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第六章 いつか絡み合う不穏な影たち
とても微妙な立ち位置
しおりを挟む「さて、そろそろ朝の訓練の時間だよ。リュートも参加するでしょ?」
「勿論」
ロン兄様に頷いたリュート様は、「朝の訓練だーっ」と気合を入れ直す問題児トリオを連れて出ていこうとなさったのですが、何かを思いついたように振り返り、こちらへ歩み寄ってきます。
「ここから見えるところで訓練をしているから、何かあったら遠慮なく声をかけてくれ」
あの辺りでやるからと指し示された場所は、厨房に続く廊下の大きな窓から見える広場のようでした。
リュート様のお部屋にあるような造りになっているので、衝撃や魔法の衝撃吸収に長けた素材として一般的なものなのかもしれません。
リュート様たちの力量を考えれば、その中でも最上級品質に当たる物でしょうが……
「皆様が訓練を終えたら飲めるように、何か用意しておきますね」
「それは嬉しいな、レモンスカッシュとか良いかも」
「炭酸が苦手という方も出てくると思いますから、レモネードも準備しますね」
「その気遣いが嬉しいよ、ありがとう」
じゃあ行ってくると言って私の額にかかる前髪を長い指で払ったかと思ったら、ちゅっと音を立てて口づけ、チェリシュの頬にもキスを一つ落としてから厨房を颯爽と出ていってしまいました。
あまりにも自然にされてしまったので、ワンテンポ遅れて固まっている私の後ろで「やっぱ親子だよなー」というカカオの声が聞こえますが、このお屋敷では日常茶飯事なのですかっ!?
「オーニャーに照れがにゃいですにゃ」
「不意打ちをするのは平気にゃっ」
「にゃるほどですにゃぁ」
兄妹揃ってほのぼの会話をしているのは良いのですが、私の頬に上がってきた熱はどうしましょう。
あ……す、すごく視線を感じます。
これは!
「ルーがリューのせいで、ベリリなのっ」
何故かとても嬉しそうに……いえ、満足げな感じも伺える表情で言い切ったチェリシュは、にぱーっと良い笑顔を見せてくれました。
うぅ……リュート様のせいでまた言われてしまいましたが……事実なので仕方ありません。
と、とにかく、カフェたちの手助けになるように朝食に一品追加してみましょうか。
何が良いかしら……と考えていた私の背後から、柔らかくも澄んだ声が響きました。
「おや、リュートは訓練に行ってしもうたか」
そういえば愛の女神様は少し離れた場所で誰かと話をしていたみたいでしたが、用事は終わったのでしょうか。
話ばかりをしていて喉が渇いたとおっしゃって、残っていたソーダをごくごく飲み干します。
体の構造が違うのかしら……私にはあんな勢いよく飲めませんもの。
「ふむ……前もって教えておいたほうが良いじゃろうな。ルナ、今は仕事で手一杯だから動けぬじゃろうが、そのうち厄介な奴が来る。目安として考えても、二ヶ月か三ヶ月後くらい見積もっておったら良いじゃろう」
それくらいの足止めは出来ようとおっしゃって、黒い笑みを浮かべる愛の女神様は時空神様を思い起こすような表情をなさっております。
もしかして、時空神様も愛の女神様もオーディナル様に似たのでしょうか。
頭がキレて行動力もあり視野が広い面を見てもそっくりですものね。
「厄介な方……ですか? お酒大好きな神様たちのことでしょうか」
「ああ、アレはアレで厄介じゃが……別件じゃな」
ソッと私のそばに近づき、愛の女神様は声を潜めます。
どうやらあまり公には出来ないお話のようだと感じ、緊張して手に力が入りました。
「まだ発表はされておらぬが、レシピやスキル制度について改定案が出ておる。それについて細かな注文が父上から提示されてはいるのじゃが、概ね問題ないと許可が降り、この世界のレシピやスキル罰則、使用に変化が起こるじゃろう」
あ……あの……そんな大事なことをここで言ってしまって良いのですかっ!?
もしかして、先程リュート様とお話されていたのはこの件でしょうか。
それについての人間側の意見を知りたかったとなれば、リュート様が適任だと愛の女神様であれば考えることでしょう。
戦闘だけではなく生活や生産に関するスキルなども幅広くご存知ですものね。
「しかし、その改定案はルナがおったから父上の許可が降りたに違いないと邪推するバカがおってな」
「え、えっと……それはあながち間違いではないような……」
オーディナル様ならありえます。
あのお方は、私に甘いところがあると感じておりますから……ま、まあ、私だけではなくベオルフ様にも極甘ですけどね?
「夫に少し強めに頼んでおいたが、これほど速く父上と夫が動いたのはルナのおかげじゃろうから、全く無関係であるとは言わぬ。しかし、父上が許可を出したのはヤツの限界を悟ったからじゃ」
昨晩一緒に長い時間ともに過ごされておりましたから、その件についてのお話をされたのでしょうか。
もしかしたら、私の現状説明だけではなく、その件で許可を出したというメッセージも急ぎ伝えに来たのかもしれません。
そのメッセージだけを受け取った愛の女神様が駆けつけたというのなら、あの慌てようも頷けます。
気配だけで悟ったというにはタイミングが少し遅い感じがしましたから。
「兄のように立派になりたいと志すのは良いが、己の力量を無視してやることではない」
確かに、自分の力を把握せずに暴走されたら周りは大変です。
神であればなおさらでしょう。
愛の女神様にここまで言われるほど、すでにやらかしているのかもしれません。
「兄上は……とても素晴らしい方であったからな」
ふわりと笑う愛の女神様の微笑みは、いつもと違って……
とても遠い記憶を思い出しているという感じではなく、この漂う哀愁は何でしょう。
見ていて胸が締め付けられるような……イーダ様に見た笑顔と似ている気がしました。
「リュートに似ておるから、つい甘えてしまう。許しておくれ」
こっそり耳打ちされた内容を聞いて、その『兄上』が『前時空神様』であることに間違いないのだと悟りましたが、リュート様に似ているのですか?
それに、会えない兄に似ているから甘えてしまう愛の女神様が可愛らしく感じられて、思わず笑みが浮かびました。
「私は愛の女神様とリュート様が仲良くされているのを見て、とても良いなぁって思います。頼り頼られという関係を神と人が築けているのは、奇跡みたいに凄いことではないでしょうか」
「そなたは本当に優しい子じゃな。じゃが、つれなくもある」
「つれない……ですか?」
「ずーっと待っておるのじゃが、いつになったら妾のことも名で呼んでくれるのじゃろうか」
え、えっ?
十神の方を……な、名前で……呼ぶ?
「父上は名で呼んでおるではないか」
「そ、それは……」
確かに、オーディナル様は位から言うと愛の女神様より上位の神ですが……い、いえ、我が世界でそれは普通ですもの!
私の世界では一般的にオーディナル様のことを『オーディナル様』か『主神オーディナル』か『我が神』と呼びます。
一部の国ではもっと違う呼び方をすることもあると知っておりますが、それはごく一部ですもの。
「妾の名を呼んでくれぬということは、ルナにとって妾はその程度の者じゃということか……ならば致し方あるまい」
「え、あ、ちがっ……えっと……そのっ……あ、アーゼンラーナ様、違うのです、私は恐れ多いと感じて呼べずにいるだけで……他意はございませんっ」
しょんぼりしてしまった愛の女神様にあわてて言葉を紡ぐのだけど、彼女は「本当かのぅ」と呟き悲しげな表情でこちらを見つめています。
「これからは、アーゼンラーナ様とお呼びいたしますので、そんな悲しそうな顔をなさらないでください」
今にも泣き出してしまいそうな顔をされてしまい慌てふためいている私に「絶対じゃぞ?」と確認を取る愛の女神様───アーゼンラーナ様に何度も頷き返しました。
だから、泣かないでくださいっ!
「ならば良い」
今まで泣き出しそうな顔が嘘のように晴れやかな笑みを浮かべ、やったねとチェリシュとハイタッチのようなことをしているアーゼンラーナ様を見て「してやられた!」と感じはしますが、本人が望んでいるのにいつまでも他人行儀なのは反対に失礼かと思い、考えを改めました。
「あ、あの、アーゼンラーナ様」
「なんじゃ」
と、とってもごきげんな様子と弾んだ声で返答してくださったところを申し訳ございませんが……無粋な質問になるかもしれません。
「あの……その神様がこちらへいらっしゃるというのは間違いないのでしょうか」
「アレはそなたに対して逆恨みをしておるから必ず来るじゃろう。リュートにも注意をしておいた。全く、そのようなことをすればどうなるかわからぬほど余裕などなくなっておるということもわからぬ愚か者じゃ」
ど、どんな神様なのでしょう。
話を聞いているだけで嫌な予感しかしませんが……
「どんな神様なのでしょう……」
「そうか、ルナは知らぬのじゃな」
これは失念しておったと笑ったアーゼンラーナ様は、この世界のレシピを起こす流れを説明してくださいました。
この世界に住まう者が作成したアイテム全てがレシピに起こせるわけではなく、この世界にとって害悪にならないかどうかの審査がまずは入るのだそうです。
そして、その審査は全て秩序の神様が行っており、この世界の理から外れた物を広めることを食い止めていらっしゃるのだとか……
万が一にも大量虐殺兵器などを作成した者がレシピとして起こそうとしても、そこでストップがかかるということでした。
世界の秩序と理を管理するという重大な仕事を任されている秩序の神様が、アーゼンラーナ様が言う『愚か者』であった……ということですかっ!?
秩序の神様って……じゅ……十神の一柱で、シモン様の家に加護を与えていらっしゃる神様では……
「ここのところ仕事量が増えて処理しきれんようになった一端が、そなたのレシピ数であるとか言い始めてな……以前からその兆しがあったことを妾たちはちゃーんと知っておる」
ひいぃぃぃっ! や、やってしまいましたーっ!
そんな大変なときに、私の大量レシピ投下がトドメをさしてしまったのですね!?
ど、どうしましょうっ!
考えてもみなかった場所に、とんでもない被害が及んでおりました。
私のレシピは自然発生した物ではなく異世界の料理ですから、判断が難しかったのかもしれません。
「す、すみません。私がお仕事を増やしてしまったがために……」
「問題ない。むしろ、数件のレシピで破綻するほど追い詰められておったと露呈したのじゃ、そうなるまで隠し通そうとしておった彼奴に問題がある」
もともと、知恵の神が仕事量を見てこれ以上は無理だと判断して手助けをしようとしておったのを「年下のくせに生意気だ」というて聞く耳を持たなかったのが悪いと一刀両断されました。
でも……私のレシピがトドメというのは……な、なんだか本当に申し訳なく……
「心配いらぬ。これはアレの問題であって、ルナのせいではない。それに、万が一にも危害を加える気で来るのであれば、妾たちがおる。父上や母上や夫や妾が守護する者に危害を加えられるわけがないのじゃ」
戦闘面に関しては十神一低いからな……と好戦的な笑みを浮かべておっしゃられるアーゼンラーナ様は美女なのにイケメンです。
十神の戦闘力ランキングが気になるところですけれども、間違いなくアーゼンラーナ様は上位に君臨している気がしますし、オーディナル様以上に強い方は存在しないでしょう。
「パパとママも、まもるっていっているのっ」
「チェリシュが世話になっておるのじゃから、当然じゃ。もとから数に入れておるから安心するが良い。セレンは暴れられると大喜びであろう」
……えっと、私って……この世界ではどういう立ち位置なのでしょう。
秩序の神様の怒りを買い、大地母神様のパンを穢した……という噂が広まればリュート様にとって害悪な存在でしかありませんが、オーディナル様と創世神ルミナスラ様とアーゼンラーナ様と時空神様と太陽と月の夫婦神が守護してくださると公言する召喚獣って……
「チェリシュもいるのっ! ルーとリューは、チェリシュがまもるのっ!」
「チェリシュ……とっても心強いですっ」
ルーを護るのと両手を広げて主張するチェリシュを抱き上げ、嬉しさのあまりにぎゅーっとしていると、アーゼンラーナ様も「妾も参加したかったのじゃ」と私達をまとめて抱きしめてくださいました。
「ふふっ、羨ましかろう? セレン、ソル」
羨ましいって感じるようなことでも無いような……と考えていた私に抱っこされていたチェリシュが、何かとても楽しいことがあったかのように小さな指を小さくて可愛らしいぷっくりとした唇にあてて笑います。
「ズルイぞ!ってママが叫んでいるの」
「そうかそうか」
秩序の神様がお怒りになられている事実は怖いですけど、でも……こんなに沢山の神々が護ると誓ってくれていることが嬉しくて、胸がいっぱいになりました。
でも、喜びはそれだけにとどまることはなく……
「困った神様だなー、師匠は俺様たちの宝だから護るぜ!」
「そうですにゃ!」
「爪をちゃんと研いでおきますにゃっ」
「良い爪とぎがありますにゃぁ」
カカオ、カフェ、ラテ、ミルクまで私の足元へ来て「大丈夫」と口々に言ってくれたのです。
こんなにも沢山の人たちが私を気にかけてくれている。
ベオルフ様に教えてあげたい……私、とっても大事にされていますよ。
「みんな、ありがとうございます。私もみんなを護りたいので頑張りますね」
持ちつ持たれつという言葉の通り、助け合ってこれからも乗り越えていきたい。
直近で起こるだろう大きな事柄は、遠征討伐訓練と大地母神様のこと……訓練のほうは滞り無く行えば問題など発生することはないでしょうが、気を引き締めていかなければなりません。
少しの油断が命の危険を招きかねない。
いつも遠くへ命がけで旅立っていたベオルフ様を知っているから、少しだけ緊張しているのも事実です。
『旅で一番大事なのは、己の体調管理と希望的観測を捨て常に最悪の事態を考えて行動し、問題が起これば改善策を練ることだ』
それを積み重ねていけば、自ずと危険は減る───
旅において経験は何よりも大事で貴重なものであると聞きましたから、初討伐訓練で失敗も多いでしょうが経験として積み重ねていけたら、結果的にリュート様の力になれるかもしれません。
その間、大地母神様のことや秩序の神様のことは手を付けられませんが、他の方々が動いてくださるのでお任せして、自分にできることをしていけたら良いなと思いました。
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