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第十一章 命を背負う覚悟
11-10 情報は大事
しおりを挟む「とりあえず、ここで見聞きしたことは口外しない。主神オーディナルの名に誓っても良い。かの神をこれ以上怒らせる馬鹿なことはしないから安心してくれ」
王太子殿下が溜め息交じりにそう言ってくれたのだが、微妙に気になる言葉を聞いたような気がした。
ベオルフ様の大きな手を私の口から外し、オーディナル様が怒っている理由を問うてみたのだが、私との婚約破棄の件で怒っているはずだという答えが返ってきた。
一般的にはそう考えるのだろうが、オーディナル様は小さな事にこだわらない神である。
それに、婚約破棄になったほうが良かったと考えているはずなので、問題は無いと王太子殿下の誤解を解いておいた。
それはそれで微妙な顔をされてしまったが、事実なので仕方が無い。
「まさか、また婚約をしろとおっしゃったりは……」
「しない。するはずがない。神の花嫁になったと言われている貴女を縛る権限など私たちには無い……いや、元々そんな権限などなかったのだ」
それなら良かったと胸をなで下ろしている私の目の前で、王太子殿下が優雅な仕草で跪く。
考えもしなかった彼の行動に驚いていると、王太子殿下は丁寧に謝罪をしてくれた。
「主神オーディナルの愛し子であるルナティエラ嬢と黎明の守護騎士であるベオルフ殿に、我が弟が数々の無礼を働いたことを、心より謝罪いたします」
「お、おやめください! 一国の王子……いえ、これから国王となる方が……」
「国王であっても、間違いは謝罪しなければならない。そうでありたいのだ……甘いかも知れないが、黒を白だと言い張るほど図々しくは無い。国を守るためであれば、それも致し方ないが、今はそうではない。愚弟の兄としての個人的な謝罪なのだ」
そう言われてしまったら止めることは出来ない。
素直に謝罪を受け入れて、ベオルフ様を見上げる。
この件で一番怒っているのは、他でもない彼の方だ。
もしかして、オーディナル様よりも恐ろしい人が怒っているという事実に、彼らは気づいているのだろうか。
少しだけ同情したくなったが、今までされてきたことを思い出したら、そんな気も失せてしまう。
彼らのせいで多大なる迷惑を被ったのだから、こればかりはどうしようもない事だ。
ベオルフ様の思うがままにして欲しいし、行きすぎた行動だと感じたら、止めたら良いだけの話である。
「ベオルフにも言ったのだが、貴女方の立場の方が本来は上なので、普通に話して欲しい。むしろ、私が言葉を改めて……」
「改めなくて良いです! 私も普通に会話をしますので、王太子殿下もお気遣いいただかなくて大丈夫ですからああぁぁっ」
とんでもない提案だと、私は慌てて首を左右に振った。
王太子殿下とこうして話をしているだけでも、彼の周囲にいる貴族の女性たちに恨みを買いそうだ。
公衆の面前での会話ではなくて良かった……と、ホッと胸をなで下ろす。
そんな私の心中を察してか、ベオルフ様は楽しげに目を細めて、ほんの少し口元を緩めている。
むぅ……また、私の反応を見て楽しんでいますね?
「笑っていないで、王太子殿下を説得してくださいっ」
ん? と言いたげに片眉をピクリと動かした彼は、此方を見て更に目を細める。
知らない人が見たら睨んでいるのかと勘違いしそうだが、この表情は私をからかって楽しんでいるときに見せるものだ。
間違い無い!
「私のほうは、その件は解決しているからな……」
「私の分も是非!」
「自分で頑張れ」
「酷いですー! こういう時に手助けしてくれても良いではありませんかっ」
さて、どうしようか――と思案するそぶりを見せるだけで、全く考えてくれていないことはわかっていた。
ただ単に、私の反応を楽しんでいるベオルフ様の腕をペチペチ叩くが、全くダメージが無いどころか、更に楽しげな様子を見せる。
逆効果なのだろうか……
どうすれば、私が困っていると理解してくれるのだろうと考えていた私の耳に、王太子殿下の声が響いた。
「本当に仲が良いのだな……」
「はい! 兄のように慕っておりますから!」
「……兄……なぁ」
何故、含みのある言い方をされたのだろうか……まあ、厳密に言えば兄ではない。
血も繋がっていないのだから、間違い無いのだが……気持ち的にはそういう感じだ。
ベオルフ様は、呆れたような様子で王太子殿下を見ていたかと思ったら、小さな溜め息をついて肩をすくめた。
珍しい反応だ。
ベオルフ様が心を許した相手にしか見せないような部類の反応である。
裏表があって油断ならない相手――という周囲の言葉とは違う王太子殿下の反応も、もしかしたら気に入った相手にだけ見せる態度なのかもしれない。
なんだかんだで、二人は気が合うのかも知れないと感じた。
「まあ、とりあえず……此方の椅子に腰をかけて話をしようか。先ほどの【深紅色の茶葉】の事も詳しく聞きたい」
王太子殿下に促されるまま移動を開始しようとしたのだが、少し歩きづらい。
はて?
何故歩きづらいのかと答えを見つけるよりも早く、呆れたようなベオルフ様の声が響く。
「ルナティエラ嬢……そろそろ手を離してくれ。移動しづらい」
手?
数回瞬きをしてから自分の手の位置を確認して――固まった。
私はどうやらずっと彼にしがみ付いたままだったようだ。
わ、私は……ず、ずっとこの体勢で話をしていたのだということに気づき、慌てて離れる。
その際、小さな悲鳴のような声を上げてしまったのだが、王太子殿下は一連のやり取りがツボに入ったらしく、吹き出すように笑い出してしまった。
うぅ……だ、大失態です……
ノエルが笑いながら話しかけてくれるのだが、それどころではない。
正直言って、顔から火が出るくらい恥ずかしい。
ベオルフ様が相手だと、ついつい甘えてしまう私にも問題はある。
しかし、その状態のまま放置していたベオルフ様にも責任はあるのだから、どうにかして欲しいと思っていたら、ノエルの尻尾に当たった書類が綺麗な雪崩を起こしてしまった。
凄まじい書類の量だと散らばった書類を集めていたのだが、それを見ていた私はうん? と首を傾げてしまう。
チラリと見ただけだが、王太子殿下が直接携わる案件でも無いような書類まで紛れ込んでいるし、期日もバラバラだ。
急いでやる必要が無い書類が一番上に来ているところを見れば、周囲がいかに彼の処理能力頼みで、自分たちの仕事をしていないか判るというもの。
一応、確認のために王太子殿下へ声をかけた。
「これ……全て王太子殿下が処理されているのですか?」
「その通りだが……」
迷いの無い、さも当たり前のことだというような返答に、軽く眩暈を覚えてしまう。
この方も、リュート様と同じく仕事の虫だ。
しかし、同じ仕事の虫でも違いはある。
二人が大きく違うのは、王太子殿下は先に来た書類から片付けているのに対し、リュート様は必ず仕分けを行う。
大至急の案件でなければ、いつまでにする仕事であるか確認して整理するのだ。
社会人の基本だと彼は言っていたが、王太子殿下に同じ事をしろというのは酷だと理解していた。
会社とは違い、貴族社会では携わっている貴族によって事情が変わっている場合もある。
貴族の地位、領地の状況、担当者の性格なども考慮しなければならないのだ。
仕事なのだから真面目にやれという言葉は、貴族間では通用しない。
自分を優位に見せるための努力は惜しまないが、仕事となれば手を抜いて知らんぷりをする。
苦労することを美徳とはしない、優雅に生きる事こそ貴族なのだと考えている者が多くいた。
王太子殿下は、もっと強かな方だと考えていたのだが、仕事が多すぎてまともな判断が出来ない状態に追い込まれているのだろう。
だからこそ、今ココで私が言わなければならないと判断して顔を上げた。
「あの、失礼を承知で申し上げてよろしいですか?」
「かまわないが……何かあったか?」
「効率が悪いです」
キッパリと言い切った私に、王太子殿下は目を丸くして固まる。
まさか私にこのようなことを言われるとは、夢にも思わなかったのだろう。
彼がフリーズしている間に、手に持っていた書類の中から会社で『大至急』と赤文字で書き記すかハンコを押されそうな書類たちを選別して王太子殿下に渡した。
「王太子殿下が至急対応しなければならない書類はコレです」
言葉にならない呟きをこぼす王太子殿下に書類を押しつけ、必要の無い書類の束をまとめて机へ戻す。
「あと、此方の束は王太子殿下が見る必要はありません。補佐官でも雇うか、宰相補佐のベニアス様に話をして、人員を回して貰ってください。それが無理なら、オードリー伯爵かルーベント侯爵に手助けして貰えば良いと思います」
どちらも私がセルフィス殿下の問題で右往左往していたときに手を貸してくださった方々だ。
わかりやすい説明や、判断能力に優れた人たちで、地位などに関係無く仕事の出来る男たちである。
まあ……仕事が一番できる人はリュート様ですけれども!
しかし、王太子殿下にリュート様を薦めるわけにはいかない。
むしろ……リュート様は自分の仕事で忙しい方だ。
軽く見積もっても王太子殿下の倍以上の仕事をこなしているが、それでもケロッとしているのはキュステさんやサラ様、アレン様のサポートがあってこそである。
つまり、今の王太子殿下には有能なサポーターが必要なのだ。
ベオルフ様も有能だが、彼も忙しい身なので違う方々を推しておく。
「補佐官をお求めでしたら学園を卒業したばかりですが、マクレガー伯爵の長男であるジャック・マクレガー卿をオススメします。三名とも立場的には中立で、貴族であろうとも平民であろうとも関係無く公平ですし、仕事の出来る方ばかりです。自分の陣営に引き入れようという企みが無ければ、快く引き受けてくれると思います」
セールスポイントと注意する点をシッカリと伝える。
頭の良い王太子殿下なら、問題無く交渉することができるはずだ。
「確かに、中立派の中核だが……マクレガー伯爵の長男は、それほど優秀なのか?」
「はい。ベオルフ様と比べると誰もが見劣りするかもしれませんが、仕事が早くて丁寧な方々ですし、ジャック・マクレガー卿は視野が広く冷静な判断が出来る方です。性格は穏やかなので、おそらくガイセルク様とも気が合うでしょう」
現在補佐官を置くにあたって一番の問題となりそうなのは、ガイセルク様である。
野性的な勘で動くガイセルク様は、人に対する嗅覚が鋭い。
その人の本質が、善か悪か――それを見極めてしまうのだ。
どれだけ有能でも、性根が腐っていたら話にならないのである。
その点、ジャック・マクレガー卿は温厚で人当たりが良い。
本質も優しさに溢れた人なので、ガイセルク様が好きな部類の人物だ。
彼なら問題ないと太鼓判を押していたら、王太子殿下は微妙な顔をして私の隣にいるベオルフ様を見た。
「ベオルフ……お前が貴族関係に疎い理由がわかった気がする……近くにこんなにシッカリとした情報源があれば、覚える必要などないな……」
「理解していただけて嬉しいです」
「何を言っているのですか? ベオルフ様はただ単に面倒なだけですよね?」
「いや、そんなことは……あるか」
「でしょうっ!?」
貴族関係のことに関して、全くと言って良いほど興味を示さない彼ではあるが、そろそろ覚えておいて欲しい。
今後、何がどういう形で絡んでくるか判らないのだから、注意するに越したことは無い。
特に、ミュリア様の父親は、叩けば埃がわんさか出てくる相手である。
変なところで繋がっていたなんて言われても不思議では無いのだ。
こんなことで足を掬われるような事態に陥っては目も当てられない。
頬を膨らませて「勉強してください!」と強めに言う。
「……わかった。善処しよう」
「もう! 全然わかってないですー!」
誤魔化すように私の頭を撫でるベオルフ様を見上げ、そばに居たらフォローできるのに……と、思ってしまったが、今はどうすることも出来ない。
出来ることなら、彼には自由に生きて欲しいものである。
そのためにも、邪魔になりそうな貴族の名前だけでも覚えて貰った方が良いだろうと、私は自分のブラックリストを彼にも見せておこうかと思案するのであった。
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