109 / 401
02 ー he ー
-
しおりを挟む一人。
海は、晴れた屋上で、フェンスにもたれて空を見上げていた。
青く乾いた、美しい空。
誰もいない、と辺りを確認してから、手足を投げ出して、ごろんと仰向けになってみた。
頭や腰がごつごつしたコンクリートの上では少し痛いけれど、コンクリート自体は陽に照らされて、背中が温かい。
寝転がって目を開ける。
それだけで、見えるもの全てが空だった。
建物も、人も、誰もいない。
ただ空しか見えない。
それはとても気持ちが良かった。
ヴェールのように霞む柔らかい空の色の中に、飛行機雲が真っ直ぐ伸びていく。
その飛行機雲の先に、白い月がうっすらと見えた。
空の中に落ちて行けそうな感覚に眩暈がして、目を閉じる。
目を閉じても、目の中まで、奥まで、綺麗な青空で一杯だ。
気持ち良くて、このまま眠ってしまわないように気をつけなければ、と、端末を取り出してアラームをセットする。
カメラのフォルダには、懐かしいような空の画像。
以前、写真を失くしかけて助けてもらった時、コピーを取っておけばと言われて、使った事のないカメラのツールを立ち上げ、紙焼きの写真を撮影してみた。
元の写真の色とは厳密には違うけれど、現物を取り出さなくても、こうして簡単に眺めることが出来る。失くす危険も減る。
言って貰って良かった。親切な班長、……友人。
ため息をつく。
来るなと言ったら、今日は来ないでくれた。
来なくていい…
今まで何もなかった自分の世界に、人が一人、来て、居座る。
傍に、隣に来る。
今まで遠ざけていて、遠くにいると思っていた人が、
時折来る厄介な豪雨みたいに、強く降り注いではまた遠ざかったりしていた人が、
当然のように傍に来て過ごそうとする。
近付いて来て、一緒にいて、話をして、共に行動しようとする。
「友人」が出来た、というのはこういうことか。
こういうのが、そうか。
職場や電車の中で、他人事として見ていた、ああいうコミュニケーションをするのか。
俺と、あの人が。
それは、難しくもあり、
人並みにそんな事をしようとする自分がそらぞらしくもあり…
その距離感が分からなくて、黙って話を聞いては、ただ頷いたり、何度もしたような話をして、その時間をやり過ごすしかなかった。
今までと一体何が、どう、違うのか。
確かに、友人として、と言ったのは自分だが、
それは単に、好きだと言われた言葉から逃げるためだった。
君を好きだと…
「君」って、誰の事だろう。
「好き」ってどういう感情だろう。
誰が? 人が? どうして? 何を?
きっとあの人には、自分の事が違う誰かに映っているのだろうと思う。
自分な訳は無い。
誰かの感情が自分に向く。
自分を見つける。
不安になる。
あの時、あの人が、もっと触れたいと言うので、そんなのは絶対に無理だと思った。
誰かの命令を断ったことは、多分ない。
物理的、能力的に不可能で無い限りは、聞いてきた。
寮でも…尞の事もあまり覚えていないけれど、
最初の頃はおそらく自分も何も分かっていなかったので、聞くしかなかったのだろう。
だからそれには慣れていたし、自分に何を断る権利があるとも思ってない。
でも、あの人には、何度か、言えた。
強引に押し通される事もあったけど、謝ってもくれる。俺などに。
いつも、俺の言う事を、待って、きちんと聞き取ろうとしてくれていた。
この人は親切で、…だからきっと大丈夫だと思いながら、混乱のままに頷いてしまった。
あの手に掴まっていないと立てなかった。
あの夜。
疲れ果て頭痛を抱えて眠りに落ちた。
どのくらい眠ったのか。
大した時間ではなかったかも知れない。
サイドテーブルの小さな振動で目が覚めた。
メールの着信。
呻きながら手を伸ばし、確認する。
班長…
初めて来た、業務連絡以外のメール。
けれど困惑して、ただしばらく見つめていた。
挨拶だけしか書かれていない。
「え…」
…用件は…?
ベッドの上、座り込んで、そのたった一行を見つめる。
案件でも、用事でも、問合せでも、通達でもない。
ただの、挨拶。
何のメールだ。
これ、どうしたら、いい…
困って、悩んだ挙句に、業務連絡みたいにそのまま返信した。
送信した直後に、これで良かったのかどうか、
何の用事でもないものに、どう返せば良かったのか、
そもそも返して良かったのか、返す必要があったのか…とずっと考えてしまって、眠れなかった。
こういう一つ一つが、分からなさ過ぎて、とても重たい。
これからこういう事を、毎日しなくてはならないのだろうか。
電車や職場のあの人達はみんな、こういう事にエネルギーを使っているんだろうか。
好きだとか言う人と…
目を閉じたまま、髪をぐしゃぐしゃ搔きまわす。
考えれば考えるほど、
やっぱり、こんなの…出来ない……。
やっぱり、断った方が良かったのかも知れない。
あの人には、嫌だ、と言えた。
言えたのだ。
断って良かったのに。
明日は、またここに来るのだろうか。
傍に来られて、明日も不安になるのだろうか。
友人として過ごすやり方も、好きという感情も、わからない。
分からなくて、落ち着かない。
怖くならないように、いつも通りにするしかない。
いつものようにしないと、自分を律していないと、きっといつか、圧し潰される。
髪に指を突っ込んだまま、小さく呻く。
アラームが鳴った。
ため息。
起き上がって、少し呼吸をして、エレベーターホールに向かう。
仕事に戻ればあの人がいる。
仕事して、帰って、眠ったら、また不安な、分からない明日が来る。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
俺と父さんの話
五味ほたる
BL
「あ、ぁ、っ……、っ……」
父さんの体液が染み付いたものを捨てるなんてもったいない。俺の一部にしたくて、ゴクンと飲み込んだ瞬間に射精した。
「はあっ……はー……は……」
手のひらの残滓をぼんやり見つめる。セックスしたい。セックスしたい。裸の父さんに触りたい。入れたい。ひとつになりたい。
■エロしかない話、トモとトモの話(https://www.alphapolis.co.jp/novel/828143553/192619023)のオメガバース派生。だいたい「父さん、父さん……っ」な感じです。前作を読んでなくても読めます。
■2022.04.16
全10話を収録したものがKindle Unlimited読み放題で配信中です!全部エロです。ボリュームあります。
攻め×攻め(樹生×トモ兄)、3P、鼻血、不倫プレイ、ananの例の企画の話などなど。
Amazonで「五味ほたる」で検索すると出てきます。
購入していただけたら、私が日高屋の野菜炒め定食(600円)を食べられます。レビュー、★評価など大変励みになります!
身体検査が恥ずかしすぎる
Sion ショタもの書きさん
BL
桜の咲く季節。4月となり、陽物男子中学校は盛大な入学式を行った。俺はクラスの振り分けも終わり、このまま何事もなく学校生活が始まるのだと思っていた。
しかし入学式の一週間後、この学校では新入生の身体検査を行う。内容はとてもじゃないけど言うことはできない。俺はその検査で、とんでもない目にあった。
※注意:エロです
首輪 〜性奴隷 律の調教〜
M
BL
※エロ、グロ、スカトロ、ショタ、モロ語、暴力的なセックス、たまに嘔吐など、かなりフェティッシュな内容です。
R18です。
ほとんどの話に男性同士の過激な性表現・暴力表現が含まれますのでご注意下さい。
孤児だった律は飯塚という資産家に拾われた。
幼い子供にしか興味を示さない飯塚は、律が美しい青年に成長するにつれて愛情を失い、性奴隷として調教し客に奉仕させて金儲けの道具として使い続ける。
それでも飯塚への一途な想いを捨てられずにいた律だったが、とうとう新しい飼い主に売り渡す日を告げられてしまう。
新しい飼い主として律の前に現れたのは、桐山という男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる