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執事の名前は“トリスタン”。

きちんとした姓があるのかもしれませんが、アステリアは名しか知らないので、普段は“トリー”の愛称で呼んでおりました。

切れ長の細い目に黒淵の丸いメガネをかけ、灰色の肩まで伸びた髪は後できゅっときつく結ばれていました。背筋はいつも真っ直ぐピンっと伸びていて、1つ1つの動作も綺麗で無駄がありません。
年齢も背丈も王子とほとんど同じくらいでしょう。

アステリアにとって王子以外で言葉を交わした相手はトリスタンが初めてでした。最初はその寡黙な姿から冷静沈着という言葉がピッタリな人だと思っていました。

まあ、人は見かけによらぬもの。

執事の本当の性格を知るのに時間はかからなかったのです。

『トリー、頭の中がお花畑なのは幸せな事よ?こんなややこしい作法、無縁だもの。』
「貴女様にとってもうこれは無縁ではないのですよ、“王太子妃”様。」
『王宮ってややこしいのね。何が作法よ、ご飯なんて美味しく食べるのが作法でしょ?』

アステリアは机の上で手に持っていた本をクルクル、クルクルと回し始めました。
 
「王宮での食事は味わうものではなく、見せるもの。そして“魅せる”ものなのです。」
『え?見せ?店?』
「……脳内花畑でも分かるように説明致します。」

仮にも王太子妃に対し、このようなハッキリとした悪態をつくのはトリスタンぐらいでしょう。アステリアが悪魔だと知っているからか、元々の性格なのかは分かりませんが、アステリアも執事の悪態にだいぶ慣れてきておりました。

「頭の中で想像してください。美しい部屋で美しい王子が美しい作法で料理を口に運んでいます。何を食べているか気になりませんか…?」
『ならないわ!悪魔は食事を必要としないもの。』
「……チッ。」
『え!?今、し、舌打ち…』
「どの国でも貴族は美しいものを好みます。美しい人が美しい作法で食べるものに魅了され、自分も欲しいと思うようになるのです。逆に美しさが欠けていれば人の心には留まりません。」
『ぅん?美しいかどうかで、そのご飯に価値が生まれるの?』
「お花畑にもご理解頂けたようで何よりです。食材や食器、あらゆる物に価値が生まれ、外交の場であれば尚更多くのお金が動き、欲しがる人が増えれば増えるほど国はより豊かになります。」
『なにそれ。なんだか見せ物じゃない。王室って大変ね。』
「そうです。そして王太子妃も王室の方です。」
『ん?』
「だから……」

トリスタンは先ほどからずっとクルクルと回る本を片手でバンっと止め、瞬きもせずアステリアをジッと見つめ笑顔で言いました。

「お勉強…しましょうね?」

トリスタンの圧に押されて、アステリアは刻々と頷きます。それなりに長く生きていたアステリアですが、人間の圧も悪魔に引けをとりません。

結局、アステリアは再び勉強をする事になったのですが、本を手に取ろうとしたアステリアに対し、何故か執事のトリスタンはその本をヒョイっと奪ってしまったのです。 

トリスタンの灰色の髪がさらりと揺れます。

「せっかくなら校外授業を致しましょう。」

聞き慣れない言葉にアステリアの首は大きく傾きました。


『校外、授業……?』







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