの現実を痛みに耐えて受け入れていく姿は、彼女の強さの一端を育んできたように思える。
そんな状況であっても、やはり親子であったのだと感じた。
ルナティエラ嬢は、愛らしい小物が好きだったように思う。
小物らしい小物がないのは寂しいものだと胸中で呟き、辺りを再び見渡した視線の先に寝台があり、そこにキラキラ輝く何かがあることに気づいた。
なんだろうという疑問のままに近づき見れば、枕元に転がっていた物に気づき、手を伸ばし拾い上げる。
「……ルナティエラ嬢」
思わず目頭が熱くなった。
何故、私はもっと彼女をちゃんと見ていなかったのか───
後悔が押し寄せて、喉に熱い鉄でも流し込まれたように、重くドロドロした物が詰まって言葉も出てこない。
「それは、あの子がとても大切にしていた鉱石です。もしかして……ベオルフ殿が?」
クロイツェル侯爵の言葉に無言でうなずくと、なんとも言えない気持ちが胸を満たした。
これを手に入れたのは、ほんの小さな思いつきからであった。
最北端の地を悩ませていたジャガイモの件で知恵を借りたのだから、なにか形が残るように礼をしたいと考えたのである。
普通の貴族の子息であったなら、それこそ貴金属や花が一般的であったのだろうが、そうなるとセルフィス殿下が煩い。
それに、それを彼女が喜ぶとは思えなかったのである。
花はどうかわからないが、いつか枯れてしまう物ではなく、記念品として残るものを……そう考えて悩んでいた私を心配し、村人たちがどうしたのかとたずねてくるので簡単に説明すると、彼らは老若男女関係なく集まり、今度はこちらの番だと話し合いを始めてしまったのだ。
畑仕事も家事も終わった時間帯であったから、暇つぶしでもあったのだろう。
当初の刺々しい態度がウソのように、のんびりとした彼らの様子を眺めていた私は、なんとも平和な光景に呆れ返ったものだ。
相談を終えた村人たちの提案で、神聖な石として知られる鉱石をプレゼントしてはどうかと言われ、追い立てられるように山に入ったのは、その日の夕方頃である。
夜のほうが見つかりやすいから頑張れと送り出されたのは良いが、夜の山は危険極まりない。
万全の準備をし臨んだのだが、その日の山は不気味なくらい静かであった。
だが、なにか危険なものを孕んだ息を殺した静けさではなく、神聖な空気すら感じてしまうほど澄んだ何かを感じていたのである。
村人に教わった山の鉱石は、古くからお守りとしても重宝されていたが、それも迷信であると信じる者が少なくなったため徐々に採掘量が減っていき、今では廃坑になってしまったのだという。
しかし、私がよく行く村の人達は『ジャガイモの聖女様に必要かもしれない』と、口々に言うのだ。
聖なるもの、神聖なものに懐疑的であったはずなのに、私が来るようになり、ルナティエラ嬢の知識がもたらした物を肌で感じていくにしたがって、黒くモヤモヤしたものが消えていき、その石のことを思い出したのが理由らしい。
それが全て誰かの導きであったかのように、迷うことなくたどり着いた廃坑の奥にあった鉱石は、夜空に浮かぶ青い満月のように美しく、ほのかに光り輝いていた。
ルナティエラ嬢そのもののような鉱石に息を呑み、これ以上にふさわしい贈り物などないだろうと思えたのである。
持ってきたピッケルで鉱石を掘ろうとした際、ころりと転がってきた鉱石に気づき拾い上げると、丸みを帯びたソレは面白い形をしていて、何故か彼女の微笑む姿が見え、もしかしたらこういう丸っこく可愛らしい形が気にいるかも知れないと懐にしまいこんだ。
村人に見送られ学園まで戻ってきた私は、すぐにルナティエラ嬢に礼だとそれを渡したのだが、包装もなにもない、布に包まれた鉱石を受け取って喜ぶ貴族の子女などいないのでは……と気づいたときには、やってしまったと頬を引きつらせてしまったが、それもすぐに杞憂だとわかった。
布を払って出てきたルナティエラ嬢の拳ほどの大きさの鉱石を見た彼女は、目を一瞬大きく見開いたあと、嬉しさをにじませた笑みを浮かべて、それを太陽の光に透かして見たかと思えば、色々な角度から眺めたあと、パッと私の方へ顔を向ける。
「とっても綺麗で可愛いです!うわー、うわーっ、ひよこ?いえ、このぷっくりとした丸みは、エナガ?あの白くて丸っこい正面から見た感じですね!」
はて?エナガとはなんだろう。
当時の私は、それが何なのかわからず首を傾げていたのだが、ルナティエラ嬢は小鳥の一種だと教えてくれた。
意外と博識である彼女の知識量には舌を巻く。
同じく本を読んでいても、戦術書などを主に読む私とは違い、様々な書物を読んでいるために蓄積量が違うのだろう。
「普通は、そんな石ころに喜ばないだろう」
「何をおっしゃいます。ベオルフ様が自らとってきてくださったのでしょう?しかも、村の方々が考えて……皆様の気持ちがこもったこの子を単なる石ころだというなら、怒りますよ?」
唇を尖らせていう彼女の言葉に嬉しくなってしまったのは事実だ。
そして、自らの表情がどういうものであったかは知らないが、それを見た彼女は一瞬だけ目を丸くしたあと、愛らしい笑みを浮かべて「いつもそうやって笑っていればいいのに」と言ったものである。
笑って?
笑った覚えはないが、そう見えたのならそれでいい。
確かに、私は嬉しかったのだから───
その鉱石が……村人の言う『守り石』が彼女の傍らにいつもあったのだと知り、少しでも我らの思いが彼女の助けになっていたのだと、形容し難い感情が胸を満たした。
「そうか、お前が守っていてくれたのか。礼をいう……」
守り石をひと撫でしたあと元の場所へ戻し、私はある一角へ視線を移す。
黒く禍々しい気配を放つそれは、この部屋に不釣り合いな置物であった。
質素という言葉と正反対の、絢爛豪華な黄金をあしらわれた、花を飾られることもない花瓶である。
「あの花瓶は、誰からです?」
「セルフィス殿下からの贈り物ですが……」
クロイツェル侯爵夫人の言葉を聞き、正直頭痛を覚えてしまった。
あの黒狼の主はセルフィス殿下の名前を使って、どれだけの悪事をこの屋敷で働いていたのだろう。
「あれから、とても嫌なものを感じます。屋敷を覆うような黒いものです」
「……あ、あれからですか?」
怯えて一歩下がる夫人をクロイツェル侯爵が支え、忌むものでも見るような視線を花瓶に向けた。
「アレは、不慮の事故から割れたということにしておいてください」
「え……あ、はい!」
私が言った言葉の意味を理解したクロイツェル侯爵が、いち早く頷き「お願いします」と小さくだがシッカリと私に言う。
この屋敷の黒いモヤの元凶を断つ。
腰の剣を抜き、迷うことなく真っ二つにした花瓶は、砕けたりすることもなく、まるで幻であったかのように黒いモヤを放ち消えていく。
「っ!」
さすがに、常識ではありえない光景に夫人が短い悲鳴をあげるが、夫であるクロイツェル侯爵の体にしがみつきながらも、気丈にその光景を見守っていた。
完全に消失すると同時に、屋敷を覆っていた黒いモヤのようなものが消え、ルナティエラ嬢の枕元にあった守り石から出る光が強まり、屋敷を一瞬にして覆ってしまう。
守り石の力は、本物であったか……
「空気が……軽くなった?」
「は、はい、とても重苦しいものが消えて……軽く……」
どうやら、何も感じない人であっても、実感できる効果があったようだ。
先程の禍々しさを考えるなら、もっと様々な形で被害が出ていても不思議ではなかっただろう。
もしかしたら、この守り石が防いでいてくれたのかもしれない。
「この守り石から青白い光が出ています。それがこの屋敷を覆ったので、あの黒い物は、もう近づけはしないでしょう」
「ベオルフ殿には、そういう物が見えるのですか」
「不思議なことに、何故か感じたり見たりすることができます。あまり信じてはいただけませんが……」
「だから、ベオルフ殿を信用して話せと、国王陛下はおっしゃったのか……」
何かを納得したようにクロイツェル侯爵は深い吐息をついてそういうと、意を決したように私を見た。
クロイツェル侯爵の瞳に、とても強い光が宿る。
この方は、貴族社会でも『とても優しいが、厳しい人でもある』と噂されることがある人物であった。
その強い光に、本来の姿を取り戻し始めたのだと感じた。
「ベオルフ殿には、お話したほうがよいでしょう」
力ある言葉に夫人が一瞬震えたあと、クロイツェル侯爵と同じように決意のこもった瞳をこちらへ向けてくる。
このお二人にとって、これから話す内容は、とても重要なことのようだと察し、何を話されても動じないで冷静でいられるように身構えた。
「私達の娘は今でこそ、あの空のような髪色をしておりますが、10年前の熱病にかかるまで……黒曜石のように美しい艶のある黒髪をしていたのです」
───黒髪
それがこの世界でどういう意味を持つか……知らない者など存在しない。
思いもよらなかった言葉に、息を詰めてしまった私を見つめながら、クロイツェル侯爵の言葉は続く。
「ご想像の通り、ルナティエラは『神の愛し子』だったのです」
彼の力強い声にこめられた感情はわからなかったが、ただ、何故彼女が狙われることになってしまったのか、全てはここにあるような気がした。
【主神オーディナルの愛し子】
神の花嫁である彼女は、この世界に唯一、主神オーディナルの意志を伝えることができる、本物の聖女だったのである。
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