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第一章

1-12 とりあえず落ち着こう

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「落ち着いたかい?」

 柔らかく優しい声で語りかける男は間違いなく先日まで彼女の担任をしていた、グリューエン・キスケであった。
 ただ違うのは、怪しさが大爆発していた仮面を外し、教員用の黒いローブは着ていない。
 その代わりと言っては何だが、引き締まった体を覆う黒いアンダーシャツの上に着込んだ鎧が、彼を歴戦の勇者に見せていた。

 髪色は変わっていない。
 しかし、目の色は青ではなく、蛍石のような不可思議な色を宿している。
 角度によって色味が変わり、複数色持つ瞳は見たことが無いと、ユスティティアは鼻を啜りながら思った。
 印象的な目は優しげだが、吊り上がった眉には凜々しさを感じる。
 整いすぎた顔は現在、困惑の色に染まっていたが、彼女はお構いなしに観察を続けた。
 
(学園長は、先生の顔を隠しておきたかったのかな……これだけ整いすぎていたら、女生徒が騒いで大変だっただろうし……)

 それは一理あるだろう。
 しかし、それだけではないと、彼女はすぐに気づいた。
 仮面で隠していた顔には傷など無かったが、一点だけ「アレ?」と思う部分があったのだ。
 前髪に隠れた額から、焚き火の光が当たってキラキラ輝く物が見えたのである。
 よく見てみると、眉間の少し上にマーガレットの花びらを思わせるような細い結晶がはめ込まれていた。
 それは一つだけではなく、同じ形だが小さめの結晶が間隔を空け、左右に添えられていたのだ。

(額に……水晶?)

 民族性の物だろうかと首を傾げるユスティティアは、順々に視線を落として自分が知っていたはずの教師を、新たに覚えようとするかのように見つめていた。
 
 ローブを着ていない鍛え抜かれた体は、健康的に日焼けをしていて小麦色の肌をしている。
 その体を守るように覆うのは、角度によって青紫に輝く黒い結晶のような素材で作られたブレストプレート。
 ユスティティアの倍は確実にある、むき出しの太い腕を守る、指先が出ていて肘まであるガントレット。
 引き締まった下腹部には、ブレストプレートと同じ素材でできたタセット。
 足元も同じ素材で出来た頑丈そうなグリーブを装着している。
 そして、襟足だけ伸ばして紐で結んでいるため、それが尻尾のようだと生徒達から笑われていた髪と同じように揺れる、口元を覆い隠す漆黒のシングルスリーブショール。
 
 全体的にアサシンか忍びのような装備だという印象を受けるのは何故だろうかと、彼女は再び首を傾げた。

「あ……あの……そんなに見つめられると……困るんだけど?」
「私の知っているキスケ先生なのか確認しているんです! 別人みたいなんですもの……」
「それは、俺も同感だけどね……」

 ジッとユスティティアを見つめているキスケに、王太子に言われた言葉を思い出した彼女は顔色をサッと変える。
 
「ハッ……まさか、先生まで私のことを豚だとか言い出すんですかっ!?」
「……はい?」
「見てください! 私は太っていたわけでは無く、この胸のせいで着る物によって体型が太って見えただけなんです!」
「ちょ、ちょっと待って、落ち着い……うわっ!」

 いきなり勢いづいたユスティティアに押され、二人は勢いのままに後ろへ倒れてしまった。
 それでも必死にユスティティアを守ろうと、腕を伸ばして抱え込んだキスケは流石である。

「アイタタ……怪我はないかい?」
「先生も……私のことを……豚だって……」
「言って無いし思ってないから!」

 再び泣き出しそうなユスティティアの目元を、どこからともなく取り出したハンカチで拭う。
 その際に動こうとするのだが、彼の体の上には、彼女がシッカリとのしかかっている状態だ
 端から見れば、キスケがユスティティアに押し倒されているようにも見えかねない。
 とりあえず、彼女の誤解を解こうと、キスケは口を開いた。
 
「あの……ね、見事なスタイルだっていうのは知っていたって言うか……よく観察すれば判ることでしょ?」
「本当ですかっ!?」
「だ、だから、そう勢いよく動かないの! とりあえず、俺の上からどいてくれるとありがたいんだけど……スカートが短いから注意して動いてね」
「大丈夫です! この下にはホットパンツをはいているので!」
「女の子がスカートをめくって見せないの!」

 ペースを乱されて目を白黒させているキスケの上に何時までも乗っているのは申し訳無いと、ユスティティアは元気よく飛び退いた。
 そうなるのではないかと思い、一応目を閉じていた彼の対応に、これまで黙って二人を観察していた豆太郎が拍手する。
 豆太郎の方を一度見たキスケは、改めてユスティティアへ視線を向けて言う。
 
「あー……えーと……キミの『加護』って、【調教師の加護】だったっけ?」
「いいえ、私の『加護』は……【ゲームの加護】です」
「噂は本当だったのか。それで、何故こんな場所に? ここは、どういうところか知っているのかい?」
「えっと……話せば長くなるのですが……まずは、そのシャドームーングリズリーを処理していいですか? 腐敗が進むと困るので」
「あ、ああ。そうだね……それじゃあ、手伝うよ」
「いえ、大丈夫です。すぐに終わりますから」

 そう言って、ユスティティアはアイテムボックスから解体用ナイフを取り出して、シャドームーングリズリーの体に突き立てる。
 すると、シャドームーングリズリーの体と血の跡が、その場から綺麗に消えてしまった。
 続いて、ユスティティアのアイテムボックスには、肉と毛皮、爪と牙、骨――そして、魔石が入ってくる。
 最後の魔石は予想外だったので、彼女は驚いてアイテムボックスから魔石を取り出した。

「あれ? 魔石?」
「あ、ああ……それは、かなりの強さを持った異界の魔物を倒したからね。強さによって、魔石を持っているようだよ……って……えーと……うん? 解体……できたの?」
「はい、解体用ナイフで処理しました」
「……え、えーと? ちょっと待って……訳がわからない。キミの加護は【ゲームの加護】だよねっ!?」
「えーと……言うなれば、私の知っているゲームが、コレなんです」

 その説明で納得出来る人がいたら、それは全てを知っている神だけだ。
 圧倒的説明不足を感じ、このままでは埒があかないと判断したキスケは、頭痛のする頭を押さえて彼女にお願いする。
 
「とりあえず、最初から説明してくれるかい?」
「は、はい! えっと……じゃあ、あのテーブルに移動して、落ちついて話をしませんか? お茶は無くて、白湯しか出せませんが……」
「茶葉ならあるから、それを皆で飲もう。わんこくんもどうだい? さっき、喋ってたでしょ? 人の飲み物は飲めるかい?」
「はい! いただきます!」

 尻尾をぶんぶん振ってユスティティアやキスケの回りを駆け回る豆太郎は、何が嬉しいのか上機嫌である。
 いや、上機嫌にもなるだろう。
 二人で倒せなかった魔物を圧倒する力を持つ助っ人が登場したのだ。
 彼女たちの安全は確保されたような物である。
 彼以上に強い物が、そうはいないことを本能的に感じ取っていた豆太郎は、このキスケを心から歓迎したのだ。

「俺は、キミのマスターであるユスティティアさんの元担任で、グリューエン・キスケって言うんだけど、キミは?」
「ボクは、豆太郎って言います。『storm』というゲームのナビゲーターをしていますが、今は、【蒼星のレガリア】のナビ兼サポートをさせていただいております」
「え……えっと……判らない単語が多いな……」
「それも踏まえて今から説明しますね」
「頼むよ……」

 ユスティティアの笑顔を見ながら、明るくなった彼女に少しだけ驚き、彼の知る弱々しい彼女とは別人のような様子に驚きながらもついて行く。
 焚き火の近くに設置してあるテーブル席へ促されるまま座るキスケから茶葉を預かったユスティティアは、手早く準備してテーブルへ戻る。

「どうぞ」
「ありがとう」

 キスケから貰った茶葉で入れたお茶を二人と一匹で飲みつつ、これまでの話を事細かく説明していく。
 その際、宰相から貰った本を見せて説明していたが、奇妙なことに彼はそのアイテムを知っているような素振りを見せ、険しい顔つきをしていたことが印象的であった。
 島に到着するまでを話し終えた段階で、キスケが笑っているのに怒っていると判る表情をしており、ユスティティアはこの先の説明をして良いのかどうか、思案してしまう。

「あ、あの……先生?」
「とりあえず、ランドールくんを殴ってくるかな」
「いやいや、待って先生! その拳で殴ったら、相手は間違いなく即死しますから!」
「でも、本当にありえないよ! 大体、この島だって、ノルドール王国には所有権が無いんだよ!?」
「……はい? じゃあ……他の国……の?」
「あ、いや……元々はノルドール王国のものだったんだけど、500年前の【龍爪花の門リコリス・ゲート】騒動の時に所有権を放棄したんだ」
「所有権放棄?」
「この島は、世界で初めて【龍爪花の門リコリス・ゲート】が開いた場所だからね。その後も、幾度となく【龍爪花の門リコリス・ゲート】が開いて物騒だから、所有権を主張する国なんて存在しないよ」
「え――」

 知らなかった事実を知らされたユスティティアは、呆然と目の前に座るキスケを見つめる。
 一番被害が大きく、こちらの世界へ異界の魔物が大量にやって来る原因となった【龍爪花の門リコリス・ゲート】が開いた場所。
 それだけでも大事だというのに、その後も数回門が開いたという。
 つまり、それだけ強い魔物も、この島には存在するということだと理解したユスティティアは、目の前が真っ暗になるような絶望を覚えて言葉も出なかった。

 
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