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第七章 外から見た彼女と彼
番の願いと約束(アレンハイド視点)
しおりを挟む見舞いも終わり、ラングレイの家を出た時を狙ったように、愛の女神の分身体が目の前に降り立つ。
半透明なことから分身体であるということは理解していたが、本体とリンクしているために下手なことは言えない。
余計な争いの火種にならぬよう、細心の注意を払って相手の出方を待った。
こちらの心の内がわかっているのだろう愛の女神は、形の良い唇の端を持ち上げて妖艶に微笑む。
「わかっていると思うが、あの子に下手なことをしてみよ。飛ぶのはそなたの首ぞ……」
「十神とやり合うつもりなんぞないわい。昔とは違い、我が種族はバカではないからな」
「そうか。ならば良い」
上機嫌に笑う愛の女神から底知れぬ力を感じるが、竜の血というものは厄介で、そういう相手であるほど力試しをしたくなってしまう。
己が滅びることなど眼中にもなく、ただ強い力に恋い焦がれる。
古の竜が人の形を取るようになって、随分立つというのに……困ったものだ。
我らが始祖である古龍は、神を食い殺すことを夢見ていたという。
それ故に、神殺しになる可能性がある種族は間違いなく竜人族だと言われるが、今のリュート・ラングレイを見ていると、そう言い切れないと感じた。
アレなら、神すらも滅する力を手に入れるのではないだろうか……
底知れないのは、神もアレも同じだ。
あの小さな体の奥底に、途方も無い何かが眠っている気がしてならない。
詳しい報告によれば、谷底にいた数多くの魔物を自力で葬ったと聞く。
ならば、あの魔素の濃さには納得だが……よく生きて帰れたものだと驚嘆した。
もともと、母の血を引き継いだ影響か属性魔法は使えたと聞くが、時空間魔法を使った形跡も見受けられたと言うから、一人につき最大3つの加護が得られるという前提は、アレには適用されなかったらしい。
ヤマト・イノユエと同じか……
不意に思い出した気さくな黒髪の男と重なって見えたが、そんなはずはないと首を振る。
異例であるのなら、力に溺れて暴走する恐れも考慮して、警戒を怠らずに見張りをつけておこう。
そう、それがリュート・ラングレイの生き様を知る手段になったのは言うまでもない。
力があるからこそ背負うものがある。
強すぎる力が、時には人を遠ざける。
それを背負い、孤独の道を選ぶ背中を見た時、こやつは儂と同じか……と胸の痛みを覚えた。
1000年と、どれくらいであったか忘れてしまったが……数えるのも面倒くさくなるくらい前に、儂は竜人族の中でも類い稀なる力を持って誕生した。
その力故に、神々には警戒され、畏怖した父母には腫れ物にでも触れるかのように扱われ続けた。
当時は、竜人族の国は無く、小さな集落が点在し、属性の近いもの同士が集まり暮らしていたのだが、どこから噂を聞いたのか、成人してからは光に引き寄せられる蛾の如く人が集まり、一族を率いて欲しいと懇願してくる姿は滑稽ですらあった。
這いつくばり請い求める姿を見下ろし、誰がこいつらの思惑通りになるものかと、一人あてもない旅へ出たのが900年ほど前の話だったように思う。
たくさんの地を巡り、たくさんの時間を独りで過ごしてきた。
守る者を持たず、気ままな一人旅。
気楽ではあるが、常に孤独がつきまとう。
それを癒やしてくれたのは、我が番であった。
だが、それも……本当に短い間であったのだ。
我が番は、竜人族でもエルフ族でも獣人族でもドワーフ族でもない、一番短命である人間───
出会ったキッカケは、少し大きな獣人族の集落で受けた依頼であった。
小さな子供ばかりを攫う魔物を突き止め討伐して欲しいという依頼に、儂と二人で挑み、相棒が人間であるために手こずるかと思ったのだが、とてつもなく相性がよくサクサクと討伐できてしまったのだ。
好ましい香り、ぬくもり、声、触れたくなる衝動……いよいよ自分もおかしくなったかと考えていたら、親しくなった獣人の男に「番に対する反応に似ている」と言われて納得した。
そんなことも知らずに集落を出てきたのかと呆れられたが、そんな話は一度も聞いたことがなかったのだ。
儂に番など現れない……もしくは、現れては面倒だと思った者たちが、敢えて教えなかったのかもしれない。
一緒に組んで仕事を何度もこなしていく内に、過去の話をそれとなく聞き出すことができたが、彼女は元々は貴族を守る護衛騎士をしていたらしいが、性に合わずに国を出てきたのだという。
その言葉に偽りの匂いがしたので調べてみたら、護衛をしていた令嬢の兄に無理やり妻にされそうになった為、護衛をしていた令嬢の力を借りて国を出たというのが真相らしい。
道理で腕っぷしが強いわけである。
そんな彼女が食っていくには、剣術を生かした冒険者が一番だったのだと納得した。
当時の冒険者は、腕さえあれば食うには困らないくらいの日銭が稼げたし、冒険者をまとめるギルドからの信頼が厚くなれば、それなりの地位も約束される。
しかし、それは魔物を討伐する専門機関……つまり、人間族の黒の騎士団や竜人族の竜騎士のような存在が無かったからだ。
その時代の騎士は人間の国を統治する貴族を守る者であり、黒の騎士団や白の騎士団のような神々の加護を得ている『称号持ち』も存在しなかったので、竜人族に並ぶほどの力も無い。
人間は、命が短く脆弱な生き物。
そして、他の種族からは、こう言われていたのである。
竜人族ほど強靭でもなく
獣人族ほど素早くもなく
エルフ族ほど賢くもなく
ドワーフ族ほど器用でもない
全部が平均的で、特筆すべきことがない、脆弱な生き物───『人間』
そんな共通認識があれば、扱いなど言わなくてもわかるものだ。
特に、冒険者となった人間の扱いは酷い。
いつの間にか増える『使い捨ての駒』
耳にすれば眉を顰めそうな言葉ではあるが、まさに、そんな扱いを受けていたのだ。
「人間は良い生き餌になる」
そういった獣人族の男は、現在の世界を見て何を思うのだろうか。
まあ、まだ生きていたらの話だが……
そんな中で、一緒に依頼をこなしていく彼女の存在は異質であった。
脆弱な人間……そのイメージを覆すほどの強さを持った女騎士は、夜の暗闇を打ち消す、朝焼けのような輝きを持つ美しい女だった。
儂の氷さえも溶かす灼熱を思わせる緋色の髪を、今でもハッキリと覚えている。
「アレンは全部背負っても余裕で生きていけるくらい大きくて広いんだ。そろそろ面倒だとは言わずに背負ってやれ。逃げてばかりいる男など、私の夫に相応しくないぞ」
「あんなバカどもをか?」
「気に入らないのなら、根っこから叩き直せ。アレンなら出来るだろう? 私だって、安心して子育てをしたいからな」
「子育て……って……おい、どういう意味……」
「子供が出来た。だから、この子が安心して住める国を作れ。辛くても逃げずに頑張れ、お父さん」
かつて、アレほど驚いたことがあっただろうか。
我が子ができた。
しかも、その子が安心して暮らせる国を作れと言う番の願いを、竜人族の男は無碍にできないとわかっていたのか疑問すら覚えるが、妻は不敵に笑ってそう言ったのだ。
番の願いを叶えられない不甲斐ない夫など、万死に値する。
妻のため、子のため……そう考え、今まで己の中にあったわだかまりや嫌悪感など、綺麗サッパリ忘れてやった。
それからの行動は早かったと思う。
腹が大きくなってきた番を連れて故郷へ戻り、一族全てを率いて改革を行い国を作り、神との交渉にも赴いた。
多種族との交流、魔物対策、神界の門番、全て今までのような『力づく』ではなく『話し合い』で決着をつけたのである。
力を示さなくては話し合いにも応じない野蛮で横暴な種族であった竜人族は、この日から変わっていったのだ。
たった50年という時間を共に過ごした番は、嬉しそうに微笑み、しわくちゃになった手で頬を撫で……
「たった50年。されど50年で、ここまで変わった。これからも、子供のために頑張って……あなたならできるはず。私はずっと見守っている。そして、必ずあなたの元へ戻ってくる。そのときには、もっと素晴らしくなった国を見せて欲しい。私との約束だよ」
「ああ、わかった。だから……絶対に戻ってこい。約束したぞ。守らんと……こんな国、いつでも壊してやるからな」
「あなたがそんなバカなことを言う前に戻らなくては……本当に……困った人───」
最期まで優しく微笑み、儂に『困った人』だと言って、眠るように息を引き取った。
短い間だった……だが、何よりも幸せな時間であった。
息子が泣く様子を眺めたあと、ただ胸にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚を忘れるようにキツく目を閉じる。
しかし、涙は一粒もこぼれなかった……
あれから、どれくらいの月日が流れたのだろう───
気になって数えてみれば、リュート・ラングレイの見舞いから3年、妻を喪ってから実に700年以上の歳月が流れていた。
毎年欠かさず命日には訪れる妻の墓前に供える花……
彼女が好きだった百合の花束を置いた己の手を見て、ジッと考える。
あの頃のお前のように、儂も皺くちゃな手になった。
これでは、お前が戻ってきても嫁にできんじゃないか……年老いた儂に若い嫁なんぞ気が狂ったかと周囲に止められるだろう。
「お前は嘘つきじゃな……戻ってこんではないか……」
自分の声なのかと疑問を持つほどしゃがれた声は力なく、鼻の奥がツンッと痛みを覚える。
そして、不意に視界がぼやけた。
頬に熱いなにかが流れ落ち、それが涙であると悟るのには、随分と時間がかかってしまった。
妻が死んだ時から随分経ってから涙が溢れるなど、年老いた証拠だろうか……
こんな姿を、息子や孫たちに見せることなどできない。
いや、同族の誰にも見せることなどできないだろう。
国を治めるためには非道なこともした。
他種族を食い物にする同族を、一人残らず滅したこともある。
その中には、はじめて親友と呼べる者も居た。
苦楽をともにした親友を手にかけたときでさえ、涙は出なかったというのに……
頬を伝う涙は枯れること無く、ただ静かに流れていく。
喪った者の大きさや深さが胸に迫り、駆け抜けてきた時間があまりにも長く、辛く……隣にいて欲しいと願った者が、誰一人いない現実は痛く───ただ寂しかった。
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