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第三節 段々と冷えこむきせつ
第23話 冬のはじめ -その2-
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雪のため観光を少し早めに切り上げ旅館に着くと、気にならなかった疲労が意識の中心に昇ってきた。部屋に上がり二人して横になると、うっかりそのまま眠りに落ちそうになる。
「お風呂入ろうか」
明日香に起こされ慎太郎は部屋に併設されている露天風呂へ向かった。
当然、高い仕切りがあり夜景なんて見えない。夜空も月の光や星の瞬きはなり潜めている。だけど代わりに、はらはらと降り続く雪が視界を彩ってくれていた。
雪が降る程の寒さも露天風呂の魅力の前には微々たる障害でしかない。
急いで身体を洗うと駆け込む様に湯へと足を入れる。すると、寒気の中に居たせいか、湯は尋常ではない熱さに感じ、足首より上を入れる事が躊躇われた。立ち昇る柔らかな湯気を浴びながらも降雪の夜気がもたらす寒さは堪え難く、二人は自然と身を寄せ合う。そして息を合わせながら、ゆっくりと深く湯に沈んでゆく。湯は二人の全身に噛み付いたが身体を密着させた部分は互いに守られ、互いの体温に縋るようにして身体が湯に慣れるのを待った。
湯船はそれほど広くはなかったが、二人で浸かるには程好い広さだった。
落ち着いてきたのか「ふぁあ」と漏らすように明日香は大きく息を吐いた。
寒さで強張っていた互いの身体がほっと緩み、二人の間に隙間ができると、湯が割り込んでくる。だが、もう噛み付く程の元気は無いようで、湯は二人の身体を優しく温めた。
明日香がゆったりと背中を預けてきた。慎太郎はそんな彼女を正面から迎え入れる。
目の前には彼女のうなじがある。
そこには温まる彼女に合わせて、睡蓮が美しく紅く輝いていた。
慎太郎は内心戸惑った。
彼女の姉から明日香の傷が治るかもしれないと聞いた時、明日香にとって吉報である事は間違いないと思い、慎太郎自身も自然と喜べた。
しかし同時に負の感情も湧いてしまっていた。
明日香が手術を受けない意志を示していると知った時、その負の感情が薄れた事実を無視する事はできなかった。
慎太郎は明日香を愛していた。
今はもう睡蓮以上に明日香を愛している、と言える。
しかし、睡蓮への未練を捨てきれてない自分がいる――と、その一件で思い知らされた。
俺は睡蓮を抜きにしても明日香を愛せるのか……。
明日香はきっとそんな俺を想ってくれて……。
「……明日香」
慎太郎は腕を回し、そっと抱きしめた。
「俺……ナオヒトと同じなのかもしれない」
「……うん、知ってるよ」
明日香は慎太郎の腕をそっと掴んだ。しかし、離さぬかのような力強さも感じた。
「これからもよろしく、慎太郎」
彼女は知っている。それでも一緒にいたいと言ってくれる。
慎太郎は謝罪も言い訳もできず、
「……ありがとう」
としか言えなかった。
慎太郎は明日香に救われている。
〇
「きっかけは何だって良いんだよ」
一日の疲れを清算する睡魔の訪れを感じながら、布団の中で明日香が囁くようにそう呟いたのが聞こえた。
「嘘や勘違いだって、きっと本物になるんだよ」
慎太郎は何も言えなかった。
すると、明日香がそっと慎太郎の手を握ってきた。
華奢だがきめの細かい手から彼女の暖かさが伝わってくる。
「それくらいのことじゃ、慎太郎のこと嫌いになれないよ」
柔らかく優しい声だ。
しかし、その言葉は嫌な過去を想起させた。
今にも泣きだしてしまいそうな笑顔で同じ事を言われた、青く甘苦い記憶。
ユリ――。
自分の醜さと愚かさを痛い程に感じたあの別れのとき。
あの時から俺は変われたのだろうか――。
明日香の手を握り返しながら、慎太郎は自分にそう問いかけた。
暗い部屋に長い沈黙が流れてしまった。
そうして気付いた時には、明日香の胸は大きな呼吸と共に上下していた。
「お風呂入ろうか」
明日香に起こされ慎太郎は部屋に併設されている露天風呂へ向かった。
当然、高い仕切りがあり夜景なんて見えない。夜空も月の光や星の瞬きはなり潜めている。だけど代わりに、はらはらと降り続く雪が視界を彩ってくれていた。
雪が降る程の寒さも露天風呂の魅力の前には微々たる障害でしかない。
急いで身体を洗うと駆け込む様に湯へと足を入れる。すると、寒気の中に居たせいか、湯は尋常ではない熱さに感じ、足首より上を入れる事が躊躇われた。立ち昇る柔らかな湯気を浴びながらも降雪の夜気がもたらす寒さは堪え難く、二人は自然と身を寄せ合う。そして息を合わせながら、ゆっくりと深く湯に沈んでゆく。湯は二人の全身に噛み付いたが身体を密着させた部分は互いに守られ、互いの体温に縋るようにして身体が湯に慣れるのを待った。
湯船はそれほど広くはなかったが、二人で浸かるには程好い広さだった。
落ち着いてきたのか「ふぁあ」と漏らすように明日香は大きく息を吐いた。
寒さで強張っていた互いの身体がほっと緩み、二人の間に隙間ができると、湯が割り込んでくる。だが、もう噛み付く程の元気は無いようで、湯は二人の身体を優しく温めた。
明日香がゆったりと背中を預けてきた。慎太郎はそんな彼女を正面から迎え入れる。
目の前には彼女のうなじがある。
そこには温まる彼女に合わせて、睡蓮が美しく紅く輝いていた。
慎太郎は内心戸惑った。
彼女の姉から明日香の傷が治るかもしれないと聞いた時、明日香にとって吉報である事は間違いないと思い、慎太郎自身も自然と喜べた。
しかし同時に負の感情も湧いてしまっていた。
明日香が手術を受けない意志を示していると知った時、その負の感情が薄れた事実を無視する事はできなかった。
慎太郎は明日香を愛していた。
今はもう睡蓮以上に明日香を愛している、と言える。
しかし、睡蓮への未練を捨てきれてない自分がいる――と、その一件で思い知らされた。
俺は睡蓮を抜きにしても明日香を愛せるのか……。
明日香はきっとそんな俺を想ってくれて……。
「……明日香」
慎太郎は腕を回し、そっと抱きしめた。
「俺……ナオヒトと同じなのかもしれない」
「……うん、知ってるよ」
明日香は慎太郎の腕をそっと掴んだ。しかし、離さぬかのような力強さも感じた。
「これからもよろしく、慎太郎」
彼女は知っている。それでも一緒にいたいと言ってくれる。
慎太郎は謝罪も言い訳もできず、
「……ありがとう」
としか言えなかった。
慎太郎は明日香に救われている。
〇
「きっかけは何だって良いんだよ」
一日の疲れを清算する睡魔の訪れを感じながら、布団の中で明日香が囁くようにそう呟いたのが聞こえた。
「嘘や勘違いだって、きっと本物になるんだよ」
慎太郎は何も言えなかった。
すると、明日香がそっと慎太郎の手を握ってきた。
華奢だがきめの細かい手から彼女の暖かさが伝わってくる。
「それくらいのことじゃ、慎太郎のこと嫌いになれないよ」
柔らかく優しい声だ。
しかし、その言葉は嫌な過去を想起させた。
今にも泣きだしてしまいそうな笑顔で同じ事を言われた、青く甘苦い記憶。
ユリ――。
自分の醜さと愚かさを痛い程に感じたあの別れのとき。
あの時から俺は変われたのだろうか――。
明日香の手を握り返しながら、慎太郎は自分にそう問いかけた。
暗い部屋に長い沈黙が流れてしまった。
そうして気付いた時には、明日香の胸は大きな呼吸と共に上下していた。
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