海のこと

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逃げて来た帰り道。

沿道には、輝く街路樹。
季節のイルミネーションで輝く街の中を、ひっそりと影のように歩く。

どこかの神様の、なにか記念の日だという。
プレゼントを送りあって、家族と過ごす日。

リボンやベルが飾られた緑の木。
プレゼントの包みでディスプレーされた、ショップのショーウィンドウ。
集合住宅の窓にも、それぞれ、思い思いの飾り付けが施されていて、光るアイテムを置いたり、ステッカーを貼ったりしているのがわかる。

一年の終わりに良いプレゼントが届くようにと、迷信だけどささやかな目印。
楽しげで幸せそうな、温かい窓の明かり。カーテンに映る家族のシルエット。

立ち止まり、見上げると、窓辺には神様には全然関係ないような、子供に流行りのキャラクターまで置かれている。
あそこの子は、あれが欲しいんだろうな、と少し微笑む。
尞でも、この日の夕食にはいつも、何かお菓子が付いていて、いつも同室の子供に上げていた。
何だったかはよく覚えていないな。自分には関係のないものだし。


歩道のタイルの上にも、赤と緑の光が交互に、通り慣れた道をいつもとは違う装いで彩っている。
レーザー光線で描かれた星と雪のマークが、可愛らしく踊る。

かがんで手を置いてみると、光のイラストは手を通り過ぎて乱れ、そこにはただ冷たいタイルの感触しか無い。

形のない幻。
手の甲の上で再び星と雪は形作られて踊る。手を何度か振ってその形をまたぐちゃぐちゃに壊す。

このシーズンが終われば、こういう装置も撤去されて、これはただの白い路上のタイルに戻るのだろう。
何も無かったかのように消えるんだ。
さっき通った店のも、誰かの家の窓のも、全部、なくなるんだろ。
最初から無いのだから、当然だ。

タイルから手を離し、その場から離れ、また歩き出す。


公園を通り、いつもの点滅する街灯の下。
またここに逃げ込んで、ベンチの端っこに、力無くぺたんと腰掛ける。

白い息で見上げると、街灯は点滅を繰り返し、ふと消える。
辺りが静かに暗くなる。
行政でも、誰も来ないような場所の修理などは、後手後手にまわしているのだろう。
ふっとため息をついて見上げ、そのまま真っ暗な夜空を遠く見上げる。

暗闇に目が慣れて、小さな星が沢山見える。
手を伸ばす。
あれは幻ではなく、本当にある星だけれど、
やっぱり遠過ぎて手は届かない。

そこにあっても、見えていても、触れられないもの。

遥か遠く。
近づけない。
仕方ない、と自分に言い聞かせる。
手が届くものではないのだ。
俺などに。最初から。

真っ暗な中また俯いて、ポケットの中に突っ込んでいた手を出し、そっと広げる。

さっき、玄関先でほんの一瞬触れた指先が、まだ痺れるように重たい。


やっぱり、自分から手を伸ばす事は出来なかった。
怖くて。


あの部屋の、ソファの上でずっと茫然としていた。
どうしていいのか、どうしたらいいのか、分からなかった。

あれからずっと、考え続けて、怖れ続けて、また週末になって…
必死に、堪えて、着いて来て、あの部屋で…隣で…

傍に寄って、手を伸ばすのは、簡単な事のはずだ。
でもただそれだけの事が、出来ない。

重たく強ばる手。
隣にいるのに、遠い距離。


拒絶と恐怖。
簡単な事なのに。

ずっと心配してもらって、でもそれもつらくて、いたたまれなかった。

やっぱり、駄目だ。
俺は、駄目だ。
そっちには行かれない。
そんな事ばかり、ずっと思っていた。

自分は、あの人の親切に応えられない、それを受ける価値もない人間で
この世界のどこにも居場所は無くて

周りは全部夢のように自分を置いて通り過ぎて行く
そうやって毎日過ごしていて……

あのプラネタリウムで分かった。
全部、あれなのだ。俺の世界は。
目には見える。けれども、一生触れる事は出来ない。
何処にいても、誰といても。どんなに親切にしてもらっても。


そして俺はこうして、あの親切な人を跳ね除け続けて、距離を置いて、

これからもずっとそんな時間を過ごす。
……のか。



酷いな。何ていう無駄。


何ていう無意味な時間。


……あの人が、俺といる時間。
そんな事のために、かける時間。



どうやっても触れられないもの。
わからないもの。

心のありか。



神様がいるとかいないとか、いつかここで、そんな話をした。

いるとかいないとか。
いや、いないだろ。何処に居るんだ。
どうして、見えていないものを、恐れたり、信じたり、みんなするのだろう。
神様を信じられる人は、見えなくても、そこになくても、さわれなくても良いのだろうか。

在ると思うのだろうか。
在ると分かっているのだろうか。
それで良いのだろうか。

俺には分からない。
自分の中でしばらくの間ふわふわしていたものも、重力に押し潰されて何処かに消えた。
一体、何に揺さぶられていたんだろうな。
ありもしないものに。


きっと俺には、一生分からない。

分からないのなら、分からなくていい

分からないなら、無いのと一緒なのだから

俺の、人生だの、記憶だの、身内だの、知り合いだのも、無くてもやってこられた

それならばそれで、何にも触らず、関わり合わず、
そうやっていつかどこかで、
誰にも知られない所に消えて行くか、一生ひとりで、彷徨い続けるか。
それがいいんだ。そうわかった。

無くてもいいんだ 知らなくても
俺には、最初からそうなのだから。

どうせ人は最後には死んで、後には何も残らない。
全部そうやって通り過ぎるから。
人は生まれたら必ず死んで、いなくなるから


みんなそうだ
あの人もきっとそうだ
生まれて死んで、消えて行く

俺は……

触れられないままで、
わからないままで、いい。
全部。

一人のままで終わりたい。
それがきっといいんだ。
この手にはもうきっと何も掴めないまま。
それでいいと思ってたから。




なのに


どうして?

どうして、好きだなんて言った?


俺には分からないのに
いつかみんな消えるかも知れないのに
最後にはいなくなるのに



隣にいるのに、何処までも遠くて、届かない。
届かなくて、分からなくて、苦しい。



あの人といると
寂しい
苦しい
何も無いみたいに遠くて


ただそれだけだった
寂しくて、
苦しくて、
不安になって、
もう一緒にいたくないと思った


ずっとそう思っていて、離れた場所にいる人を、とうとう意識の外に追い出した。


これで一人だ。
ひとりでいい。
ここから逃げたい


この人から

逃げたい



苦しみたくない
これ以上


 
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