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02 ー he ー
51-2
しおりを挟む「俺が、こんな、駄目だから……ごめんなさい……」
顔を覆って、ずるりと壁際に座り込む。
「ああ、海……別に、平気だから……立ってよ」
海は立ち上がれもせず、ただ後から後から、涙が止まらない。
班長はそんな風にされて困ってしまって、その隣に、一人分の隙間を空けて、腰を下ろす。
「大丈夫か?」
班長は、着ていたウインドブレーカーを、いつかの時のように頭から被せてやる。
海は一瞬びくりとしたが、大人しくその上着に包まれた。
走って来たと言っていた、少しこもった体温。煙草と、彼の匂い。
懐かしい匂い……。
「泣かないで」
声が温かくて、余計に泣けてくる。
「うっ……うん……」
「海」
「うん……」
「迷惑じゃない。言っただろう」
「……何……」
「好きだって。憶えてる?」
「……」
憶えてる。
忘れない。
忘れたくない。ただ一つの言葉。
そうだ。
最初から言ってくれていた。
君の事が、好きだ、と言ってくれていたこと。
言葉で。声で。温度で。感触で。
見えないものを、心を、沢山の形にして伝え続けてくれたこと。
全部。
ごちゃごちゃと、頭だけで悩んでいた事、全てが整っていく。
「……おぼえてる……」
「憶えてる?」
「うん……うん……、分かった」
「……分かった?」
「……うん。分かっ……た」
「好きだから、だからだよ。分かった?」
「ウン」
泣きながら、何度も頷いた。
好きだから。
好きだから、怖い。
やっと分かった。自分にも。
どうして彼がいつも優しく笑ってくれるのか。
どうして親切にあれこれ心配してくれるのか。
どうして今、すぐに戻って来てくれて、慰めてくれるのか。
どうして、傍に座って、好きだと言ってくれるのか。
自分が、何故それでこんなに涙が出るのか。
「……分かった……」
やっと、自分にも分かる。
ひとつの感情として、理解する。
涙が出ること。胸が痛くなること。
どうでもいいと、いつも思っていた、その奥底に。
憶えてもいない、気がついてもいないこういう気持ちが、自分の中に落ちていた事。
見えなかった、心のありか。その形。
見えなくても、確かに存在しているもの。
照らし続けてくれたから、見つけることが出来た。それを今、大事に抱きしめる。
忘れたくないものたちを。
……忘れたくない……。
「うん。分かってくれたら、それでいいから、泣かないで」
「ごめんなさい……」
「もういいから……」
班長はただ困って、困りながらも笑っていた。
何なんだ。どうなったんだ。
僕はやっぱり残念な奴だから、今のこの彼の気持ちと状況がよく把握できない。海はただただ、謝りながら泣いている。
でもやっと、気持ちが通じたみたいな気がする。
だって今日は僕の背中でじゃなく、僕の目の前で、君がこんなに泣いてる……
「もういいから。ほんと分かんないから、君は…。ちょっとホラ顔見せて」
「んん」
顔を上げる。
「触るよお」
少し近付いて、自分の着ていたパーカーの袖で、顔をゴシゴシ拭う。
力任せの摩擦が痛い。
彼の腕。彼の匂い。
「痛い」
「泣くからさ」
「やっぱり酔っ払いって、雑だ」
「黙れ」
へへ、と笑って、どん、と壁に背中をつけて座り込み、パーカーの袖伸びた、と愚痴る。
しばらくまた黙り込む時間。
隣の男の涙が落ち着くまで、静かに待っている。
距離を空けて二人、廊下に座り込んでる。
それだけの、けれど、温かい時間。
海は、そっと顔を上げる。
彼が隣にいる。
涙を拭いてくれたパーカーの袖口が、そこにある。
指先がふと動く。
あの時、プラネタリウムで、届かなかった手。
「……袖、……」
言い訳のように震える声で、
こわごわと、指先を、伸ばして……
やっと、そのパーカーの袖口に、そっとさわる。
「……袖、伸びたのか、……ごめん……」
細めのリブ編みの、綿ジャージの感触。
それから、その袖口から出ている、彼の小指の関節の上。
ほんの指先で、彷徨うように。一瞬。
さわれた。
ここに、
あった。
始めから、あったんだ。
いつも。
胸が一杯で、一度落ち着いた涙がまた溢れ出しそうになって、ぐっと下を向く。
班長はその指先に少し驚いて、それから、すぐ理解して、もう何度もそうして来たように、怯える手をぐっと掴み取り、強く強く握った。
「う」
びくりとして、引こうとする。でももう、離してくれない。
「冷たいね」
ハハッといたずらっぽく笑って、握り締めた手を揺らす。
「走って来たからさ、いま、めちゃくちゃあったかいだろ、手」
「……酔ってるからだろ……」
「まあ、それもあるねえ」
「……」
「握ってよ」
「……」
言われるままに、……躊躇いながら、初めて好きだと言われたあの時のように、掴まるみたいに握り返す。
確かにここにある、皮膚の感触、しっかりした厚み、
……温かさ。
泣きそうになりながら、どきどきしていた。
温かくて、力強くて、包んでくれる優しい手。
けれど、その彼の手も、自分と同じように、脈が速く、強く打っているのを感じている。
海は少し緊張しながら、その温度と感触にしばらく委ねていた。
温度と感触と、同じ鼓動に耳を澄ます。
あの時、好きだと告げられた時。
何もかも分からなくなって、手がくっ付いたように離れなかった。
やっと分かる。
こうしてずっと、ずっと握ってくれていれば、いつか温度が馴染み、自分の体温も、怖かった相手の感触も分からなくなること。
相手と同じになり、相手に溶け込んで、自分がここに融けて消えてゆく。
触れられた事で、触れられた自分の存在を確認してしまうのが嫌だった。
いなくていいと、消えてしまいたいと思い、その裏腹に、消えるのは怖いと思っていた事。
けれど、この人と同じものになって、この人の中にごちゃ混ぜになって、こうして自分が融けてゆくことは、怖くない。
それは、温かくて、心地よくて、安らぎに近いものであるということ。
だからこのままずっとこうしていればいい。離れてはいけない。離れなくていい。
離れなければ、怖くない。ずっとこうしていれば。
ずっと、こうして、この手に触れていれば。
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