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第十四章 大地母神マーテル

14-13 禁断の料理は美味しいのです

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 網の上で良い音を立てて焼けていく牛……いや、カウボアのタン。
 薄切りにした方は、それほど時間もかからずに焼けていく。
 香ばしい香りと肉が焼ける音は、どうしてこれほど食欲を刺激するのだろうか。

「はい、リュート様」
「ありがとうな。感動の瞬間だな!」

 リュート様は目を輝かせて焼けたタンが盛り付けられた小皿を手に取る。
 自家製のネギ塩だれとレモンをつけた最初の一枚を口へ運んだ彼は、味わうようにゆっくりと咀嚼していた。
 そんな彼の様子を、ただ静かに固唾を呑んで見守るのはお父様やメロウヘザー様たちだ。
 何か異変があれば、すぐに対応できるようにしているようである。

 しかし、それも杞憂だ。
 リュート様の頬が緩み、咀嚼するたびに口角が上がっていく。
 言葉を発すること無く全身で「美味しい!」と語る彼に、私とチェリシュと真白は顔を見合わせて笑ってしまった。

「あー……俺、こんなに旨い牛タン……初めてかも。ヤバイ……これ、マジでヤバイくらい旨い!」
「厚みも問題ありませんか?」
「贅沢に厚みのある方を食べてみたいって思っちまう」
「勿論、ご用意しております」
「ルナは神だった……」

 既に網の上には厚切りのタンとシロコロが良い音を立てて焼けている。
 まだ完全に火は通っていないが、なんとも食欲をそそる見た目だ。

「ほら、チェリシュや真白も食べろ。勿論、ルナもだぞ」

 リュート様が自ら焼いて、私たちの小皿へ肉を配り始めるのだが、私も焼くのに忙しい。
 それを察した彼は、最終手段だというように、小皿のタンを私の口元へ運ぶ。

「忙しくしていたら旨い肉が冷めるだろ?」
「最初は忙しいものですから……」
「俺も焼くから、ルナも食べる。ほら」

 仕方なく、彼が口元へ運んでくれた肉を頬張る。
 モグモグ食べながら野菜や肉を網で焼いているのだが、その手が止まってしまうほどタンは美味しかった。

「柔らかい……すごく柔らかいですね。変にクセも無くて味が濃厚です」
「そうなんだよな。コレ、厚切りでも絶対に旨いやつ!」
「厚切りを増やせば良かったかも知れません……」
「いや、でも……他の部位もあるしさ。赤身や差しの入ったカルビの部分も旨そうだし、ステーキにして食べるのもいいよなぁ」

 そう言いながら、彼は焼けたばかりの厚切りのタンを頬張る。

「……柔らか! しかも、ジューシーだなぁ。アレだ……脂が良い感じで旨いんだよなぁ。ほら、ルナも」
「あ、は、はい」

 またもや口元へ運ばれてしまい、私は反射的に食べてしまう。
 あ……キャベツが焦げそう! なんて思いながらひっくり返し、モグモグと口を動かしてみて……驚いた。
 先程リュート様がおっしゃったように、肉は柔らかく、程よい脂のおかげか、とてもジューシーで食べやすい。
 香ばしい炭火の香りとレモンの爽やかさ、ネギのシャキシャキした食感。
 塩もいい塩梅で申し分ない。

「うわぁ……すごく美味しいですね」
「コレはクセになるわ……ヤベーな」
「シロコロは時間がかかりますから、次はレバーにしますか? 生? それとも焼きましょうか?」
「どっちも食べたい」
「お任せください」

 リュート様用に生食用のレバーは用意しておいた。
 きっと、沢山食べるだろうと準備していて良かった。
 冷えた硝子の器に沢山の生レバー。
 味付けはシンプルで、ごま油、塩、にんにくという簡単なものだ。
 だからこそ、レバーそのものに臭みがあれば食べられた物では無いだろう。

「アイツが聞いたら羨ましいって泣きそうだな……」

 アイツというのが誰のことを指し示すのか判らなかったけれども、リュート様は躊躇うことなくレバ刺しを口へ運ぶ。
 
「あー……コレだよなぁ。濃厚! しかも旨すぎ! ごま油とにんにくがいい仕事してる!」

 これは私も食べて味を確かめる。
 ツルッと口に入り、香ばしいごま油とにんにくの香りが鼻を抜ける。
 レバーそのものにクセは無く、濃厚でとろりとした食感に笑みがこぼれた。

「美味しい……」
「マジで旨い……これは、焼きも楽しみだな」

 硬くならないように火からなるべく遠ざけて、何度もひっくり返してジックリと焼く。
 生食もできるレバーなので、それほど几帳面にならなくても良い。
 五割火が通ったところでリュート様の小皿へ運ぶと、彼はそれを食べて目を丸くした。

「やべぇ……コレも凄いわ。ルナの焼き加減が最高なのかな……硬くないしふんわりしているのに、プリッとした食感も残ってるし……」
「レバーが苦手な人は多いですが、火が通り過ぎて硬くなりすぎるのも原因の1つだと思います」
「なるほどなぁ……丁寧な火入れか。チェリシュや真白も、好みに合わないのは無理して食べなくて良いからな?」
「あい! でも……チェリシュ、全部いけるの。うまうまなの!」
「真白ちゃんもいけるー!」

 お子様組が凄い勢いでレバーとタンを食べているのを見て、リュート様は呆気に取られたようだ。
 それもあって、私は忙しいのですけれどね……。
 前世の母は「家でする焼き肉は、子供のお腹を満たすのが先だ」と言っていた。
 その意味が、今になって理解出来た気がした。
 
「そろそろシロコロも良い感じに焼けましたよ」
「お! 楽しみ!」

 ジュワジュワと音を立てる脂と、炭火で香ばしく焼かれた表面は、見ているだけで食欲をそそる。

「熱いですから気をつけてくださいね」
「わかった」

 ――とはいえ、リュート様は慣れているから大丈夫だろう。
 日本でモツ料理を食べている人であれば、シロコロがどういったものか理解しているはずだ。
 彼は躊躇無く一口で頬張り、モグモグと咀嚼しているが、噛み切れるのだろうか……。
 一応、チェリシュや真白に渡した方は、小さく切っておいた。

「んー! 脂が甘っ! しかも、噛み切りやすい!」
「え……? そうなんですか?」
「なんつーか……こう……数回噛んだら噛み切れる。ゴムみたいな食感じゃ無くて、ちゃんと噛み切れるのがいいな」

 瞬く間に2つ目、いや、3つ目を食べてしまった彼は、「白飯が欲しい……」と小さく呟く。
 まあ……難しいですよね。
 仕方ないと言うようにレタスに肉をくるんで、もしゃもしゃと食べている。
 それを見ていたチェリシュと真白も、早速真似をしていた。
 チェリシュはいいが、真白にはあまり意味がないように思える。
 高速啄みでは一緒に食べられないのではないだろうか……。
 しかし、リュート様やチェリシュと一緒の食べ方をしているということに意味があるのか、真白は満足げだ。

「美味しーの! バーちゃんが騒いでいるけど、チェリシュは食べるのでアワワワさんなの! ゴメンナサイなの!」
「スルー推奨だよー。今度、リュートの店でお願いすればいいだけだしー」
「はっ! それもそうなの!」
 
 口いっぱいに頬張ってモグモグさせるチェリシュと真白を見ているだけで幸せになる。
 さて……一般の反応はどうだろうと、一般人代表のお父様を見た。
 リュート様に触発されたのか、恐る恐るカウボアのタンを口へ運び……驚いて固まっている。
 口だけはシッカリ動いているので、不味かったという反応では無い。
 薄切り、厚切り、生レバー……と、リュート様が辿っていったルートをなぞるように食べるお父様は、口元に笑みが浮かんでいた。
 カウボアが苦手なテオ兄様の方を見ると、焼いたレバーはダメだったようだけれども、他は問題無く食べられたらしい。
 
「やっぱり、好き嫌いは出るよな」
「好みの分かれるところですから」

 残すことを気にしているテオ兄様のレバーは、隣にいたロン兄様が食べてしまう。
 どうやら、ロン兄様は気に入ってくれたようだ。
 だが、レバ刺しのほうが好みに合っているようで、二人して会話を交わした後、レバ刺しの器を指さして笑い合っている。
 お父様はカウボアの厚切りタンが気に入ったようで、次々に焼いては食べ、目の前のメロウヘザー様はシロコロを無言で食べていた。
 コラーゲン……そんなに気になっていたのですね。

 やはり、内臓ということもあり、食べるのを躊躇う人は多い。
 クセもあるし、食文化的な問題もある。
 しかし、それでも概ね好評のようだと私は胸をなで下ろした。

 普通に赤身の部分も焼いているので、食べられないということはないだろう。
 一応、テオ兄様同様にカウボアが苦手な人用の鶏肉も準備してある。

「ネギマも人気だな」
「リュート様のリクエストのおかげですね」
「いや、俺はただ食いたかっただけだし……、俺のリクエストに応えられるルナが凄いんだよ。バーベキューみたいにさ、大ぶりの肉と野菜を串刺しにして焼くのもいいけど……こういうのは網焼きでしか味わえないよなぁ」

 その道具とて、リュート様が用意したものだ。
 網その物は珍しくない。
 しかし、リュート様が持っていた網は、焦げ付かないように魔石の粉をコーティングした物らしい。
 日本で言うフッ素加工に近いのではないだろうか。
 しかし、フッ素ほど劣化するのが早いわけではない。
 耐久度も兼ね備えた物である。
 このコーティングに行き着くまで、何度も実験を繰り返したらしい。
 その結果、最適の配合に行き着き、今ではタンブラーや他の食器にも応用させているのだとか。

 リュート様って……何気に凄いですよね。
 焦げ付く心配の無い網とか……神アイテムですよっ!?
 洗浄石があるから、そこまで拘らなくても良いはずなのに、リュート様は手を抜かない。
 さすがはリュート様である。

 和やかに談笑しながら食事に集中していた私たちの元へ、いきなり何かが飛んできた。
 よくよく見ると蛍である。
 レバーやシロコロを警戒していたお父様を心配して、そばにピッタリとついていたはずの蛍が慌てたようにやって来たのに驚き、慌ててお父様を見るが……なんともない。
 むしろ、此方へ飛んでいったことに驚いているようだ。

「どうしたの? 蛍」

 全部の手と脚を使って必死に何かを訴えかけている蛍を見ていた真白が「ほほぉ!」と声を上げる。

「これで焼いたら、美味しいお魚はもっと美味しくなる? って聞いてるー」
「え? あ……そ、そうですね。魚は勿論、貝も美味しくいただけますよ」
「っ!?」

 蛍の動きが止まり、さび付いたロボットのようにギシギシ動き出したかと思いきや、私とお父様を交互に見て両腕を上げてバンザイをした。
 えっと……?
 通訳が必要だと真白を見る。
 すると、その通訳を待たずに蛍は海の方へ飛んでいってしまった。

「……えっと、ま、真白、蛍は……なんて?」
「んー? リュートのパパに美味しい貝を食べて欲しいから獲ってくるってー」
「な……なるほど?」

 よほど炭焼きに感動したのだろうか。
 お父様にわけてもらっていたお肉たちを食べて思いついたようで、蛍は全力で海の中で乱獲しまくっていることだろう。
 ……止めた方が良かったかな?

「リュート様……リュート様のところの観賞用蛍タコは、特殊な個体なのですか?」

 今まで食事に没頭していたブーノさんが蛍の行動に疑問を覚えたようで、質問してきた。
 隠すことでは無いし、ここにいる人たち全員が知っていることなので、リュート様はケロッとした顔で告げる。

「え? 蛍は観賞用のタコじゃなく、クラーケンだぞ」
「……はい?」
「クラーケン。この前、浜辺で暴れてたヤツ。今はルナの眷属になったから安全だけど、元はスゲーデカイ」
「流石に冗談ですよね?」
「いや、本気だが? ほら、アレ……」
 
 リュート様が指し示す方向をブーノさんが見る。
 遠目にも見える海面の中から、元の大きさになった蛍が姿を現す。
 沢山の貝や魚を抱えて上機嫌の蛍は、紛れもなくクラーケンだ。
 クネクネと喜びの舞を踊る蛍を、私やお父様が微笑ましく見守る中、ブーノさんがあんぐりと口を開き、ウーノさんが泣きながら兄に抱きつくという。
 少しだけカオスな光景を目の当たりにしたリュート様は、盛大に吹き出すのであった。

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