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第十章 森の泉に住まう者

10-2 失敗からの好転

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「でねー、真白は焚き火の上をとったの! すごいでしょー!」
「ああ、すごいな。さすがは、鳳凰の子だ」

 目の前で、今日あったことを報告しながら、ドヤ顔をしている真白を優しく包み込むように撫でているベオルフ様の様子を見ていると和む。
 やはり、真白は最初に出会ったベオルフ様が特別なのだろうか、やけに素直で……子供が父親に報告しているようにも見えてくる。
 チェリシュがリュート様を目の前にし、誇らしげに報告している時のようだ。

「えへへー! 真白は出来る子なんだぁ」
「そうだな。お前はやれば出来る子だな。ただ、失敗が多いだけだな」
「それって褒めてなーい!」

 ぴーぴー文句を言って懐に額をぐりぐりこすりつけている真白を受け止めている様が少しだけ羨ましくて、私もベオルフ様へもたれかかる。
 私の心情を察してか、額に頬を寄せてくれたベオルフ様の優しさが、心に染みた。
 今日は、色々と驚くことが多かった。
 リュート様の戦いを間近に感じた衝撃や、彼の力に守られておきながら悪意を持つ者たちの視線は、思った以上に私の精神へ負担をかけていたようである。
 あんなものに長年苦しめられていた彼から表情が抜け落ち、笑顔を忘れたと聞いても、今なら不思議だと感じない。
 出会った当時は不思議で仕方が無かったが……それがわかるようになってしまったことが、少しだけ悲しいと感じた。
 理解出来るということは、周囲は今も変わらず彼へ悪意を向けていると言うことなのだから――

「やはり、ルナティエラ嬢と真白がいないと……寂しく感じるな……しかし、リュートや小さな春の女神……チェリシュと一緒に仲良くやれているのなら一安心だ」

 思考の海へ沈んでいた私の耳に意外な言葉が届き、思わずキョトンとしてしまう。
 え……? さ、寂しい? ベオルフ様が?
 此方を見つめる静かな青銀色の瞳は感情が読めない。
 だが、奥のほうに孤独を感じる影がチラリと見えた気がした。

「寂しいのですか?」
「少し……な」
「じゃあ、真白たちと一緒だねー」

 真白の言葉に同意して頷くと、感情の読めなかった瞳が柔らかな色をたたえる。
 も……もう! そういう……時々、此方の心をガシッ! と掴むようなことを言うから……こう……胸がぎゅーっとするのですよ!
 真白と一緒にぎゅーっと抱きつき、顔を見合わせて笑う。
 寂しい時に寂しいと言える今に感謝しながら、あの時とは違って皆がそばにいてくれる喜びを噛みしめた。



 しばらくの間、他愛ない話をしながら魔力調整を終えた私たちが寛いでいると、フッと現れた丸い毛玉がぽてりと私の膝上に転がる。

「え? し、紫黒、大丈夫ですかっ!?」

 ぐったりしている丸い毛玉を両手で包み込んで覗き込むが、グロッキー状態で見るも無惨な姿になっていた。
 い、いけません、これはマズイ状態です!

「し、紫黒! 死んじゃやだー!」

 ぴーっ! と泣きつく真白にぐらぐら揺さぶられ、より状況は悪化する。
 真白! 混乱するのはわかりますが、今は安静にさせてあげてください!

「ま、真白、揺らしてはいけません」
「でも、でもおぉぉぉっ」
「お前は此方へこい」

 慣れた様子で真白をつまみ上げたベオルフ様は、心配そうに紫黒を見ていた。
 こんなに疲れるまで……大変だったのですね。
 よしよしと労るように撫で、どうしようか思案していると、元気なノエルが飛び込んできた。

「紫黒、大丈夫ー? ボクのリンゴ、食べるー?」
「む……り……」

 とりあえず、すりおろそうとノエルからリンゴを受け取ったのだが、それは自分がやるとベオルフ様がノエルのリンゴを掴んだ。

「これですりおろすと良い」

 これまた疲れた様子のオーディナル様が姿を見せたと同時に、日本でよく見たステンレス製のすりおろし機を創造してベオルフ様へ渡す。
 オーディナル様の後ろには、深い溜め息をついている時空神様がいた。
 つまり、紫黒とオーディナル様と時空神様とノエルで、今まで作業にあたっていたようだ。
 時空神様は行ったり来たりで……本当に大変ですね……
 ノエル以外は言葉も出ないほど大変だったのか、疲労の色が濃い。
 ベオルフ様がすりおろしてくれたノエルのリンゴを食べた紫黒は、少し回復したようだが動きがとても緩慢であった。
 無理は禁物だと膝の上に乗せ、優しく撫でて様子を見守る。

「真白のバグって……そ、そんなに大変なのですか?」
「真白のバグだけならば、そこまでではなかったのだがな……何やら奇妙なものが絡まっていて、他の管理者に連絡を取りながらの作業となって手間取っているのだ」
「奇妙なもの?」
「そうなのだ。我々の目には見えなかった。感知することもできなかった。黒くて小さな羽虫だ」

 そう言ってオーディナル様は、七色に輝く結晶に封じ込められた小さな黒い羽虫を見せてくれた。
 蟻のような丈夫な顎と特徴的な体つきをしているのに、背中には大きな蝶のような羽を持つ……とても不気味で禍々しい姿に体がビクリと跳ねる。
 き……気持ち悪い……
 完全に動きを停止しているところを見ると、封じ込められているようだ。

「僕以外の管理者では封じるのがやっとで、滅することも出来ない。これが他の世界の実に散らばっているのかと、考えるだけでも頭が痛いな……」
「ボクの増幅で紫黒の力をアップさせて、やっと真白が作ったバグから引き剥がして、オーディナル様が封じたんだー」

 そこまでしないと引き剥がせないのか……と、呆れたような声を上げるベオルフ様に時空神様が笑う。

「真白のバグは、まるで『とりもち』だよね。でも……そのおかげで、各地で起こっているメノスウェーブの異常な上昇は、この虫が原因だということがわかったよ」
「ユグドラシルも至急対策を練るようだが、現状では原因がわかっても対処のしようが無い。おかげでバグを放置して、この羽虫を捕まえる方向へシフトしたのだ」
「いきなり呼び出されて驚いたよねー」

 時空神様とオーディナル様とノエルの話からは、不穏な物しか感じない。
 しかも、その不気味な羽虫をどこかで見たような気がするのだ。
 どこで……?
 記憶の中を探るが、ハッキリと思い出せない。
 ただ……前世で見たような気がする。前世の……死の間際?

「痛っ」
「ルナティエラ嬢っ!?」

 頭が痛い……足も……何故足が痛むのだろう。

「ルナ……どうしたの、この古傷みたいな……」

 私が押さえている頭と足を気にしてか、頭のほうをベオルフ様が見て、右足首を押さえている私の手元へは真白が行き、様子を見てくれたようだ。

「古傷? 靴を履いているのに見えるのか?」
「うん、この奥にあるよ、確かめてみてー!」

 すぐさま真白の言葉に反応したベオルフ様が、靴を脱がせて私の足首を確認する。
 丁度足首の後ろ辺りに、鋭い何かで斬りつけられたような痕が見えた。
 赤黒いそれは、言葉にならないほど禍々しい。

「……あの時の傷か」

 あの時? 疑問に感じてベオルフ様を見つめるが、彼は険しい表情のまま、憎々しげに傷跡を睨み付けていた。

「ベオルフ様……あの時とは?」
「……そんなことを……言ったか?」

 ふと我に返ったように此方を見た彼は、いつものベオルフ様であった。
 一瞬だが、瞳が黄金に輝いたように見えたのは気のせいだろうか――
 なんだろう……あの羽虫を見てから、私たちの何かが反応している。
 それが不気味で、喉元まで出てこようとしている何かがわからず、気持ちが悪い。

「コレがどういうものか……だいたいわかった気がする」

 そう言ったオーディナル様は、結晶の中の羽虫を睨み付け、粉々に吹き飛ばしてしまった。
 霧散したそれは、塵も残さずに消えていく。
 破壊神の力……思わず息を呑むが、時空神様は慣れているのかオーディナル様へ暢気な口調で話しかける。

「あーあ……一応サンプルなんですから、壊さないでください」
「知るか!」
「冷静になってください。これはチャンスです。元凶の力……発生源を辿る事が出来るチャンスなんですよ。それを父上が無駄にしないでください」
「サンプルはユグドラシルに提出済みだ。これは個人的に研究する為に持ってきたものだが……まだある」
「それをストレス発散に使わないでくださいね」
「――わかった」

 忌ま忌ましげに舌打ちをするオーディナル様の意外な姿に驚いたが、時空神様の説得は成功したようである。
 その間に頭痛は引き、足首の痛みも随分と楽になったようだ。

「足首はまだ痛むか?」

 撫でさすり、痛みを緩和しようと回復の力を使ってくれているらしいベオルフ様は、気遣わしげに声をかけてくる。
 しゃがみこんで様子をうかがっているベオルフ様と真白にお礼を言って大丈夫だと告げるのだが、全く信用の無い視線が返ってきた。
 ずくずくと鈍い痛みはあるが、先ほどの刺すような痛みよりはマシである。

「あなたが変に転ぶのは、コレが原因かもしれないな」
「じゃあ、私の運動神経の問題ではありませんね!」
「いや、それは……どうだろう」

 そこは「そうだな」というところではありませんか?
 不満そうにしている私の様子に気づいた彼は、呆れた様子で隣に腰をおろす。
 そして、「走るだけならそうだろうが、貴女は物を投げるのも受け取るのも苦手だろう」と言われてしまい、ぐうの音も出なくなってしまった。
 そ、それもほら……足を動かして……きょ、距離感をですね……
 頭の中で言い訳を考えている私の膝上で、ようやく体を起こした紫黒が真白を見つめた。

「とりあえず、真白……お手柄だ……が、システムはもうちょっと……理解してくれ……」
「うわああぁぁんっ! 紫黒、ごめんねぇぇぇっ! オーディナルもごめんなさいー! 真白、もっとお勉強するからー! リュートに教わってくるからー!」
「僕でもいいのだぞ?」
「オーディナル様は甘やかすでしょー? リュートのほうが厳しくていいんじゃないかなー」

 ノエルにまでそう言われてしまうくらい溺愛していることがバレているオーディナル様は、反論が出来なかったように口を噤んだ。
 オーディナル様……
 しゅんとしてしまったオーディナル様の様子に、思わず苦笑が漏れる。

「まあ、そのうちルナちゃんも、まともに走れるようになる……かもね? たぶん……おそらく……? 半分くらいは、先ほど見えた古傷みたいなモノのせいかもしれないけど、半分は天性の物のような気もするし……うーん」
「……時空神様? 上げてから落とすのは、やめていただけませんかっ!? そういうところまで、うちの兄の影響を受けないでください!」
「あははは、陽輝の影響じゃ仕方ないよね」
「仕方なくありませんーっ」

 時空神様がケタケタ笑う様子を見ながら唇を尖らせていると、私の頬を優しく突き甘く笑うベオルフ様が隣にいて……ううぅぅぅっ! 今回は、この笑顔に免じて許します!

「ルナちゃんって、リュートくんにもそうだけど、ベオルフにもベタベタに甘いよね」
「えー? 真白はルナの気持ちがわかっちゃうなー!」
「ボクもー!」

 そういって、真白とノエルがベオルフ様へ突撃ー! と言わんばかりの勢いで飛びつく。
 私の手のひらにいた紫黒は思うように動けずに参加しなかったが、もぞもぞしていたのでベオルフ様にくっつけてあげると、とても嬉しそうに目を細めた。
 そんな私の肩を抱き、寂しくないように輪の中へ入れてくれるベオルフ様の心遣いに感謝する。
 真白の失敗が思わぬ事態の好転を招き、それが私の体にも影響していることを知ることが出来ただけでも御の字だ。
 あとは、オーディナル様とユグドラシルを中心に、管理者の方々が動いてくれる。
 きっと原因はすぐに突き止められ、元通りになるだろう。
 大丈夫……絶対に、大丈夫だから――
 頭と足に感じた痛みとともに、心へ深く刻まれた不安を打ち消すように、ベオルフ様の肩に頭を預けた。

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