海のこと

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取り残されて、待っても来なかった。

それは自分が勝手に隠れたのが悪かったんだし、でも寂しかったのは事実で、持って帰った煙草を勝手に開けて吸ったりしてた。
あとは、プレゼントやら、煙草やら、どうしていいかわからないものを探して一日中バタバタしてた。
ただそれだけだ。

勝手に隠れて、勝手に一人になって、勝手に寂しがって、馬鹿みたいな一日だった。


「待ってたの?」


ふっと、また、彼の顔が、肩に乗り、両腕が、壊れ物の入った箱を持つように、あまり強く触れないように、そうっと包む。

「うん、あ、でも全然、別に。待ってたのは、ほんの少し」

まだ、声が震えてる。
どうしたんだ。困る。

「荷物もちゃんと、あんたの所に置いて、すぐ帰った。心配で今朝見に行っちゃったけど、別に」

「そうか」

「全然、なんでもない。平気」

「海、あのね。平気じゃない時は、我慢しないで」

柔らかい声が耳元で呟いた。


「え、だって本当に、全然平気」

全然平気だ。寂しかったけれど、俺は強くなったのだ。我慢などしていない。
それに今までだって、駄目な時は駄目だって、無理な時は無理だって言えば、この人はいつも聞いてくれたし。
今も、耐えられているから、俺は大丈夫なのだ。

「もう少し、ワガママ言っていいよ、僕には」

「ワガママ?」

少したじろいだ。
ワガママを言う理由がない。言った事もない。いつも親切にされて、言う必要もない。

「何て?」

ふふ、と彼は俺の肩口でちょっと笑う。

「ワガママの言い方も分からないかい」

「だって、何て」

「君はいつも『俺なんか』ばっかり言ってるから……」

からかうように、それから、優しい声。

「行かないで、って」

「え……」

「行かないでって、あの時は言えば良かったんだよ。隠れたりしないで」

「……」

「ね。言ってみて」

「……い……」

それがワガママなのかわからないけれど、促されて、恐る恐る、言われたままに、おそらく言った事などないだろう言葉を、オウム返しに繰り返す。

「……い……いかないで……」

まだ声が震えてる。

「メールもさ。行ってらっしゃいじゃなくて、『戻って来て』って言っていいんだ」

「……」

「今日だって、ここにいるから迎えに来てって、言ってくれれば、僕はダッシュで行くよ」

「……」

「言って」

「……迎えに、来て……」

どうしよう。声が震えて、どうにもできない。止まれ。

「帰りたくない、って言うのでもいいかなぁ」

「……か、帰る……」

「ちぇ」

引っかからん、とまた、耳元で笑う。

「ワガママは僕だな」

「ごめん」

「ウフフ、うん。わかってる」

それから、もう少し、腕の中の人に身体を近づける。

「僕も大概ワガママだから、君も、言えよ」

「……」

「何でも言えよ。僕に何でも言っていい。来いとか、来るなとか、行くなとか。泣いてもいいし、怒ったなら僕にはいくらでも当たっていいから。黙って隠れて、一人で寂しい思いしなくていい」

「……」

「君は僕の好きな人なんだから、行くなって言っていいんだよ。甘えても、ねだっても、ワガママ言っても、いいんだ。帰りたくないとか、迎えに来てって、いくらでも言っていいよ。わかる?」

「……」

「わかる」でも、「わからない」でも、「そんな事言えない」でもいいけど、声がずっと震えるから、返事が出来ない。

「ごめんな。待っててくれたのに」


もう一度、彼は謝って、俺の頬に唇を触れた。
冷たいけれど、寒くない雨がぱらぱらと落ちる中。

「もう君を置いて行ったりしない」

「……」



食べ物の入った手提げ袋がだらりと下がって、落としそうになる。

もう何も言えなかった。
 

届かない連絡を待って、待ち疲れて、待つ事も忘れるぐらいの年月。

誰も、どこにもいないのだろうと思い続けていたのに。
そう思って、一人でも生きていけるから平気だと思って来たのに。


電話に届いた沢山の着信。
どこにいるのかと送ってくるメール。


会いたかった、と
もう置いていかない、という、声の響き。



俺を、探してくれる人が、この世に、いた。

 
 
そんな事実に初めて気がついて、
驚き過ぎて、目がどんどん乾いていきそうなぐらい見張られて、その中にも雨粒が落ちて来る。


黙っているから、彼がまた頬を付けて「ごめんな」と呟く。

ほんのりと、トワレが香る。
マフラーを借りた時、パーカーを被せられた時、居眠りされた時、傘の中、いつも感じていた、優しい匂い。


俺も、探してた。
俺も、会いたかった。


梢からぱらぱらと降りかかる雨のように優しくて、温かい、
この感触、匂い、温度。


これを。


「本当はキスしたいけど、昨夜吐いたから何か悪くってさ」

クスクス笑いながら、頬擦りして来る。

「ウン……」

「また今度」

そうして微笑みながら、小さく声が、もう一度耳元でする。

「海」

互いの肩に顔を乗せる形になって、自分の所にも彼の耳元がある。

聞こえないぐらいの小さな声でも、今なら、きっと……

あの時、遠去かるテールランプに向かって呟いた名前を。
自分を探し続けてくれた人の名前を。

「レイ」

消え入るような音。
声がまだ、震えている。

震えているけど、やっと、言えた。


相手はくすぐったがって、またウフフと笑いながら、うん、と返事をする。

彼も小さく頷いて、相手の耳に、海、と囁いた。

もう一度、レイ、と呟く。



あの時言えなかった言葉が、呼べなかった名前が、やっと今届いた。

涙が出そうで、もう声も出なかったけれど、もう一度、レイ、と告げる。



見えないものでも、あるってわかった。
憶えていれば、悲しくはなかった。少しだけ強くなれたと、そう思った。

けれど、
感じていた寂しさの理由を理解した。


レイ。
本当は、呼びたかった。
行かないで欲しかった。
会いたかった。

いま、ここにある、この頬の温度。
煙草だけでも、香水だけでも足りない、あの家の、料理や、入浴剤や、シャンプーや、ご飯や……
色々の、安心する匂い。柔らかな、ほんものの彼の匂い。
名前を呼んでくれる、声。


雨が瞼に、唇に落ちて濡れる。
あたたかい雫が。
後から後から触れる。

ここにいる人。
今、ここにあって、さわれる人。
まだ、どこにも行ってしまわない人。


自分の事を、ずっと、探し続けて、見つけてくれた人。
会いたかったと言ってくれた人。


本当に、そんな人が、いたのだ。



欲しかったもの。
足りなかったもの。

会いたい人。
探してくれた人。



探してくれた人、じゃなく、

本当は、自分が探していた、のだろうか。


長い間。

ずっと。



色んな感情が一度に溢れて、
ああ、俺はやっぱり、全然強くなんかなってないな、と思った。
思いながら、その肩に顔を埋めていった。



プレゼントなんていらない。

他には、何も。





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