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奴隷のオークとヘタレな相棒
第十一話 接吻
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家の裏庭は、表通りの街頭から僅かに漏れる光と、雲一つない夜空で大地を見下ろす立待月の光で、ぼんやりと照らし出されている。ひんやりとした昼間の涼しさが、夜も更け一層冷え込み、さらに北方から流れる冷たい風が、俺の肌を突き抜けた。俺は寒さに身体を震わせながら、壁に凭れ掛かって座り込み、あらかじめ用意しておいた毛布を膝の上に掛ける。はぁっ、と息を吐くと、微かな白い靄が俺の目前に広がり、やがて暗闇に溶け込む様に霧散した。
俺は毛布で暖を取りながら、瓶に入っている薄い林檎酒をちびちびと飲む。アルコールに強くない俺の身体は、少量の酒でも喉の奥がほんのりと温かくなった。俺は風情とか様式美などについてはよく分からないが、月を眺めながら酒を飲むのは、なかなかどうして趣があると思った。
林檎酒が半分ほど減り、次第にうつらうつらと頭が揺れ始める。このまま瞼を閉じて眠ってしまおうかと思ったその時、俺の頭上から聞き慣れた男の声が降り注いだ。
「おいテッセン。そんなところで寝ると、風邪引くぞ」
顔を上げると、赤いバンダナを巻いた黒髪の男が立っていた。片手には俺と同じ様に、林檎酒を持っている。
「ティクロ、デュビックはもう寝たのか?」
「あぁ、泣き疲れたのか、俺のベッドですやすや寝てるぜ。今日はちっと寒いな、俺も毛布持ってくればよかったぜ」
ティクロは声を震わせながら、俺の隣に座り、暖をとる様に腕を掌で擦った。普段からノースリーブのジャケット以外は上半身に何も着ていない男の台詞ではないと思ったが、今更だと出かかった言葉を飲み込む。ちなみに、今は七分丈の赤いワイシャツに、ノースリーブの黒いチョッキを着ている。ティクロは基本的にノースリーブのものを好むが、チョッキは珍しいと思った。
「毛布入れてやる。少し寄れ」
俺は毛布の端を掴んで持ち上げ、ティクロに向けてみせる。俺とティクロの間には、少し隙間が空いていた。
「えっ、いや……遠慮しとく。そこまで我慢できないわけじゃねぇし、それにほら、俺はーー」
「彼辺此辺言うな。お前こそ、風邪を引いたらどうする」
ティクロの言葉を遮り、俺はティクロの肩に腕を回し、問答無用で引き寄せた。そして、毛布の余った部分を彼の膝に掛ける。すると、彼の顔は真っ赤に染まり、身体が石化したかの様に固まってしまった。彼が俺から少し離れて座ったり、毛布を遠慮したりする理由は分かっている。しかし、俺は敢えて、彼の気遣いを無視した。裏庭を吹き抜ける冷たい風により、だんだんと気温が下がるのに対し、毛布の中は俺達の体温が混じり合い、俺達の脚を優しく包み込む。まるで、ティクロと一つに溶け合っているかの様だ。
暫しの沈黙が訪れる。このまま二人で無言のまま月を眺めているのも、それはそれでいいと思ったが、俺は意を決して話しかけた。
「ティクロ、うちの弟がすまなかった。デュビックに代わり、謝罪する」
「あ、あぁ、別にいいって。けどまぁ、せっかく仲良くなったのに、明日から気まずい雰囲気にならねぇか、それだけが心配だな」
ティクロは身体を硬直させたまま、憂いを帯びた声で吐露する。特に、ティクロとデュビックは甘味好き仲間であるため、その思いは一入だろう。
デュビックはティクロの胸の中で一頻り泣いたあと、「せめて今夜だけでも一緒にベッドで寝たい」とティクロに懇願したのだ。甘えてくるデュビックに、どうしたものかとティクロが俺に目を向けてきたが、ここでさらに突き放すのは流石に躊躇われた俺は「行ってやれ」と告げた。そんな俺の言葉を受けたティクロは「デュビックが寝付くまでの間だけ」という条件で受け入れ、デュビックの手を取り、エスコートするかの様に、デュビックの部屋へと連れていったのだった。
「まぁ、すぐには難しいとは思うが、いつかまたデュビックと一緒に遊んでやってくれ。デュビックはお前のことが大好きなのだからな」
「あぁ、言われなくても、そのつもりだ」
ティクロは俺と向き合い、胸を張って答える。迷いのないその表情に、俺は「もう大丈夫だろう」と安心して肩の力を抜いた。
最初は毛布の中で身体を強張らせていたティクロも、俺と少し話をしたことにより、だいぶ緊張が解れた様だ。そのため、俺はいよいよ、本題へと話を進めることにした。
「ティクロ。今後の俺達のことについて、話がある」
俺はこれから、ティクロに残酷なことをしようとしているという自覚はある。だが、今までずっと悩みに悩んできた俺の気持ちの正体に、ようやく気付いたーー気付いてしまったのだ。それに、このままだと、やがて彼が俺の元から離れていってしまう様な気がする。こうなったらもう、俺は覚悟を決めるしかない。俺達は特に裏庭で落ち合う約束をしていたわけではなかったのだが、せっかくこうして二人きりになることができたのだ。今夜は彼と徹底的に話し合おうと決意した。
「……あぁ、分かっている」
俺の言葉に、ティクロも覚悟を決めた様に頷いた。おそらく、彼もその話をするために、デュビックを寝かし付けてから俺の元にやって来たのだろう。俺は事前に話す内容を頭の中でシミュレートしていた通り、とりあえず現状確認から始めることにした。
「まずは、そうだな。ティクロは俺のことを、恋愛対象として見ている。だが、お前は俺にそのことを隠し、北西の奴隷商館でピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬を重ねている。ここまでで異論はないな」
ティクロに好かれているということを本人の前で言うのは、自意識過剰の様で正直恥ずかしいが、俺は努めて冷静に言葉を並べる。それに、ピピンとの逢瀬の件については、他でもない俺自身が目撃者であるため、ティクロは言い逃れができない。彼は表情の読めない顔で、黙って頷いた。
「次に、リリアの件についてだが。リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補という話を聞いたのだが、それは本当か?」
奴隷は結婚できないので、正確には嫁ではなく交尾相手であるのだが、俺の幸せを第一に考えているティクロからしてみれば、意味合いは嫁に近いだろう。
俺の質問に、彼はわざとらしく、目をぱちくりさせた。
「あれ、伝えてなかったか? そういえば、リリアに言った記憶はあるが、テッセンに言ったかどうかまでは覚えてねぇな」
この反応は果たして、空惚けているのか、それとも素で忘れていただけなのかーーそれを確認するためにも、俺は次の質問をぶつけてみる。
「ちなみに、リリアは正直、俺の好みのタイプど真ん中だったわけだが。これはおそらく、オルバーが絡んでいるな?」
あちゃーっ、と頭を掻きながら、気まずそうに視線を逸らすティクロ。そんな彼の反応から察するに、お見合いの話を俺だけにしなかったのがわざとであることは、ほぼ確定とみていいだろう。俺の心の奥底からふつふつと怒りが湧き上がるが、今は彼の話を聞くことに集中する。
「それもバレてたか……まぁ、そりゃそうだよな。そうだ、俺がオルバーに依頼したんだよ。俺が旅に出ている間、テッセンの好みのタイプを聞いておいてくれってな。この手の話は、俺よりオルバーの方がテッセンも話しやすいだろうし、それに……いや、なんでもねぇ」
ティクロは言葉を濁したが、言いたいことは何となく分かる気がする。要するに、「俺がティクロの目の前で、好みの女の話をする」というシチュエーションに、耐えられないと思ったのだろう。俺は恋愛経験に乏しいが、好きな人から自分以外の好きな人の話をされる絶望感とやらは、理解できなくもない。だから、他の誰かに頼む必要があったのだ。少しでも自分が傷付かない様に、そして、傷付いた顔を俺に見せて悟られない様に。
「と、とにかく。オルバーに調査してもらったはいいんだが、その情報をいつ利用しようかと悩んでいてな、ずっとタイミングを窺ってたんだ。そしたら、テッセン。お前に『料理を習いたい』と相談されてな。その時に、どうせなら好みの女に教わった方が、やる気が出るんじゃねぇかと思ったんだ。ついでに、その女とティクロが結ばれれば、一石二鳥だしな。というわけで、料理上手でテッセン好みの女を冒険者ギルドとか奴隷商館で探し回って、そして北東の奴隷商館で見つけたのがリリアというわけだ」
これは俺の推測だが、ティクロがリリアを選んだ理由は、それだけではないはずだ。今でこそ俺は仲間や冒険者ギルドの人間達に認められているが、元々俺は人間にも亜人にも嫌われているオークである。オルバー曰く、最近の俺は冒険者の女達には多少人気があるそうだが、ティクロは俺達がほぼ活動していない北東の、しかも外界の情報に疎いであろう奴隷商館に住んでいる性奴隷から、わざわざリリアを選んだのだ。普通に考えれば、おかしな話である。実際、リリアは俺どころか、ダイヤモンドランクの冒険者で有名なティクロのことすら知らなかった様だ。
リリアはレンタルされて間もない頃、オークとの子作りに気乗りしなかったと言っていた。さらに、実際に接してみて、それでも合わないと思ったら拒否していいとティクロに言われていた。そんな条件の中、果たして俺のことを好きになってくれるのだろうか。そして、俺の子供を産んでくれるのだろうか。これは俺の自惚れかもしれないが、いくら俺の好みのタイプと言えど、俺を傷付ける様な女をティクロが連れてくるとは思えないのだ。
つまり、ティクロはリリアの性格を見越した上で、彼女をレンタルしたのだろう。レンタルするだけであれば奴隷の意志など関係ないが、それでもティクロは俺の伴侶となるのに相応しい人物であるかを吟味した上で、リリアを俺の嫁候補として選んだに違いない。そうでなければ、最初から好感度が高いわけでもない女が、僅か二週間でオークの俺を好きになってくれるはずがないのだ。
そもそも、ティクロの周りには亜人に優しい人間が集まることが多い。それが偶然なのか必然なのかは分からないが、自然と寄ってくるのだ。リリアは亜人だが、オークである俺にも優しい。そんな彼女が、ティクロに引き寄せられたのかもしれないーー
(ティクロが俺のことを考えて、やってくれたのは分かる。だがーー)
それでも俺は、今回のティクロの行動が気に入らない。ティクロは俺の預かり知らぬところで勝手に話を進めてしまうきらいがあるが、親父やデュビックの件はただのサプライズで済んだものの、今回のお見合いに関しては流石に見過ごすわけにはいかない。ティクロにとっては良かれと思ってやったことでも、俺がそれで喜ぶとは限らないのだ。
俺が盛大に吐いた溜め息は、白い霧となって俺の目の前を染め上げた。息を長く吐くと自律神経が整えられるとティクロに教えてもらったことがあるが、俺の神経はそれほどまでに乱れていた様である。吐き終わった頃には、幾分気持ちが落ち着いた。だがーー
「それで、一ヶ月ほどレンタルして、二人の様子を見てみようと思ったのだが……どうした、リリアとの間に、何か問題があったのか?」
「いや、リリアはよくやってくれているとは思うが……そうではない」
俺の溜め息を盛大に勘違いしたティクロに対し、俺の心の奥底から再び怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。それは、リリアに真実を告げられた時に感じていた、ティクロとオルバーに対しての激しい怒りに似ている。
「俺は、お前に女を宛てがわれたということが気に入らない。そして、お見合いを兼ねていることを俺に黙っていたことも気に入らない」
努めて冷静に言ったつもりだったのだが、つい言葉に怒気を含ませてしまう。そんな俺の様子を見たティクロは、困った様に頭を掻いた。
「そ、そうだよな。お前だって、付き合う女は自分で選びたいよなーー」
「だから、そうではないと言っている!」
尚も勘違いするティクロに、俺はとうとう我慢できず、思わず怒鳴ってしまった。吐き出される白い息が、乱れる様に飛び交う。ティクロが目を丸くし、困惑した様な表情で、俺の顔をじっと見てくる。しかし、今回ばかりは引くわけにはいかない。俺はそのままの勢いで、思いの丈を彼にぶつけた。
「ティクロ、お前は俺のことが好きなクセに、俺を女とくっつけて、自分は諦めようとするーーその行為が気に入らないのだ!」
「……………………は?」
まるで時間が止まったかの様に、ティクロは目を大きく見開いたまま、固まってしまった。たっぷり時間をかけて、辛うじて口の中から漏れた一言が白い息となり、すぐに霧となって消える。
俺の言葉が理解できないのか、それとも理解することを拒んでいるのか、ティクロは思考停止したかの様に、ただ呆然と俺の顔を見つめている。だが、このままでは話が進まないので、俺は彼に分からせる様に、さらに言葉を浴びせた。
「ティクロ、お前は俺への想いを断ち切るために、俺にリリアを宛てがったのだろう。だが、俺がリリアと結ばれて子作りしているのを横目に、お前はこれからもずっと北西の奴隷商館でピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬を重ねるつもりなのか? お前はそれで本当に幸せなのか?」
ティクロがデュビックの独り善がりな幸せを拒絶した様に、俺もティクロの一方的な善意という名のお節介を受け入れることはできない。書類上は奴隷という立場の俺が何を贅沢言っているのだと思われるかもしれないが、それでも彼の幸せを犠牲にしてまで、俺だけが幸せになりたいとは思えない。彼と出会った当初は、幸せを得るために『相棒』という立場を利用するつもりだったが、あれから二年以上経った今となってはもう、損得勘定抜きで大切な存在となってしまった。俺だけではなく、彼ーーティクロも幸せにならなければ、意味がないのだ。
だんだんとヒートアップしていく俺の言葉に、ティクロは目に見えて動揺している。普段あまり感情的になることがない俺の激情的な姿に、目が離せない様だ。そんな彼に、俺は羞恥心をかなぐり捨て、叫ぶ様に言葉を叩き付けた。
「お前は、俺と恋人同士になりたいと思わないのか? 俺と愛し合いたいと思わないのか!?」
「い、いやいや、テッセン。お前は一体、何を言っているんだ。まぁ、確かにテッセンと付き合えたら、幸せだとは思うけどな。だがな、男好きでもねぇお前が、俺に性的な目で見られるなんざ、普通に考えて気持ち悪いと思うだろ? いいか、よく聞け。お前と初めて会って握手をした時、俺はお前の手の感触に興奮してたんだぞ。一緒のベッドに寝て抱き締められた時なんか、興奮のあまり勃起してたしな。それに、俺達がまだ宿屋で寝泊まりしていた頃、お前が寝ている隙を見計らって、お前の洗濯前のシャツとかパンツをおかずに、夜な夜なオナニーしてたんだからな!」
俺に問い詰められ、混乱のあまり余計なことまで白状してしまったティクロに、俺は思わず吹き出しそうになった。握手や同衾の件ついては何となく気付いていたが、最後のは聞きたくなかった情報である。だが、ここでそのことを追求したら話が脱線するうえ、今度は俺の方が怯んでしまいそうな気がしたので、今は敢えて聞き流すことにした。
俺は興奮を静めるために再度、深い溜め息を吐いた。そして、ティクロの瞳を射抜く様に、じっと見つめる。
「ティクロ、お前は一つ勘違いをしている」
「な、何だ、勘違いって……?」
ティクロは俺から距離を取る様に顔を引き、怯んだ様な顔で、俺の顔を見つめている。そして、おずおずと聞いてくる彼に、俺はゆっくり、はっきりと言い聞かせた。
「お前と出会ってから今までの間、俺は恋愛対象が女だけであるとは一言も言ってない」
「……………………は?」
またもや固まるティクロに、俺は一旦言葉を切る。今の発言だけでは少々誤解が生まれるため、少し頭の中を整理してから補足した。
「正確に言えば、俺は男と恋愛したことがない。経験がないだけで、実際にできるかどうかは、まだ分からない」
そうなのだ。俺自身、そのことに気付いたのは、つい先ほどである。二ヶ月前、引っ越しパーティーのあと、親父達と会話した時からずっと俺の胸の中を支配していた、謎のもやもやの正体。それが、先ほどのデュビックの暴走により、明らかになったのだ。
俺はずっと、男と女が恋愛をするものだと思っていた。世の中には同性と恋やセックスをする者が存在することを知らなかったわけではないのだが、それを自分に当てはめて考えたことがなかったのだ。リリアの様なスタイルの良い女が好みであること自体は間違いではないが、だからといって男が恋愛対象外であるとは言い切れないのではないのか。デュビックは男と付き合えるかどうかを考えずにティクロと恋人になろうとしていたが、俺は俺で自分が男と付き合えるかどうかを考えないままティクロとの可能性を潰していたのだ。
性奴隷であれば同性からの性交渉を要求されることもあるだろうが、俺は醜悪なオークの戦闘奴隷であり、愛だのセックスだのとは無縁の世界で生きてきた。そのため、そんな簡単なことにすら気付かず、今までずっと悩んでいたのだ。俺は自分で自分のことが馬鹿らしくなり、心の中で深い溜め息を吐いた。
「だが、俺はティクロ、お前と恋愛したい。俺はお前の相棒であると同時に、恋人にもなりたいと思っている。だから俺と付き合ってくれ」
俺はティクロの手を取り、両掌で包み込む。奴隷商館で初めて会った時、酒場で相棒になった時に交わした握手。正確には握手ではないのだろうが、これが俺達の握手の仕方である。彼の右手からほんのりと熱が伝わってきて、心地良い。
ティクロはぽかんとしていたが、次第に頬が赤く染まり、目玉が飛び出るかの如く目を大きく見開いた。だが、嬉しさより困惑が上回っているのか、彼の表情はあまり芳しくない。
「どうした、ティクロ。まさか、俺の告白を受け入れてくれないというのか?」
「テ、テッセン。いや、お前、何言ってんだよ。俺のことを好きだって言うけどさ、それはお前の勘違いだって。自分で言うのもなんだが、俺はお前を奴隷商館から救い出し、お前の家族も集めて、快適に暮らせる場所も提供している。お前達のことを奴隷扱いせず、人間と同じ様に接している。その感謝の気持ちを、『俺への恋心』だと勘違いしているんじゃねぇのか?」
ティクロがパニックになりながらも、デュビックの時の様に俺を拒絶することは分かっていた。俺の気持ちは勘違いだと言い出すことも想定していた。だが、デュビックはここで引いてしまったが、俺は引くわけにはいかない。
「何故、勘違いだと言い切れる。それに、それを言い出したら、お前も同じ様なものではないのか?」
「…………えっ?」
広角泡を飛ばすかの如く反論した俺に、ティクロは面を食らったかの様に怯んだ。
「テッセン、それってどういうことだ……?」
ティクロが俺の顔をじっと見つめながら、おそるおそる聞いてくる。さて、ここからが正念場だ。正直、俺の浅知恵で首尾良く事が運ぶかどうかは分からない。だが、ここまで来たらもう、最後までやり切るしかない。
「ティクロ、お前が山賊の人質となった時、山賊の奇襲からお前を庇った俺は、大怪我を負った。俺に対して強い罪悪感を持ったお前は、奴隷商館から俺を救い出し、手ずから癒すことで、せめてもの罪滅ぼしをしようとした」
「そ、それが一体、何だってんだよ……?」
「お前は俺のことを好きだと言っているが、本当にそうなのか? つまり、『俺に対する罪悪感』と『俺に助けられたことに対する感謝の気持ち』が混ざり合い、それを『俺への恋心』だと勘違いしているのではないのか、という話だ。先ほど、お前が俺の気持ちを勘違いだと指摘した様にな」
淡々とした口調で、ティクロの心に揺さぶりをかける。正直、最後の部分は完全にアドリブではあるが、俺が事前に用意しておいた台詞の大半を彼にぶつけることができた様に思う。その甲斐あってか、彼はあわあわと口を震わせていた。
「い、いや、そんなことは……」
「ないと、果たして言い切れるのか?」
必死に弁明をしようとするティクロの言葉を遮り、追い討ちをかける。尤も、彼は俺の反論の内容より、俺が反論しようとしている行為そのものに対して混乱している様だが。
「そ、それはその……えっと……」
暫く反論しようとしていたものの、遂に言葉に詰まったティクロは、逃げるかの様に俺から視線を逸らした。だが、彼の手を俺の両手でしっかりと握っているため、逃げることはできない。少し卑怯ではあるが、彼が正常な判断力を失っているうちに、ここで一気に畳みかける。
「意地の悪い言い方をしてすまない。だが、俺は正直、恋愛というものとは無縁の世界で育ってきた。俺はティクロのことを好きだが、この気持ちが恋愛としての好きなのか、そして男であるお前に欲情し、キスやセックスができるかどうか分からないのだ。だから、それを確かめるためにも、試しに付き合ってみようと言っているのだ」
俺は再度、ティクロに交際を申し込む。しかし、なかなか首を縦に振ってくれない。彼は破天荒で他人を振り回しがちな反面、押しに弱く、すぐ妥協してしまう一面があるのだが、やはり俺の押しが足りなかったのだろうか。それともーー
「どうした、ティクロ。俺がお前と恋愛できるかどうか分からないのに、できる訳がないと決めつけて俺を拒むのか?」
責める様な口調で問い詰める俺に、ティクロは怯えながら目に涙を浮かべている。俺の両掌に包まれた彼の右手は僅かに震え、汗ばんでいた。
冷たい風が、俺達を断つ様に吹き抜ける。沈黙が暗闇を支配する中、これ以上はもう限界かと諦めかけたその時、ティクロが掠れた声で俺に訴えてきた。
「テッセンの言い分は分かった……だがよぉ、テッセン。お前は俺と恋愛したいと言うけどよ。お試しで付き合ってみて、もしその結果、駄目だとなったらどうすんだよ。デュビックだけでなく、お前とも気まずくなったら、俺はもう耐えらんねぇよ」
ティクロの気持ちは分からなくもない。場合によっては、俺達は恋人どころか、相棒ですらいられなくなってしまう可能性もあるのだ。そうすると、もしかしたら俺は家から追い出されるかもしれない。そうなった場合、別の冒険者に拾ってもらうか、或いは奴隷商館に戻ることになるだろう。だがーー
「それは今の状況と変わらないだろう。そもそも、ティクロが俺に隠れてピピンと密会していたせいで、俺達は現在進行形で気まずいのだからな。だが、もし試しに付き合ってみて、結局『恋人』の関係になれなかったとしても、『相棒』の立場だけは守ってみせると約束しよう」
俺自身が奴隷商館に戻りたくないというのもあるが、それよりこれからもずっとティクロと一緒に冒険者として暮らしていきたいという思いの方が強い。オルバーやルイス、その他大勢の冒険者とどれだけ仲良くなったとしても、たとえ俺達に別々の恋人ができたとしても、俺にとっての『相棒』は彼ーーティクロしか有り得ないのだ。
「テッセン……お前、ほんとひでぇな。恋人関係になれない男の隣で、ずっと『相棒』として接しろと言うのか」
ティクロの両目に溜まっていた涙が、とうとう零れ出した。涙は頬を伝い、顎の先端で水滴となって、毛布の上にポタポタと落ちる。
「だから、それは今の状況と変わらないと言っている。それに、まだ恋人になれないと決まったわけではない。だから、ティクローー」
俺はずっと両手で握っていたティクロの手から左手を離し、残った右手でティクロの右手を引き寄せる。そして、彼の手の甲を俺の方に向け、軽くキスを落とした。
ティクロは俺の唇が触れた右手の甲を呆然と見つめながら、頬を赤く染めている。あともう一押しだーー
「もう一度言う。俺は、お前のことが好きだ。お前とは『相棒』としてだけではなく、『恋人』の関係でもありたいと思っている。これからの人生、何が起こるか分からない。だが、二人で辛苦を乗り越え、その先にある幸せを掴み取っていきたい。そして、お前の傍でずっと、ともにありたい。少しずつでいい、俺達のペースで、ともに愛を育んでいこう。だから、ティクローー俺と付き合ってくれ」
俺はティクロの瞳を真っ直ぐに見つめる。そして、飾らない言葉で且つ、如何なる甘味をも凌駕するほどの甘く蕩ける様な言の葉で、彼の心に優しく止めを刺した。彼の蒼く澄んだ瞳が水面の様に揺れ、下瞼に悲喜交々とした涙が溢れ出す。
「ひでぇよ、テッセン。こんなの、拒めるわけねぇじゃねえかーー!」
涙目で文句を言うティクロの声は、聞き取り辛いほどに震えていた。滝の様に涙が流れ、雨が降ったかの様に毛布を濡らしていく。俺のために泣いてくれる彼を、俺は心底愛しいと思った。
そして、翌日。
毛布一枚では肌寒く、いつもより早く起きてしまった。窓の外から淡い光が差し込み、朝になって間もない時間であることを示している。俺は再びベッドに横になったが、昨夜のティクロの泣き顔を思い出して興奮してしまい、再び寝付くことができない。気を静めるためにキッチンで顔を洗おうとベットから起き上がり、部屋の扉を開く。すると、リビングには朝食の準備をしているデュビックとリリアの姿があった。
「あっ、兄貴。お、おはよう!」
「あら、テッセン、おはよう。もうすぐ朝食できるから、座って待っててね」
心なしか元気のないデュビックと、朝っぱらから妖艶な雰囲気を醸し出しているリリアが、扉の開く音に反応して振り返る。俺の存在に気付くと、二人は俺に挨拶をしてきた。
「あぁ、おはよう。親父とティクロはまだ寝ている様だな。まぁ、親父はオルバーと夜遅くまで飲んでいた様なので、暫くは起きてこないとは思うが」
俺は二人に挨拶を返したあと、リリアの言葉に甘えて椅子に座り、朝食を待つ。朝食の準備をしている二人の後ろ姿は、まるで夫婦の様に見えた。
昨夜は結局、俺の告白に対するティクロの返事を聞く前に、裏庭に突然現れた親父によって中断された。酔っ払いながらも俺達の雰囲気を察した親父はすぐに謝り、そそくさと退散したのだが、せっかくのムードを台無しにされた俺達は微妙な雰囲気のまま解散し、各自の部屋へと戻ったのだった。
俺が頭の中で親父の腹を殴っていると、部屋の扉がガチャリと開く音がした。音のした方へ振り向くと、寝惚け眼のティクロが部屋から姿を現す。リリアのいる手前、額の十字架を隠すために愛用の赤いヘッドバンドを巻いているが、上半身裸に半ズボンと非常にラフな格好である。
「あっ、ティクロ様、おはよう!」
「ティクロ様、おはようございます。朝食の用意が出来ましたので、お掛けになってお待ちください」
ティクロの存在に気付いたデュビックとリリアが、それぞれ挨拶する。ティクロの登場により途端に明るくなったデュビックは、キッチンから一直線にティクロの元へと飛んでいき、流れる様な動作でティクロのヘッドバンドにキスを落とした。
「……………………は?」
突然の出来事に、ティクロに挨拶しようとした言葉が引っ込み、代わりに巨大な疑問符が口から飛び出した。だが、ティクロはデュビックのキスを平然と受け入れている。
「あぁ、おはよう。どうやら元気になったみてぇだな」
「えへへ。テッセン様、昨夜は本当にありがとう。今日の朝食はリリアちゃんと腕によりをかけて作ったから、期待して待っててね!」
「あらあら、二人は仲良しね。でもデュビック、家の中で走っちゃ駄目よ」
俺が思考停止して固まっているのを余所に、のほほんとした会話が繰り広げられた。デュビックはリリアに謝りながらキッチンに戻り、ティクロは俺の隣の椅子に座る。俺はティクロに文句を言いたい気持ちでいっぱいだったが、彼に向かって口を開こうとしたその瞬間、俺の腹の虫が盛大に鳴った。
「テッセン、そんなに腹が減ったのか……って、どうした、そんな目で俺を見て」
ジロリと睨み付ける俺に、ティクロは怪訝な顔を向けてきた。そんな彼の反応に、俺は若干イラっとする。
「いや、さっきのデュビックのアレは一体、何だ……?」
「アレって……あぁ、デコチューのことか」
ティクロは時々、独特な言葉を使うが、デコチューとはおそらく「相手の額にキスすること」を指しているのだろう。俺が頷いてみせると、彼は頭を掻きながら、言い難そうに説明を始めた。
「いや、実はな。昨日デュビックを寝かし付けた時に、俺にキスしていいか聞いてきてな」
「なっ……!? そ、それで、ティクロ。お前はそれを許したというわけか」
「まぁ、唇同士のキスは流石に断ったが、デコチューくらいなら、ってな」
ティクロの言葉に、頭が痛くなった。何ということだ。デュビックは昨日、あれだけティクロと恋人になれないと分かって泣きじゃくっていたのに、まだ諦めていなかったというのか。額へのキスをティクロに許してもらったデュビックは、そこからさらに調子に乗って、だんだんとエスカレートしていくことだろう。そして、いつしか二人はーー
唇を重ねながら愛し合うティクロとデュビックの姿を想像する俺に、ティクロは苦笑しながらデコピンした。手加減されているので痛くはないが、俺は咄嗟に、額に手を当てる。
「お前が何を考えているのか何となく分かるが、それは勘違いだ。デュビックのはあくまで、家族としてのキスだ。恋人としてのキスは、お前にしかやんねぇよ」
そう言い、ティクロは俺の頬に顔を近付け、口付ける。彼の柔らかい唇の感触に、俺の顔はカッと熱くなった。
「ティ、ティクロ。それって、まさかーー!」
口から心臓が飛び出そうなほど驚倒する俺の反応に満足したかの様に、ティクロは目を細めてニッと笑った。照れる様に頬を染める彼の笑顔に、俺の顔はさらに熱くなる。昨日は結局、告白の返事をもらえなかったのだが、これはもう俺達は付き合っていると見て間違いないだろう。
しかし、テーブルの近くに二つの気配を感じ、沸騰しそうな熱が急激に冷える。気配のする方にゆっくりと振り向くと、そこには料理を手にしたまま、困惑した表情で俺達を見つめているデュビックとリリアの姿があった。どうやら、俺達の一連の行動を全て見られてしまった様である。
「あ、あの、ティクロ様。これは一体、どういうことなのでしょうか……?」
「兄貴、もしかしてティクロ様と付き合い始めたんじゃ……!?」
二人の言葉に、俺はうっ、と言葉を詰まらせた。ティクロを横目で見ると、「しまった」と言わんばかりに顔を歪めている。そうだ、リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補としての役割も担っているのだ。それなのに、当の雇い主であるティクロが、俺と恋人同士になってしまった。これでは流石に、リリアの立場がない。
「そ、それは、その……」
「あ、あぁ。実は……」
俺達はお互いに顔を見合わせ、そして項垂れる。現場を目撃されてしまったのでは、もう弁解の余地はない。ジト目で見てくる二人に観念した俺達が、事情をこと細かに説明し終わる頃には、テーブルの上に乗った数々の料理がすっかり冷めてしまったのだったーー
俺は毛布で暖を取りながら、瓶に入っている薄い林檎酒をちびちびと飲む。アルコールに強くない俺の身体は、少量の酒でも喉の奥がほんのりと温かくなった。俺は風情とか様式美などについてはよく分からないが、月を眺めながら酒を飲むのは、なかなかどうして趣があると思った。
林檎酒が半分ほど減り、次第にうつらうつらと頭が揺れ始める。このまま瞼を閉じて眠ってしまおうかと思ったその時、俺の頭上から聞き慣れた男の声が降り注いだ。
「おいテッセン。そんなところで寝ると、風邪引くぞ」
顔を上げると、赤いバンダナを巻いた黒髪の男が立っていた。片手には俺と同じ様に、林檎酒を持っている。
「ティクロ、デュビックはもう寝たのか?」
「あぁ、泣き疲れたのか、俺のベッドですやすや寝てるぜ。今日はちっと寒いな、俺も毛布持ってくればよかったぜ」
ティクロは声を震わせながら、俺の隣に座り、暖をとる様に腕を掌で擦った。普段からノースリーブのジャケット以外は上半身に何も着ていない男の台詞ではないと思ったが、今更だと出かかった言葉を飲み込む。ちなみに、今は七分丈の赤いワイシャツに、ノースリーブの黒いチョッキを着ている。ティクロは基本的にノースリーブのものを好むが、チョッキは珍しいと思った。
「毛布入れてやる。少し寄れ」
俺は毛布の端を掴んで持ち上げ、ティクロに向けてみせる。俺とティクロの間には、少し隙間が空いていた。
「えっ、いや……遠慮しとく。そこまで我慢できないわけじゃねぇし、それにほら、俺はーー」
「彼辺此辺言うな。お前こそ、風邪を引いたらどうする」
ティクロの言葉を遮り、俺はティクロの肩に腕を回し、問答無用で引き寄せた。そして、毛布の余った部分を彼の膝に掛ける。すると、彼の顔は真っ赤に染まり、身体が石化したかの様に固まってしまった。彼が俺から少し離れて座ったり、毛布を遠慮したりする理由は分かっている。しかし、俺は敢えて、彼の気遣いを無視した。裏庭を吹き抜ける冷たい風により、だんだんと気温が下がるのに対し、毛布の中は俺達の体温が混じり合い、俺達の脚を優しく包み込む。まるで、ティクロと一つに溶け合っているかの様だ。
暫しの沈黙が訪れる。このまま二人で無言のまま月を眺めているのも、それはそれでいいと思ったが、俺は意を決して話しかけた。
「ティクロ、うちの弟がすまなかった。デュビックに代わり、謝罪する」
「あ、あぁ、別にいいって。けどまぁ、せっかく仲良くなったのに、明日から気まずい雰囲気にならねぇか、それだけが心配だな」
ティクロは身体を硬直させたまま、憂いを帯びた声で吐露する。特に、ティクロとデュビックは甘味好き仲間であるため、その思いは一入だろう。
デュビックはティクロの胸の中で一頻り泣いたあと、「せめて今夜だけでも一緒にベッドで寝たい」とティクロに懇願したのだ。甘えてくるデュビックに、どうしたものかとティクロが俺に目を向けてきたが、ここでさらに突き放すのは流石に躊躇われた俺は「行ってやれ」と告げた。そんな俺の言葉を受けたティクロは「デュビックが寝付くまでの間だけ」という条件で受け入れ、デュビックの手を取り、エスコートするかの様に、デュビックの部屋へと連れていったのだった。
「まぁ、すぐには難しいとは思うが、いつかまたデュビックと一緒に遊んでやってくれ。デュビックはお前のことが大好きなのだからな」
「あぁ、言われなくても、そのつもりだ」
ティクロは俺と向き合い、胸を張って答える。迷いのないその表情に、俺は「もう大丈夫だろう」と安心して肩の力を抜いた。
最初は毛布の中で身体を強張らせていたティクロも、俺と少し話をしたことにより、だいぶ緊張が解れた様だ。そのため、俺はいよいよ、本題へと話を進めることにした。
「ティクロ。今後の俺達のことについて、話がある」
俺はこれから、ティクロに残酷なことをしようとしているという自覚はある。だが、今までずっと悩みに悩んできた俺の気持ちの正体に、ようやく気付いたーー気付いてしまったのだ。それに、このままだと、やがて彼が俺の元から離れていってしまう様な気がする。こうなったらもう、俺は覚悟を決めるしかない。俺達は特に裏庭で落ち合う約束をしていたわけではなかったのだが、せっかくこうして二人きりになることができたのだ。今夜は彼と徹底的に話し合おうと決意した。
「……あぁ、分かっている」
俺の言葉に、ティクロも覚悟を決めた様に頷いた。おそらく、彼もその話をするために、デュビックを寝かし付けてから俺の元にやって来たのだろう。俺は事前に話す内容を頭の中でシミュレートしていた通り、とりあえず現状確認から始めることにした。
「まずは、そうだな。ティクロは俺のことを、恋愛対象として見ている。だが、お前は俺にそのことを隠し、北西の奴隷商館でピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬を重ねている。ここまでで異論はないな」
ティクロに好かれているということを本人の前で言うのは、自意識過剰の様で正直恥ずかしいが、俺は努めて冷静に言葉を並べる。それに、ピピンとの逢瀬の件については、他でもない俺自身が目撃者であるため、ティクロは言い逃れができない。彼は表情の読めない顔で、黙って頷いた。
「次に、リリアの件についてだが。リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補という話を聞いたのだが、それは本当か?」
奴隷は結婚できないので、正確には嫁ではなく交尾相手であるのだが、俺の幸せを第一に考えているティクロからしてみれば、意味合いは嫁に近いだろう。
俺の質問に、彼はわざとらしく、目をぱちくりさせた。
「あれ、伝えてなかったか? そういえば、リリアに言った記憶はあるが、テッセンに言ったかどうかまでは覚えてねぇな」
この反応は果たして、空惚けているのか、それとも素で忘れていただけなのかーーそれを確認するためにも、俺は次の質問をぶつけてみる。
「ちなみに、リリアは正直、俺の好みのタイプど真ん中だったわけだが。これはおそらく、オルバーが絡んでいるな?」
あちゃーっ、と頭を掻きながら、気まずそうに視線を逸らすティクロ。そんな彼の反応から察するに、お見合いの話を俺だけにしなかったのがわざとであることは、ほぼ確定とみていいだろう。俺の心の奥底からふつふつと怒りが湧き上がるが、今は彼の話を聞くことに集中する。
「それもバレてたか……まぁ、そりゃそうだよな。そうだ、俺がオルバーに依頼したんだよ。俺が旅に出ている間、テッセンの好みのタイプを聞いておいてくれってな。この手の話は、俺よりオルバーの方がテッセンも話しやすいだろうし、それに……いや、なんでもねぇ」
ティクロは言葉を濁したが、言いたいことは何となく分かる気がする。要するに、「俺がティクロの目の前で、好みの女の話をする」というシチュエーションに、耐えられないと思ったのだろう。俺は恋愛経験に乏しいが、好きな人から自分以外の好きな人の話をされる絶望感とやらは、理解できなくもない。だから、他の誰かに頼む必要があったのだ。少しでも自分が傷付かない様に、そして、傷付いた顔を俺に見せて悟られない様に。
「と、とにかく。オルバーに調査してもらったはいいんだが、その情報をいつ利用しようかと悩んでいてな、ずっとタイミングを窺ってたんだ。そしたら、テッセン。お前に『料理を習いたい』と相談されてな。その時に、どうせなら好みの女に教わった方が、やる気が出るんじゃねぇかと思ったんだ。ついでに、その女とティクロが結ばれれば、一石二鳥だしな。というわけで、料理上手でテッセン好みの女を冒険者ギルドとか奴隷商館で探し回って、そして北東の奴隷商館で見つけたのがリリアというわけだ」
これは俺の推測だが、ティクロがリリアを選んだ理由は、それだけではないはずだ。今でこそ俺は仲間や冒険者ギルドの人間達に認められているが、元々俺は人間にも亜人にも嫌われているオークである。オルバー曰く、最近の俺は冒険者の女達には多少人気があるそうだが、ティクロは俺達がほぼ活動していない北東の、しかも外界の情報に疎いであろう奴隷商館に住んでいる性奴隷から、わざわざリリアを選んだのだ。普通に考えれば、おかしな話である。実際、リリアは俺どころか、ダイヤモンドランクの冒険者で有名なティクロのことすら知らなかった様だ。
リリアはレンタルされて間もない頃、オークとの子作りに気乗りしなかったと言っていた。さらに、実際に接してみて、それでも合わないと思ったら拒否していいとティクロに言われていた。そんな条件の中、果たして俺のことを好きになってくれるのだろうか。そして、俺の子供を産んでくれるのだろうか。これは俺の自惚れかもしれないが、いくら俺の好みのタイプと言えど、俺を傷付ける様な女をティクロが連れてくるとは思えないのだ。
つまり、ティクロはリリアの性格を見越した上で、彼女をレンタルしたのだろう。レンタルするだけであれば奴隷の意志など関係ないが、それでもティクロは俺の伴侶となるのに相応しい人物であるかを吟味した上で、リリアを俺の嫁候補として選んだに違いない。そうでなければ、最初から好感度が高いわけでもない女が、僅か二週間でオークの俺を好きになってくれるはずがないのだ。
そもそも、ティクロの周りには亜人に優しい人間が集まることが多い。それが偶然なのか必然なのかは分からないが、自然と寄ってくるのだ。リリアは亜人だが、オークである俺にも優しい。そんな彼女が、ティクロに引き寄せられたのかもしれないーー
(ティクロが俺のことを考えて、やってくれたのは分かる。だがーー)
それでも俺は、今回のティクロの行動が気に入らない。ティクロは俺の預かり知らぬところで勝手に話を進めてしまうきらいがあるが、親父やデュビックの件はただのサプライズで済んだものの、今回のお見合いに関しては流石に見過ごすわけにはいかない。ティクロにとっては良かれと思ってやったことでも、俺がそれで喜ぶとは限らないのだ。
俺が盛大に吐いた溜め息は、白い霧となって俺の目の前を染め上げた。息を長く吐くと自律神経が整えられるとティクロに教えてもらったことがあるが、俺の神経はそれほどまでに乱れていた様である。吐き終わった頃には、幾分気持ちが落ち着いた。だがーー
「それで、一ヶ月ほどレンタルして、二人の様子を見てみようと思ったのだが……どうした、リリアとの間に、何か問題があったのか?」
「いや、リリアはよくやってくれているとは思うが……そうではない」
俺の溜め息を盛大に勘違いしたティクロに対し、俺の心の奥底から再び怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。それは、リリアに真実を告げられた時に感じていた、ティクロとオルバーに対しての激しい怒りに似ている。
「俺は、お前に女を宛てがわれたということが気に入らない。そして、お見合いを兼ねていることを俺に黙っていたことも気に入らない」
努めて冷静に言ったつもりだったのだが、つい言葉に怒気を含ませてしまう。そんな俺の様子を見たティクロは、困った様に頭を掻いた。
「そ、そうだよな。お前だって、付き合う女は自分で選びたいよなーー」
「だから、そうではないと言っている!」
尚も勘違いするティクロに、俺はとうとう我慢できず、思わず怒鳴ってしまった。吐き出される白い息が、乱れる様に飛び交う。ティクロが目を丸くし、困惑した様な表情で、俺の顔をじっと見てくる。しかし、今回ばかりは引くわけにはいかない。俺はそのままの勢いで、思いの丈を彼にぶつけた。
「ティクロ、お前は俺のことが好きなクセに、俺を女とくっつけて、自分は諦めようとするーーその行為が気に入らないのだ!」
「……………………は?」
まるで時間が止まったかの様に、ティクロは目を大きく見開いたまま、固まってしまった。たっぷり時間をかけて、辛うじて口の中から漏れた一言が白い息となり、すぐに霧となって消える。
俺の言葉が理解できないのか、それとも理解することを拒んでいるのか、ティクロは思考停止したかの様に、ただ呆然と俺の顔を見つめている。だが、このままでは話が進まないので、俺は彼に分からせる様に、さらに言葉を浴びせた。
「ティクロ、お前は俺への想いを断ち切るために、俺にリリアを宛てがったのだろう。だが、俺がリリアと結ばれて子作りしているのを横目に、お前はこれからもずっと北西の奴隷商館でピピンをレンタルしては、俺の身代わりとして逢瀬を重ねるつもりなのか? お前はそれで本当に幸せなのか?」
ティクロがデュビックの独り善がりな幸せを拒絶した様に、俺もティクロの一方的な善意という名のお節介を受け入れることはできない。書類上は奴隷という立場の俺が何を贅沢言っているのだと思われるかもしれないが、それでも彼の幸せを犠牲にしてまで、俺だけが幸せになりたいとは思えない。彼と出会った当初は、幸せを得るために『相棒』という立場を利用するつもりだったが、あれから二年以上経った今となってはもう、損得勘定抜きで大切な存在となってしまった。俺だけではなく、彼ーーティクロも幸せにならなければ、意味がないのだ。
だんだんとヒートアップしていく俺の言葉に、ティクロは目に見えて動揺している。普段あまり感情的になることがない俺の激情的な姿に、目が離せない様だ。そんな彼に、俺は羞恥心をかなぐり捨て、叫ぶ様に言葉を叩き付けた。
「お前は、俺と恋人同士になりたいと思わないのか? 俺と愛し合いたいと思わないのか!?」
「い、いやいや、テッセン。お前は一体、何を言っているんだ。まぁ、確かにテッセンと付き合えたら、幸せだとは思うけどな。だがな、男好きでもねぇお前が、俺に性的な目で見られるなんざ、普通に考えて気持ち悪いと思うだろ? いいか、よく聞け。お前と初めて会って握手をした時、俺はお前の手の感触に興奮してたんだぞ。一緒のベッドに寝て抱き締められた時なんか、興奮のあまり勃起してたしな。それに、俺達がまだ宿屋で寝泊まりしていた頃、お前が寝ている隙を見計らって、お前の洗濯前のシャツとかパンツをおかずに、夜な夜なオナニーしてたんだからな!」
俺に問い詰められ、混乱のあまり余計なことまで白状してしまったティクロに、俺は思わず吹き出しそうになった。握手や同衾の件ついては何となく気付いていたが、最後のは聞きたくなかった情報である。だが、ここでそのことを追求したら話が脱線するうえ、今度は俺の方が怯んでしまいそうな気がしたので、今は敢えて聞き流すことにした。
俺は興奮を静めるために再度、深い溜め息を吐いた。そして、ティクロの瞳を射抜く様に、じっと見つめる。
「ティクロ、お前は一つ勘違いをしている」
「な、何だ、勘違いって……?」
ティクロは俺から距離を取る様に顔を引き、怯んだ様な顔で、俺の顔を見つめている。そして、おずおずと聞いてくる彼に、俺はゆっくり、はっきりと言い聞かせた。
「お前と出会ってから今までの間、俺は恋愛対象が女だけであるとは一言も言ってない」
「……………………は?」
またもや固まるティクロに、俺は一旦言葉を切る。今の発言だけでは少々誤解が生まれるため、少し頭の中を整理してから補足した。
「正確に言えば、俺は男と恋愛したことがない。経験がないだけで、実際にできるかどうかは、まだ分からない」
そうなのだ。俺自身、そのことに気付いたのは、つい先ほどである。二ヶ月前、引っ越しパーティーのあと、親父達と会話した時からずっと俺の胸の中を支配していた、謎のもやもやの正体。それが、先ほどのデュビックの暴走により、明らかになったのだ。
俺はずっと、男と女が恋愛をするものだと思っていた。世の中には同性と恋やセックスをする者が存在することを知らなかったわけではないのだが、それを自分に当てはめて考えたことがなかったのだ。リリアの様なスタイルの良い女が好みであること自体は間違いではないが、だからといって男が恋愛対象外であるとは言い切れないのではないのか。デュビックは男と付き合えるかどうかを考えずにティクロと恋人になろうとしていたが、俺は俺で自分が男と付き合えるかどうかを考えないままティクロとの可能性を潰していたのだ。
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「だが、俺はティクロ、お前と恋愛したい。俺はお前の相棒であると同時に、恋人にもなりたいと思っている。だから俺と付き合ってくれ」
俺はティクロの手を取り、両掌で包み込む。奴隷商館で初めて会った時、酒場で相棒になった時に交わした握手。正確には握手ではないのだろうが、これが俺達の握手の仕方である。彼の右手からほんのりと熱が伝わってきて、心地良い。
ティクロはぽかんとしていたが、次第に頬が赤く染まり、目玉が飛び出るかの如く目を大きく見開いた。だが、嬉しさより困惑が上回っているのか、彼の表情はあまり芳しくない。
「どうした、ティクロ。まさか、俺の告白を受け入れてくれないというのか?」
「テ、テッセン。いや、お前、何言ってんだよ。俺のことを好きだって言うけどさ、それはお前の勘違いだって。自分で言うのもなんだが、俺はお前を奴隷商館から救い出し、お前の家族も集めて、快適に暮らせる場所も提供している。お前達のことを奴隷扱いせず、人間と同じ様に接している。その感謝の気持ちを、『俺への恋心』だと勘違いしているんじゃねぇのか?」
ティクロがパニックになりながらも、デュビックの時の様に俺を拒絶することは分かっていた。俺の気持ちは勘違いだと言い出すことも想定していた。だが、デュビックはここで引いてしまったが、俺は引くわけにはいかない。
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「お前は俺のことを好きだと言っているが、本当にそうなのか? つまり、『俺に対する罪悪感』と『俺に助けられたことに対する感謝の気持ち』が混ざり合い、それを『俺への恋心』だと勘違いしているのではないのか、という話だ。先ほど、お前が俺の気持ちを勘違いだと指摘した様にな」
淡々とした口調で、ティクロの心に揺さぶりをかける。正直、最後の部分は完全にアドリブではあるが、俺が事前に用意しておいた台詞の大半を彼にぶつけることができた様に思う。その甲斐あってか、彼はあわあわと口を震わせていた。
「い、いや、そんなことは……」
「ないと、果たして言い切れるのか?」
必死に弁明をしようとするティクロの言葉を遮り、追い討ちをかける。尤も、彼は俺の反論の内容より、俺が反論しようとしている行為そのものに対して混乱している様だが。
「そ、それはその……えっと……」
暫く反論しようとしていたものの、遂に言葉に詰まったティクロは、逃げるかの様に俺から視線を逸らした。だが、彼の手を俺の両手でしっかりと握っているため、逃げることはできない。少し卑怯ではあるが、彼が正常な判断力を失っているうちに、ここで一気に畳みかける。
「意地の悪い言い方をしてすまない。だが、俺は正直、恋愛というものとは無縁の世界で育ってきた。俺はティクロのことを好きだが、この気持ちが恋愛としての好きなのか、そして男であるお前に欲情し、キスやセックスができるかどうか分からないのだ。だから、それを確かめるためにも、試しに付き合ってみようと言っているのだ」
俺は再度、ティクロに交際を申し込む。しかし、なかなか首を縦に振ってくれない。彼は破天荒で他人を振り回しがちな反面、押しに弱く、すぐ妥協してしまう一面があるのだが、やはり俺の押しが足りなかったのだろうか。それともーー
「どうした、ティクロ。俺がお前と恋愛できるかどうか分からないのに、できる訳がないと決めつけて俺を拒むのか?」
責める様な口調で問い詰める俺に、ティクロは怯えながら目に涙を浮かべている。俺の両掌に包まれた彼の右手は僅かに震え、汗ばんでいた。
冷たい風が、俺達を断つ様に吹き抜ける。沈黙が暗闇を支配する中、これ以上はもう限界かと諦めかけたその時、ティクロが掠れた声で俺に訴えてきた。
「テッセンの言い分は分かった……だがよぉ、テッセン。お前は俺と恋愛したいと言うけどよ。お試しで付き合ってみて、もしその結果、駄目だとなったらどうすんだよ。デュビックだけでなく、お前とも気まずくなったら、俺はもう耐えらんねぇよ」
ティクロの気持ちは分からなくもない。場合によっては、俺達は恋人どころか、相棒ですらいられなくなってしまう可能性もあるのだ。そうすると、もしかしたら俺は家から追い出されるかもしれない。そうなった場合、別の冒険者に拾ってもらうか、或いは奴隷商館に戻ることになるだろう。だがーー
「それは今の状況と変わらないだろう。そもそも、ティクロが俺に隠れてピピンと密会していたせいで、俺達は現在進行形で気まずいのだからな。だが、もし試しに付き合ってみて、結局『恋人』の関係になれなかったとしても、『相棒』の立場だけは守ってみせると約束しよう」
俺自身が奴隷商館に戻りたくないというのもあるが、それよりこれからもずっとティクロと一緒に冒険者として暮らしていきたいという思いの方が強い。オルバーやルイス、その他大勢の冒険者とどれだけ仲良くなったとしても、たとえ俺達に別々の恋人ができたとしても、俺にとっての『相棒』は彼ーーティクロしか有り得ないのだ。
「テッセン……お前、ほんとひでぇな。恋人関係になれない男の隣で、ずっと『相棒』として接しろと言うのか」
ティクロの両目に溜まっていた涙が、とうとう零れ出した。涙は頬を伝い、顎の先端で水滴となって、毛布の上にポタポタと落ちる。
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俺はティクロの瞳を真っ直ぐに見つめる。そして、飾らない言葉で且つ、如何なる甘味をも凌駕するほどの甘く蕩ける様な言の葉で、彼の心に優しく止めを刺した。彼の蒼く澄んだ瞳が水面の様に揺れ、下瞼に悲喜交々とした涙が溢れ出す。
「ひでぇよ、テッセン。こんなの、拒めるわけねぇじゃねえかーー!」
涙目で文句を言うティクロの声は、聞き取り辛いほどに震えていた。滝の様に涙が流れ、雨が降ったかの様に毛布を濡らしていく。俺のために泣いてくれる彼を、俺は心底愛しいと思った。
そして、翌日。
毛布一枚では肌寒く、いつもより早く起きてしまった。窓の外から淡い光が差し込み、朝になって間もない時間であることを示している。俺は再びベッドに横になったが、昨夜のティクロの泣き顔を思い出して興奮してしまい、再び寝付くことができない。気を静めるためにキッチンで顔を洗おうとベットから起き上がり、部屋の扉を開く。すると、リビングには朝食の準備をしているデュビックとリリアの姿があった。
「あっ、兄貴。お、おはよう!」
「あら、テッセン、おはよう。もうすぐ朝食できるから、座って待っててね」
心なしか元気のないデュビックと、朝っぱらから妖艶な雰囲気を醸し出しているリリアが、扉の開く音に反応して振り返る。俺の存在に気付くと、二人は俺に挨拶をしてきた。
「あぁ、おはよう。親父とティクロはまだ寝ている様だな。まぁ、親父はオルバーと夜遅くまで飲んでいた様なので、暫くは起きてこないとは思うが」
俺は二人に挨拶を返したあと、リリアの言葉に甘えて椅子に座り、朝食を待つ。朝食の準備をしている二人の後ろ姿は、まるで夫婦の様に見えた。
昨夜は結局、俺の告白に対するティクロの返事を聞く前に、裏庭に突然現れた親父によって中断された。酔っ払いながらも俺達の雰囲気を察した親父はすぐに謝り、そそくさと退散したのだが、せっかくのムードを台無しにされた俺達は微妙な雰囲気のまま解散し、各自の部屋へと戻ったのだった。
俺が頭の中で親父の腹を殴っていると、部屋の扉がガチャリと開く音がした。音のした方へ振り向くと、寝惚け眼のティクロが部屋から姿を現す。リリアのいる手前、額の十字架を隠すために愛用の赤いヘッドバンドを巻いているが、上半身裸に半ズボンと非常にラフな格好である。
「あっ、ティクロ様、おはよう!」
「ティクロ様、おはようございます。朝食の用意が出来ましたので、お掛けになってお待ちください」
ティクロの存在に気付いたデュビックとリリアが、それぞれ挨拶する。ティクロの登場により途端に明るくなったデュビックは、キッチンから一直線にティクロの元へと飛んでいき、流れる様な動作でティクロのヘッドバンドにキスを落とした。
「……………………は?」
突然の出来事に、ティクロに挨拶しようとした言葉が引っ込み、代わりに巨大な疑問符が口から飛び出した。だが、ティクロはデュビックのキスを平然と受け入れている。
「あぁ、おはよう。どうやら元気になったみてぇだな」
「えへへ。テッセン様、昨夜は本当にありがとう。今日の朝食はリリアちゃんと腕によりをかけて作ったから、期待して待っててね!」
「あらあら、二人は仲良しね。でもデュビック、家の中で走っちゃ駄目よ」
俺が思考停止して固まっているのを余所に、のほほんとした会話が繰り広げられた。デュビックはリリアに謝りながらキッチンに戻り、ティクロは俺の隣の椅子に座る。俺はティクロに文句を言いたい気持ちでいっぱいだったが、彼に向かって口を開こうとしたその瞬間、俺の腹の虫が盛大に鳴った。
「テッセン、そんなに腹が減ったのか……って、どうした、そんな目で俺を見て」
ジロリと睨み付ける俺に、ティクロは怪訝な顔を向けてきた。そんな彼の反応に、俺は若干イラっとする。
「いや、さっきのデュビックのアレは一体、何だ……?」
「アレって……あぁ、デコチューのことか」
ティクロは時々、独特な言葉を使うが、デコチューとはおそらく「相手の額にキスすること」を指しているのだろう。俺が頷いてみせると、彼は頭を掻きながら、言い難そうに説明を始めた。
「いや、実はな。昨日デュビックを寝かし付けた時に、俺にキスしていいか聞いてきてな」
「なっ……!? そ、それで、ティクロ。お前はそれを許したというわけか」
「まぁ、唇同士のキスは流石に断ったが、デコチューくらいなら、ってな」
ティクロの言葉に、頭が痛くなった。何ということだ。デュビックは昨日、あれだけティクロと恋人になれないと分かって泣きじゃくっていたのに、まだ諦めていなかったというのか。額へのキスをティクロに許してもらったデュビックは、そこからさらに調子に乗って、だんだんとエスカレートしていくことだろう。そして、いつしか二人はーー
唇を重ねながら愛し合うティクロとデュビックの姿を想像する俺に、ティクロは苦笑しながらデコピンした。手加減されているので痛くはないが、俺は咄嗟に、額に手を当てる。
「お前が何を考えているのか何となく分かるが、それは勘違いだ。デュビックのはあくまで、家族としてのキスだ。恋人としてのキスは、お前にしかやんねぇよ」
そう言い、ティクロは俺の頬に顔を近付け、口付ける。彼の柔らかい唇の感触に、俺の顔はカッと熱くなった。
「ティ、ティクロ。それって、まさかーー!」
口から心臓が飛び出そうなほど驚倒する俺の反応に満足したかの様に、ティクロは目を細めてニッと笑った。照れる様に頬を染める彼の笑顔に、俺の顔はさらに熱くなる。昨日は結局、告白の返事をもらえなかったのだが、これはもう俺達は付き合っていると見て間違いないだろう。
しかし、テーブルの近くに二つの気配を感じ、沸騰しそうな熱が急激に冷える。気配のする方にゆっくりと振り向くと、そこには料理を手にしたまま、困惑した表情で俺達を見つめているデュビックとリリアの姿があった。どうやら、俺達の一連の行動を全て見られてしまった様である。
「あ、あの、ティクロ様。これは一体、どういうことなのでしょうか……?」
「兄貴、もしかしてティクロ様と付き合い始めたんじゃ……!?」
二人の言葉に、俺はうっ、と言葉を詰まらせた。ティクロを横目で見ると、「しまった」と言わんばかりに顔を歪めている。そうだ、リリアは料理の講師であると同時に、俺の嫁候補としての役割も担っているのだ。それなのに、当の雇い主であるティクロが、俺と恋人同士になってしまった。これでは流石に、リリアの立場がない。
「そ、それは、その……」
「あ、あぁ。実は……」
俺達はお互いに顔を見合わせ、そして項垂れる。現場を目撃されてしまったのでは、もう弁解の余地はない。ジト目で見てくる二人に観念した俺達が、事情をこと細かに説明し終わる頃には、テーブルの上に乗った数々の料理がすっかり冷めてしまったのだったーー
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