海のこと

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04 ー touch ー

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躊躇う声。

尖るように少し開いた唇のなかで、「r」を発音する舌の形が、ちらりとのぞいた。
彼の身体の中の赤い部分。
冷たい彼の、体温の高い部分が、僕のことを呼ぶ。
耳に心地よく響く声。

「……イ……」

海は、間近でずっと見つめられて、困ったように語尾が消える。

「呼んだ……」

「うん。聞こえた」

フフフ、と顔を覗き込む。
相変わらず、目を逸らす。

「……祖父って、お父さんのお父さん?」

「ああ、うん。そうだよ」

「会った事ある?」

「うん。何回かは」

「ふうん。似てる?」

「え?僕に?そうだな、……少しは似てるんじゃないかな」

「ふうん……」

海は何だか急に、小さな子供のように俯いてしまった。
家族の話は余計だっただろうか。
それから、呟いた。

「好きだった?」

「……」

ここに来て、彼の口から、誰かを好きかと問われる。
少しドキリとしながら答えた。

「……可愛がってもらったから、そうだな、好きだったよ」

「そうか」

ほっとしたように、またコーヒーカップを手に取る。

「そうしたら、イヤな名前じゃないんだな」

「うん。全然、大丈夫だよ」

「そうか……」

「あまり考え過ぎないで、好きなように呼んでいいんだ」

「ウン……」

カップの中を少し飲んで、ちょっと笑った。

「お前、からい」

「からい?」

「今日の料理の、からいの来た。何のためにコーヒー買ったんだよ。飲んでなかったのか」

「あ?……?ああ……」

急な不意撃ちにビックリする。
さっき、舌に触れた時の話に、いつの間にか戻った。
舌が少し重なって、僕が甘いと思ったように、彼も感じたのだ。
それで、ぺっ、ってしたのか。

「辛かったのか……」

顔が熱くなって、その口元をまともに見ていられない。


からい。

って、何だそれ。感想か。

ぺっ、とされたのは、一瞬、あんなことして酷く嫌われたかと思って、大きくへこんだ。
でも、ブツクサ言ってるけど、……怒ってはいないみたいだ……良かった……

「……うん……、ごめん……」

気の抜けた声で返す。

何それ。

近い。
顔でケンカ。
鳥の給餌。

お前はからい。

僕の、キスの感想。


そんなの、今まで誰からも貰ったことないよ……


「貸して」

青くなって赤くなって、もうどんな顔をしていいかわからない。

さっき、思い切り口を拭ったな。そのうえカフェオレで口直ししたな。
いっつもそういう奴だよ。ひどい奴だ。こいつめ。

彼の手元の猫の耳を取って、妖怪の類いを戒める枷のように、その小さなカチューシャを彼の髪にはめる。

「うう」

海は、首を竦めてその手を耐える。
ちょっと痛そうだけど我慢しなさい。

それから、その残り少ない液体のカップを彼の手から取り上げ、ひと口あおる。
言うほど熱くはないぞ?この猫舌め。

何が辛いだ。
カップを置いて、猫耳頭にごつんと頭突きする。

「辛くなくするから」

「は?」

「もう一回、いい?」

「うぇ……?……う……、ん……」

「目、閉じて」

「ん」

言われてぎゅっと閉じ、口はへの字に結ぶ。

少しきついカチューシャを押さえる手に手を重ね、冷たい頬を包む。海は目を閉じたままビクンとして、それでも耐える。

「……口は少し開けて」

「あ?」

言われるままに開けた唇の隙間から、再び赤い舌が見えた時。
僕はその息ごと奪い取るように、唇を重ねた。

「……ゥ……」

小さな喉声。

口の中。
ざらめの砂糖をまぶした苺の飴をまた見つけて、ねぶる。

カップの底に残った砂糖と蜂蜜の甘さは一段と濃く、溶けるように甘い。
けれども今僕も同じように、同じカフェオレを飲んだ。
これで辛くはないだろ。

どきどきと、口の中から耳に届くように、どちらのものかわからない心臓の音がガンガン鳴っている。

その黒い髪と、冷たい頬を両手で包んで、その鼓動の音と、甘さを確かめる。

「ン、ン、ン」

猫が喉で鳴いて、手足がぱたぱたと動く。

しばらくそのままで甘い舌を感じていると、口の中で彼の舌が小さく動いて、滑らかに絡まって来る。



“ レイ。"



呼んでいる。

誰にも聞こえない、
ここでしか分からない場所で、僕の名を。

何度も触れるその甘さに噛み付くように応えて、目を閉じる。


僕も真っ暗になって、闇の中、何も見えなくなろう。
木立の暗闇の中に紛れてしまうみたいに、このまま二人で、公園の夜の森に溶けてしまおうか。
互いの温度と、甘さを感じながら。
 
 
 
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