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#11 【〝N〟にいた、驚異の耐寒能力者!!】(2019年16号)[2/2]

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『雪男』こと氷川兵助の人生最大の過酷な挑戦まで、あと5日。
 氷川一家は、トライアスロンが行われる北海道の最北端・宗谷そうや郡へ向かった。

 道中、雪が降りしきる真夜中の事だ。

「うおっ! ちょ、ちょっと停めてくれ!」

 雪男の突然の言葉に、妻の流花さんはブレーキを踏んだ。

「何? こんなところで車停めて、どうかしたの?」
「寒そうだ!」

 そう言うや否や、雪男氷川はパンツ一枚になり車を飛び出した。
 そして家族を車に残し、裸足でジョギングを始めたのだ。

「おお~、イイ感じだ! くう~! 寒いね~!」

 雪男氷川と並走する車内、そんな旦那さんについて妻・流花さんに尋ねみた。
 すると、流花さんは呆れた表情で、大きな溜息をついた。

「全く、イカれてるわ。あの人ったら、ホント寒さに目がないのよね。って、ちょっと! アンタ一体どこまで走るつもりよ! 早く車に乗ってちょうだい!」

 雪男氷川は笑顔で戻ってきた。

「悪い悪い。寒そうだったから、飛び出しちゃったよ!」

 雪男氷川もそうなのだが、奥さん、それに二人の子供にも変わったところはない。
 これが氷室一家の日常という事なのだろうか。

        〇


 途中、妻・流花さんのご実家で二泊したのち、三日かけて一家は目的地の宗谷郡へ到着。
 北海道最北端のこの地の気温はマイナス3度を切っている。
 しかし、彼の決意に揺らぐところは一切見られなかった。

「俺は、愛する妻や子供たちに、俺のすごい姿をしっかりと見てもらいたいんだ」

 力強く心境を語る雪男氷川。

 いよいよ前日に迫った、裸北海道トライアスロン。
 雪男氷川は最終調整に入る。

「冷てえ~なー、おい!」

 なんと、分厚い氷に覆われた湖の中に海水パンツ一枚で浸かり、呼吸を整え、潜り始めた。
 なんという命知らずだ。異能力の事についてはすでに日本異能界安全保障省から説明を受けているようだが、まだ疑いがあるという段階なだけで、もしかしたら異能者でない可能性だって十分にある事も伝わっているはずだ。

 しかし実は雪男氷川、以前、北海道近海の氷の下を深さ70mまで潜ったことがあるのだ。

 泳ぎ切った雪男氷川の健康状態を調べてみる。
 すると、北海道異能大学の教授は驚きの声を漏らす。

「彼の血圧と脈拍は、共に泳ぐ前とほとんど変わりありませんでした。こんなこと、耐寒能力者でも信じられません。彼の能力は相当高いものだと推測されます」

 この時点で氷川兵助は異能者(第一異能分類:特異体質・〈耐寒能力〉)とほぼ断定されていた。
 あとの詳しい検査は大学校舎の施設内で済ませる事ができる。

 しかし、雪男氷川の目的はそこではなかった。
 我々は、彼の挑戦に最後まで密着する事にした。

        〇

 ついに運命の日がやってきた。1人の男の挑戦。
 スタートの2時間前。雪男氷川はひとり車の中で、精神を集中させる。
 実は雪男氷川は、ある不安を抱えていた。

 昨日の午後のコース下見中の事だ。ランのコースを軽く走っていると――。

「痛てっ!」

 雪に足を滑らせて、左足を捻挫してしまったのだ。

「クソっ、こんな大事な時に!」

 テーピングを巻かれるなか、彼は何度もハプニングについて嘆いていた。
 そんななか迎える本番。はたして雪男氷川は、無事ゴールする事ができるのか。

        〇

 車から降り準備が整うと、測定者の合図で1人静かにスタート。
 氷が浮かぶ海に向けて、ほぼ全裸で飛び出した。

〈耐寒能力者〉とほぼ断定されたとはいえ、極限と呼ぶに相応しい、過酷なチャレンジ。
 もし途中で〈氣〉――〈生命子せいめいし〉が尽きてしまえば、当然、能力が維持できない可能性も出てくる。
 もしそうなれば、とにかく体を動かし続け、常に体温を上げておかなければならない。
 体を止めてしまえば、あるいは低体温症に陥り、死すら考えられる。
 左足のテーピングが痛々しい。
 競争相手も、伴走者もいない。たった1人だけの挑戦――裸トライアスロン。

        〇

 スタートしてから2時間が経過。
 雪男氷川は捻挫をものともせず、順調なペースで、スイムのほぼ半分の距離(2km)まで達していた。
「調子はどうですか?」という質問に、彼は力強く答えた。

「左足が少し重くなってきているが、全然問題ない! ゴールまで辿り着けるさ!」

 しかし3時間が経過。
 4kmのスイムを終え、海から上がった雪男氷川の体はフラついていた。だいぶ疲れてきたようだ。
 捻挫した左足は大丈夫なのか。妻・流花さんの顔にも心配の色が濃くなる。

 スタートから5時間。バイクが始まっておよそ2時間。
 雪男氷川のペースは急速に落ち、そして――。

 スタートから10時間。こぎ始めておよそ7時間で120kmをバイクで完走。
 残りは30kmのランだけとなる。
 しかし、朝から始めた挑戦もすでに、夕方を迎えている。

 そして、ランを開始して6時間、トライアスロンをスタートしてから16時間が経った。
 辺りは夜の闇に包まれ、寒さは一層に増した頃だ。
 残り5kmのところで、とうとう走る事ができなくなり、雪男氷川の足は止まってしまった。

 妻・流花さんの声が飛んだ。

「走って! じゃなきゃ危険よ! 動き続けなきゃ死んじゃうわ!」

 しかし雪男氷川の足は、走り出すとまたすぐに止まってしまった。
 妻・流花さんはスタッフに重い声で告げた。

「夫の体はもう限界だわ」

 万が一、〈耐寒能力者〉ではないと、立ち止まってしまえば即、低体温症で死んでしまうかもしれない。
 それに異能者であったとしても、ケガや疲労を考えれば、止めるのが正しい判断だ。
 妻・流花さんの声にスタッフが動こうとした――その時だった。

 娘・野々花ちゃんと息子・勝喜が、雪男氷川の元に駆け寄っていったのだ。

 心配した二人が父に声をかける。
 すると、ゴールへ向かい、子供たち一緒に雪男氷川は再び動き出した。

 その時のことを、雪男氷川はこう言った。

「俺は子供たちからエネルギーを貰い、勇気づけられた」

 こうして雪男氷川は、死と隣り合わせの裸北海道トライアスロンを17時間以上かけて見事完走した。

『エネルギーを貰った』
 異能に慣れ親しんだ我々・異能者が聞くと、どうしても異能的な話――エネルギーを譲渡する・分け与える異能など――を考えてしまうかもしれない。
 しかし、そんな我々だからこそ、限界を迎えようとしていた父を動かした子供たちのエネルギーについて、しっかりと考えていかなければないのかもしれない。
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