上 下
1 / 13

プロローグ

しおりを挟む
じとりと肌にまとわりつくような天気だった。外は雨が激しく降っていて、先程から雷鳴が遠くに聞こえる。まだ昼間だと言うのに部屋の中は薄暗く、視界も朧気だ。

こんな日は昔からなにか良くないことが起こりそうで苦手だった。雨音がほかの音をかき消し、自分だけがここに取り残されたような気分になる。手元の本も明かりをつけてまで読む気にはなれず、サイドテーブルの上で閉じられたままになっている。








ふと、カタリと音がした気がした。音がした方を見ても何も変わりはない。きっと部屋の外にいた誰かが少し音を立てただけだろうと思い、さして気にはとめなかった。

しかし不思議なものだ。先程までこの世界に1人取り残された気分だと思っていたが、実際音がすると人がいると安心するよりも不気味に思ってしまう。やはりこの天気と薄暗さのせいなのだろうか。







それからどのくらい時間が経ったのか。10分、20分、もしかしたらもっと経っていたかもしれないし、5分も経っていなかったのかもしれない。部屋はどんよりとした暗さのままで私は無気力に、より激しくなる雨を眺めていた。

その時、とんとん、と扉を叩く音がした。誰だろう。侍女ならば私が返事をする前に手短に用件を言ってくるはずだ。家族ならば私が部屋にいるかどうかを尋ねてくる。それが我が家の日常だった。それなのに扉の向こう側の誰かはそれを言う気配がない。
普段であれば気にもしていない些細なことだが、嫌な予感がして私は返事をしなかった。
そうして返事をしないでいると、もう一度とんとん、と先程より強めの音がした。何故か心臓がドクリと嫌な音を立てる。

部屋にはいつも内側から鍵をかけている。一人の時間を邪魔されたくないという思いから、家族や侍女に多少反対されながらも、無理やり取り付けさせた。だからこそ、一向に名乗り出ない訪問者は無理やり開けることが出来ないのだろう。それが今ほど役に立ったことは無いと思うほど、不気味だった。





扉の向こう側にいるのは、侍女でも、家族でもない。それならば誰だと言うのだろう。返事をしてはいけない、音を立ててはいけない、扉を開けてはいけない。ここにいてはいけない、ここにいては危険だ。
そう、本能が告げてくる。しかし、底知れぬ恐怖と不気味さで震えて体が動かない。





そうしてもう一度、強く、ノックの音がした。





どうしてノックをしてくるのかは分からない。ノックをせずに扉を壊せばいいのに。混乱する頭の中でどこか冷静な部分がそう囁いた。

ここにとどまっていてはいけないことは理解している。逃げなければ。しかし外は雨。窓を開けるにしても音がしてしまうし、この雨の中では逃げ切れるかどうかも分からない。



じとりと背中に嫌な汗が走った。逃げ場がない。どうしたらいい。どうしたらいいのか考えなければ。逃げ場が、逃げ場はどこ、どこに行けばいい、隠れるだけでもいい、どこに。






叩きつけるようなノック音でビクリと身体が震える。そこでやっと少しだけ足を動かすことが出来た。


どこに隠れればいい?


必死に隠れ場所を探して部屋中を見渡す。
机の下。クローゼットの中。ベッドの下。



ああ、この部屋はなんて隠れる場所が少ないんだ。どこもすぐ見付かってしまう。

しかし多少の時間稼ぎにはなるだろう。時間を稼いで誰かが助けに来てくれるのを待つしかない。



本当に?待つしかない?
本当に助けは来るの?
こんなにもノックの音が激しく鳴り響いているのに、誰一人としてこの部屋に駆けつけてこない。どうして?もしかしたら、もう既にほかの人は……



不安な気持ちを首を振って断ち切る。まずは自分の身が優先だ。隠れなければ。

そうして震える体を叱咤してなんとか隠れた時、遂に扉は壊され、家族でも侍女でも護衛でもない誰かが部屋の中に入ってきたのだった。






「ヒヒヒ」


まず聞こえてきたのは不気味な笑い声だった。
次に聞こえてきたのは棚に飾られていた花瓶を壊す音。ガチャン!と大きな音がなり、身が竦む。


緊張で呼吸が浅くなる。しかしここで音を出しては元も子もない。見つかってしまっては私自身どうなるかわかったものではない。なんとか口を手で強く抑えて音を漏らさないようにより力を込める。


その間も不気味な侵入者は私の部屋のものを次々と漁り、壊していく。
サイドテーブルに乗せたままだった本も無惨に破られる音がした。その本は床に叩きつけられ、踏みつけにされたのが横目で見えた。




侵入者は私を探しているのかいないのか。はっきりとは分からないが、部屋を荒らす手に迷いはない。


一体なぜこんな目に。


震える体を力を込めることで押さえつけるが意味をなさず、がたがたと震え出す。

男がサイドテーブルを蹴飛ばし、クローゼットを開ける音がした。年季の入ったそれは、ギィィっと音を立てる。普段ならば日常の音の一つであるにも関わらず、今のこの状況では不気味で恐ろしいことこの上ない。ひとつずつ部屋を暴かれていく度に次は私の番だと思わされるようで気が気ではない。全身が汗だらけで心臓が早鐘を打っている。
侵入者はクローゼットを開け、服を切り裂きクローゼットの扉にナイフを何度も刺しているようだ。


刃物を持っていたのだ。刃物を持った男に見つかるなど、道はひとつしかないでは無いか。切り裂かれて死ぬなんて、そんなことは望んでいない。見つからないように気をつけなければ。



男に見つからないことを祈りつつ、必死で息を潜める。見つかってはいけない。見つかったら終わりだ。


そう考えると更に震えが増してしまった。カタカタととまらない。ふと、肘に何かが当たる気配がした。そんな些細な感覚にビクリと大袈裟に身体を震わせながらもそちらの方を見る。





そこにあったのは木剣だった。
小さいものだ。小さくて、子供のお遊びのような。
そうだ。この木剣は、私が隠しておいたものだ。どうして忘れていたんだろう。
その、小さな木剣を掴み、手元に引き寄せる。何も無かったさっきよりも、子供の遊び道具とはいえ、心強く感じた。


それをぎゅっと握りしめ、心を落ち着かせる。
自分の居場所がバレるのも時間の問題だ。クローゼットを探し終えたなら、ここを探す可能性もある。気を抜けない。もし見つかったとしても、この木剣で隙をついて逃げよう。何としても逃げるんだ。









いつの間にかクローゼットの扉を刺していた音は止み、再び侵入者の動く衣擦れだけが聞こえるようになる。大抵のものは見終えたのか、壊し尽くしたのか。うろうろと私の部屋を歩き回る男の足が布の隙間から見える。
何かを探しているかのようにこの部屋から出ていこうとはしない。




ふと、見えていた足が止まった。全身に緊張が走る。
足があるのは、私の目の前だ。
男が屈んだ。目の前の布に手が掛けられる。次第に視界が開けていくのが、とてもゆっくりに感じられた。




真っ白の布に覆われていた視界はやがて鮮明に目の前を映し出す。












目の前には、ニタリと嫌な笑みを浮かべた男がいた。


「みィつけたぁ」


男はその顔にうかべた笑みをさらに深くしてこちらに手をのばしてくる 。

私は─────
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうぞご勝手になさってくださいまし

志波 連
恋愛
政略結婚とはいえ12歳の時から婚約関係にあるローレンティア王国皇太子アマデウスと、ルルーシア・メリディアン侯爵令嬢の仲はいたって上手くいっていた。 辛い教育にもよく耐え、あまり学園にも通学できないルルーシアだったが、幼馴染で親友の侯爵令嬢アリア・ロックスの励まされながら、なんとか最終学年を迎えた。 やっと皇太子妃教育にも目途が立ち、学園に通えるようになったある日、婚約者であるアマデウス皇太子とフロレンシア伯爵家の次女であるサマンサが恋仲であるという噂を耳にする。 アリアに付き添ってもらい、学園の裏庭に向かったルルーシアは二人が仲よくベンチに腰掛け、肩を寄せ合って一冊の本を仲よく見ている姿を目撃する。 風が運んできた「じゃあ今夜、いつものところで」という二人の会話にショックを受けたルルーシアは、早退して父親に訴えた。 しかし元々が政略結婚であるため、婚約の取り消しはできないという言葉に絶望する。 ルルーシアの邸を訪れた皇太子はサマンサを側妃として迎えると告げた。 ショックを受けたルルーシアだったが、家のために耐えることを決意し、皇太子妃となることを受け入れる。 ルルーシアだけを愛しているが、友人であるサマンサを助けたいアマデウスと、アマデウスに愛されていないと思い込んでいるルルーシアは盛大にすれ違っていく。 果たして不器用な二人に幸せな未来は訪れるのだろうか…… 他サイトでも公開しています。 R15は保険です。 表紙は写真ACより転載しています。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...