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第十四章 大地母神マーテル

14-26 求める味とは違えど……

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「粘土と泥水だよおぉぉっ」

 あわあわと慌ててリュート様へ報告しに行く真白を見送り、私と時空神様は苦笑する。
 困惑しつつも真白がこれ以上邪魔をしないように見張ってくれている彼を安心させるように微笑みかけ、私は先ず『泥水』と言われた物を覗き込む。
 食事をしているテーブルから離れた場所へ作業場を設けたので、匂いのせいで食欲が減退する事も無いだろう。
 それに、見た目も良いとは言いがたい。
 真白が騒ぐのも当然である。
 
「腐敗臭はしませんし、これで完成ですね」
「ちょっと熟成しすぎたカナ?」
「いえ、これくらいが丁度良いかと……。アレを加えたおかげで発酵時間が長くなればマイルドになりますし」
「ソレは良かったヨ」
 
 想定していたよりも少し濃い色になっているが、その分、生臭さは控えめだ。
 良い感じに仕上がってくれたと安堵しつつも、その味がどういう感じになったのか判らずドキドキしている。
 とりあえず、作業を終わらせるべく手を動かす。
 素早く濾すのなら、網目の粗さを変えて濾すのが一番だ。
 最終段階ではペーパーか布で濾すことになるので、そこまで神経質にならなくても良い。
 洗浄石で綺麗にした大きな硝子瓶へ入るくらいの分量を濾していく。

「発酵臭もするけど、生臭さもあるネ」
「そこは仕方ありませんよ……原材料は魚ですから」
「魚?」

 リュート様は真白をガッチリと掴みながら私たちの方へ近づいてくる。
 ポンポンに膨らんでいる真白がジタバタしているけれども、無意識下でシッカリと抑え込んでいる辺り慣れているなぁ……と苦笑してしまう。
 
「蛍が沢山取ってきてくれた魚の中に鰯が大量にあったので、シッカリと確保していたのです」
「鰯か……てか、鰯が……そんなドロドロになるのか?」
「時空神様の力を持って長期熟成しましたから」
 
 ふふっと笑った私は、綺麗に濾した液体を小皿へ取る。
 先ずは味の確認をしなければならないと、私はチョンッと指先に液体を付着させて舐めてみた。
 イメージしている物よりも塩っぱい。
 そして、後から追いかけてくる魚の風味――。
 以前味わったことのある物に比べたら、ほぼ生臭さを感じない仕上がりになっている。
 しかし……かなり塩っぱい。

 時空神様も責任を持って味を確認して……苦笑する。

「やっぱり、こういう味になるよね」
「そうですね」

 比べる物が悪いと言われたらそれまでだが、やはり目指している味とは違う。
 そもそも原材料が違うのだから、当然なのだが……。
 
 私たち的にはよくできた代物だが、リュート様が喜んでくれなければ私的には意味がない。
 新たに取り出した小皿へ液体を入れようとしたのだが、リュート様は指先を私が先程まで持っていた小皿へ伸ばし、液体を付着させる。

「りゅ、リュート様! 新しい物を用意しますので……」
「いや、このままでいい。むしろ、時空神は良くて俺はダメなのか?」
「え? えっと……リュート様が良いのであれば、全く問題ありませんが……私が指をつけてますから……」
「じゃあ、このままで」
「は……はい」

 何か気に障ることをしてしまった?
 一瞬だけ、リュート様の視線が鋭くなった気がしたのは気のせいだろうか。
 戸惑いながらも彼の行動を凝視し、一応注意しておく。

「塩っぱいので気をつけてくださいね」
「塩っぱい……この色の液体……な」

 リュート様は小皿の中身を見つめて、それが調味料だという事は理解したようである。
 しかし、味の想像はつかなかったようで、少しだけ躊躇したあと、指先の液体をペロリと舐め取った。
 何でも無い、ただ味見をしただけの所作であるというのに、私は妙にドキリとしてしまう。

 リュート様は……色々と罪作りな方なのです!

 見惚れている私をさておき、味見をしていた彼は目を丸くして、自分の味わった物が信じられないというように動きを止める。
 それから、もう一度液体を指先に付けて舐め取り、天を仰ぐ。
 
「マジか……。まさか……本当に?」
「リュート様?」
「昔さ……爺さんが刺身を食うときに使ってたんだ。いっぱいつけると塩っぱいぞって言われたな……。俺……食ったことあるのに、魚醤なんて考えもしなかった。それに、この魚醤。ナンプラーとも違って、なんともまろやかで塩味も穏やかだな。魚の香りも控えめだ」
「その原因はコレですね」

 私は別口で保管していた物を取り出す。
 真っ白な器の中には白っぽい……いや、少し黄みがかったカビのようなものをびっしりとつけた粒が沢山入っていた。

「コレは?」
「麦麹です。この麦麹がなかなか厄介だったので時間がかかってしまいました」
「大変だったのか」
「そうですね……麹菌を繁殖させるのに私の魔力が常に一定量必要で、何度も失敗してしまいました。私の魔力は波があるようなので難しかったです」
「それは僕の愛し子が万全では無いからだ。ベオルフと一緒の時に仕込めば、そこまで苦労することは無かろう」
「なるほど!」

 それは良い情報だと私はほくそ笑む。
 私の魔力はリュート様のように安定していないため、自分でコントロールすることは難しい。
 常に満ち欠けを繰り返している月のように、その日のコンディションで変化する。
 コップに水を満たしていても、いつの間にか減っているような状態になりやすいのが私の特徴だ。

 そんな私と麹菌の相性は良くなかった。

 時空神様が言うには、これも一時的なことで……いずれは安定するだろうという事である。
 つまり、私の体調が万全となれば自然とクリアできる問題だという事だ。

 それなら、万全になってから作れば良かったのだけれども――リュート様にどうしても食べていただきたかったので、頑張ってしまった。

「スゲーな……コレは……マジで凄い。俺の知っている魚醤より生臭くないし、どちらかと言えば出汁醤油を更に塩っぱくしたような感じだ」
「原材料が穀物ではないのでクセはどうしても出てしまいますが……とりあえず、この麦麹と豆類さえあれば、醤油は作れます」
「実現は……正直に言うと、かなり難しいって思っていた。ルナは……やっぱり、スゲーな!」
「ノートPCを作ったリュート様に言われても……という感じですよ?」
「いや、アレはオーディナルが手伝ってくれているし……」
「此方は時空神様が手伝ってくださいましたから」

 私たちの会話を聞きながら、オーディナル様と時空神様が肩を振るわせて笑っている。

「神の力だけで作り上げた物ではあるまいに……其方達の努力の結晶じゃ。そこは誇って良い」
 
 どちらにしても――凄いことを成し遂げたのだと言うアーゼンラーナ様の言葉に、私たちは顔を見合わせて笑い合う。

「醤油……クリアだな」
「ダメですよ。私の目標は『穀物で作った醤油』なので……。今回作ったのは、私が目指している物の派生形といったら良いのでしょうか……親戚? どちらも、求める味に似ているけど違うという感覚ですね」
「……どちらも?」
「次は、真白が『粘土』と言った方を試してみましょう」

 まだ手を付けていない方の容器には、赤茶色の固まりが入っている。
 表面を見てもカビ一つ生えていない。
 匂いも発酵臭以外は感じられない――いや、発酵臭の中に交じる微かな香りには懐かしさすら感じる。

「うまくいったみたいですね」
「俺の知っているのとは、ちょっと違うカナ」
「時空神様がご存じだったのは短期間熟成の物でしょう? 炊飯器で作る人も多いみたいですし……。コレはシッカリと熟成されているから当然です」
「それもソウカ。しかし……水分量に四苦八苦したけど、何とかなったネ」
 
 容器からスプーンで掬い、これも小皿の上に出す。
 リュート様は、ソレを見つめながら「まさか……」と呟く。
 そう……醤油と来たら、コレを連想するのは難しく無い。
 ただ、必要だった材料は揃っていないので、半信半疑なのだろう。

「実は、小豆で作ってみたんです。元々、豆類であればどれでも問題無く作れるようなので、これを機に実験してみました」
「小豆で……」

 リュート様は食い入るように小皿の上の物を見つめているが、手を出そうとはしない。
 まるで「待て」をしているようである。
 一瞬、リュート様が大型犬に見えてしまったが……とりあえず、意識を切り替えた。
 木製の椀は無いので、陶器のボウルを取り出す。
 取り出したボウルの中へ茶褐色の塊を入れてお湯を注ぎ、玉が残らないように溶いていく。
 綺麗にまじりあったら、そこへモツスープを加えて混ぜた。
 生憎、昆布だしや鰹出汁はないので、モツと野菜のうま味がたっぷりなモツスープに加えた形である。

「少し甘めですが……どうぞ」

 モツであれば甘みのあるスープでも美味しくいただけるはずだ。
 ニンニクなどとも相性が良い。
 ボウルの中身をマジマジと見つめていた彼は、懐かしい香りに気づいていた。
 奥歯をグッと噛みしめ感情を押し殺し、覚悟を決めてボウルへ口を付ける。
 コクリとスープを飲んだ彼は、一瞬だけ動きを止めたかと思いきや、勢いよくそれを飲み干した。

「やべぇ……マジか……。小豆で味噌が造れるなんて知らなかった」
「一度だけ食べたことがあるんです。小豆系の食品を扱う大手メーカーの小豆味噌を……。そこから思いついたのですが、製法までは知らなかったので……本当に実験する勢いで作ってみました」

 味噌は造ったことがあったので、その応用と考えればそこまでハードルは高くない。
 しかし、作るのに四苦八苦したのも事実だ。
 豆の状態や水分量の調整が難しく、時空神様と何度も相談したくらいである。
 
「えー? 泥水と泥が調味料だったのー?」
「そういうことです。コレは何年も発酵させて作るから、どうしてもこの色になるのですよ」
「そうなんだ……ルナは物知りなんだねー」
「料理に関する事だけですが」

 尊敬の眼差しで私を見る真白の頭を指先で撫でていると、リュート様が感極まったように私をギュッと抱きしめる。

「ルナ……マジで、最高! 確かに、スタンダードな物じゃないかもしれないけど、どちらも旨いし……マジ……故郷の味だ……」
「はい。故郷の味ですよね。でも、待っていてください。必ず、味噌と醤油を大豆で作ってみせますから。それまでは、コレで我慢してくださいね」
「我慢なんてとんでもねーよ! スゲー旨い! 醤油はナンプラーに比べて生臭さが控えめで塩味もまろやかだし、味噌は甘みがあって後味は小豆の風味が残るけど、それでも味噌の香りがシッカリ感じられる。どちらも、それが嫌な風味じゃなくて、美味しいって感じられる物だから……本当に……ルナの知識と腕前には脱帽だ」

 満足して貰えたようで良かったと、私は彼の背中をヨシヨシと撫でた。
 興奮冷めやらぬリュート様は、お祖父様や当主たちがいる前で泣けなかったのだろう。
 必死に感情を堪えて喜びを伝えてくれた。
 少しだけ目が赤いのは、その証だ。
 
「あーもー、マジでルナは最強! 本当に……痛ぇっ!」
「僕の愛し子を抱きしめすぎだ」

 全く、油断も隙も無いと私をリュート様の腕から解放したのはオーディナル様だった。
 今度はオーディナル様にギュッと抱きしめられている状態である。
 リュート様が文句を言いたそうにオーディナル様を見つめるけれども、そこはアーゼンラーナ様が宥めていた。

「僕の愛し子。その二種類の調味料を味わわせてくれないか? どうすれば美味しくいただけるだろう」
「そうですね……蛍が捕ってきてくれた活きの良い魚をお刺身にしましょうか。それと、アラを使ったお味噌汁」
「米が欲しくなるな」
「酒があるだろう」
「聖都の近くとは言え郊外だぞ」
「夜になれば人も多くなるから問題はなかろう」
「いや、余計問題になるんじゃねーの?」

 リュート様とオーディナル様の会話を聞きながら、私は夜のメニューを考える。
 お刺身に抵抗がある人は多いだろうし、魚醤は何と言ってもクセがあるから万人受けしない。
 匂いが気にならなくなる料理……と考えたら、加熱した方が良いだろうか――。
 
「煮物……鍋? どちらも美味しいでしょうけど……唐揚げの下味に使うのも手ですよね」

 生姜やコショウなどと相性が良いので、ソレを下味にして揚げれば専門店の味にも負けないうま味が引き出せる。
 とりあえず、リュート様とオーディナル様にはシンプルにお刺身を食べていただきたいなぁ……など考えながら、時空神様と夕飯のメニューについて意見を出し合う。
 今晩のメニューは、カレー以上に挑戦となるだろうと感じながら、私たちは頭を悩ませるのであった。
 
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