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第九章 遠征討伐訓練

9-28 ルート変更

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 何とか全員無事に休憩所へ到着し、急いで準備した飲み物を渡していると、この進行具合に心配を覚えたのか、各担当官と担任たちが少し離れた場所で話し合いを行っているようであった。
 元の姿に戻った私は、多目に作って確保しておいたスムージーをリュート様に渡すと、彼は嬉しそうに受け取りながら、遠目に見えるロン兄様とアクセン先生の背中を見つめる。

「この分だと、目的地へ到着するのは3時間くらい遅れそうだな」
「そんなにですか?」
「湿地帯がマズイんだよな……今はまだ魔物がいないから良いが、湿地帯は有名な魔物が多いし、厄介なヤツも生息しているんだ」
「厄介なヤツ?」

 チェリシュと真白と顔を見合わせ、なんだろうと首を傾げていると、リュート様はうんざりした様子でボソリと呟く。

「蚊」

 ……はい? 春先ですよ?

「正確には、モスキトと呼ばれる、掌を広げたくらいの大きさがある魔物なんだ。オスは植物から蜜を、樹木から樹液を吸うんだけど、メスは血液を吸うから問題で……」
「そんなに大きいのですかっ!?」

 想像するだけで恐ろしい……あの羽音だけでも面倒な虫が、この世界でも存在したのかと溜め息が出てしまう。
 しかも、そんなサイズの蚊に血を吸われたら、痒いなどというレベルではない。
 ヘタをすれば貧血で倒れてしまい、そのまま――そこまで考えてブルリと体を震わせた。

「しかも、奴らは群れで行動するから厄介なんだ。襲われたら大変だし、一応、警戒はしているんだがな……」
「こわこわなの……」
「真白より大きい虫とかキモチワルイ」
「お前は食わねーの?」
「真白はゲテモノは食べないよ! リュートは真白の事をなんだと思ってるわけっ!?」
「いや、鳥類は虫も食うだろうが……」

 リュート様のツッコミにプリプリ怒った様子を見せる真白を宥めながら、リュート様はスムージーを飲み干す。
 足りたのかしら……少し心配になったが、どうやら問題無いようだ。

「イーダも今のうちに回復しとけよ?」
「言われなくても……その……つもり……ですわっ!」

 返事するのも辛いというような雰囲気で睨み付けてくるイーダ様に、リュート様は苦笑を浮かべたあと、何気ない様子で周囲を見渡す。
 水気が無い大きな広場になっている場所で休憩をしているのだが、疲労困憊の様子で動けずにいる者が多いと感じた。

「移動でこんな調子だと、心配だな……」

 両手で大事そうにスムージーを抱えて飲んでいるチェリシュの頭を撫で、常に神経を張り巡らせているような緊張感を見せるリュート様の休まる時間はあるのだろうかと、此方の方が心配になる。
 空から太陽と月の夫婦神が見ているとは言え、湿地帯に入ってからは視界を遮るものも多くなったはずだ。
 この先、不安要素が多いな……と、小さな声で呟くリュート様の横顔を見ながら、そうならないことを祈るばかりであった。

 アクセン先生たちの話し合いが長引き、予定していたよりもゆっくりとした休憩が取れたために、イーダ様や他の生徒達も少しは回復できたようだ。
 ボーボが再び大きくなり、私たち召喚獣はその上へ移動して、主達の邪魔にならないように団子状になって会話をしていた。
 日々の会話を楽しんでいるはずなのに、何故かすぐ主自慢へ移っていくから不思議だ。
 リュート様の心配をよそに、召喚獣たちは和やかな雰囲気である。

「では、そろそろ……リュート・ラングレイ、お願いしますねぇ」
「わかった。ルナ、チェリシュ、真白」

 呼ばれた私たちは彼の方を見るのだが、どうやら作戦を実行する時間になったようで、軽く身支度を調えたリュート様の元へ3人で飛びついた。

「チェリシュは、ロン兄と一緒にいてくれな」
「……しょんぼりなの」
「危ねーから、ごめんな」
「魔物と遭遇するかもなの、わかってる……なの」

 ぎゅーっとリュート様に抱きつくチェリシュの頭を、彼はよしよしと撫でているが、なかなか機嫌は直らない。
 本当は一緒にいたいのに――と、全身で物語るチェリシュに、リュート様は苦笑を浮かべた。

「お利口さんなチェリシュには、ご褒美が必要だな。今度の休みに、皆でもーちゃんのお友達を買いに行こうか」
「もーちゃんの……お友達……なのっ!」
「寂しい思いをさせる詫びでもあるから……ごめんな」
「うー……チェリシュもわかってるなの。魔物と遭遇する可能性が高いの。ルーはリューと離れちゃ駄目だし、まっしろちゃんも置いていったら絶対に暴れるから困っちゃうの。チェリシュは……お利口さんだから、みんなとお留守番出来るの」
「あれ? それって、真白はお利口さんじゃないように聞こえない?」

 小首を傾げている真白をスルーして、リュート様は理解して納得しようとしているチェリシュの頭を優しく撫でた。

「ありがとうな、チェリシュ」
「あい! いってらっしゃいなの!」

 そう言ったチェリシュは目をキラキラ輝かせて、私たちを交互に見るのだが……ま、まさか……ですよね?
 ニコニコ笑って、ほっぺを指さし「いってらっしゃいなの」と言うので、私とリュート様は顔を見合わせて苦笑し、触れるか触れないかというくらい軽く、柔らかくてふにふにのほっぺにくちばしで触れる。
 にぱーっと笑って上機嫌のチェリシュは、ロン兄様の腕へ飛び込み、良かったねぇと笑ってくれる彼に何度もコクコク頷いていた。

「さて、家族会議も終わったようですし、リュート・ラングレイには負担をかけて申し訳ないのですが……」
「ああ、わかっている。俺が動くほうが速い。それに、予定地点は嫌な予感がしてるんだろ?」
「ええ……このルートを選んだ者に、悪意を感じますからねぇ」
「同感だ」

 長引いた会議で決定したことは、誰かを先に向かわせて到着予定地よりも手前で野営地を作れる地点は無いか調査すると言うことであった。
 適任者は、満場一致でリュート様に決定したというが、教師陣や各責任者が声を揃えて彼の名を上げるほどの信頼感を得ているという事に驚きを隠せない。
 さすがはリュート様です!
 途中で進路変更という判断を下すとは、このスケジュールを決定した者も考えては居なかったのでは無いだろうか。
 そこまでの決断を下す要因となったのは、この湿地帯に詳しいリュート様とロン兄様がいたからである。
 話を聞いて驚いたのだが、このまま進めば湿地帯の主と言われるオオナマズに似た魔物がいる巣へ突っ込むらしく、それを確認し情報を得るために、元クラスメイトたちが方々へ走り回っていたようである。
 食材探しも重要だったが、メインはそちらであったようだ。

「真白は頭の上、ルナはポケットに入ってくれ。問題児トリオ、お前らは出来る範囲で着いてこい。最重要任務はルート確認だから、そっちに専念してくれ」

 現時点から、ルートは湿地帯を抜ける最短ルートへと変更され、オオナマズの巣を避けながら、スピードをなるべく落とすこと無く移動し、その間のルート確認を問題児トリオに任せ、リュート様はその先の森へ続く道すがら、全員が野営地として利用できるような安全で広大な土地を探すというミッションへ突入したのだ。

「良いですか? 無理はしないでください。何かあったら、必ず報告をお願いしますねぇ」
「わかってる。悪先はこっちを頼む」
「はい、必ず湿地を無事に抜けて見せますよ」
「リュート! すまんが、無理をしないように行動しろよ? お前が単独行動するときはろくな目にあってないからなぁ……」

 聞き覚えの無い声に視線を向ければ、騎士科の教員で、浅黒い肌と盛り上がった筋肉を覆う鎧がごつくて人間というよりクマにも見えそうな厳つい先生が此方へ歩いてきていた。

「了解。てか、単独じゃねーし、ルナや真白がいたら安全第一だ」
「妻子ができるとこんなにも変わるのか……」
「あのな……こんな面倒な娘はいらねーぞ」
「面倒とは失礼な! 可愛いでしょっ!?」

 いつものやり取りをしながらも、元クラスメイトにも通じるような気さくさで話しかける相手……ということは、かなり馴染みのある先生なのだろうかと考えていたら、私の予測は正しかったようで、元担任だったオルソ先生だと教えられた。

「卒業生に無理難題を言ってすまんな」
「いいってことっすよ、先生!」
「今年の騎士科、質が落ちてるんじゃないですか?」
「我々にしたように、しごいてあげてくださいね」
「お前らレベルの奴らが年々現れるわけないだろうが」

 オルソ先生は、苦笑を浮かべて問題児トリオの肩を叩き、全員に無理はするなと言って周囲を警戒している様子を見せる。

「ここは空気が良いから大丈夫だろうが、魔法科が随分と荒れていた。問題を起こす可能性もあるから気をつけておいてくれ」
「やはり魔法科ですか……困ったものですねぇ」
「引率が若手教師だからナメているのだろう」

 オルソ先生とアクセン先生の会話を聞きながらリュート様は渋い顔をしていたが、準備は出来たので問題児トリオと視線だけで合図を交わし、残る元クラスメイトと特殊クラスの人たちに声をかけてから出発する。
 チェリシュに手を振り、あっという間に一団から距離が離れてしまうスピードには驚くばかりだ。

「ルナ、真白。この先はおそらくだが魔物との遭遇率も上がる。道中の魔物は全て排除していくから、ヘタに動かないようにな」
「はい!」
「真白は手伝うよー?」
「いらねーから頭の上から動くな。落ちないようにだけ注意していろ」
「しょうがないなー……っていうか、真白は落ちないよ!」

 どうだか……と、軽口をたたき合いながらも、リュート様は問題児トリオを従え、問題だらけの湿地帯を駆け抜ける。
 奇妙なほどに絡みつく悪意に満ちたルートは、どういう意図を持っているのかこれでわかるのだろうか。
 この行動まで読まれて仕組まれていたら……と思うと、羽毛が何故かぶわっと膨張し、嫌なものを感じつつもポケットの中からリュート様を見上げることしか出来なかった。
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