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第二章 外堀はこうして埋められる
ハードルが高い生魚料理
しおりを挟む「さて、カルパッチョも食べるかな。よく冷えていて旨そうだ」
「リュート様が生が食べたいとおっしゃったので、頑張りました」
「ん。ありがとうな」
私を見て微笑んだリュート様が嬉しそうに鯛のカルパッチョをパクリと食べるやいなや、ぱあぁっと顔を輝かせます。
その表情だけで、心がほんわかあたたかいものに満たされるなんて、きっとリュート様はご存知ありません。
嬉しそうに私を見て、すごく旨いよといってくださいました。
「もう一口っと……うまっ!この鯛、身はコリコリしてて歯ごたえがいいし、甘みもあるよな。冷やしてある野菜と酸味のあるソースともよく合う。はぁ……生魚は醤油がねーとダメかなって思ってたけど、こういう手があったよな」
後半の醤油のくだりは、近くの私にしか聞こえない程度に声を抑えてありましたが、やっぱり醤油とわさびでお刺身をいただきたいですよね。
こればかりは、日本人の記憶を持つ性とも言うべきものなのでしょう。
「おいしーのっ」
カルパッチョが生魚と聞いて凍りついている3名を置いて、元々生魚を食べることに抵抗のないリュート様と、私が出す料理=美味しいという方程式が出来てしまった様子のチェリシュがパクパク食べています。
皆様、フリーズしていたら無くなってしまいますよ?
右隣にいるロン兄様の袖を、腕を伸ばしてツンツン引っ張ると、一瞬ビックリしたのか体が跳ねます。
袖を引っ張った私を見て目をパチパチさせた後、再び目の前の料理を凝視しました。
「この半透明な綺麗な身は、魚の身が生だからかい?」
「はい。新鮮なお魚は生で食べることが出来ます。ただ、鮮度が大事なので海が近くにある聖都で助かりました」
「そうなんだね……生で食べることができるなんて知らなかったよ」
「そういう文化がないと理解できないことも多いと思います。リュート様が美味しそうに食べている物は、間違いないと考えても良いのではありませんか?」
私がそういうと、全員の視線がリュート様に向きますが、彼は動じること無くカルパッチョを食べ、今にも歌いだしそうなくらい上機嫌です。
「別に無理して食わなくてもいいけど、勿体ねーと思うぞ。本当に旨いなぁ、これに……あ、白ワインが欲しいかも」
「キュステさんに頼んで来ましょうか?」
「いや、シロが多分持ってきてくれる……って、言っている間に来たか」
リュート様の言葉と同時にノックして入ってきたのは、シロとキュステさんでした。
数種類のお酒をワゴンに乗せて運んできたようですね。
「爺様のリクエスト、ちゃんと用意したで。ほら、これでええんやろ?」
「すまんな」
ピッチャーに入った琥珀色の液体を見て、アレン様は大満足だというように笑って受け取ります。
竜族ではポピュラーはお酒なのでしょうか。
色合いは、ビールより薄く、白ワインよりも濃い感じです。
「まあ、わからんでもないし別にええよ。それと、お料理に合いそうな白ワインとエールと、口当たりが良さそうなジュースも持ってきたで。柑橘系のジュースやから、奥様と春の女神様はコレがええかな?」
丁度喉が渇いていたので嬉しいですね。
チェリシュと一緒にジュースを注いでもらったグラスを受け取ると、何故かリュート様がぷっと吹き出すように笑いました。
な、なんですか?
「同じ仕草とか……どんだけリンクしてんだよ」
「え、同じでした?」
「同じなの?うれしいの!」
驚く私の膝の上で喜ぶチェリシュを見ながら、リュート様がくくっと声を出して笑い、それをお父様が我が目を疑うように、何度も瞬きをして見つめていました。
声を出して笑うリュート様が珍しいのでしょうね。
無表情で感情をあまり顕にしなくなっていたと聞きますから、心配をされていたのでしょう。
「ここに並んでるお料理、僕たちの分も置いといてくれはったから味がようわかったわ。どれも旨かったし、店の客に受けそうな感じやね」
「お酒のアテにもいいでしょう?」
そう問いかけると、キュステさんは嬉しそうに下がっている目尻を、更に下げて何度も頷きます。
「僕は特にカルパッチョが好きやわ。アレはええね。コリコリして、魚やと思えへん歯ごたえがたまらんわ」
「そうでしょう?鯛は歯ごたえが良いのですよ。夏には柑橘系の皮をおろして加えたらいいかもしれません。カルパッチョはお魚によって味も歯ざわりも変わりますから、今度は違うもので作りましょうね」
「そうなんっ!?うわぁ、それは楽しみやわぁ!白ワインや発泡ワインに合うから色んな人に勧めやすいし……あっ!あとはコレ!カフェとラテに頼まれてん。味見したって」
そういって、お酒と共に運んできた鶏の唐揚げの皿をテーブルに置きました。
どうやら、レシピを使って新しく作ったようです。
初めて作ったにしては彩りも考えたのか、唐揚げだけではなく一口大のレタスが敷かれていました。
カフェとラテは、本当に色々見て勉強しているのですね。
「エールに合ういうてたから、頼んで作ってもらってんけど、カフェとラテが奥様に味みてもらいたい言うて……どないやろ」
先に失礼して……と、唐揚げにフォークを刺し、ぱくりとかじりつけば、揚げたてなのか、かなり熱くて涙目になってしまいましたが、衣はカリッとしていますし、中もちゃんと火が通っています。
味付けは濃い感じですが、お酒のアテには良いかも知れません。
少し火を通しすぎたのか、身がパサパサしているようです。
揚げ物あるあるですよね。
私もよくやりました。
中身が生だったら……と心配して、引き上げるタイミングが遅くなってしまうやつです。
「少し念入りに火を入れすぎてるようです。最後は予熱で火を通すようにすれば、もっと美味しくなりますよ」
「最後は予熱……なるほど、完全に火を入れたらアカンのやね」
「火が通り過ぎると、お肉がパサパサしてきますから」
「へぇ……ホンマに奥様は色々考えて作ってんねんなぁ。カフェとラテが聞いてきて言うたんよくわかったわ。レシピがあっても、そういう細かいところはわからんもんねぇ」
レシピがあれば失敗なく作ることが出来ますが、微妙な味の違いが出てくるのは、レシピに記載されていない細かな部分なのでしょう。
カフェとラテの二人が同じものを作っても、味に違いが出てきますものね。
「ルナ、それも食っていい?」
「皆で食べましょう。私一人では食べきれませんし、味見はちゃんとしましたもの」
パクリと唐揚げを頬張ってリュート様は咀嚼して飲み込んだあと、少し考えているようでした。
「これ、カフェが作ったろ」
「正解……どうしてわからはったん?」
「ニンニクが強めなのはカフェの特徴だからな」
確かに、ニンニクが強めでしたね。
カフェはニンニクが好きなのでしょうか。
「生姜がきいてるのがラテ。同じ料理を作っても微妙に味が違うんだよな、アイツラ」
「アレンジですよね?」
「いや、ついつい入れ過ぎちまうんだよ」
変な癖だと笑いますが、それぞれの特徴があっていいと思います。
「でも、その微妙な変化がわかるんは、だんさんくらいやで?ホンマに味覚が鋭敏過ぎるわ。奥様くらいの腕前がなかったら、満足させられへんやん」
「んなことねーよ?カフェとラテの飯も旨い。ただ、ルナのほうが何か馴染むんだよな……何ていうか、目指している味……ていうか……まあ、なんだ。つまり、それに近いんだよ」
何かを思い出すように視線を一度だけ遠くへやったリュート様は、最後の方は言葉を濁してしまいました。
リュート様が目指している味……それに近いということに喜びを感じます。
だって、それってリュート様の理想としている味ということですものね。
ただ、理想とされている味というものが、とても気になってしまいます。
前世からずっと覚えている味ということですから、よほど美味しい料理だったのでしょう。
でも、どこかの料亭の味だったりしたら太刀打ちできませんから、今のうちに白旗をあげたいです。
さすがにプロの料理人の味には、遠く及ばないと思いますよ?
家庭料理の域ですもの……
「ふむ……コレまで長く生きてきたが、生魚を食べたのは初めてじゃ。生臭くない上に、キュステが言うように、こりゃ酒に合うわい!」
私達が唐揚げに気を取られている間に、アレン様はカルパッチョを食べて、運ばれてきた白ワインに夢中です。
コリコリした歯ざわりと淡白な白身によく絡むソースが良いと、リュート様に負けないスピードで平らげていきますが……よ、よく食べる方でしょうか。
「だから言ったろ?勿体ねーって」
「んむ。食わず嫌いは損をするな。こりゃいい。ほれ、お前も食わんか」
「は、はい」
「無理はしなくていい。他にも料理があるんだし、そこにあるアサリのワイン蒸しを食べたらいいんじゃねーかな」
生魚を食べるかどうか迷っている父に対し、リュート様はアサリのワイン蒸しを勧めました。
やっぱり、生魚はハードルが高いお料理になるのですね。
海がこんなに近いのに、勿体無いです。
でも、いずれは生魚を当たり前に食べるような日が来るでしょうか。
「貝の炒めものは珍しくないが、何やらカラフルじゃな」
「仕上げにちらしたパセリだな。目でも楽しめる料理って、こういうことを言うんだよな」
リュート様が私にかわり説明してくださいました。
お料理は、目でも耳でも鼻でも楽しめますものね。
ジュースを両手に抱えて飲んでいたチェリシュは、アサリのワイン蒸しに視線をやってから私を見上げ「赤いのからいの?」と問いかけます。
「あの赤いのを食べたら辛いですけど、アサリだけなら大丈夫です」
「チェリシュも食べるのっ!」
どうやら辛いのは苦手のようで、赤い唐辛子を見て警戒していたのでしょう。
リュート様が小皿に取ってチェリシュに渡してくださいました。
お父様も、これならば大丈夫と小皿に取っています。
そのお父様に、アレン様が先程頼んでおいたらしいお酒を注ぎ渡しました。
あれ?それはアレン様が飲むわけではないのですか?
「ほれ、あまり酒に強くないお前でも飲めるような物を頼んでおいた」
「しかし……」
「たまには良かろう。むしろ、これも仕事じゃと思って飲め飲め」
仕事中ですから……と断ろうとしていたお父様に対し、これも仕事のうちだと先手を取ったアレン様は、さすがというべきでしょうか。
お酒の強くないというお父様に飲ませて大丈夫なのか心配になってリュート様を見上げると、彼も同じだったようで「無理して飲むなよ?」と声をかけます。
飲酒そのものを止めないのですね……
「そこまで弱くもないから大丈夫だとは思う。アレンの爺さんから比べたら、誰もが弱いって言われちまうしな」
「でも、言うほど強くもないよね」
「弱くはないが、強くもない……ってところなんだよな」
リュート様とロン兄様が心配そうに見ておりますが、仕事のうちだと言われたお父様は、一杯だけ付き合うことにしたようです。
お父様の本日の任務は、アレン様の機嫌を損ねないように護衛だということですから、色々と大変そうですね。
アレン様は上機嫌で、お父様のグラスとは比べ物にならない大きなジョッキを手に取って乾杯すると、見事な飲みっぷりを披露してくださいました。
反対にお父様は、ちびりちびりと少量ずつ口に運び、酔わないように気をつけているようですね。
「水も用意しておくか。シロ」
「大丈夫です、持ってきてるです」
大きなピッチャーに入った水をテーブルに置き、コップを添えてお父様のそばに置きます。
これで大丈夫でしょうか。
「からいのーっ」
「あ、赤いのは食べるなって言ったのに……」
私達がお父様を心配している間に、チェリシュはチェリシュで唐辛子チャレンジをしてしまったようで、舌を出していました。
小さな舌の上に、輪切りの赤い唐辛子が乗っかっていて、呆れたようにリュート様がそれを指で摘んで取り除きます。
「チェリシュ、ジュースを飲みましょうね。甘いですよー」
「甘いのほしいのっ」
ジュースのグラスを両手で受け取って、くぴくぴ飲んでいるチェリシュに癒やされますが、見ていないところで何をしでかすのやら……
やっぱり目が離せません。
色々興味を持ってチャレンジしてしまう、好奇心が旺盛な子ですからね。
「ほら、ルナ。あーん」
「え、えっと……」
「人の世話ばっかりで、まーた食ってねーだろ。ほら、食え」
リュート様に差し出されたお料理を食べてから、これで良いのでしょうかと視線で問いかけてみる。
すると、何とも魅惑的な笑みを浮かべて「手のかかるやつ……」と言われてしまいました。
なんだかドキドキしてしまいます。
そんなに、めまいを感じてしまうほど色気をたっぷりに含ませていう必要はなかったですよね?
でも、こうやって世話を焼かれることが新鮮で、嬉しくて……少し困っているというのに、ドキドキして……心臓も心も忙しいです。
「ルー……」
「え、赤くなってませんよっ!?」
「ベリリ?なってないの。ジュースおかわりなの」
あ、別件でした。
私が思わず叫ぶようにいった言葉に反応して、リュート様が肩を震わせて笑いだし、キュステさんが「過剰反応しすぎやって」とツッコミを入れてくれますが、言われるほうは大変なんですよっ!?
「奥様は、リュート様に世話を焼かれて嬉しそうです」
「あ、それはあるわ。滲むような幸せオーラっていうん?」
「リュートが世話をやく姿なんて、女性相手ではお目にかかれなかったから新鮮だね」
シロとキュステさんとロン兄様の言葉を聞きながら、チェリシュのグラスにジュースを注ぎ、チラリと横に視線を向けると、私を見つめるリュート様と視線がぶつかり、思わず頬が赤くなります。
な、なんでそんなに優しくも格好良い表情で見てるんですかっ!?
「あ!ベリリになったの!」
「あぁっ!せっかく回避できたと思ったのに!」
ジュースのグラスを受け取ったチェリシュのマイブーム回避には至らず、奇妙な敗北感を覚えながら、ジトリとリュート様をにらみつけるように見るのですが、赤い顔では威力は半減どころの話ではないでしょう。
それどころか、「可愛い」なんて囁かれてしまい、更に赤くなった私を見たチェリシュが嬉しそうに「ベリリなの!」といって大はしゃぎしはじめました。
今回はチェリシュのマイブーム回避ならず……です。
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