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第二節 暑くなってきたきせつ
第14話 七月のはじめ頃
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梅雨が過ぎ、段々と太陽の刺激が強くなる季節。
池の睡蓮は美しく花弁を開き、以前よりも麗しげに陽の光を浴びている。
二人は交際してからしばらくはあの屋外テーブルを使っていた。
明日香は昼には一度、包帯と絆創膏を外したくなる。傷を空気に晒し、微少な解放感に喜びたいのだ。
交際したての頃は「彼の前では――」と抵抗があった。しかし彼が「俺に気を使う必要は全く無いから」と言ってくれた事で、明日香の中にあった抵抗も徐々にではあるが小さくなっていった。
傷に対して、負の感情を抱く様子が全く無い彼を、不可解に思わなくはない。
だけど、彼に対して、明日香は心から感謝していた。
これまで出会って来た人の多くは、傷を見てまず「嫌悪」した。そして何人かは「恐怖」し、良識のある人は「憐憫」の表情を浮かべた。情に厚い人やそうありたい人は「同情」の言葉をかけてくる。
しかし、それが真に「同情」の言葉になり得るはずがない。
明日香の出会ってきた人の誰の肌にも彼女と同じ様な傷は無いのだから。
ならばせめて、道に転がる石を見る様に無表情を向けてもらいたい。誰も自分の事を気に留めない――空気のような存在でいたい。そう願い、そう振る舞ってきた。
明日香は今幸せを感じている。交際して約一ヶ月、未だに彼には分からない部分も多いが、彼が自分を大切に思っていてくれる事は実感できるようになってきた。この幸せが不意に壊れてしまうかもと想像するだけで、胸が苦しくなる。
明日香は愛を知りはじめていた。
〇
慎太郎もまた日に日に彼女の存在が大きく――大切なものになっていく事を実感していた。
他愛のない会話の中で見える優しさ。時折垣間見える芯の強さ。普段の弱々しさ。ふとした時の幼げな明るさ。
そのどれもが慎太郎の日常を明るく彩ってくれている。
だが、それは同時に自分の中の、深くなる乖離する感情の溝に、常に目を向けなければいけなくなっている事でもあった。
心では、彼女と一緒にいたい、これからも同じ時間を過ごしていきたい、と思っている。
しかし、性的興奮、衝動は依然彼女の睡蓮に向いていた。
彼女の動きに合わせ、少しずつ姿を変える彼女の睡蓮は開花を待ちきれぬかのように生き生きとしている。風に揺れるだけの本物の睡蓮にはない、動物的な躍動感があり、舞い誘惑するかの如く慎太郎を常に魅了していた。
それは酷い裏切りではないのか、と感じる時がある。
いや、違う――。
彼女も彼女の睡蓮も彼女自身なのだから――。
――と自己弁護のための月並みな言葉も浮かぶ。
無論、事実ではあるし、慎太郎自身もそれを疑う事は無い――のだが。
だけど……。
と、心にできたしこりを慎太郎は解消できずにいた。
池の睡蓮は美しく花弁を開き、以前よりも麗しげに陽の光を浴びている。
二人は交際してからしばらくはあの屋外テーブルを使っていた。
明日香は昼には一度、包帯と絆創膏を外したくなる。傷を空気に晒し、微少な解放感に喜びたいのだ。
交際したての頃は「彼の前では――」と抵抗があった。しかし彼が「俺に気を使う必要は全く無いから」と言ってくれた事で、明日香の中にあった抵抗も徐々にではあるが小さくなっていった。
傷に対して、負の感情を抱く様子が全く無い彼を、不可解に思わなくはない。
だけど、彼に対して、明日香は心から感謝していた。
これまで出会って来た人の多くは、傷を見てまず「嫌悪」した。そして何人かは「恐怖」し、良識のある人は「憐憫」の表情を浮かべた。情に厚い人やそうありたい人は「同情」の言葉をかけてくる。
しかし、それが真に「同情」の言葉になり得るはずがない。
明日香の出会ってきた人の誰の肌にも彼女と同じ様な傷は無いのだから。
ならばせめて、道に転がる石を見る様に無表情を向けてもらいたい。誰も自分の事を気に留めない――空気のような存在でいたい。そう願い、そう振る舞ってきた。
明日香は今幸せを感じている。交際して約一ヶ月、未だに彼には分からない部分も多いが、彼が自分を大切に思っていてくれる事は実感できるようになってきた。この幸せが不意に壊れてしまうかもと想像するだけで、胸が苦しくなる。
明日香は愛を知りはじめていた。
〇
慎太郎もまた日に日に彼女の存在が大きく――大切なものになっていく事を実感していた。
他愛のない会話の中で見える優しさ。時折垣間見える芯の強さ。普段の弱々しさ。ふとした時の幼げな明るさ。
そのどれもが慎太郎の日常を明るく彩ってくれている。
だが、それは同時に自分の中の、深くなる乖離する感情の溝に、常に目を向けなければいけなくなっている事でもあった。
心では、彼女と一緒にいたい、これからも同じ時間を過ごしていきたい、と思っている。
しかし、性的興奮、衝動は依然彼女の睡蓮に向いていた。
彼女の動きに合わせ、少しずつ姿を変える彼女の睡蓮は開花を待ちきれぬかのように生き生きとしている。風に揺れるだけの本物の睡蓮にはない、動物的な躍動感があり、舞い誘惑するかの如く慎太郎を常に魅了していた。
それは酷い裏切りではないのか、と感じる時がある。
いや、違う――。
彼女も彼女の睡蓮も彼女自身なのだから――。
――と自己弁護のための月並みな言葉も浮かぶ。
無論、事実ではあるし、慎太郎自身もそれを疑う事は無い――のだが。
だけど……。
と、心にできたしこりを慎太郎は解消できずにいた。
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