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第十四章 大地母神マーテル
14-11 何時の時代も……
しおりを挟むそれから数時間。
その間、私には気になることが……かなり気になる事があった。
しかし、此方からアクションを起こせないので、何事も無く時間は過ぎていく。
さすがに砦を出てからというもの、まともな場所での休息を得られず、疲れが溜まってきた様子の遠征組に気を遣ったお父様は、早めの休憩を心がけていた。
こういうところはメロウヘザー様と相談して決めているようなので、安心して任せていられる。
上位称号持ちの当主が二人揃っている安心感は、言葉に出来ないほどだ。
そんな中でも変わらないのはリュート様である。
カウボアという臨時収穫を得てホクホクのリュート様は、あのあとも魔物を単独撃破しており、森から逃げた魔物が多いことを全員が感じていた。
まあ……あの性格の悪いエキドナに使われるのは嫌だと逃げたくなる気持ちも判るが、こんな場所まで逃げるほどの騒動だったのだと、改めて気づかされる。
気持ちが沈むような状況を目の当たりにしても、リュート様は終始笑顔で……そんなに牛タンが食べたかったのですか?
昼食を取るために広くて見晴らしの良い場所を確保した一団は、いそいそと食事の準備に取りかかる。
「ルナ、切って焼くだけなら……って、親父が渋々許可してくれたぞ」
「やりましたね、リュート様! それでは、昼食は豪華に焼き肉ですよ!」
「よっしゃー! 牛タン!」
洗浄石で綺麗にした後、リュート様の氷魔法で少し凍った状態にしてもらったため、とても作業がしやすい。
タンの表面を削ぎ落とし、先端の硬いところは煮込み料理用に確保したあと、残りを薄くスライスしていく。
厚切りもご所望なので、厚く切ったタンは切り込みをいれておいた。
「あ、リュート様の洗浄石とアイテムボックスのおかげで、生レバーもいけますが……食べたいですか?」
「メチャクチャ食べたいです!」
「了解しました。では、他の方々には、一般的な部位を。リュート様や希望者には、タン、生レバー、シロコロを用意しますね」
「シロコロまでっ!? うわぁ……楽しみだ!」
リュート様の洗浄石のおかげで、本来は脂まみれで大変になる仕込みが、日本では考えられないほど簡単に出来てしまった。
ヌメリや汚れを取るために、塩や小麦粉などを使って何度ももみ洗いする必要が無い。
洗浄石を使えば、あっという間に綺麗になってしまうのだ。
ピンク色のなんとも綺麗な部位を見て、感動の声を上げてしまうほど、リュート様が作った改良版の洗浄石は神アイテムである。
牛タンの上には、自家製の塩だれ。
牛タン用のネギ塩だれもフードカッターで簡単に作成することができたし、殆ど手間はかかっていない。
レバーも新鮮だからか、臭みが全く無く、鮮やかな赤色をしている。
牛乳に漬けたりして臭みをとらなくても良いという……本当に下処理知らずで手間いらずだ。
「ルナ様……本当に、食材だと思ったら、平気なんっすね。普通グロイって逃げそうなんっすけど……」
「モンドさんは苦手ですか?」
「今は平気っす。でも……初めての頃は、凄く驚いたっす」
「魔物を倒す俺たちでも、慣れるのに時間がかかったんですけどね……」
カウボアの部位を切り分けている私の手元を見ていたモンドさんとダイナスさんが、しきりに感心した声を上げる。
確かに、この作業が苦手だという人も居るし、人それぞれだと思う。
しかし、前世の我が家では『命をいただくこと』の教育が行き届いていた……と言えば良いのだろうか。
母が、そういうところを甘やかす人では無かったのだ。
「命をいただくことで私たちは生きながらえているのだから、いただく命に日々感謝しなさい」
その言葉は、未だに私の中にある。
リュート様の手で刈り取られた命を、私がみんなの命へ……生きる活力にしていくのだ。
その死が無駄では無いよう、美味しくいただくために持てる技術を使い、食べる人の幸せを願って調理する。
それが、料理だと言ったのは兄だった。
私の根幹には、二人の言葉が息づいている。
あ、お父さんはのけ者というわけではなくて、美味しく食べてくれる係だ。
ニコニコと笑みを絶やさずに食べてくれるだけで、料理した甲斐があるというものである。
「……ということは、リュート様はお父さんと同じポジション?」
「え? 俺……老けてるって……こと? ……いや、心当たりはあるけど……え?」
後者は小さく呟いていたが、距離感も相まってシッカリと聞こえてしまった。
私の背後にピッタリとくっついて料理状況を見ている彼は、私が倒れないようにフォローする役目をお父様から与えられていた。
まあ……彼は前世の記憶があるので、他の二十歳に比べたら落ち着いている。
しかし、父ほど年配だと感じたことは無い。
むしろ……目をキラキラ輝かせて料理を食べる姿などは、少年のように可愛らしいくらいで――いや、これは言ってはダメなヤツだと唇を引き結ぶ。
男性に可愛いは禁句だと親友に教わったので、思っていても口にはしない。
「えっと……そういう意味ではなく、私の父もニコニコして美味しそうに料理を食べてくれたなぁ……って、思い出していたのです」
「ああ、そういう意味か。なるほど……気が合いそうだ」
嬉しそうに笑うリュート様の頭上では「リュートがジジクサイってー!」と真白が笑い転げている。
その笑いも、すぐに悲鳴に変わったのだが、いつものことだから気にしない。
本当に懲りない子もいたものである。
しかし、それがコミュニケーションの一環になりつつあることを、ここにいる人たちは知っていた。
呆れながらも微笑ましく、なんとも仲の良いことだと笑い合う。
そのタイミングでお父様が遠くからやってきた。
私が料理している姿を心配そうに見つめ……そして、手にしている食材を見て頬を引きつらせている。
「る……ルナちゃん、本当に……ソレ……食べるの?」
お父様が恐る恐る尋ねてきた。
「はい。とても美味しいですよ?」
「……お、美味しいんだ……ルナちゃんが言うからには、そうなんだろうけど……」
お父様の表情には『心配』の二文字が浮かんでいる。
現在昼食を準備している中、私が調理しているキッチンの異様な光景に引き気味なのだ。
他のチームにはカウボアの焼き肉に最適なカット方法をレシピ化して配り、仕込みをお願いしている。
勿論、野菜も準備済み。
今は炭に火魔法で火を付けているところらしい。
「この肉と野菜を炭で焼くだけなのに……どうしてか、ウキウキしちゃうね。兄さんはカウボアが苦手だけど、大丈夫?」
「可愛い妹が作ってくれる料理は、カウボアでも食べられるから不思議だ」
「それ、多分さ……洗浄石で手早く処置しているからだと思う。ルナが解体されたカウボアの可食部を綺麗にしてたし……」
「下処理はすぐしたほうが良いです。リュート様の洗浄石の威力が凄いのもありますが……他の洗浄石では、これほど綺麗にならないのではないでしょうか」
ヌメリも全く残らないのだから、その威力の凄まじさは語るより見て貰いたいくらいだ。
万が一にも寄生虫がいたとしても、リュート様の洗浄石は排除してしまうほど高性能だから当然といえば当然である。
「なるほど……私は、下処理がきちんとされていないカウボアが苦手なのだな」
「リュートの洗浄石で……という前提つきだね。最近、我が家の料理の質が上がったのは、ルナちゃんに弟子入りしたカカオとミルクの腕前とリュートの洗浄石のおかげということか」
テオ兄様とロン兄様の会話を聞きながら、私は生レバーを切り分け、ごま油と塩、すりおろしにんにくが混ざった調味液へつけ込む。
それを冷蔵庫へ入れ、他に下処理を終えていた肉を取り出して一通り焼く事にした。
リュート様が絶妙な火魔法で炭に火をつけてくれたので、すぐさま取りかかることが出来る。
さすがはリュート様!
今回の調理方法を見た兄が、「ナニソレ凄すぎないっ!?」と叫ぶ姿が脳裏に浮かんだ。
まあ……魔法のある世界ありきのお手軽感ですよね。
「お……良い感じに焼けてきたな」
網の上では、肉がいい音を立てて焼けていく。
炭火で香ばしく焼ける肉。
そして、それをみんなで見守るという異様な光景だが、レシピにするためには全部位を焼かなければならないので、気にしている暇が無い。
肉を焼くだけでレシピが必要なのは面倒だけれども……網の上で黒焦げになって炭と化したり、生焼け肉が出来たりしないのは、ある意味救いだ。
生焼け肉で食中毒なんて、目も当てられない。
「下処理、カット方法、それら全てをレシピ化していれば、レシピも膨大になるはずですね……」
内臓を食べるという事を見届けにきたのか、メロウヘザー様がイーダ様やレオ様と共に此方へやってくる。
その後ろには、保護されたウーノもいた。
一応、リュート様には人質扱いされているが……別段囚われているわけではない。
アレも悪ノリなのだろうが……ウーノは魔王と化したリュート様を見たからか、彼が近づくだけでビクビクしている。
黎明騎士団も恐れる魔王リュート様ですものね。致し方なし……です。
「内臓も食えるのか?」
本当に大丈夫なのかと訝しんでいるメロウヘザー様とは違い、単純に興味を持っているレオ様は、焼いている肉を見て強い興味を示した。
焼けた肉を見れば、食欲を刺激されるだけだ。
それがどこの部位であろうと食べられるのなら問題無い――というのがレオ様の考えなのだろう。
「他の肉と変わらんな」
「脂身は多いですがコラーゲンも多いので、明日の朝は、お肌がプルプルになりますよ」
その言葉にはあまり興味を示さなかったレオ様だが、その後ろにいた二人は違った。
メロウヘザー様とイーダ様の目の色が変わる。
「お肌が……」
「プルプルとは、どういう意味ですの?」
二人の圧に、男性陣が一歩たじろぐ。
リュート様は「いつの世も……」と呟く声が聞こえたけれども、それ以上は言わない。
彼は母と妹という女性ばかりに囲まれて過ごしてきた過去を持つため、こういうことにも慣れっこなのだろうか。
「え、えっと……コラーゲンとは、皮膚や骨などあらゆる組織や臓器に分布するタンパク質の一種で、『肌の潤いや弾力』『丈夫な骨』『関節の動き』『丈夫な腱や筋肉』を作る役割を持ちます」
「ま、待ってくださいお師匠様! メモを取らせてください!」
どこから飛んできたのか、マリアベルまで参加してメモを取り出す始末だ。
しかし、いつの世も女性は美容に興味を持つのだと感心してしまう。
もしかしたら、私はそういう美容面でズボラなのかもしれない……。
もう少し真剣に考えるべきだろうか――そんなことを考えながら、肉を焼きつつ説明を続ける。
「コラーゲンは積極的に取り入れたい栄養素で、カウボアの小腸などで作る『モツ鍋』などにすれば、効率よく摂取できると思います。大量のお野菜とスープに溶け出したコラーゲンを美味しくいただけますからね」
「焼き肉でも摂取は出来るんだろ?」
リュート様が補足説明を促すように質問してくれた。
「お鍋やスープの方が余すこと無く摂取できるというだけで、焼き肉でも問題ございません」
「へぇ……あの、冷えると煮こごるのがコラーゲンだよな」
「そうですね。あの煮こごりはコラーゲンの宝庫なんですよ。年を取るにつれてコラーゲンは減少します。肌のハリや艶が失われる原因の1つですから、気になるようでしたら摂取されることをオススメします」
私はカーラー家の方々にそう告げる。
すると、今まで内臓を食べることに抵抗感があったイーダ様とメロウヘザー様の目の色が変わったのを感じた。
マリアベルは元々私が作る料理に対し強い関心を示すのだが、彼女たちは違ったのだ。
それなのに……である。
「スゲーな……目の色が変わったぞ」
ボソリとリュート様が私の耳元で囁く。
私も同意だと小さく頷いた。
「もしかして……モツ鍋……売れるんじゃね?」
「それも同意です。女性客が増えるかも?」
「いや、あの味は男も好きだ。シメはラーメンがいいな」
「いいですね」
コソコソと私とリュート様は顔を寄せ合い話し合う。
その間にも肉が次々に焼けていき、それをレシピ化していく。
「バーちゃんが泣いているの……『シロコロ食べたい』って泣いて、パパにチーンしてもらってるの……」
「ガキかよ! しかし……アイツは、B級グルメを制覇したいのか?」
ロン兄様に抱っこされて私の手元を見ていたチェリシュが空を見上げて呟いた。
前々から思っていたが、知識の女神様の好みは、とても庶民的な味だ。
おそらく、神界で大暴れしていることだろう。
「そのうち、別棟の常連になりそうですよね」
「だな……」
私たちは今から別棟で起こるだろう騒動を考え、盛大な溜め息をつく。
本館や別棟でも、おそらく焼き肉は大ブームとなるだろう。
そんな予感しかしない。
「空調……もっと考えないとな」
「むしろ、匂いで客寄せですよリュート様」
「確かに、匂いってのは最大の武器だよな」
「香ばしい醤油の香りとか、そのうち実現したら良いですよね」
「ヤバイ、その攻撃は俺に効きすぎる……!」
背後から私に抱きつき項垂れるリュート様の姿には、笑いしか出てこないが……。
いつか、そういう日も来るだろう。
その時に彼が思う存分楽しめるよう、私は今から米と大豆が手に入ったときのシミュレーションを頭の中で繰り返すのであった。
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