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第二章 外堀はこうして埋められる
2-9 キッチンは遠く、リュート様は近く
しおりを挟む大丈夫か? と声をかけられ、ソファーの上で胡座をかいて座るリュート様の足の間で、横抱きにされて小さくなっていた私は、落ち着くために用意された冷たいお茶を飲みながら頷いた。
あの後、足に力が入らずキッチンに立てなかったので、リュート様にお姫様抱っこされて連れてこられたのはいいのだけれど、その原因を作ったリュート様が私を変わらず拘束している状態が続いているために、回復する様子があまり見られない。
うー……早く動けるようになりたいので、離していただけると有り難いのですが……
嬉しそうに私を抱えて座るリュート様を見ていたら、そんなこと言えるはずもなく、おとなしくお茶を飲む。
お弁当を作りたいのに……
まあ、それほど時間はかかりませんが、ゆっくりしすぎている気がします。
チラリチラリ見て「離して欲しい」とお願いするタイミングをはかるのだけれど、甘く優しい眼差しをむけてくれるリュート様……ダメです、もう、本当にその笑顔はいけません。
ほら、またクラクラしてしまいそうです。
少しだけ恨めしく思いながらも嬉しい気持ちは誤魔化しきれなくて、こてんっとリュート様の逞しい胸に頭を預けると、大きな手が優しく頭から頬までを撫でていく。
こういうことをするから、うっとりとして離れたくなくなるのです。
優しい手の動きは、すぐに私をとろけさせるから不思議である。
「キッチンに立てそう?」
「こういうことをなさっているリュート様が問いますか……」
「んー……それもそうか。でも、離れたくねーんだよなぁ」
ダメ? と甘い言葉を耳に流し込まれ、一気に体温が上がると同時に、反射的に首を左右に振る自分が恨めしい。
そこは、お弁当のために「ダメ」というところでしょう!?
「リュート様に美味しく食べていただけるようなお弁当を……作りたいのですよ?」
精一杯拗ねた声を出したはずなのに、私の耳に聞こえてきた声は全然拗ねていないというか、どこか甘い響きを宿していて、全く効果がなさそうだと溜め息が出てくる。
そんな様子に、彼は少しだけ申し訳無さそうな顔をしてから、私の額に頬を寄せた。
「悪い……色々嬉しくてつい」
で、ですから、そういうせつなそうな声を出さないでください!
色気を滲ませすぎて、妙に心臓が騒ぎ出すのですからっ!
「そういえば、弁当のメニューは決まってたんだっけ?」
「はい、さっきのポテトサラダも残してますし、唐揚げと卵焼き、それに彩りのトマトとブロッコリー。タコさんウィンナーは作る予定です」
「おー、すげー弁当らしいな!」
世間話をするかのように、お弁当の話をしながらリュート様を感じている。
そのアンバランスな感じが、どうにもむず痒くて……
リュート様……お願いですから、そんなに優しく撫でないでください。
嫌ではなくて、むしろもっとって思ってしまうから困るのです。
「ルナの髪は手触りがいいな……ずっとこうしていたくなる」
わ、私だって、ずっとこうしていたいです!
……違う、違いますよ、私……そうではないですよ。
今から、お弁当づくり……なのです!
外で食べやすいように、何か工夫をした方が良いでしょうか。
こういう時の定番は、おにぎりやサンドウィッチなのですが……現状を考えて、どちらも無理です。
やはり、当初の目的どおりトルティーヤを食べやすくしたほうが良さそうですね。
「そ、そうだ、リュート様、ラップかクッキングペーパーみたいなものってありますか?」
「ん?」
「えーと、くるっと巻きたいんです。トルティーヤの皮で野菜とチーズとお肉を包みたいんです」
「あぁ、なるほど! んじゃあ、いいのがある」
驚かせようと思ったのだけれど、さすがに何があるかわからない状態では難しいと判断し、たずねてみれば簡単に彼は私のお目当てのものをアイテムボックスから出してきてくれた。
薄い紙のような物で、水濡れに強そうである。
ラッピング用紙?
「こういう水を弾くような薄いものがいいだろ?」
「はい。でもこれ……食べ物に使っても大丈夫なんですか?」
「気になるなら洗浄石……あ! ルナの分を渡しておこう」
そういって、再びアイテムボックスを開いた彼は、私の手のひらサイズの可愛らしいハートタイプの魔石を出してくる。
ローズクォーツをハート型に切り出して、丸みを帯びるように研磨したような、そんな手触りの良い石の感触ですね。
つるつるして、手に凄く馴染みます。
「すごく可愛いです! へぇ、こういうタイプもあるんですか」
「新商品」
「……まさか」
「こういう魔石を使った商品の3割強は俺が作ってる。ルナが持つのに可愛い方が良いなって思ったら出来上がってた」
な、なんということでしょう!
そんな感じで出来上がってしまう物なのですかっ!?
しかも、いつ作ったのでしょうか……謎すぎます。
先程の言い方ですと、この洗浄石も綺麗に保てたらいいな……という考えで編み出されましたね?
料理ツールにしたって、オーブンレンジ以外は「あれば便利だろうな」っていう感覚でしょうし。
やっぱり、日本人としての知識とこの世界の魔法術式が合わさったらマズイことになるのですね。
むしろ、リュート様の「~だったらいいな」は、とんでもない方向へと進化を遂げていませんか?
これ全てを無かったかのように忘れて、ジュストの件を持ち出してくる方々は何を考えているのでしょうか。
リュート様がしていることを、ちゃんと理解しているのですか?
この世界にとんでもない影響を与えているのですよ?
もしかして……リュート様がしているって気づいていないなんてこと……ありませんよね。
「ん……やっぱり可愛い。ルナに似合う」
もう……すごくいい笑顔で言わないでください。
横抱きで抱え込まれる状況で言われると、なんというか……先程は見えなかった表情がしっかり見えて、余計にドキドキします。
「そうだ、デザートはさ、ベリリの実があるから、それにしよう」
「苺でしたっけ」
「苺より大きくて甘いぞ」
これな……と、出してきた真っ赤なこぶし大の苺。
確かに大きい……ていうか、これを一口でいただくのは無理ですね。
程よい大きさにカッティングして……
「そういえば、リュート様。ハンドミキサーみたいなものってありました?」
「ああ、あるけど。普段使わないからしまいこんだままだったな」
どこだったか……と、アイテムボックスをあさっているところを見ると、カフェとラテも使っていなかったのでしょうか。
「生クリームに苺……クレープでも作って持っていくか?」
「ミルクレープもいいですね」
「お! 美味そう!」
「でも、私が作りたいのは違うんです。リュート様がこびりつかない天板を作ってくださいましたし、直接流し込んで作ってみましょう」
「流し込んで?」
何を? と、目を丸くするリュート様に内緒と言うと、口を尖らせて「教えてくれてもいいだろう」と拗ねられてしまった。
こういう可愛い反応は反則なのですよ?
楽しみにしておいて欲しいのに……ついつい言ってしまうじゃないですか。
「メレンゲを作って、ふわふわの生地を焼いて、ロールケーキを作ろうかと思いまして」
「……は?」
体の動きを止めて目だけパチパチさせているリュート様を見上げると、彼は驚いたままの表情で、私を見つめ返した。
「マジで? 今ある材料でできるのか?」
「できます」
「……本気で?」
「はい」
「マジか! うわ、食べたい! ロールケーキが食べたい!」
ふふ、目がすっごく輝いています。
やっぱりリュート様は甘味もいけるスイーツ男子ですね。
ふんわりスポンジと、甘い生クリームと、甘酸っぱい苺のコラボレーション!
考えるだけで美味しそうですねぇ……ふんわりした生地を作らなくてはいけません。
「すげーな……意外と、今ある材料で出来るもんなんだな。俺だと考えもつかない物ばかりだ」
これがあれば、あれがあればっていうのも、あまり思い浮かばなくて手詰まりだったんだけどな……と、苦笑する姿に、いままでの苦労が垣間見える。
本当に知識って大事だな……と、遠くを見てしみじみ呟くリュート様の横顔は、なんとも言えず複雑であった。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに嬉しそうな顔になり、私を優しく見つめてくれる。
「今日だけでどれだけレシピが完成するんだ? 唐揚げとロールケーキとトルティーヤ! 全部旨そうだなぁ。ルナが作るものに間違いはないから、楽しみだ」
本当に嬉しそうなリュート様は、横抱きにしている私を抱えて少年のように目を輝かせています。
そんなに甘いものが好きなのでしたら、これから色々作りましょうね。
ベーキングパウダーみたいなものがあれば、ホットケーキもいいですし、リュート様と一緒なら、思いがけない素材が見つかる気がします。
「ですから、そろそろお弁当を作りませんか?」
「そうだな。手伝いしてもいい?」
もう、そういうお願いは本来私の方からするのではありませんか?
なのに……嬉しいことを言ってくださいますよね。
「一緒にいたいし……」
きゅううんってするじゃないですかーっ!
どうしてそう……そういうことを言うのでしょう!
ダメなんて言いません。
一緒にいたいのは同じですもの。
で、でも、その胸にぐっとくる一言のあとに、ダメかなって首を傾げてたずねるのはやめてくださいねっ!
本当に心臓に悪いです……
震えるか細い声で何とか返事をしたいのですが、顔の赤みが引かず、キッチンに立つ時間が遅くなってしまったのは言うまでもない。
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