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第二章 外堀はこうして埋められる
いつか取り戻すという決意
しおりを挟む時々こうして、とても恥ずかしい気持ちになる。
でも、嫌というわけではないから不思議で……心をむずむずと刺激するような感覚は、以前にも覚えがあった気がするのに、ハッキリと思い出せない。
誰かに抱いていた感情……のはず?
誰……だったかしら。
セルフィス殿下ではない。
あの方には恋心を抱かなかったのですもの、それは間違いありません。
では、誰……?
ふと思い出したのは、親友の綾音ちゃんでした。
それを切っ掛けに、前世の記憶が脳裏に浮かびます。
綾音ちゃんとその人について話をして、とてもからかわれた思い出があるというのに、その相手が誰だか思い出せない。
ただ……リュート様に少し似ているような気がする。
いまわかるのはそれだけで、これも何かに邪魔されているような感覚をハッキリ感じた。
そう、今までで一番強い妨害。
ビクリと私の体が震えたのに気づいたリュート様が、顎に手を添えて上を向くように言っているようだけど、声も膜を通したように遠くに聞こえ意識が混濁する。
力強く掻き抱かれ、同時に彼からの魔力が流し込まれているのがわかった。
その密度が濃くなるに連れ、ようやく体の感覚が元に戻り、ふぅ……と息をついたのを合図に、リュート様から流し込まれた魔力は途切れ、私の顔を覗き込む。
「大丈夫か?何があった?いま、変な魔力みてーなものを感じたが……」
「か、過去を……前世のことを思い出していたら、阻害されるような感覚を覚えて……そしたら急に……」
「前世?」
そう言うとなにか考え込むように押し黙ったリュート様は、険しい表情で低く唸った。
「それって、その呪いは前世からってことになるってことか?今世ではなく、前世からなんてありえるのか?」
前世からかけられている呪いがある?
じゃあ、私の魂そのものにかけられた何かがあるってことになりますが、それは人の力で可能なことなのでしょうか。
「正直、いつものヤツより強力で驚いた。よほど妨害したい何かがあるんだな」
リュート様の言葉を聞いて、私が『あの人』を思い出すのを阻害しているのかと無意識に考える。
……『あの人』?
何故妨害されるの?
それに伴う感情が邪魔……なのかしら。
でも、それだったら、この呪いをかけた者にとって現状喜ばしくないでしょうね。
だって……私はその感情を、リュート様にいだき始めているのですから───
ジッとリュート様を見つめていると、様々な可能性について考えていたリュート様は難しい顔から笑みに変え『どうした?』というように私を見つめてくださいます。
こうして、私の些細な変化を見逃さず、いつも労ってくださる優しい人。
何でもないですと言って彼の広い胸に抱きつけば、すぐに抱き締め返してくれる力強い腕の中は、とても心地よくてうっとりする。
リュート様、私はいつかこの感情を取り戻してみせますね。
その時が来ても……今みたいに優しく抱き締め返してくださるでしょうか。
「そうだ、ルナ。顔を上げて」
何かしらと言われた通りに顔を上げると、彼の魅惑的な笑みと共に瞳の奥に見える、悪戯っぽい光……あ、これは!と思った瞬間、顔を下げられないように顎から頬に手を添えられてしまう。
「りゅ、リュート様?」
「そのままな?」
今までの中で一番色気ある微笑みを浮かべた彼に、先程の嫌な感覚を吹き飛ばすほどの衝撃を心に受ける。
本気……リュート様の本気の色気がハンパナイです!
だ、だめ、これは……直視したら魂が抜けちゃいますーっ!
視線を泳がせて見ないようにしようとしているのに、ぐいっと顎を引かれてこちらを見ろと促される。
む、無理です。
許してください。
それか、破壊力抜群の色気をしまってください!
ドキドキバクバクと心臓が大きく騒ぎ出し、体温が急上昇して涙目の私をじっくり眺めたリュート様は「可愛い」と、蜜や砂糖菓子など目じゃないくらい甘い声で囁きました。
口の中がカラカラに干上がり、声が出ない上に、視線を反らしたいのに縫い留められたように反らせない。
「なあ……ルナ。そのまま……な?」
再度そう言うと、リュート様の顔が近づいてきます。
いい香りが濃く感じられ、吐息がかかりそう……いえ、もうかかってますよ!
え、えっ……ええええええええぇぇぇっ!?
ひゃあっ!と心の中で情けない叫び声をあげて、目をぎゅううっとコレでもかというくらい閉じた瞬間、頬に柔らかくあたたかい感触がしました。
ん?
頬……に?
慌てて目を開くと、私を見つめるリュート様の色んな物を含んだ笑みがそこにあった。
「ルナも色々頑張ったから、ご褒美な」
「ご、ごほ……う……び?」
あ、だから、ほっぺにちゅーですか。
てっきり……あ、いえ、なんでもありません。
勘違いしてしまったからプチパニックを起こしていたなんて、恥ずかしくて言えない。
それと同時に、少しだけ残念に思って……い、いえ、そんな期待なんてしていませんよっ!?
気の所為です!
何かの間違いです!
そ、そう、さっき変な感覚があったから、まだ混乱しているのですよ。
きっとそうに違いありませんっ!
「ご褒美にならなかった……か?」
少ししゅんっとしたリュート様を見て、私は慌てて首を左右に振った。
「いえ!ご褒美です!」
「そっか、良かった……」
ふにゃりと安堵の笑みを浮かべるリュート様の可愛らしさといったら……!
しかし、それならもっとゆっくり感じていたかったというか……満喫したかったかもしれません。
「じゃあ、ルナのご褒美もこれからは『コレ』だな」
これからは頑張ったご褒美に、リュート様からほっぺにちゅーしていただけるということですかっ!?
そ、それは、う、嬉しいですが、心臓が大変ですね。
今だってうるさいくらいに早鐘を打っていると言うのに……
ん?
そういえば、「ルナのご褒美も」と言いましたか?
……「も」?
「これで、しっかり頑張れるな。ルナのご褒美が楽しみだっ!」
え、えっと……え?
それは、決定事項なのですか?
問いかけるように見つめる私に、リュート様が色気ある笑みを浮かべたまま目を細めてくださいました。
あ……拒否権なしですね。
いえ、拒否なんてしません。
というか……ある意味、私にもご褒美なのでは?
あのハニカミ笑顔をまた見ることができるということですものね。
ものすごく嬉しそうにするリュート様を、堪能できる……
そう考えると、羞恥心に耐えるだけの価値があります。
「勿論、ご褒美……もらえるだろ?」
か、確認を取らないでください!
真っ赤になってオロオロしている私の頬を優しく撫でる手がくすぐったいですけど、ぞわりと何かを感じて、リュート様にしがみつきます。
こういうのはダメなんですよという思いをこめて見上げる私を見つめたリュート様は、驚いたように目を一度大きく見開いて、コクリと喉を鳴らしました。
「だんさんっ!準備できたでー!」
どうかしましたかと声をかけようとした私が口を開く前に聞こえてきたのは、キュステさんの大きな声。
リュート様、呼ばれているようですよ?
「……空気読めよ」
キュステさんがいる部屋の方向を睨みつけ、今までの上機嫌はどこへやら、物騒な色を宿したリュート様の低い声が響きました。
時間か……と、ため息混じりに呟いたリュート様は一度強く私を抱きしめてから、名残惜しそうに離れていきます。
私も同じく名残惜しい気持ちですが、この後のことを考えると、やっぱり時間なのでしょう。
「ここの材料は好きに使っていいから、頼んだ」
「お任せください」
食料庫内に明かりが宿り、今までの濃密な甘さを秘めた空気が霧散します。
そのはずだったのに……「またあとでな」と、耳元で甘く囁いたリュート様は、私にぞくぞくするような甘い痺れを残し、颯爽と去っていってしまいました。
な、なんてことをするのですかっ!
危うく腰が抜けそうになったなんて恥ずかしくて言えませんが、私もエネルギー充填完了です。
さーて、頑張りますよっ!
遠くで「痛っ!だんさん何なんっ!?何で僕、蹴られてんのっ!?」という声が聞こえてきましたが、仕方ないのです。
声を掛けるタイミングが悪かったとしか言いようがありません。
そんな騒がしい声を遠くに聞きながら、私は食材探しを開始した。
ある程度食材をポーチに入れて戻ってくると、ボロボロになっているキュステさんが部屋の隅っこでいじけていましたが、これは……す、スルー推奨ですか?
し、シロ……?と問いかけの眼差しを送りましたが、首を左右に振られてしまいます。
わかりました、スルーですね。
あとで、しっかりと慰めてもらえるのでしょう。
そう信じて、私はお料理に取り掛かります。
髪をゆるく纏め、エプロンを身に着けたらお料理開始ですよ!
まずは冷やしておいたほうがいい鯛のカルパッチョから取り掛かりましょう。
小さめのボウルに、オリーブオイルとワインビネガー、塩コショウとレモン汁を加えてしっかり混ぜ合わせます。
スーパーのお刺身だったら甘みも加えたほうがいいかもしれませんが、今回は新鮮な真鯛ですから蜂蜜は抜きですね。
続いて、大きな皿に何も乗せていない状態で塩コショウをしてレモン汁を絞り、オリーブオイルを適当にかけておきます。
今回は立派な鯛が手に入りました。
バッシュさんが手早く捌いてくれたものをリュート様に頼んで収納していただいていたので、鮮度は抜群です。
鯛の柵を薄くスライスしていき、丸い皿の上に花が開くように綺麗に盛り付けましょう。
うん、良い感じです。
「お魚がお花なの!」
チェリシュの声に振り向けば、リュート様に抱っこされたチェリシュが、私の手元を興味津々に眺めていました。
私とお揃いの店のエプロンを身に着け、ご機嫌のようですね。
「生なのにゃ?」
「焼かないのにゃ?」
自分たちのスープの仕上げをしながらこちらを見ていたらしいカフェとラテが驚きの声をあげ、二人の声に反応して「生で食べんのっ!?」と言い、驚き立ち上がったキュステさんも手元を凝視しています。
「お魚は新鮮だと生で食べられるのですよ?」
生食文化は無かったのですね……と、視線でリュート様に問いかけると、頷かれました。
あれだけリュート様が食べたい!と言っていたので、そうではないかと考えておりましたが……色々と違いがあって大変ですね。
洗浄石には寄生虫などの害を及ぼすものがいても、除去する作用があるようですから、日本よりも安全に生食できそうなのですけど、そういう食文化がないと思い浮かぶものでもないのでしょう。
盛り付けた鯛の上に塩コショウしてレモン汁をふりかけ、ひとまず冷蔵庫で冷やします。
レタスを小さくちぎりボウルに入れ、トマトもダイスカットですね。
ただ、このトマトは甘みが足りないので、蜂蜜とオリーブオイルと塩コショウを混ぜたものになじませておきます。
この2つも、冷蔵庫で冷やしておきましょう。
「彩りが綺麗だな。赤と緑か」
「食欲をそそる色ですから、大事ですね」
私がそういうと、カフェとラテが「そうなのにゃ?」「色にも意味があったのにゃ!」と大騒ぎです。
て、手元……大丈夫ですか?
「赤いのだいじなの!」
「そうですね、大事です」
「トマトもー……ベリリも赤いの!ルーのほっぺも赤いし、だいじなのっ」
「今は赤くありませんよっ!?」
赤は大事と赤いものを思い浮かべていた中に、どうして私の頬まで出てくるのでしょう!
チェリシュの言葉にみんな頷きますが、そんなに赤くなりますかっ!?
リュート様が意味深に笑みを深めるのが見えました。
先程のことを思い出しているのか、口元の笑みがいつも以上に緩やかな弧を描きます。
……上機嫌ですね。
ダメです、思い出してはいけません。
それこそ、ベリリだとまた言われてしまいますからね!
必死に思い出さないようにしながら作業に没頭する私を、みんなが不思議そうに眺めていたことを知る余裕などなかった。
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