アーヴァインの亜人奴隷

上総十河

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奴隷のオークとヘタレな相棒

第十一話 接吻

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 家の裏庭は、表通りの街頭からわずかにれる光と、雲一つない夜空で大地を見下ろす立待月たちまちづきの光で、ぼんやりと照らし出されている。ひんやりとした昼間の涼しさが、夜もけ一層冷え込み、さらに北方から流れる冷たい風が、俺の肌を突き抜けた。俺は寒さに身体からだを震わせながら、壁にもたれ掛かって座り込み、あらかじめ用意しておいた毛布をひざの上に掛ける。はぁっ、と息を吐くと、かすかな白いもやが俺の目前に広がり、やがて暗闇に溶け込む様に霧散むさんした。
 俺は毛布で暖を取りながら、瓶に入っている薄い林檎りんごしゅをちびちびと飲む。アルコールに強くない俺の身体からだは、少量の酒でものどの奥がほんのりと温かくなった。俺は風情ふぜいとか様式ようしきなどについてはよく分からないが、月を眺めながら酒を飲むのは、なかなかどうしておもむきがあると思った。
 林檎りんごしゅが半分ほど減り、次第にうつらうつらと頭が揺れ始める。このまままぶたを閉じて眠ってしまおうかと思ったその時、俺の頭上から聞き慣れた男の声が降りそそいだ。
「おいテッセン。そんなところで寝ると、風邪引くぞ」
 顔を上げると、赤いバンダナを巻いた黒髪の男が立っていた。片手には俺と同じ様に、林檎りんごしゅを持っている。
「ティクロ、デュビックはもう寝たのか?」
「あぁ、泣き疲れたのか、俺のベッドですやすや寝てるぜ。今日はちっとさみいな、俺も毛布持ってくればよかったぜ」
 ティクロは声を震わせながら、俺の隣に座り、暖をとる様に腕をてのひらこすった。普段からノースリーブのジャケット以外は上半身に何も着ていない男の台詞せりふではないと思ったが、今更だと出かかった言葉を飲み込む。ちなみに、今は七分丈しちぶたけの赤いワイシャツに、ノースリーブの黒いチョッキを着ている。ティクロは基本的にノースリーブのものを好むが、チョッキは珍しいと思った。
「毛布入れてやる。少し寄れ」
 俺は毛布のはしつかんで持ち上げ、ティクロに向けてみせる。俺とティクロの間には、少しすきが空いていた。
「えっ、いや……遠慮しとく。そこまで我慢できないわけじゃねぇし、それにほら、俺はーー」
彼辺此辺つべこべ言うな。お前こそ、風邪を引いたらどうする」
 ティクロの言葉をさえぎり、俺はティクロの肩に腕を回し、問答無用で引き寄せた。そして、毛布の余った部分を彼のひざに掛ける。すると、彼の顔は真っ赤に染まり、身体からだが石化したかの様に固まってしまった。彼が俺から少し離れて座ったり、毛布を遠慮したりする理由は分かっている。しかし、俺はえて、彼の気遣いを無視した。裏庭を吹き抜ける冷たい風により、だんだんと気温が下がるのに対し、毛布の中は俺達の体温が混じり合い、俺達の脚を優しく包み込む。まるで、ティクロと一つに溶け合っているかの様だ。
 しばしの沈黙が訪れる。このまま二人で無言のまま月を眺めているのも、それはそれでいいと思ったが、俺は意を決して話しかけた。
「ティクロ、うちの弟がすまなかった。デュビックに代わり、謝罪する」
「あ、あぁ、別にいいって。けどまぁ、せっかく仲良くなったのに、明日から気まずい雰囲気にならねぇか、それだけが心配だな」
 ティクロは身体からだを硬直させたまま、うれいをびた声で吐露とろする。特に、ティクロとデュビックは甘味好き仲間であるため、その思いは一入ひとしおだろう。
 デュビックはティクロの胸の中で一頻ひとしきり泣いたあと、「せめて今夜だけでも一緒にベッドで寝たい」とティクロに懇願こんがんしたのだ。甘えてくるデュビックに、どうしたものかとティクロが俺に目を向けてきたが、ここでさらに突き放すのは流石さすが躊躇ためらわれた俺は「行ってやれ」と告げた。そんな俺の言葉を受けたティクロは「デュビックが寝付くまでの間だけ」という条件で受け入れ、デュビックの手を取り、エスコートするかの様に、デュビックの部屋へと連れていったのだった。
「まぁ、すぐには難しいとは思うが、いつかまたデュビックと一緒に遊んでやってくれ。デュビックはお前のことが大好きなのだからな」
「あぁ、言われなくても、そのつもりだ」
 ティクロは俺と向き合い、胸を張って答える。迷いのないその表情に、俺は「もう大丈夫だろう」と安心して肩の力を抜いた。
 
 最初は毛布の中で身体からだ強張こわばらせていたティクロも、俺と少し話をしたことにより、だいぶ緊張がほぐれた様だ。そのため、俺はいよいよ、本題へと話を進めることにした。
「ティクロ。今後の俺達のことについて、話がある」
 俺はこれから、ティクロに残酷ざんこくなことをしようとしているという自覚はある。だが、今までずっと悩みに悩んできた俺の気持ちの正体に、ようやく気付いたーー気付いてしまったのだ。それに、このままだと、やがて彼が俺の元から離れていってしまう様な気がする。こうなったらもう、俺は覚悟を決めるしかない。俺達は特に裏庭で落ち合う約束をしていたわけではなかったのだが、せっかくこうして二人きりになることができたのだ。今夜は彼と徹底的に話し合おうと決意した。
「……あぁ、分かっている」
 俺の言葉に、ティクロも覚悟を決めた様に頷いた。おそらく、彼もその話・・・をするために、デュビックを寝かし付けてから俺の元にやって来たのだろう。俺は事前に話す内容を頭の中でシミュレートしていた通り、とりあえず現状確認から始めることにした。
「まずは、そうだな。ティクロは俺のことを、恋愛対象として見ている。だが、お前は俺にそのことを隠し、北西の奴隷どれい商館しょうかんでピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬おうせを重ねている。ここまでで異論はないな」
 ティクロに好かれているということを本人の前で言うのは、自意識過剰の様で正直恥ずかしいが、俺は努めて冷静に言葉を並べる。それに、ピピンとの逢瀬おうせの件については、他でもない俺自身が目撃者であるため、ティクロは言いのがれができない。彼は表情の読めない顔で、黙って頷いた。
「次に、リリアの件についてだが。リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補という話を聞いたのだが、それは本当か?」
 奴隷どれいは結婚できないので、正確には嫁ではなく交尾相手であるのだが、俺の幸せを第一に考えているティクロからしてみれば、意味合いは嫁に近いだろう。
 俺の質問に、彼はわざとらしく、目をぱちくりさせた。
「あれ、伝えてなかったか? そういえば、リリアに言った記憶はあるが、テッセンに言ったかどうかまでは覚えてねぇな」
 この反応は果たして、空惚とぼけているのか、それとも素で忘れていただけなのかーーそれを確認するためにも、俺は次の質問をぶつけてみる。
「ちなみに、リリアは正直、俺の好みのタイプど真ん中だったわけだが。これはおそらく、オルバーがからんでいるな?」
 あちゃーっ、と頭をきながら、気まずそうに視線をらすティクロ。そんな彼の反応から察するに、お見合いの話を俺だけにしなかったのがわざとであることは、ほぼ確定とみていいだろう。俺の心の奥底からふつふつと怒りが湧き上がるが、今は彼の話を聞くことに集中する。
「それもバレてたか……まぁ、そりゃそうだよな。そうだ、俺がオルバーに依頼したんだよ。俺が旅に出ている間、テッセンの好みのタイプを聞いておいてくれってな。この手の話は、俺よりオルバーの方がテッセンも話しやすいだろうし、それに……いや、なんでもねぇ」
 ティクロは言葉をにごしたが、言いたいことは何となく分かる気がする。要するに、「俺がティクロの目の前で、好みの女の話をする」というシチュエーションに、耐えられないと思ったのだろう。俺は恋愛経験にとぼしいが、好きな人から自分以外の好きな人の話をされる絶望感とやらは、理解できなくもない。だから、他の誰かに頼む必要があったのだ。少しでも自分が傷付かない様に、そして、傷付いた顔を俺に見せてさとられない様に。
「と、とにかく。オルバーに調査してもらったはいいんだが、その情報をいつ利用しようかと悩んでいてな、ずっとタイミングをうかがってたんだ。そしたら、テッセン。お前に『料理を習いたい』と相談されてな。その時に、どうせなら好みの女に教わった方が、やる気が出るんじゃねぇかと思ったんだ。ついでに、その女とティクロが結ばれれば、一石二鳥だしな。というわけで、料理上手でテッセン好みの女を冒険者ギルドとか奴隷どれい商館しょうかんで探し回って、そして北東の奴隷どれい商館しょうかんで見つけたのがリリアというわけだ」
 これは俺の推測だが、ティクロがリリアを選んだ理由は、それだけではないはずだ。今でこそ俺は仲間や冒険者ギルドの人間達に認められているが、元々俺は人間にも亜人にも嫌われているオークである。オルバーいわく、最近の俺は冒険者の女達には多少人気があるそうだが、ティクロは俺達がほぼ活動していない北東の、しかも外界の情報にうといであろう奴隷どれい商館しょうかんに住んでいるせい奴隷どれいから、わざわざリリアを選んだのだ。普通に考えれば、おかしな話である。実際、リリアは俺どころか、ダイヤモンドランクの冒険者で有名なティクロのことすら知らなかった様だ。
 リリアはレンタルされて間もない頃、オークとの子作りに気乗りしなかったと言っていた。さらに、実際に接してみて、それでも合わないと思ったら拒否していいとティクロに言われていた。そんな条件の中、果たして俺のことを好きになってくれるのだろうか。そして、俺の子供を産んでくれるのだろうか。これは俺の自惚うぬぼれかもしれないが、いくら俺の好みのタイプと言えど、俺を傷付ける様な女をティクロが連れてくるとは思えないのだ。
 つまり、ティクロはリリアの性格を見越した上で、彼女をレンタルしたのだろう。レンタルするだけであれば奴隷どれいの意志など関係ないが、それでもティクロは俺の伴侶はんりょとなるのに相応ふさわしい人物であるかを吟味ぎんみした上で、リリアを俺の嫁候補として選んだに違いない。そうでなければ、最初から好感度が高いわけでもない女が、わずか二週間でオークの俺を好きになってくれるはずがないのだ。
 そもそも、ティクロの周りには亜人に優しい人間が集まることが多い。それが偶然なのか必然なのかは分からないが、自然と寄ってくるのだ。リリアは亜人だが、オークである俺にも優しい。そんな彼女が、ティクロに引き寄せられたのかもしれないーー
(ティクロが俺のことを考えて、やってくれたのは分かる。だがーー)
 それでも俺は、今回のティクロの行動が気に入らない。ティクロは俺の預かり知らぬところで勝手に話を進めてしまうきらいがあるが、親父やデュビックの件はただのサプライズで済んだものの、今回のお見合いに関しては流石さすがに見過ごすわけにはいかない。ティクロにとっては良かれと思ってやったことでも、俺がそれで喜ぶとは限らないのだ。
 俺が盛大に吐いた溜め息は、白いきりとなって俺の目の前を染め上げた。息を長く吐くと自律神経が整えられるとティクロに教えてもらったことがあるが、俺の神経はそれほどまでに乱れていた様である。吐き終わった頃には、幾分気持ちが落ち着いた。だがーー
「それで、一ヶ月ほどレンタルして、二人の様子を見てみようと思ったのだが……どうした、リリアとの間に、何か問題があったのか?」
「いや、リリアはよくやってくれているとは思うが……そうではない」
 俺の溜め息を盛大に勘違いしたティクロに対し、俺の心の奥底から再び怒りが沸々ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。それは、リリアに真実を告げられた時に感じていた、ティクロとオルバーに対しての激しい怒りに似ている。
「俺は、お前に女をてがわれたということが気に入らない。そして、お見合いを兼ねていることを俺に黙っていたことも気に入らない」
 努めて冷静に言ったつもりだったのだが、つい言葉に怒気を含ませてしまう。そんな俺の様子を見たティクロは、困った様に頭をいた。
「そ、そうだよな。お前だって、付き合う女は自分で選びたいよなーー」
「だから、そうではないと言っている!」
 なおも勘違いするティクロに、俺はとうとう我慢できず、思わず怒鳴ってしまった。吐き出される白い息が、乱れる様に飛び交う。ティクロが目を丸くし、困惑した様な表情で、俺の顔をじっと見てくる。しかし、今回ばかりは引くわけにはいかない。俺はそのままの勢いで、思いのたけを彼にぶつけた。
「ティクロ、お前は俺のことが好きなクセに、俺を女とくっつけて、自分は諦めようとするーーその行為が気に入らないのだ!」
 
「……………………は?」
 まるで時間が止まったかの様に、ティクロは目を大きく見開いたまま、固まってしまった。たっぷり時間をかけて、かろうじて口の中かられた一言が白い息となり、すぐに霧となって消える。
 俺の言葉が理解できないのか、それとも理解することをこばんでいるのか、ティクロは思考停止したかの様に、ただ呆然と俺の顔を見つめている。だが、このままでは話が進まないので、俺は彼に分からせる様に、さらに言葉を浴びせた。
「ティクロ、お前は俺への想いを断ち切るために、俺にリリアをてがったのだろう。だが、俺がリリアと結ばれて子作りしているのを横目に、お前はこれからもずっと北西の奴隷どれい商館しょうかんでピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬おうせを重ねるつもりなのか? お前はそれで本当に幸せなのか?」
 ティクロがデュビックのひとがりな幸せを拒絶きょぜつした様に、俺もティクロの一方的な善意という名のお節介を受け入れることはできない。書類上は奴隷どれいという立場の俺が何を贅沢ぜいたく言っているのだと思われるかもしれないが、それでも彼の幸せを犠牲ぎせいにしてまで、俺だけが幸せになりたいとは思えない。彼と出会った当初は、幸せを得るために『相棒』という立場を利用するつもりだったが、あれから二年以上経った今となってはもう、損得そんとく勘定かんじょう抜きで大切な存在となってしまった。俺だけではなく、彼ーーティクロも幸せにならなければ、意味がないのだ。
 だんだんとヒートアップしていく俺の言葉に、ティクロは目に見えて動揺している。普段あまり感情的になることがない俺の激情的な姿に、目が離せない様だ。そんな彼に、俺は羞恥しゅうちしんをかなぐり捨て、叫ぶ様に言葉を叩き付けた。
「お前は、俺と恋人同士になりたいと思わないのか? 俺と愛し合いたいと思わないのか!?」
「い、いやいや、テッセン。お前は一体、何を言っているんだ。まぁ、確かにテッセンと付き合えたら、幸せだとは思うけどな。だがな、男好きでもねぇお前が、俺に性的な目で見られるなんざ、普通に考えて気持ちわりいと思うだろ? いいか、よく聞け。お前と初めて会って握手をした時、俺はお前の手の感触に興奮してたんだぞ。一緒のベッドに寝て抱き締められた時なんか、興奮のあまり勃起ぼっきしてたしな。それに、俺達がまだ宿屋で寝泊まりしていた頃、お前が寝ているすきを見計らって、お前の洗濯前のシャツとかパンツをおかず・・・に、夜な夜なオナニーしてたんだからな!」
 俺に問い詰められ、混乱のあまり余計なことまで白状してしまったティクロに、俺は思わず吹き出しそうになった。握手や同衾どうきんの件ついては何となく気付いていたが、最後のは聞きたくなかった情報である。だが、ここでそのことを追求したら話が脱線するうえ、今度は俺の方がひるんでしまいそうな気がしたので、今はえて聞き流すことにした。
 俺は興奮を静めるために再度、深い溜め息を吐いた。そして、ティクロの瞳を射抜く様に、じっと見つめる。
「ティクロ、お前は一つ勘違いをしている」
「な、何だ、勘違いって……?」
 ティクロは俺から距離を取る様に顔を引き、ひるんだ様な顔で、俺の顔を見つめている。そして、おずおずと聞いてくる彼に、俺はゆっくり、はっきりと言い聞かせた。
「お前と出会ってから今までの間、俺は恋愛対象が女だけ・・であるとは一言も言ってない」
「……………………は?」
 またもや固まるティクロに、俺は一旦言葉を切る。今の発言だけでは少々誤解が生まれるため、少し頭の中を整理してから補足した。
「正確に言えば、俺は男と恋愛したことがない。経験がないだけで、実際にできるかどうかは、まだ分からない」
 そうなのだ。俺自身、そのことに気付いたのは、つい先ほどである。二ヶ月前、引っ越しパーティーのあと、親父達と会話した時からずっと俺の胸の中を支配していた、謎のもやもやの正体。それが、先ほどのデュビックの暴走により、明らかになったのだ。
 俺はずっと、男と女が恋愛をするものだと思っていた。世の中には同性と恋やセックスをする者が存在することを知らなかったわけではないのだが、それを自分に当てはめて考えたことがなかったのだ。リリアの様なスタイルの良い女が好みであること自体は間違いではないが、だからといって男が恋愛対象外であるとは言い切れないのではないのか。デュビックは男と付き合えるかどうかを考えずにティクロと恋人になろうとしていたが、俺は俺で自分が男と付き合えるかどうかを考えないままティクロとの可能性を潰していたのだ。
 せい奴隷どれいであれば同性からの性交渉を要求されることもあるだろうが、俺は醜悪しゅうあくなオークの戦闘せんとう奴隷どれいであり、愛だのセックスだのとは無縁むえんの世界で生きてきた。そのため、そんな簡単なことにすら気付かず、今までずっと悩んでいたのだ。俺は自分で自分のことが馬鹿らしくなり、心の中で深い溜め息を吐いた。 
「だが、俺はティクロ、お前と恋愛したい。俺はお前の相棒であると同時に、恋人にもなりたいと思っている。だから俺と付き合ってくれ」
 俺はティクロの手を取り、りょうてのひらで包み込む。奴隷どれい商館しょうかんで初めて会った時、酒場で相棒になった時に交わした握手。正確には握手ではないのだろうが、これが俺達の握手の仕方である。彼の右手からほんのりと熱が伝わってきて、心地良い。
 ティクロはぽかんとしていたが、次第にほおが赤く染まり、目玉が飛び出るかのごとく目を大きく見開いた。だが、嬉しさより困惑が上回っているのか、彼の表情はあまりかんばしくない。
「どうした、ティクロ。まさか、俺の告白を受け入れてくれないというのか?」
「テ、テッセン。いや、お前、何言ってんだよ。俺のことを好きだって言うけどさ、それはお前の勘違いだって。自分で言うのもなんだが、俺はお前を奴隷どれい商館しょうかんから救い出し、お前の家族も集めて、快適に暮らせる場所も提供している。お前達のことを奴隷どれい扱いせず、人間と同じ様に接している。その感謝の気持ちを、『俺への恋心』だと勘違いしているんじゃねぇのか?」
 ティクロがパニックになりながらも、デュビックの時の様に俺を拒絶することは分かっていた。俺の気持ちは勘違いだと言い出すことも想定していた。だが、デュビックはここで引いてしまったが、俺は引くわけにはいかない。
何故なぜ、勘違いだと言い切れる。それに、それを言い出したら、お前も同じ様なものではないのか?」
「…………えっ?」
 広角泡こうかくあわを飛ばすかの如く反論した俺に、ティクロは面を食らったかの様にひるんだ。
「テッセン、それってどういうことだ……?」
 ティクロが俺の顔をじっと見つめながら、おそるおそる聞いてくる。さて、ここからが正念しょうねんだ。正直、俺のあさ知恵ぢえ首尾しゅび良くことが運ぶかどうかは分からない。だが、ここまで来たらもう、最後までやり切るしかない。
「ティクロ、お前が山賊の人質ひとじちとなった時、山賊の奇襲からお前をかばった俺は、おお怪我けがを負った。俺に対して強い罪悪感を持ったお前は、奴隷どれい商館しょうかんから俺を救い出し、手ずからいやすことで、せめてもの罪滅ぼしをしようとした」
「そ、それが一体、何だってんだよ……?」
「お前は俺のことを好きだと言っているが、本当にそうなのか? つまり、『俺に対する罪悪感』と『俺に助けられたことに対する感謝の気持ち』が混ざり合い、それを『俺への恋心』だと勘違いしているのではないのか、という話だ。先ほど、お前が俺の気持ちを勘違いだと指摘した様にな」
 淡々とした口調で、ティクロの心に揺さぶりをかける。正直、最後の部分は完全にアドリブではあるが、俺が事前に用意しておいた台詞せりふの大半を彼にぶつけることができた様に思う。その甲斐かいあってか、彼はあわあわと口を震わせていた。
「い、いや、そんなことは……」
ない・・と、果たして言い切れるのか?」
 必死に弁明をしようとするティクロの言葉をさえぎり、追い討ちをかける。もっとも、彼は俺の反論の内容より、俺が反論しようとしている行為そのものに対して混乱している様だが。
「そ、それはその……えっと……」
 しばらく反論しようとしていたものの、遂に言葉に詰まったティクロは、逃げるかの様に俺から視線をらした。だが、彼の手を俺の両手でしっかりと握っているため、逃げることはできない。少し卑怯ではあるが、彼が正常な判断力を失っているうちに、ここで一気に畳みかける。
「意地の悪い言い方をしてすまない。だが、俺は正直、恋愛というものとは無縁の世界で育ってきた。俺はティクロのことを好きだが、この気持ちが恋愛としての好きなのか、そして男であるお前に欲情し、キスやセックスができるかどうか分からないのだ。だから、それを確かめるためにも、試しに付き合ってみようと言っているのだ」
 俺は再度、ティクロに交際を申し込む。しかし、なかなか首を縦に振ってくれない。彼は破天荒で他人を振り回しがちな反面、押しに弱く、すぐ妥協してしまう一面があるのだが、やはり俺の押しが足りなかったのだろうか。それともーー
「どうした、ティクロ。俺がお前と恋愛できるかどうか分からないのに、できる訳がないと決めつけて俺をこばむのか?」
 責める様な口調で問い詰める俺に、ティクロは怯えながら目に涙を浮かべている。俺のりょうてのひらに包まれた彼の右手はわずかに震え、汗ばんでいた。
 冷たい風が、俺達を断つ様に吹き抜ける。沈黙が暗闇を支配する中、これ以上はもう限界かと諦めかけたその時、ティクロがかすれた声で俺に訴えてきた。
「テッセンの言い分は分かった……だがよぉ、テッセン。お前は俺と恋愛したいと言うけどよ。お試しで付き合ってみて、もしその結果、駄目だとなったらどうすんだよ。デュビックだけでなく、お前とも気まずくなったら、俺はもう耐えらんねぇよ」
 ティクロの気持ちは分からなくもない。場合によっては、俺達は恋人どころか、相棒ですらいられなくなってしまう可能性もあるのだ。そうすると、もしかしたら俺は家から追い出されるかもしれない。そうなった場合、別の冒険者に拾ってもらうか、あるいは奴隷どれい商館しょうかんに戻ることになるだろう。だがーー
「それは今の状況と変わらないだろう。そもそも、ティクロが俺に隠れてピピンと密会していたせいで、俺達は現在進行形で気まずいのだからな。だが、もし試しに付き合ってみて、結局『恋人』の関係になれなかったとしても、『相棒』の立場だけは守ってみせると約束しよう」
 俺自身が奴隷どれい商館しょうかんに戻りたくないというのもあるが、それよりこれからもずっとティクロと一緒に冒険者として暮らしていきたいという思いの方が強い。オルバーやルイス、その他大勢の冒険者とどれだけ仲良くなったとしても、たとえ俺達に別々の恋人ができたとしても、俺にとっての『相棒』は彼ーーティクロしか有り得ないのだ。
「テッセン……お前、ほんとひでぇな。恋人関係になれない男の隣で、ずっと『相棒』として接しろと言うのか」
 ティクロの両目に溜まっていた涙が、とうとうこぼれ出した。涙はほおを伝い、あごの先端で水滴となって、毛布の上にポタポタと落ちる。
「だから、それは今の状況と変わらないと言っている。それに、まだ恋人になれないと決まったわけではない。だから、ティクローー」
 俺はずっと両手で握っていたティクロの手から左手を離し、残った右手でティクロの右手を引き寄せる。そして、彼の手の甲を俺の方に向け、軽くキスを落とした。
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 俺はティクロの瞳を真っ直ぐに見つめる。そして、飾らない言葉でつ、如何いかなる甘味をも凌駕りょうがするほどの甘くとろける様な言の葉で、彼の心に優しくとどめを刺した。彼のあおんだ瞳が水面みなもの様に揺れ、したまぶた悲喜ひき交々こもごもとした涙があふれ出す。
「ひでぇよ、テッセン。こんなの、こばめるわけねぇじゃねえかーー!」
 涙目で文句を言うティクロの声は、聞き取りづらいほどに震えていた。滝の様に涙が流れ、雨が降ったかの様に毛布をらしていく。俺のために泣いてくれる彼を、俺は心底いとしいと思った。
 
 そして、翌日。
 毛布一枚では肌寒く、いつもより早く起きてしまった。窓の外から淡い光が差し込み、朝になって間もない時間であることを示している。俺は再びベッドに横になったが、昨夜ゆうべのティクロの泣き顔を思い出して興奮してしまい、再び寝付くことができない。気を静めるためにキッチンで顔を洗おうとベットから起き上がり、部屋の扉を開く。すると、リビングには朝食の準備をしているデュビックとリリアの姿があった。
「あっ、兄貴。お、おはよう!」
「あら、テッセン、おはよう。もうすぐ朝食できるから、座って待っててね」
 心なしか元気のないデュビックと、朝っぱらから妖艶ようえんな雰囲気をかもし出しているリリアが、扉の開く音に反応して振り返る。俺の存在に気付くと、二人は俺に挨拶をしてきた。
「あぁ、おはよう。親父とティクロはまだ寝ている様だな。まぁ、親父はオルバーと夜遅くまで飲んでいた様なので、しばらくは起きてこないとは思うが」
 俺は二人に挨拶を返したあと、リリアの言葉に甘えて椅子に座り、朝食を待つ。朝食の準備をしている二人の後ろ姿は、まるで夫婦の様に見えた。
 昨夜は結局、俺の告白に対するティクロの返事を聞く前に、裏庭に突然現れた親父によって中断された。酔っ払いながらも俺達の雰囲気を察した親父はすぐに謝り、そそくさと退散したのだが、せっかくのムードを台無しにされた俺達は微妙な雰囲気のまま解散し、各自の部屋へと戻ったのだった。
 俺が頭の中で親父の腹を殴っていると、部屋の扉がガチャリと開く音がした。音のした方へ振り向くと、寝惚ねぼまなこのティクロが部屋から姿を現す。リリアのいる手前、ひたいの十字架を隠すために愛用の赤いヘッドバンドを巻いているが、上半身裸に半ズボンと非常にラフな格好である。
「あっ、ティクロ様、おはよう!」
「ティクロ様、おはようございます。朝食の用意が出来ましたので、お掛けになってお待ちください」
 ティクロの存在に気付いたデュビックとリリアが、それぞれ挨拶する。ティクロの登場により途端に明るくなったデュビックは、キッチンから一直線にティクロの元へと飛んでいき、流れる様な動作でティクロのヘッドバンドにキスを落とした。
「……………………は?」
 突然の出来事に、ティクロに挨拶しようとした言葉が引っ込み、代わりに巨大な疑問符が口から飛び出した。だが、ティクロはデュビックのキスを平然と受け入れている。
「あぁ、おはよう。どうやら元気になったみてぇだな」
「えへへ。テッセン様、昨夜は本当にありがとう。今日の朝食はリリアちゃんと腕によりをかけて作ったから、期待して待っててね!」
「あらあら、二人は仲良しね。でもデュビック、家の中で走っちゃ駄目よ」
 俺が思考停止して固まっているのを余所よそに、のほほんとした会話が繰り広げられた。デュビックはリリアに謝りながらキッチンに戻り、ティクロは俺の隣の椅子に座る。俺はティクロに文句を言いたい気持ちでいっぱいだったが、彼に向かって口を開こうとしたその瞬間、俺の腹の虫が盛大に鳴った。
「テッセン、そんなに腹が減ったのか……って、どうした、そんな目で俺を見て」
 ジロリとにらみ付ける俺に、ティクロは怪訝けげんな顔を向けてきた。そんな彼の反応に、俺は若干じゃっかんイラっとする。
「いや、さっきのデュビックのアレ・・は一体、何だ……?」
「アレって……あぁ、デコチューのことか」
 ティクロは時々、独特な言葉を使うが、デコチューとはおそらく「相手のひたいにキスすること」を指しているのだろう。俺が頷いてみせると、彼は頭を掻きながら、言いにくそうに説明を始めた。
「いや、実はな。昨日デュビックを寝かし付けた時に、俺にキスしていいか聞いてきてな」
「なっ……!? そ、それで、ティクロ。お前はそれを許したというわけか」
「まぁ、くちびる同士のキスは流石さすがに断ったが、デコチューくらいなら、ってな」
 ティクロの言葉に、頭が痛くなった。何ということだ。デュビックは昨日、あれだけティクロと恋人になれないと分かって泣きじゃくっていたのに、まだ諦めていなかったというのか。ひたいへのキスをティクロに許してもらったデュビックは、そこからさらに調子に乗って、だんだんとエスカレートしていくことだろう。そして、いつしか二人はーー
 くちびるを重ねながら愛し合うティクロとデュビックの姿を想像する俺に、ティクロは苦笑しながらデコピンした。手加減されているので痛くはないが、俺は咄嗟とっさに、ひたいに手を当てる。
「お前が何を考えているのか何となく分かるが、それは勘違いだ。デュビックのはあくまで、家族としてのキスだ。恋人としてのキスは、お前にしかやんねぇよ」
 そう言い、ティクロは俺のほおに顔を近付け、口付ける。彼の柔らかいくちびるの感触に、俺の顔はカッと熱くなった。
「ティ、ティクロ。それって、まさかーー!」
 口から心臓が飛び出そうなほど驚倒きょうとうする俺の反応に満足したかの様に、ティクロは目を細めてニッと笑った。照れる様にほおを染める彼の笑顔に、俺の顔はさらに熱くなる。昨日は結局、告白の返事をもらえなかったのだが、これはもう俺達は付き合っていると見て間違いないだろう。
 しかし、テーブルの近くに二つの気配を感じ、沸騰ふっとうしそうな熱が急激に冷える。気配のする方にゆっくりと振り向くと、そこには料理を手にしたまま、困惑した表情で俺達を見つめているデュビックとリリアの姿があった。どうやら、俺達の一連の行動を全て見られてしまった様である。
「あ、あの、ティクロ様。これは一体、どういうことなのでしょうか……?」
「兄貴、もしかしてティクロ様と付き合い始めたんじゃ……!?」
 二人の言葉に、俺はうっ、と言葉を詰まらせた。ティクロを横目で見ると、「しまった」と言わんばかりに顔をゆがめている。そうだ、リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補としての役割もになっているのだ。それなのに、当の雇い主であるティクロが、俺と恋人同士になってしまった。これでは流石さすがに、リリアの立場がない。
「そ、それは、その……」
「あ、あぁ。実は……」
 俺達はお互いに顔を見合わせ、そして項垂うなだれる。現場を目撃されてしまったのでは、もう弁解の余地はない。ジト目で見てくる二人に観念した俺達が、事情をこと細かに説明し終わる頃には、テーブルの上に乗った数々の料理がすっかり冷めてしまったのだったーー
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