結果的には愛してる

栢野すばる

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 何度も、繰り返し悪い夢を見る。
 レイノルドの恋は、好きだった人の全部を壊してしまったからだ。


 ――僕はあなたが大好きだったんだ。
 レイノルドは国王オディロンに出会った日のことを思い出していた。
 たしか十四歳のころ……だっただろうか。
 初めて、親から独立した個人として、国王への目通りが許された日。
 ちっぽけでひ弱だったレイノルドは、壮健な美しい国王に恋をした。
 この国において、男色は禁忌である。
 だが、レイノルドは、ダメだった。
 気付けば、女になんの興味もない思春期を迎えていた。
 両親も、薄々気づいていたと思う。レイノルドが女を愛さない、特異な存在であることに。
 レイノルドの家系は、魔導師として『特異な存在』を生み出すために代を重ねた一族だ。
 その『特異な存在』は時々生まれ、皆共通して強い魔力を持っている。
 また、全員が『禁人の共有記憶』なる、『幻』のようなものを見ることが出来た。
 全員、示し合わせたように同じモノを見る。だが、魔導の研究者にも、そんな幻が見える原因は分からない。
 他にも不思議な点がある。
 『特異な存在』は、例外なく、全員男性なのだ。しかも、レイノルドと同じで、女性には一切興味を示さなかったと聞く。
 彼らは四十歳ほどで突如嫁を迎えると言いだし、子供を一人もうけて、そのまま眠るように息を引き取ったそうだ。
 曽祖父も、そうだったらしい。ずっと結婚を拒んでいたが、四十近くになって妻を迎え、一度だけ曽祖母を抱き、子をひとり残して亡くなった。それがレイノルドの祖父だ。
 『特異な存在』が、『何故そうなるのか』という理由は、未だに分からない。
 だが、『特異な存在』であるレイノルドは知っている。
 四十年を過ぎた『コピー』は、兵器としての能力が衰えていくため、自壊するようにプログラムされていることを。
 ただし、オリジナルの複製は絶やしてはならない。
 だから、これまで禁じられていた人間の雌との生殖を『許可される』のだ。
 ――だけど僕は、自分のイヴを作ってしまったから……。
 レイノルドの気弱で大人しい顔に、淡い翳りが宿る。
 コピーは一度だけ、恋した男を、イヴと同じ顔の女に変えられる。
 そして、イヴによく似た女、イヴと同じ身体の女を守るため、コピーのプログラムは書き換えられる。
 恋を叶えることだけが、コピーの命を延ばす唯一の方法なのだ。
 ――なんのために、こんな力が……? 好きな人の人生を壊さないと、長生きできないコピーって何なんだろう?
 恋を持て余したレイノルドは、『ドジで間抜けな自分』を利用して、好きな人を自分だけの女の子にした。
 そして、生まれたのは、自分と同じコピーだった。
 世界一可愛いのに、頭の半分は『共有記憶』に支配されてしまう、可哀相なコピー。
 ――ああ、あの子に名前をあげて、何になるんだろう。どうしてあの子が、僕と同じコピーになってしまったんだろう……オディールが知ったら、どんなに悲しむだろう……。これは、自分勝手だった僕への罰なんだろうか。
 足取りが重くなってきた。
 オディールは自分がどんな環境に置かれようと、開き直っていて強い。
 自分の身に起きていることだけが現実だと割りきり、錯乱することもなく女性化を受け入れ、赤ちゃんのことも可愛がっている。
 あんなに強くて聡明で、誰のことも許せる度量を持った人間から王冠を奪うなんて。
 レイノルドはなんという罪を犯したのだろう。
 ――でも、僕は、貴方が好きだった。
 だから、きっと、罰を受けたのだ……。
 やるせなさが、胸に満ちてくる。
 ――ああ、臭い、魔蟲のにおい、けっこうするな……。
 レイノルドはため息をつく。
 彼が歩いているのは、王都の外れの、古い遺跡群が残る森だ。
 王宮からは、普通に歩いて半月ほどかかるだろうか。
 もちろん、魔導師の転移術を用いても、一週間はかかる場所。
 だがレイノルドは、この森と、王都の自宅をずっと行き来していた。禁人のコピーにとっては遠くない。禁呪には、遠距離転移魔法がある。
 だから、レイノルドが魔蟲をひとり狩り続けていることには、魔導師の先輩は、誰も気付かなかった。
 ――えっと、今日孵化しちゃう卵は……っと……。
 レイノルドは赤と黒の渦巻きの瞳で、真っ暗な森を見回す。
 パキョ、メキョ、と、普段耳にしないような音が聞こえた。
 頭の中に、不思議な声が鳴り響く。
 『対象、発見しました。殲滅モードに移行します。コピー・レイノルドに、禁呪の使用を許可します』
 何も見えないはずの、塗りつぶされたような闇の中に、巨大な影が浮かび上がる。レイノルドの目は、その姿をしっかりとらえた。
 ――鹿を喰っている。
 レイノルドは、動揺一つ見せずに目を細める。
 かなり大きな個体。生まれたばかりなのに鹿を捕食できる強さがあるならば、人里に降りて虐殺を始めるのも時間の問題だ。
 ――見えた……。
 森のずっと奥の方に、おぞましい巨大な蜘蛛が見える。鉄の槍のような脚を振り上げ、二匹目の鹿を串刺しにして喰おうとしている。
 レイノルドはためらいもなく、その蜘蛛へ歩み寄った。
 十歩ほどの距離まで近づいたとき、蜘蛛……魔蟲がレイノルドの姿に気付く。
 胸が悪くなるような生臭さと共に、ぬらりと光る赤い目がレイノルドを見つめた。
 ぎぎ、ぎぎ、と、口に当たる部分から不気味な声が聞こえる。
「威嚇しても遅いんだよ」
 レイノルドの感情のない声は、魔蟲にも届いたようだった。
 予備動作もなく、魔蟲がひゅんと巨大な脚を振り上げる。
 自分を脅かす、不気味な闖入者を殺そうとしたのだろう。
 ――動き、遅いな。
 予想通りだ。魔蟲の子は、まだ『狩りの仕方』を学習していない。
 つまりはレイノルドにとっては……殺しやすい敵、ということだ。
 レイノルドの耳に『粉砕禁呪』の『起動音』が届く。
 禁呪の使用に際しては、呪文の詠唱も、道具の使用も必要ない。
 いちど魔導の『型』を肉体に刻んでしまえば、禁人の生命力を削って自由に行使できる。
 粉砕禁呪程度であれば、拍手をしたのと同じ程度の負荷しか掛からない。
 だが、禁呪の型を普通の人間が身体に刻み、同じように行使すれば、肉体を維持する生命力が枯渇して砂になって死ぬ。
 これは、禁人のための魔法だ。
 目の前にいる、禁呪以外の魔法を跳ね返し、殺しても死なない頑強な生命力を誇る魔蟲を狩るために作られた、魔法なのだ……。
 レイノルドは、振り下ろされる脚を、ほんの数歩動くだけで交わした。外套をかすめて、脚が地面に突き刺さる。
 魔蟲が、感情のない目でじっとレイノルドを見つめる。
 おそらくレイノルドの戦闘力を値踏みされているのだ。
 不揃いな牙をカチカチと鳴らし、魔蟲が『食い殺してやる』と語りかけてくる。
 しかし、残念ながら、レイノルドは餌ではない。魔蟲を狩るために作られた狩人だ。だから孵化した今日が、このおぞましい蟲の最期の日になる。
『禁呪の出力準備が完了しました』
 レイノルドの頭の中に、合図の声が響く。同時に、金属を激しく擦るような嫌な音が、身体の中に響き渡る。
 ――魔力の出力は中程度。狙撃位置は、主脚の第二関節部分。
 身体の中に響くキンキンした不快音が、どんどん強くなっていく。
 ――粉砕禁呪、出力。
 耐えがたいほどまでに高まった不快な音が、レイノルドの指示と同時に消えた。
「くきゃぎぎぎ……ぎギィ……」
 意味をなさぬ魔蟲の声と共に、レイノルドめがけて脚が、振り下ろされる。
 だが、その脚は、レイノルドを貫く前に、稲妻のように落ちてきた青い閃光で吹き飛んだ。
 ――第一打、目標を破壊。
 続いて、二発目の粉砕禁呪を『出力』する。地面から槍型に噴き上がった青い光が、そのまま傾いだ魔蟲の胴体を貫いた。
 不気味な噴出音と共に、魔蟲の身体からどす黒い液体が飛び散る。
 眉一つ動かさずに、レイノルドは掌を魔蟲の身体に向けた。
 目を焼かんばかりの青い光が、潰れかけた魔蟲の身体を包む。どうん、という鈍い音と共に、魔蟲の身体が砕け散った。
 武器である脚を落とし、硬い胴に罅を入れ、ゆっくり溜めた力で、身体全体を粉砕する。
 さらさらと砂になっていく魔蟲を見つめ、レイノルドは静かに呟いた。
「次の卵がかえるのは、来年……かぁ……凍結魔法も完全じゃないからな、監視を続けなきゃ」
 瞬きと同時に、レイノルドの目は、いつもの美しい緑色に戻っていた。
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