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第七章 外から見た彼女と彼
流れる年月の早さ(モア視点)
しおりを挟むマリアベルの突拍子もない発言に驚かされることは多々ありましたが、今回は全く予想だにしなかった言葉が出てきたので、全員が困惑した表情を浮かべている中、愛の女神様と前竜帝陛下だけは面白い者でも見るかのように目を細めます。
この方々がこういう表情をする時は、下手な発言を控えたほうが良いということを身にしみて理解していた私は、ただ成り行きを見守ることにしました。
「えっと……マリアベル様は、料理スキルを持っていらっしゃいませんよね?」
「ルナ様のおっしゃるとおり、料理スキルは持っておりません。ですが、ルナ様のそばにいて学べば栄養や食材についての知識を得られると思います。弱っている方々の助けになる知識が私には足らないと痛感しました」
被災地の光景を思い浮かべて語る彼女の熱い思いは、ルナちゃんの心に響いたようです。
いつもなら口を挟むだろうリュートも、何かを感じたのか黙って二人の様子を見ていました。
「私の知識は先程も申し上げたとおり、専門的なものではありませんが……」
「それでも、この世界には無い知識ですし、それが人々の心の支えになります」
「心の……支え」
「こういう効果があるから食べたら少しは良くなるかもしれない……という希望を持つことは、魔力を回復したり空腹を満たしたりするだけの食事よりも意味があると思います」
被災地にいる人達の沈んだ心に、少しでも希望の光を届けたい。
その光がルナちゃんの知識や料理にあるのだと熱弁するマリアベルの姿は、称号の通り聖女に相応しい姿に思えた。
「お料理はレシピが完成してから、それを習得して作ることになるとは思いますが、手順を見て覚えることもできます。調理のお手伝いは、基本的な物を覚えたらできます。知識やお料理の手順を知ればキャットシーの方々にもリクエストやアドバイスが出来るようになるはずです。ですから、弟子入りさせていただけませんでしょうか」
普段の柔らかな表情からは想像もつかないほど、鬼気迫った何かを醸し出す真剣な面持ちでルナちゃんにお願いをしているマリアベルの姿を見て、ああ……私も歳を取るわけだと感慨深いものがあります。
この子にここまで言わせるだけの知識と技量を持ちながらも、その自覚がないリュートの召喚獣であり「私の娘」だと親友たちに自慢したいくらい可愛らしいルナちゃんは、困惑したようにリュートを見つめ「どうしましょう」と呟きました。
でも、貴方達の出す答えはもうわかっていますよ?
あれだけ真剣にお願いをされたら、心優しいリュートやルナちゃんは断れないでしょう。
相手の心を慮ることに長けている二人だから、マリアベルが抱えている問題にも気づいているはず。
それがわかっているからこそ、断る理由などどこにもありません。
案の定、ルナちゃんは根負けしたように「わかりました」と承諾し、喜色満面で「これからよろしくお願いします、お師匠様っ!」と言い出したマリアベルの言葉にオロオロした様子はみせましたが、可愛らしい二人のやり取りに私達は堪えきれない笑みを浮かべました。
本当に可愛らしい二人だこと。
これで、心配していた被災地の惨状が少しでも改善されることを願うばかりです。
「お姉様ではなくお師匠様って……お前のセンスはやっぱりどこかズレてるよな」
「そうですか? ルナお姉様という呼び方も魅力的ですが、尊敬するお師匠様ですから! それに、リュート兄様ほどズレておりませんよ?」
「お前は俺をそういう風に見ていたんだな。へー、ほー、ふーん?」
「え、あの……その……お、お師匠様、リュート兄様を離さないようにお願いいたします」
幼少の頃よりお転婆であった彼女は、レオと共によくお説教をされていたと記憶していましたが、やはりこういう関係は少し離れただけでは変わらないのだと安心しました。
こうして再び家族や親しい人たちが揃って和やかに笑っていられるのは、あの日、家族のことを考えて距離を取っていたリュートが屋敷へ駆け込んできたからでしょう。
少し記憶を遡り、リュートが血相を変えて何の連絡も無く帰ってきた日のことを思い出します。
リュートが召喚した召喚獣が人型召喚獣であったことから、親友に頼んで関連する古い文献をいくつか見繕ってもらって読み漁り、そこで知った『人型召喚獣による厄災』は想像を越えるほど酷い内容であったことにショックを受け、これから先どれほど長い間リュートの苦しみが続くのだろうと憂いていたあの日───
「いきなり帰ってきてごめんっ! あとで説明するから、今は通してくれ!」
にわかに屋敷が騒がしくなったと思いきや、久しぶりに聞く末っ子の声に驚き部屋を出てみると、誰かを抱えて自室へ急ぐ息子の後ろ姿に驚きを隠せずに固まっていると、夫と入れ違いに帰ってきていたテオと、夫に資料を届ける為に予定よりも早く家を出ようとしていたロンが血相を変えてリュートの後を追ったのが見えた。
ただ事ではないと判断し、そのあとについていくとリュートは自分のベッドに女性を寝かせ、背中に張り付いていた小さな子供───春の女神様が飛び降りて女性のそばにうずくまる。
遠目からでも震えているのがわかるくらい小さな背が頼りなく、必死に泣くのを堪えている様子が切なく感じ、それだけ眠っている彼女が大事なのだろうということは理解できた。
「母の力の外に強固な結界を張り巡らせたから、もう大丈夫じゃ。しかし、妾たちがいま傍にいると影響が出るやもしれぬ。チェリシュ……気持ちはわかるが……」
「ルーが……ルーがっ」
「大丈夫じゃ。先程も説明したであろう? 夫が間一髪ではあったが、救出に成功した。現在は消耗した力を取り戻すために、精神だけあちらへ戻っておる。精神が離れている間は肉体に影響が出ぬように、父上と相性の良い母上の力が影響するここを選んだのじゃ。滅多なことにはならぬ」
愛の女神様だけではなく、その背後からは前竜帝陛下まで姿を見せたことで重大な事件が起きているのだと察する。
何よりも、息子の……リュートのあんな表情は見たことがない。
今にも死んでしまいそうなほど顔色が悪く、言葉も出てこないような様子であった。
ただ、その姿はリュートが大怪我をして生死の境をさまよっていた時に、ベッドの傍らに立ち途方に暮れていた夫の姿にも似ていて、やはり親子なのだとこんな時に感じてしまう。
しかし、大切な人の命が喪われるかもしれない恐怖と何も出来ない自らの無力さを呪い、絶望にも似た思いを胸に抱いていたあの人と同じであることに、少しだけ安堵したのも事実である。
リュートが別の誰かになったかのような感覚が拭えずにいたものだから、当然かも知れない。
どう見ても息子であることに間違いはなく、今までと変わらない部分も多いのだが、ふと見せる知らないクセや仕草。
言動や表情。
大人びた感性や思考。
一瞬にして何年も飛び越えて成長してしまったかのような、そんな不自然な感覚。
夫であるハロルドも、それを漠然と感じていたようで心配していたけど、変な空回りをしてしまい余計に関係を悪化させて拗らせてしまった。
フォローしようにも、下手に口を出せば余計に拗れることは目に見えていたので静観していたけれども、やっぱり似たもの親子よね。
だからこそ、ここで声をかけなければ全く動けなくなってしまいそうな息子に近づいた。
こんなところまでソックリだなんて、しょうがない人たちね。
「何があったのです?」
久しぶりに近くで見るリュートの傍らで震える手を握り尋ねると、息子は視線を彼女から離すこと無く経緯を説明してくれた。
記憶や精神を蝕む呪いなど聞いたことがない。
どちらか一方であるなら可能だろうが、両方となれば人では不可能である。
しかし、その常識が異世界でも通用するかと問われたらわからないので判断が難しい。
でも……ただ言えることは、そんな力にさらされながらも、こんなに弱った体で必死に抗い続けている彼女の強さは人の領域を越えている。
肉体や精神もろとも取り込もうとしたということは、入念な仕込みがあったはずだ。
前竜帝陛下が与えてくださった指輪を媒介にそんな細工がされていたのだとしたら、人間が相手ではないのだろうと判断できる。
そんなモノに目をつけられている目の前の女性が、リュートにとってとても大切な召喚獣……いいえ、ソレ以上の存在なのだということはすぐに理解できた。
テオとロンも普段からは想像もつかないくらい沈痛な面持ちを見せ、彼女を既に大切な家族だと受け入れている。
そう、貴方達もわかっているのね。
この子はきっと、リュートの『運命』なのでしょう。
だったら、相手が誰であろうとも全力で私達の家族を守らなくてはなりません。
リュートも、眠るこの子も、私の子。
必ず護ってみせましょう。
まずは、動けなくなるだろうこの子を何とかしないと……
そう考えてリュートを見た瞬間、私は大きな思い違いをしていることに気づきました。
ふぅと深い息をついたリュートは私の手をやんわりと離したあと、室内に居た全員が驚くほど大きな音を立て、気合を入れるように自分の頬を叩いたのです。
これには何が起こったのかわからずに、全員が固まりました。
「よしっ! 気合が入った! こんなところでくよくよしていたらダメだ。本当にルナを守ることができない、情けねー男になっちまう」
鋭い目つきに光が戻り、これから先のことを考え始めたのか顎に手を当ててブツブツ呟いていたかと思うと私の方を見つめる。
「母さん、ルナはここに居たら安全なんだ。だから、俺が居なくなる30分の間、ルナを頼めるかな」
「どこへ行くの?」
「学園に報告と外泊届を出してくる。あ……その前に、家に迷惑をかけることはわかっているけど、ルナの命にはかえられない。俺がいることで色々厄介なことになるかもしれないけど……」
「そこで謝ったら、お兄ちゃんは怒るよ」
「そうだぞ、リュート。ここはお前の家だ。そして、ルナは我らの妹だ。守る理由などいらん」
ロンとテオがリュートの言葉を遮るように声を出したのは意外だった。
いつもだったら、弟のことを穏やかに見守る二人が……
「……そうだな。ごめん。テオ兄、ロン兄。俺が動いている間、ルナをお願いしていいかな」
「勿論だよ。王宮へ報せも必要になるだろうから、それはこちらでやっておくね」
「ありがとう、ロン兄」
「私がここでルナを見ていよう」
「ありがとう、テオ兄」
私の息子たちは、いつの間にかこんなに成長していたのだと改めて感じ、そういえばもういい年だったと考え直して苦笑を浮かべる。
いつまでも子供扱いして良い年頃ではないとわかっているのに、親からしたらいつまでも子供で……思いの外、自分が子離れできていない事実に呆れてしまった。
「お任せなさいリュート。この子は私の娘も同然。ちゃんとお母様が見ていますから、安心していってらっしゃい」
「お願いします。色々手続きや荷物などの準備があるから、ちょくちょく帰ってきては出かけていく感じになるし、工房の連中やら出入りが多くなると思うけど……」
「にぎやかになって良いわね。セバスやカカオが張り切りそうだわ」
静かすぎる屋敷に活気が戻り、にぎやかになるのは好ましい変化だと思う。
リュートがいた頃は、とても騒がしかったものね。
愛の女神様と前竜帝陛下も、万が一に備えてここに残るとおっしゃってくれたので、よほどのことがない限り大丈夫でしょう。
それに安心した様子を見せたリュートは眠る彼女の頭を優しく撫でたあと、時間が惜しいというように颯爽と部屋を出ようとしたのですが、小さな影がその足に飛びつきます。
「うわっ」
いきなりのことで驚いたリュートはつんのめりそうになり慌てて態勢を整え、原因である足元を見て目を瞬かせました。
そこには、リュートの長い足にしっかりしがみつき離れまいとする春の女神様の姿があったのです。
「チェリシュも……チェリシュもいくの!」
「ここにいても良いんだぞ?」
「チェリシュ、ルーの大事なものを取りに行くのっ!」
「大事なもの?」
そんなのあったか? と首を傾げるリュートを見上げ、春の女神様はにぱーっと良い笑みを浮かべます。
「チェリシュも、くよくよしていたら、メッ! なのっ」
「そっか、じゃあ行くか!」
「あいっ!」
ヒョイッと重さを感じさせず抱き上げたリュートに、春の女神様が「チェリシュも、ぱっちんするの?」と聞き「痛いからダメ」という姿に、数年したらこんな光景が当たり前に見られるのかもしれないと思え、時間が過ぎ去るのは早いものだと感じずにいられませんでした。
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