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第二章
2-1 【農耕の加護】を持つ男ダレン
しおりを挟むノルドール王国の王都から船で三日かかる距離に、【呪われた島】は存在した。
意図的に隠し続けていたノルドール王国とは違い、近隣諸国でこの名を知らない者は居ない。
人々が忌み嫌う【龍爪花の門】が初めて降臨した場所である【呪われた島】は、この世界にもたらされる破滅の象徴であり、恐怖の対象だったのだ。
しかし、とても天気の良い日――という条件はあるが、その島を一望できる距離にイネアライ神国はあった。
豊穣の女神ヌパァク・パトゥが守護することで国を設立した、比較的新しい国である。
この世界に【龍爪花の門】が降臨した後、【呪われた島】に次いで被害が大きかった場所だ。
異界の魔物の呪詛により、長らく荒廃した死の大地となっていたが、豊穣の女神ヌパァク・パトゥと大地母神ネルメディの双子の女神により命を吹き返し、今ではどの国よりも豊かで肥沃な大地を有した大国になっていた。
大河を挟んで東に豊穣の女神ヌパァク・パトゥが守護するイネアライ神国。
西には大地母神ネルメディの守護するロアーベシュア皇国があり、互いに友好的で協力的な関係を築き上げている。
富国強兵とはよく言ったもので、肥沃な大地からもたらされる作物のおかげで、異界の魔物にも屈することの無い強い兵力を持ち、その名はノルドール王国にも届くほどであった。
そんな、イネアライ神国のはずれ、農作物を細々と育てている小さな村に、見たことも無い民族衣装を纏った旅人が訪れた。
旅慣れた人当たりの良い好青年と、その男を「先生」と呼ぶ少女。
そして、その二人の足元には喋る子犬がいたのである。
最初は村長の知り合いだとしても、見慣れない民族衣装を着た若い二人に村人は警戒していた。
しかし、同時に興味も覚えたのだ。
何の娯楽も無い小さな村に嫌気がさした若い者達は都市部へ流れ、村には彼らほど若い世代は残っていない。
突如、村に訪れた大きな変化。娯楽に飢えた彼らが興味を持たないはずがなかったのだ。
だが、どこにでも例外はある。
中肉中背、日に焼けた肌。刻まれた深い皺に険しい表情を浮かべた寡黙な男は、いつも穏やかな村長に質問を投げかけた。
「村長。あの若者たちに森の入り口を勧めたのか?」
低くて渋い声。厳つい容姿の彼は、この村にある広大な畑の大半を管理している【農耕の加護】を持つダレンだ。
子供の頃に異世界の魔物に襲われた彼は何ヶ月も生死の境を彷徨った。
辛うじて命を取り留めたのだが、体内に入ってしまった魔物の血が原因で右目を失うという不幸に見舞われてしまう。
それからというもの、異界の魔物に激しい憎しみを抱いていた彼に与えられた加護は、生産系の【農耕の加護】だ。
今となっては、それで良かったのだと四十も半ばになって、ようやく考えられるようになったダレンは強い憎しみを捨てた。
しかし、異界の魔物を危険視しているのは変わらない。
森の入り口がいかに危険か知っているため、彼は村長に意見をしに来たのである。
「あの場所であれば、村の者たちも文句はないはずだが?」
「そういう問題では無い。森の入り口など危険ではないか!」
「喜助先生にとって、異界の魔物は取るに足らない相手だから問題無い。それに、弟子の娘さんも、そこそこ戦えるらしい」
「あんな若い娘が……?」
信じられんと渋い顔をしていたダレンは、村長の家の窓から見える森の入り口へ視線をやった。
そこには、本来何も無かったはずだ。
鬱蒼とした森の入り口は薄暗くて危険なこともあり、誰も近づかなかった。
だが、そんな場所に、いつの間にか家が建っていたのだ。
屋根の無い真四角な形をしているが、子供の頃から一緒に悪戯をしていた友人がのぞき見たところ、内装はかなり立派であったと彼は聞いていた。
「あれほど短期間に家を建てられるとすれば、所有する『加護』は【建築の加護】だろう。生産者が戦闘もこなせるのか?」
「あの先生が連れて歩く方だ。普通ではあるまいよ」
「……あの男は何者だ」
「私の命の恩人だよ。私の三倍はあろうかという異界の魔物に襲われたとき、虫でも払うような仕草で仕留めた……とんでもない人だ」
ダレンにとって、それはにわかに信じられない言葉であった。
異界の魔物にも個体差はあるが、体躯の大きさは力の強さに直結する場合が多い。
よほど、何か特殊な『加護』を持たない限り、一方的に――しかも、一人で討伐することなどあり得ない話なのだ。
「つまり、森の入り口を勧めるほど、あの二人は強い『加護』を持っているということか?」
「まあ……そうなる。喜助先生は特殊な方だからな……。まあ、そういう経緯もあってだな。先生に頼まれては断れんのだ」
「ん? 何を頼まれたんだ?」
「何でも、農作物の育て方と土の作り方を教えて欲しいらしい。その代わり、この周辺の魔物を討伐すると共に、力仕事も請け負ってくれると……」
「有り難い話ではあるが……そこまでするようなことか?」
「変なところで律儀な人なんだよ。年老いた人間をこき使う人でも無いし、子供にも優しい」
懐かしむように目を細める村長の白い髭を見ながら、ダレンは首を傾げた。
目の前に居る村長が、四十年ほど村の外に出ていなかった事を思い出したからである。
(いつ出会ったんだ? あの青年……どう見ても二十代だろうに……)
爽やかな好青年といった風貌で、蛍石のような瞳をした青年と、少々危機感が薄い淡いストロベリーブロンドの少女。その二人に付き従う子犬。
おそらく、大都市にいたとしても目立つ容姿と服装。
謎しか無いと、ダレンは溜め息をつく。
「というわけで、頼んだぞ。ダレン」
「……は?」
「お前以外に適任者はおらんからな。しっかり、教えてやってくれ」
「拒否権は……」
「ない」
こうして、ダレンは森の入り口に住む男女を訪ねることになったのだが、事情を知った彼の妻レインまでもが着いてきたのには驚いた。
この村の女性達は二人に警戒するどころか、違う意味で興味を持ったらしい。
よくあるラブロマンス物の小説に照らし合わせ、「濡れ衣を着せられ追放された恋人同士」か「姫君と騎士の身分違いの恋をして駆け落ち」という二つの仮説を立て、日々観察しているのだ。
ダレンにしてみれば暢気な妄想だと思えることだが、彼女たちは大真面目に議論していて口を挟む余裕すら無かった。
「二人とも所作が綺麗なのよ。絶対に良いところの出だわ。どこかの姫と騎士の線が濃厚だと思うのよね。……あ! だから、こんな寂れた村に来たんだわ。ここなら、追っ手も来ないくらい田舎だもの!」
止めなければ何時までも喋り続ける妻に辟易しながら、ダレンは森の入り口へ続く道を歩く。
村から少し離れた場所にあるそこへ近づくにつれ、いつもとは違うことに夫婦は揃って気づいた。
魔物の気配が全くしないのだ。
それに、木々が良い感じに伐採され、伸び放題の草や邪魔だった岩も見当たらない。
森の入り口までの道が整えられ、とても歩きやすくなっていた。
「アナタ……なんだか……森までの道って、こんなに綺麗だったかしら……」
「いや……整備されたんだろうな。女性の方が、おそらく【建築の加護】を持っているようだから……」
「それでも、この短期間で出来ることかしら」
「わからん……わからんが……凄いな……」
普段は寡黙な夫が話をしてくれたことが嬉しかったのか、レインは森の些細な変化を見つけては指さして大げさに騒ぎ立てる。
いつもなら煩わしく感じる声も、何故かダレンの気持ちを高揚させた。
非現実的なことが目の前で起きている。
しかも、それがもたらす恩恵の大きさに、彼は感激していたのだ。
「ここだな……」
「変わった家よね……」
到着した場所に建てられていた家は、本当に四角であった。
それを幾つか連結させたような形になっているが、不便はなさそうだ。
扉を叩いて訪問を告げると、可愛らしい返事があった。
そして扉が開いたのは良いが……誰もいない。
「声はしたはずだが……」
「アナタ、足元、足元ですよ」
「は?」
妻に袖を引っ張られて我に返ったダレンは足元を見て固まる。
そこには、見たことの無い模様の子犬が上機嫌で出迎えてくれていたのだ。
「マスターはいま手が離せませんし、先生さんは森の中で魔物を討伐している最中なので、僕が要件をおうかがいさせていただきます!」
「え……あ……ああ……えっ!?」
「アナタ……この子、喋りますよ? 【建築の加護】では、こんなことも可能なんですか?」
「いや、無理だ。あり得ん」
「お豆さーん、先生、なんだってー?」
混乱しているダレンの耳に次いで飛び込んできたのは、若い女の声だ。
ガタガタという音と共に奥から出てきたのは、ストロベリーブロンドの少女――ユスティティアであった。
髪色だけは違うが、それ以外は全く変わっていない。
今まで作業をしていたのか、その手には、立派な金槌が握られている。
「違いますよマスター。村の方です」
「あ……す、すみません! 先生だと思ってお豆さんを向かわせてしまったから驚かれたでしょう? どうぞ、遠慮無く上がってください。すぐにお茶を出しますので! お豆さん、案内よろしくね!」
パタパタと忙しそうに中へ駆け込んでいく少女の後ろ姿を見送り、呆気に取られていた夫婦は豆太郎に促されて中へ入る。
片付けられ、真新しい木の香りのする応接室のような場所へ案内された二人は、黙ってソファーに座った。
座り心地の良いソファーに体を預け、二人はキョロキョロと辺りを見渡す。
(作業場は石造りか……応接室は木造なところにこだわりを感じるな。ソファーも質が良い。目の前のテーブルなんて、どこに歪みがあるというのか――シンプルだが、ここまで精巧な造りの家具は見たことが無い)
よほど実力のある、都会でも名の知れた建築士なのだろうかと考えてから、ダレンは首を傾げる。
(ん? 【建築の加護】は、家具も作れたのか? いや、『加護』の効果が無くても作れるが……これは、どう見ても『加護』があって初めて作れる品だろう)
押し黙ってしまったダレンとは違い、内装を褒め称えるレインと豆太郎は話が弾んでいるようで、考えをまとめたいのにうるさいな……と、ダレンは半眼で自分の妻を見つめた。
そうこうしている内に、トレイに人数分のお茶を淹れて戻ってきた家主であるユスティティアの後ろには、いつの間にか戻ってきたキスケが立っていた。
本来なら威圧されそうな体躯の持ち主だが、彼の柔和な表情と柔らかな空気感が人なつっこさを感じさせて警戒感を緩める。
「此方から出向く予定でしたが、ご足労いただいてしまったようで申し訳ございません。俺は、東大陸の外れにある島国からやってきた喜助という貿易商です。この子は、弟子のメル・キュール。その相棒で、豆太郎と言います」
「あ、いや、此方こそ急いで来てしまって申し訳無い。村長には、明日の昼頃来ると聞いていたんだが……その頃には、新しい作物を植える畑の作業が終わってしまうので、説明が難しいと思ってな……」
「そうでしたか。お気遣いいただいて、ありがとうございます。では、明日は早朝からお伺いした方が良さそうですね」
「ああ、そうしてくれると助かる」
明朗快活。そして、誰もが認める好青年。
そんな印象を受けたダレンは、黙って出されたお茶に口を付けた。
思いのほか緊張していたらしい彼は、一口飲んだお茶の味に驚く。
(旨い……かなり上質な茶ではないのか? 俺たちに出すような品では無いだろうに……いや、教えを請いに来た者の態度としては正解なのか? 都会の流儀は判らんな)
所作が綺麗だと言っていた妻の言葉を思い出したダレンは、確かにそうだと納得するしか無い。
目の前の二人は、目を奪われてしまうほどに優雅な仕草で同じお茶を飲んでいる。
それは、長年にわたって染みついた物なのだろう。
(間違いない……貴族だ。元は貴族の人たちだ)
それだけで警戒するには十分だというのに、二人から感じる空気がそれを邪魔した。
「どうして……畑の作り方なんて知りたいんだ?」
「あ、それなんですが……実は、私たちの畑の作物が全滅してしまって……その理由がわからずに困っていたんです」
「……どちらかに【農耕の加護】はあるか?」
「無いです!」
力強く言い放つユスティティアに、ダレンは今まで警戒していた自分が馬鹿だったと深い溜め息をつく。
本日何度目になるか判らない溜め息ではあったが、この溜め息が一番深く長い物であったことをダレン本人が誰よりも理解していた。
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