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第八章 海の覇者
海の覇者クラーケン討伐の行方
しおりを挟む術式を展開しながら走るリュート様に危機感を覚えたのか、クラーケンは細かな触手を総動員して進路を塞ぐように動き出しました。
キュステさんとアレン様の妨害をものともせずに動くことが出来るクラーケンは、やはり強い。
竜形態のキュステさんが大きな唸り声を上げてリュート様のはるか前方に出現させた水の壁が、クラーケンの触手を阻むことは出来ずとも速度を殺すと、術式を完成させたリュート様は、後方にいた白の騎士団へ向かい、何かの魔法を付与します。
「ナルホド。抵抗力、防御アップ系ダネ」
「自分にはかけずに後方へ……ですか?」
「リュートくんの速度だったら触手には当たらないデショ。危なかったらキュステがフォローに入っているし問題ないヨ」
時空神様にそう言わせるほどの速度で動くリュート様は細かな触手の群れを掻い潜り、あっという間にアレン様の横へ並びました。
そして、何か伝達をしているのか、声をかけているようです。
アレン様が大きく頷き、襲い来る触手を手に持った大剣で斬り落としていきました。
前衛3人の動きは、ほぼ変わりません。
動きに劇的な変化を見せたのは、今までほとんど動けていなかった白の騎士団の方々でした。
クラーケンに圧倒されていたはずの彼らは、ランディオ様の号令に従い、大きな盾を構えて黒の騎士団よりも前へ出始めたのです。
触手の防御を白の騎士団が、威力が弱まった瞬間に、前へ出た黒の騎士団が素早く斬り落とすというコンビネーションを見せ、今まで細かな触手を出すだけで蹴散らせていたクラーケンは、状況が悪くなってきていることに気づいているのか、焦りの色を見せ始めました。
「このために、リュート様は防御と抵抗力をアップさせたのですか?」
「まあ、今まで細い触手だけ出していれば蹴散らせていた相手が、抵抗を見せるだけでも今のクラーケンには驚異ダヨ。気にかける場所が増えたんダ。今まで以上に気を張る必要がアル」
そんな緊迫した状況下で、全員の動きを把握なんて出来ないだろうと笑う時空神様の言葉を聞きながら、これが作戦だったのだと気づきます。
つまり、リュート様たち3人が先ほどと同じく暴れ回り、補助的に白の騎士団と黒の騎士団のコンビネーションで圧をかけながら、細かな触手を途切れること無く使わせる。
それだけでも注意散漫になるクラーケンの背後に迫るのは、テオ兄様とリュート様の元クラスメイトたち───
クラーケンはノーマークだったのでしょう。
リュート様とアレン様が、あからさまに腕を狙って動くことに危機感が募り、背後に回り込む彼らに気づいていない様子です。
リュート様は人が密集しているというのに大きな術式を展開させはじめ、アレン様が氷の壁を作ってリュート様を援護し、キュステさんも体でカバーに入りました。
これは、本格的な攻撃が来ると考えたのでしょう。
クラーケンの注意は更にリュート様へ注がれ、それが合図だったようにテオ兄様と元クラスメイトたちが大きく動き出します。
土魔法の使い手がいるのか砂を盛り上げて外殻への道を作り、その道を辿ってテオ兄様と問題児トリオが一気に駆け抜けていき、外殻へとたどり着きました。
他の元クラスメイトたちは、それぞれに強化魔法を展開させたようで、4人に様々な魔力が流れ込み、魔法を重ねがけしていきます。
「下がれーっ!」
ランディオ様の号令と共に白の騎士団の方々が一気に下がり、代わりに飛び出した黒の騎士団が、触手をかいくぐり迫り来る。
クラーケンは常にリュート様を正面に捉えるように動き、魔法だけは完成させまいと太い触手を振り回す。
それを、アレン様が作った氷の壁が防ぎました。
しかし、そこで意外な動きを見せたのはキュステさんです。
今までは竜形態で防ぎきっていたというのに、いきなり人型へ戻ってしまいました。
そして、一気に後方へ飛び、海神様の横へ戻ってきてしまったのです。
「アス! アレの準備はええか!」
「わかってるよ……でも……アレを使ったら……」
「ええから、はようせんかい!」
「も、もう……知らないからねっ!?」
自棄になったように叫んだ海神様の様子が、一気に激変しました。
紺碧色の髪が、濃藍へと変化していきます。
気が弱そうな少年だったはずなのに、今は不敵な笑みを浮かべておりました。
「クラーケン相手だったら、しょうがないよなぁ……でも、キュステ。一撃しか入れられないぞ」
「わかってる。一撃で十分やわ。僕の腕前をナメんといてくれはるかな」
「良い返事だな。いつも、その調子でいて欲しいもんだ……ほらよ! 一撃に賭けろっ!」
投げてよこしたのは、少し大きめの美しい白い真珠───
それを難なくキャッチしたキュステさんは、左手を前へ出して高らかに掲げました。
海面から太陽を見たときのように、ゆらゆらと輝く光が集まり出します。
とても神秘的な光は控えめで、クラーケンが気づいた気配はありません。
リュート様の術式が完成間近なので、そちらへ全集中しているようでした。
そんな中、キュステさんの左手に握られていた白い真珠から、音を立てて水があふれ出してきたかと思ったら、大きな弓へと変化したのです。
透明な水が弓をかたどり、右手に持つ矢には青白い炎が揺らめく。
「良い判断ダ。竜灯ノ羽々矢で砕くんダネ」
時空神様が【竜灯ノ羽々矢】と呼んだ見た目も涼やかで美しい弓を手に、力を集中させているキュステさんを見ながら、これは彼のために与えられた神器であると理解しました。
力の流れ……いえ、一体感というべきなのでしょうか。
クルトヘイム家に伝わる神器【大地の盾】や、トリス様が使用していた【終焉の黙示録】とは違い、全く力の流れに無駄が無く、体や精神的な負担も無い様子です。
その人のために創られた神器は、オーディナル様がベオルフ様に与えたアイギスを見ていたのでわかりますし、力の流れ方も類似しておりました。
それだけ、海神様とキュステさんが親しく、仲の良い間柄なのでしょう。
「シュトルム。もう少し出力を抑えた方が良いヨ」
「わかってる……これくらい?」
「うん、良い感じダネ」
「だろっ」
ニカッと笑った海神様は、もう一つの人格なのでしょう。
時空神様の呼び方がかわっておりますものね……しかも、髪色が変わっていて、しゃべり方や雰囲気も違いますもの。
「あ、そうだ。さっきのカレーっての、旨かったよ。おかげで、キュステに力を貸してやれる。ありがとうな」
ジッと見つめていたのに気分を害すること無く、たいしたことはしていないと言って首を振る私に視線を合わせて笑った海神様は、言いたいことだけは言ったというように意識を切り替えて集中しはじめ、キュステさんとの同調がうまくいったのか、2人の間に均等な力が流れ始めました。
コバルトブルーの海を思わせる力が流れ、キュステさんは瞼を開いて深い呼吸を二度ばかりしてから、足を肩幅に開き、重心を中央へ移動させ、流れるような動作で矢をつがえます。
しかし、そのまま放つことはせず、何かの時を待っているかのように、ただジッと一点を見つめているキュステさんは、息を殺して獲物を待つハンターのよう。
緊張が高まっているのがわかるのに、キュステさん自身は静かで意識を鋭く研ぎ澄ましています。
その時でした。
大きな音が響き渡ります。
テオ兄様が構えた大剣が、外殻の一部を破壊することに成功したみたいですが……
あ、あれ?
テオ兄様の手にある大剣って、アレン様のですよね。
アレン様の手に握られていたはずの大剣が無くなっておりますから、投げてよこしたのでしょうか。
元竜帝陛下が使っている大剣ですし、とても力がある武器なのかもしれません。
刀はこういう叩き切る武器ではないので、アレン様の大剣は外殻の破壊に打って付けだったようです。
問題児トリオが、反動で吹き飛ばされるテオ兄様の体を支え、怒りのままに追撃してくる触手をいなしていました。
タイミングを見計らっていたようにリュート様の大きな術式が織りなす魔法が完成し、4人を守るような防御壁が出現します。
それを隣で見ていた時空神様が、楽しげな声を上げて笑い出しました。
「アハハハ! さすがに、あれだけ完璧な結界を触手ごときが破れるワケないヨネ。さすがリュートくん! 時空間魔法は完璧ダヨ!」
まあ、長続きはしないだろうけど……という言葉の通り、時空神様が張る結界のような物は、テオ兄様たちが撤退する間だけしか保てなかったようで、砕け散ってしまいます。
リュート様は悔しそうですが、4人を守り切ったのですから、これ以上とない素晴らしい魔法ですよっ!?
しかし、そうなると……攻撃魔法に見せかけて、ずっと時空間魔法での結界を練り上げていた───ということですか?
いろいろな意味で凄いです。
かなり大きな術式だったので攻撃魔法だと勘違いしておりましたが、時空間魔法の魔力消費と術式の緻密さは桁外れなのですね。
「アレって、かなり高度な魔法だからネ。同じ時空間魔法の使い手でも、リュートくんくらいしか使えないヨ。……さて、良い感じに背中を向けてくれたネ」
時空神様の言葉を聞いて前方を見ると、黒い炎を放つ結晶を守っていた外殻の一部が破壊されてしまったクラーケンの後ろ姿───
彼らの動き、配置が全て、このときのためだったのだと瞬時に理解した私は、戦慄を覚えました。
リュート様がクラーケンの攻撃を防ぎながら、不敵に笑います。
「やれっ! キュステっ!」
その言葉を待っていたのでしょう。
キュステさんの口元もリュート様と同じような笑みをつくり、涼やかな音と共に放たれた矢が、一直線に飛んでいきます。
狙うは、むき出しになった黒い結晶───
黒い炎を放つ結晶の周囲につけられた、真っ赤な輝きを放つ印へ吸い込まれるように矢が命中し、黒い炎を放つ結晶が音を立てて砕け散るのが見えました。
「ルナちゃん」
「は、はい、砕け散りました……綺麗に……ぱりーんって!」
「ナイス、キュステ。それに、よく頑張ったネ、さすがは僕の息子だよ、アス・シュトルム」
「そう言ってもらえたら嬉しいわ、時空神様、アスとシュトルムも、おおきに」
「当然」
その間に、どぅと大きな音を立ててクラーケンが崩れ落ち、その衝撃が周囲に広がります。
うわぁ……ゆ、揺れが大きくて、お、落ちます、落ちますーっ!
時空神様が慌てて私を手で包み込み、バランスを保ちましたが、海神様は顔面から地面に突っ伏し、「あぁ……もう……しんどいですよぉ」と情けない声を上げました。
あ、穏やかな人格へ戻ったみたいですね。
「さて、あとは、奥様ご所望の食材討伐やねぇ。産卵するために、この浅瀬を選んだんが運の尽きや。人間は取るに足らんもんやいうてナメ腐った結果やわ」
「産卵期……そうでした。卵があるんですよね」
「せやけど……ま、まさか、卵まで食べられる言わへんよね?」
「え? 食べられますよ? ただ、大きさが大きさでしょうから、どう調理しましょう」
私が真剣に悩んでいると、再び凄まじい衝撃が地面を揺らし、リュート様の「え? ちょっ、待てコラああぁっ!」という絶叫が聞こえました。
ガラが悪いですよ、リュート様。
そう心の中で呟いて声がした方を見ると、倒れ伏している間に一本腕を切り落としたのでしょうか、太い腕が合計3本落ちていて、総攻撃を受けていたらしい傷だらけの腕が落ちたところでした。
あ、あれ?
腕をみんなで切り落としたのですか?
「アララ、タコと同じで、自らの腕を切り落として逃げちゃったネ」
え?
逃げた?
辺りをキョロキョロ見渡してみると、海面が大きく揺れております。
そういえば、結界って───
「アスは限界だったし、シュトルムは結界が苦手で張れないんだヨ。まあ、逃げられるよネ」
「でも、さっきまであれだけ交戦していたのに……どうして急に逃げの一手に? やはり、黒い結晶が……」
「い、いや、奥様。卵を食べる言われて恐怖を覚えへん生き物はおらへんよ……」
おや?
もしかして、取り逃した原因は……わ、私……ですか?
「あああぁぁっ! あと4本は落とす予定だったのにいぃぃぃっ!」
「全部落とすつもりであったか、さすがじゃな」
「容赦が無いな」
悔しがるリュート様を見ながら豪快に笑うアレン様と、呆れた様子のランディオ様。
疲れた様子で砂浜に座り込む騎士団員たちを尻目に、テオ兄様は後方にいるロン兄様へ声をかけ、2人で笑い合っております。
元クラスメイトたちはリュート様の様子を遠くから眺めていますが、一切近づこうとしません。
今は、危険ですものね。
良い判断です。
緊迫した空気は霧散し、一気に様相を変えた浜辺は戦いを終えたようでした。
それはそうですよね。
海の覇者であるクラーケンが、プライドや矜持を捨てて見事な逃亡を遂げてしまったのですもの。
でも、これって討伐失敗ですよね……
「わ、私の不用意な発言が……刺激してしまったのですかっ!?」
「まあ、しゃーないし、奥様に他意はあらへんし、もうここへは近づかへんやろうし……軽くトラウマになったやろうしねぇ」
「軽い……かなぁ」
海神様の手を引っ張って起こしている、キュステさんのフォローが身に染みます。
本当にすみません、リュート様っ!
「クラーケンの子供は、ほんの一握りしか成体になれナイ。ほとんどが、自分の魔力に食われて死んでしまうんダヨ。その死は海の養分になるんダ。生態系には必要なことダヨ」
それは、海の神秘……ですね。
「それに、また会えるヨ。きっと……ネ」
意味深に微笑む時空神様を見て、ああ……この結末を望み、選んだのはこの方であったのかと理解し、深い溜め息をついてしまいました。
このあと、「ルナごめん! 全部持ってこれなかった!」と謝り倒すリュート様に、私の不用意な発言が原因であると説明して謝罪し、お互いに頭を下げてペコペコしている様子を見たチェリシュが「チェリシュもペコペコなの」と参戦し、周囲に笑いが沸き起こったのは言うまでもありません。
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