海のこと

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02 ー he ー

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一人。

海は、晴れた屋上で、フェンスにもたれて空を見上げていた。

青く乾いた、美しい空。

誰もいない、と辺りを確認してから、手足を投げ出して、ごろんと仰向けになってみた。

頭や腰がごつごつしたコンクリートの上では少し痛いけれど、コンクリート自体は陽に照らされて、背中が温かい。

寝転がって目を開ける。
それだけで、見えるもの全てが空だった。

建物も、人も、誰もいない。
ただ空しか見えない。
それはとても気持ちが良かった。

ヴェールのように霞む柔らかい空の色の中に、飛行機雲が真っ直ぐ伸びていく。
その飛行機雲の先に、白い月がうっすらと見えた。
空の中に落ちて行けそうな感覚に眩暈めまいがして、目を閉じる。

目を閉じても、目の中まで、奥まで、綺麗な青空で一杯だ。


気持ち良くて、このまま眠ってしまわないように気をつけなければ、と、端末を取り出してアラームをセットする。
カメラのフォルダには、懐かしいような空の画像。

以前、写真を失くしかけて助けてもらった時、コピーを取っておけばと言われて、使った事のないカメラのツールを立ち上げ、紙焼きの写真を撮影してみた。

元の写真の色とは厳密には違うけれど、現物を取り出さなくても、こうして簡単に眺めることが出来る。失くす危険も減る。
言って貰って良かった。親切な班長、……友人。

ため息をつく。


来るなと言ったら、今日は来ないでくれた。

来なくていい…


今まで何もなかった自分の世界に、人が一人、来て、居座る。
そばに、隣に来る。

今まで遠ざけていて、遠くにいると思っていた人が、
時折来る厄介な豪雨みたいに、強く降り注いではまた遠ざかったりしていた人が、
当然のように傍に来て過ごそうとする。

近付いて来て、一緒にいて、話をして、共に行動しようとする。

「友人」が出来た、というのはこういうことか。
こういうのが、そうか。

職場や電車の中で、他人事として見ていた、ああいうコミュニケーションをするのか。
俺と、あの人が。


それは、難しくもあり、
人並みにそんな事をしようとする自分がそらぞらしくもあり…

その距離感が分からなくて、黙って話を聞いては、ただ頷いたり、何度もしたような話をして、その時間をやり過ごすしかなかった。
今までと一体何が、どう、違うのか。



確かに、友人として、と言ったのは自分だが、
それは単に、好きだと言われた言葉から逃げるためだった。



君を好きだと…

 
 
「君」って、誰の事だろう。
「好き」ってどういう感情だろう。
誰が? 人が? どうして? 何を?

きっとあの人には、自分の事が違う誰かに映っているのだろうと思う。
自分な訳は無い。


誰かの感情が自分に向く。

自分を見つける。

不安になる。


あの時、あの人が、もっと触れたいと言うので、そんなのは絶対に無理だと思った。

誰かの命令を断ったことは、多分ない。
物理的、能力的に不可能で無い限りは、聞いてきた。
寮でも…尞の事もあまり覚えていないけれど、
最初の頃はおそらく自分も何も分かっていなかったので、聞くしかなかったのだろう。
だからそれには慣れていたし、自分に何を断る権利があるとも思ってない。

でも、あの人には、何度か、言えた。
強引に押し通される事もあったけど、謝ってもくれる。俺などに。

いつも、俺の言う事を、待って、きちんと聞き取ろうとしてくれていた。
この人は親切で、…だからきっと大丈夫だと思いながら、混乱のままに頷いてしまった。
あの手に掴まっていないと立てなかった。



あの夜。

疲れ果て頭痛を抱えて眠りに落ちた。

どのくらい眠ったのか。
大した時間ではなかったかも知れない。

サイドテーブルの小さな振動で目が覚めた。

メールの着信。

呻きながら手を伸ばし、確認する。
班長…


初めて来た、業務連絡以外のメール。

けれど困惑して、ただしばらく見つめていた。

挨拶だけしか書かれていない。

「え…」

…用件は…?


ベッドの上、座り込んで、そのたった一行を見つめる。

案件でも、用事でも、問合せでも、通達でもない。
ただの、挨拶。

何のメールだ。

これ、どうしたら、いい…


困って、悩んだ挙句に、業務連絡みたいにそのまま返信した。

送信した直後に、これで良かったのかどうか、
何の用事でもないものに、どう返せば良かったのか、
そもそも返して良かったのか、返す必要があったのか…とずっと考えてしまって、眠れなかった。


こういう一つ一つが、分からなさ過ぎて、とても重たい。

これからこういう事を、毎日しなくてはならないのだろうか。
電車や職場のあの人達はみんな、こういう事にエネルギーを使っているんだろうか。
好きだとか言う人と…


目を閉じたまま、髪をぐしゃぐしゃ搔きまわす。

考えれば考えるほど、

やっぱり、こんなの…出来ない……。



やっぱり、断った方が良かったのかも知れない。

あの人には、嫌だ、と言えた。
言えたのだ。

断って良かったのに。



明日は、またここに来るのだろうか。
傍に来られて、明日も不安になるのだろうか。

友人として過ごすやり方も、好きという感情も、わからない。
分からなくて、落ち着かない。


怖くならないように、いつも通りにするしかない。
いつものようにしないと、自分を律していないと、きっといつか、圧し潰される。

髪に指を突っ込んだまま、小さくうめく。



アラームが鳴った。
ため息。
起き上がって、少し呼吸をして、エレベーターホールに向かう。
仕事に戻ればあの人がいる。
仕事して、帰って、眠ったら、また不安な、分からない明日が来る。
 
 
 

 

 
 
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