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第十四章 大地母神マーテル
14-30 教皇の誤算
しおりを挟む家族や友人のあたたかさを思い出したムユルさんに安堵していた私の背後で、「んー」と呟き動いたのはリュート様だった。
彼はアイテムボックスから毛布を取り出して彼女の肩にかける。
「体を冷やすのは良くないな。これを使ってくれ」
「あ……ありがとうございます……」
リュート様の気遣いに感謝しながらも赤面してしまう彼女の気持ちは良く判る……普段キリッとして怖い印象のリュート様が、優しいイケメンボイスで気遣いというギャップに驚きながらも照れてしまいますよねっ!?
何気にヤトロスさんも赤面しているので、男女問わず効果抜群だ。
此方からは見えないが、とても優しい顔つきをしていたのだろうと予測出来るだけに『その表情を見たかった!』という残念な気持ちが湧き上がる。
「ルナの作ってくれたメシが食えるようなら少しでも胃に入れた方が良い。口当たりの良い栄養満点の料理を作ってくれたみたいだし、勿論、妊婦が口にしたらいけない食材も使っていない」
「そこまで考えて……重ね重ねありがとうございます」
深々とお辞儀するムユルさんに勧めた食事が入ったボウルの前に、何故か白い毛玉が見える。
間違いない……真白だ。
この子はまた何をする気なのかと気になって近づこうとした瞬間、真白が勢いよく振り返った。
「真白ちゃんも食べたーい!」
「お前はさっきたらふく食っただろうがっ! ほら、お腹もぽっこり出てこれ以上は入らねーだろ?」
テーブルの上で騒ぐ白い毛玉をすかさず確保し、指先でコロコロ転がして説得しているリュート様に、真白が抗議の声を上げる。
「だって、真白ちゃんはルナの料理を全部食べてみたいんだもーん!」
「その気持ちは判るが、妊婦の食事を取るな。それはいけないことだって判ってるだろ?」
「うー……判ってるー。ごめんなさいぃぃぃ」
指摘された部分は自分が悪かったと反省して素直にペコリと頭を下げて謝罪する真白に苦笑しながら、私の食事をそこまで楽しみにしてくれていることが嬉しくなった。
それまで食べ物に興味も示さない生活をしていたはずなのに、大した変化である。
「い、いえ……あの……少し食べますか? 私……多分、全部食べられないと……」
遠慮がちに提案するムユルさんの言葉を聞いたリュート様は眉をつり上げて彼女の方へ向き直った。
「ルナといいアンタといい……ダメだ。ちゃんと食え。ヤトロス、お前が見張ってろ。こういうタイプは見張っていないと食うことをサボり出すからな。赤ちゃんのために食べる。必要な栄養を確保し、健康に生まれてくる準備をするのが母親の役目だ」
「姉さん、取りあえず一口でも食べてみようよ」
「すぐ気持ちが悪くなっちゃって……」
「悪阻か? それだけお腹が目立つとなると……妊娠して五ヶ月以上だろ? その頃には落ち着き始めるはずだが……」
リュート様の言葉に周囲がポカーンとしてしまう。
この世界の妊婦に関しての認識や知識がどうなっているのか判らないけれども、リュート様と周囲の様子から日本と似たり寄ったりなのではないだろうか。
いや、それよりも遅れている感じがする。
そこへ、専門書を熟読したリュート様の知識が来たら、この反応は当然と言える……というか、リュート様の記憶力はどうなっているのだろうか。
「心因性のストレスが原因かもしれないな。食べられる分だけ食べて、食べられそうな物をリクエストしてくれたら用意しよう。遠慮無く言って欲しい」
「お気遣いいただき、本当にありがとうございます」
リュート様にペコリと頭を下げたムユルさんは私の作ったワンタンスープを覗き込み、程よく冷めたスープを口へ運んだ。
「……初めての味……不思議な感覚です。体に……染み渡るような……優しい味」
その言葉だけでも嬉しいのだけれども、ゆっくりとした動きで食べはじめた彼女にホッと息を吐く。
どうやら問題無く食べられたようだ。
「ルナの料理は貴女の体内にある【混沌結晶】を弱体化させる効果があります。積極的に食べていたら、赤ちゃんの負担も減るはずです」
優しい声でディード様が話しかけ、ムユルさんは嬉しそうに微笑む。
「こんなに美味しい物を食べて赤ちゃんが助かるのなら、いくらでも頑張れます」
「食べ過ぎも良くないからね? ルナの料理が美味しいのは判るけど……加減を見極めるんだよ?」
心配性な姉のようにムユルさんの身の回りを世話し始めたサラ様。そして、ヤトロスさんも側を離れずに話を聞いている。
私は騒ぎ出しそうな真白をリュート様から引き取り、残っていたスープを飲ませて黙らせることにした。
ソレをジッと見つめるリュート様とチェリシュとオーディナル様にも少量のスープを配る。
お腹いっぱいのはずなのに、もう胃に余裕ができたのだろうか。
リュート様たちの食欲……恐るべし。
「へぇ、生姜が効いてるんだな。ほんのり甘みもあるし出汁が良い感じだ」
「うまうまなの! チェリシュ……お出汁の違いがわかる子になるの!」
「なんだろー、ふにゃーって力が抜けていく美味しさー」
「ふむ……なるほどな。この味で万人受けするような感じの物を目指しているのだな?」
「その通りです。魚醤だとどうしても後味というか……鼻に抜ける魚特有の香りが気になる人もいると思いますので」
本当に大豆だけ見つかれば、万人受けする醤油と味噌を造ることができるのだが……今は贅沢を言っていられない。
麦麹と小豆だけでも日本食へ繋がる大きな一歩であると考えたら、いずれ辿り着けると信じられる。
醤油についてオーディナル様と話をしている最中に、スローペースで食事を食べていたムユルさんの隣で、これまでの経緯を聞いていたヤトロスさんがいきなり驚きの声を上げた。
「え……じゃあ、その子の父親って……教皇様の息子なの? でも、あの方々はそんな酷いことをするようには……」
「実際、あの方々に何かされたわけではないの。子供が出来てから夫が急に冷たくなって……でも……どこか苦しそうで……それが心配で……。むしろ、実家に帰されてからの方が地獄だったわ」
「アイツら……! 両親はアレだから判るけど、教皇側はどうなんだろう。姉さんがそう感じたのなら……何か理由があったのかも?」
ヤトロスさんの言葉を聞いたムユルさんは大きく目を見開き、マジマジと弟の顔を見つめた。
まるで、信じられない者でも見たような感じだ。
「貴方……変わったわね。いつもなら罵詈雑言が……」
「あー……なんていうか……噂や周囲の言葉に惑わされるんじゃなくて……自分の目で見たものを信じようかなって。それに、姉さんがそう感じたのなら、ソレを頭ごなしに否定するんじゃなくて、一旦調べる価値はあるんじゃ無いかって……。俺さ……自分の思い込みで大失態した後だから……余計にそう思うんだよな」
苦笑交じりに心の内を吐露したヤトロスさんに、私たちは苦笑する。
一方の意見だけを鵜呑みにする危うさを、今回の件で誰よりも実感した彼だからこそ言えた言葉だ。
「……そう……貴方にも否定されるかもって……思っていたわ。ごめんなさい」
「いや、遠征訓練へ行く前の俺だったら、絶対にそうだったと思うから謝らないで」
「トロちゃんはやらかした後なんで、色々悟っちゃったんっすよ」
「リュート様のおかげで、色々と見えた感じだからなぁ」
「まあ、我々だってそう変わりませんよ。リュート様のおかげで視野が広くなったのは同じですから仲間ですよ」
問題児トリオの言葉にヤトロスさんは少し困ったように笑うが、彼らの言葉が嬉しかったのかはにかんだ笑みを浮かべる。
すかさずヤトロスさんが落ち込みすぎないようにフォローを入れる辺り、この三人の配慮にリュート様の教育の一端を見たような気がした。
「でも覚悟しておいたほうが良い。リュート様はスパルタだからな。黒の騎士団の常識とか皆無だから……更にグレードの高い事を平然と要求されるからな?」
ヤンさんの言葉でヤトロスさんの表情が凍り付く。
おそらく、遠征訓練中の彼らの動きを思い出したのだろう。
黎明騎士団の活躍は、それほど印象に残るものであった。
「まあ、訓練云々はお前達とヤトロスでは違う物になる。ヤトロスは回復魔法に専念させるから、お前達はそのフォローに回る訓練を追加してやろう」
「なっ!? 俺たちの負担が……増える……だとっ!?」
「リュート様、横暴です!」
「俺たちの体力が持ちません! ルナ様のお手伝いがしたいです!」
「どっちがメインなんだよ……」
呆れて肩を落とすリュート様を見ながら、黎明騎士団たちは「勿論ルナ様!」といって楽しげに笑う。
本当に仲の良い人たちである。
そんな輪の中に自然と入っている弟に安心したのか、ムユルさんの表情が優しい。
1つ心配事が無くなったといったところだろう。
良い傾向である。
「教皇の息子……ってことはイレクスのことかい?」
再確認するようにサラ様がムユルさんに問いかけると共に、彼女の纏う空気感を敏感に感じ取った周囲の表情が引き締まった。
「アイツが……妻をないがしろにするなんて考えられない。とても優しい……父と同じく聖人君子が服を着て歩いているような男なのに……」
「それが……教皇様たちも妊娠が判明した頃からおかしくなってしまって……」
サラ様は深刻そうに呟き、頭の中で自分の考えをまとめているようだった。
彼女は大地母神マーテル様の神殿に関してヤケに詳しい。
ムユルさん経由で詳しくなったのか……それとも、他に伝手があるのか――。
「潜入調査の手伝いをしてもらうはずのムユルがここにいるとなれば……内情を探るのは難しいねぇ」
「もしかして、ご連絡いただいておりましたか?」
「万が一を考えて暗号にして手紙を送ったんだけど……届いていないようだね」
「ここ最近の連絡となれば、おそらく実家に居た頃かと……」
「そうだよね……これは予想外だねぇ」
「申し訳ございません……おそらく、大地母神マーテル様関連ですよね?」
「そうなんだよ。教皇と枢機卿、そして……大地母神マーテル様の事を調べようと思ってね」
どうやら大地母神マーテル様の神殿の内情を探るのに、元々彼女の力を借りるつもりで居たらしい。
しかし、思わぬ妊娠からの追放で話が違ってきたようだ。
「私の知る限りの情報はお話しいたしますが……それも三ヶ月前の状態ですので、今はどうなっているか……」
「大地母神マーテル様の方は?」
「三ヶ月前はいつものお部屋に籠もって作業をされておりました。私に子供が授かった時に祝福をくださって……それきりお目にかかっておりません」
「そうかい……三ヶ月前は……元気だったんだね」
つまり、枢機卿が動き出したのはそれ以降ということになる。
冬の時期は大地母神マーテル様の力が衰えるので、本来であれば護衛がいたはずだが……と、オーディナル様の声が頭の中に響いた。
そのタイミングを狙われたのだと察した私は考え込む。
それからある仮説を立てた。
「大地母神マーテル様が危険な状況になることを教皇様は察知していた。そして、それを枢機卿に悟られたが故に危険から遠ざけるため、ムユルさんを実家へ帰した。それから枢機卿が動き出して……いいえ、もしかしたら既に枢機卿が動き出していたからなりふり構わずムユルさんを遠ざけたのかも……【深紅の茶葉】を飲まされていたのだから、その可能性が高い?」
ブツブツ呟いていた私は、何だか突き刺さるような視線を感じて顔を上げる。
全員が驚いたような表情で私を見ていたことにビックリして、思わずオーディナル様の後ろへ隠れた。
「わ……私……何か変なこと……言いました?」
「ルナの仮説が正しいとして……枢機卿が彼女に【深紅の茶葉】を飲ませた理由はなんだろうな」
「おそらく……人質にしようと考えていたのでは無いでしょうか。妻子を人質にとられたら教皇様の息子さんも逆らえないでしょうから」
「内部分裂を狙ったのか……それとも、息子を後継者にして傀儡にしようとしたのか……」
リュート様の重々しい声が周囲に響く。
それに対しての返答は誰からも無かった。
できる事なら教皇と接触したいところだが、今は難しい。
彼らもムユルさんを逃がすのが精一杯だった様子だ。
ただ、教皇側の誤算は、彼女の実家がとんでもない場所であったということだろう。
まさか、自分たちの孫を身ごもっている実の娘を虐げるなど考えもしなかったに違いない。
ヤトロスさんたちの両親に関しては、これから調査が行われる。
下手をすれば『加護』と権限の剥奪に付け加えて私財の差し押さえもあり得ると、アーゼンラーナ様やシグ様から聞いたところだ。
リュート様が二人を保護しなければ、赤子もろとも路頭に迷い、とんでもないことになっていたと冷や汗が出る。
「祖父の機転に父母の愛情……それに、マーテルの優れた『加護』で命をつなぎ止めた赤子か……」
「我らと同じく、強力な『加護』になりそうですね」
オーディナル様の言葉に続けてランディオ様が呟いた。
「ランディオの言う通り、強い子になりそうだ。目標となる良い例が側に居れば問題無く育つだろう」
ムユルさんのお腹から視線を移動させたオーディナル様は、真っ直ぐとリュート様を見る。
「黎明騎士団をどのような組織にするかはお前次第だ。仲間を増やすも良し、国外へ手を広げるのも良し。お前の采配で突き進むが良い」
「オーディナル……ああ、判った。俺が最初で最後の団長にならないように、今後も頑張って行くよ」
「そうだな。これが始まりであり、永く続くことを願う」
オーディナル様の言葉に力強く頷くリュート様。
もしかしたらムユルさんの子供は、今後その『加護』に振り回されるのかも知れない。
人が持て余すような強すぎる力は、時として自分に牙を剥くからだ。
しかし、近くに黎明騎士団のような心強い存在がいれば救われることもあるだろう。
オーディナル様の言うように、今後も黎明騎士団が永く続くことを願いつつ、先程よりも顔色の良くなったムユルさんと難しい顔をしているサラ様を見つめるのであった。
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