海のこと

03 ー slowly ー

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休暇は、初めは雨。
けれどすぐに上がって、外出にうってつけの天候が続いた。

俺はただ家にいて、大して持っていない衣類の洗濯と、作り付け以外殆ど物のない部屋の掃除をして、たまに公園に散歩をした。

食事は自由、というか適当だった。
パンとフルーツ。
バナナや苺なら、ナイフを使わなくても食べられるし、たまに来るメールにもがみがみ言われないと思った。
それでも「タンパク質が無いな」と文句が返ってくる。
「休みなのに」と書いて送ったら、「休みだからだ」と返って来た。

端末を操作しながら、小さくため息をついた。

休みなんだから、俺の食事の事などいちいち考えないで休めよ。
ひとに寄っかかって、あんなにグーグー寝てた癖に。


ぱたんとベッドに倒れる。


不思議だった。

屋上で、肩にもたれて、居眠りされた。
驚いて、逃げそうになった。


あの時感じた、
彼の匂い。
彼の家の匂い。

公園で巻いてもらったマフラー。
家の前まで戻って来てくれた夜。
優しい出来事に、いつも混ざっているその匂い。

あの変なウインドブレーカーを被せてもらった時も、その匂いに包まれて、一気に気が緩ゆるんだ。
しばらく離れていたから、懐かしい、なんて思った。

懐かしさ。
記憶に付随するもの。

そんな感覚、今まで知らなかった。


温かさに身体半分を乗っ取られたような重みが、まだこの肩に残っている気がする。

あの時間は、ほんの10分足らず。
体力も気力も有り余ってて、いつも他人の世話焼きに動き回ってるような人が、珍しく疲れていたようだった。
俺はただそのまま、動けないでいただけだった。

何もしなかった。

というか、「何もしないでいること」が、出来た。

彼はとても疲れていて、とてもよく眠っていた。


接触。

身体が触れる。
電車の中でもたまにぶつかる。

いつも、手をガッツリ握って来られたり、頭突きされたりする。
その度に、ワアってなってしまい、慣れようとした。
手のパーツや、額や、肩。

でも、この前みたいに、全身で寄り掛かって来られるのは、パーツよりも接触面が大きくてきつい。
温度、感触、圧力……

それでも、なんとか動かないでいられた。
起こさないであげることが、出来た。
俺が、あの人を、休ませてあげることが出来たんだ。


ベッドに倒れたまま、寝返りをうつ。
ここは自分の部屋。自分のベッド。
遠慮なく、いつでも眠れる。

あの屋上も、良い場所なんだ。
誰も来なくて、広くて、静かで、暖かくて、空だけで。
昼に休憩するには丁度いい。
いつも、タイマーをかけて、気が向いた時に、空を見ながら寝転がる。


でも、俺は、あそこでだって、誰か他に人がいたなら眠らない。
あんな風には、出来ない。

あの人はあんな風に、何も出来ない状態を晒して、他人に身体を預けて、今までやって来たんだろうか。
それは、誰の前でも出来るのだろうか。

それとも、……誰の前でも、ではなくて……


髪にぐしゃりと手を入れる。

分からない他人の事なんて、考えても仕方ないのに。
それは知ってるのに。

枕代わりのタオルに顔を埋めて、フー、と大きく息を吐く。


そのまま眠りに落ち、道に迷う夢を見た。

煙草の匂いを探して、歩いた。

会えたかどうかは、目覚めてもよく覚えていなかった。