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奴隷のオークとヘタレな相棒
第九話 家族
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夜も更けてきたため、俺達は明日に備えて寝ることにした。四人部屋でベッドも四つあるが、ティクロとオルバー、そしてオークが三人いるため、ベッドが一つ足りない。誰がベッドを使うか話し合っていたが、泥酔したオルバーが帰ってくるなり床に寝転がってしまったため、俺達は遠慮なくベッドを使って寝ることにした。親父とデュビックは躊躇っていた様だが、生まれて初めてのふかふかなベッドの魅力には逆らえなかった様だ。今夜は暖かいので、半裸のオルバーでも風邪を引くことはないだろう。
そして翌日、未だに床で鼾をかいているオルバーを余所に、俺達は親父とデュビックの服を買いに出掛けた。派手で奇抜な服装が好きなティクロとは対照的に、二人は質素でゆったりとした服装を好むらしい。ティクロのおすすめを振り切り、地味に纏まった。ティクロは少々不満気だが、二人が満足している姿に、一応は納得した様だ。
市場の屋台で昼食を軽く取ったあと、俺達はオルバーを迎えに宿へ戻った。オルバーはまだ寝ていたため、ティクロが頭にチョップを入れて起こす。
「グガッ!? 何だ、いきなり……ってティクロお前、帰ってきてたのか。ということは、お前らはガルドとデュビックだな。そうかそうか、無事にテッセンと再会できた様で、本当に良かったな!」
オルバーとは昨日の夜の時点で顔合わせをしていたはずだが、酔っ払って覚えていないらしい。本当にどうしようもないと呆れながらも、新しく迎えた二人を嘘偽りなく歓迎するオルバーの姿に、自然と頬が緩んだ。
チェックアウトを済ませた俺達は、冒険者ギルドでシシクルとバルバトスに挨拶を済ませたあと、南東へと戻る。厳つい大男二人にオーク三人の組み合わせは非常に目立つらしく、道行く人々が俺達の方に振り向いていた。オルバーは南東の冒険者ギルドに用があるからと別れ、俺達は南東でいつも利用している宿屋にチェックインして一泊する。
翌日、宿に荷物を置いたまま、不動産屋へと足を運んだ。以前、ティクロが赤竜の報酬を受け取った時に話していた、俺達が住む家を購入するためである。担当となった女性店員の案内のもと、俺達は南東エリアを中心に家を見て回る。数日間かけてじっくりと検討した結果、冒険者ギルドと市場の間にある一軒家に決定した。四人どころか六人住んでも充分に生活できるほどのスペースがあり、キッチンや風呂、トイレなどの各設備も充実している。日当たりも良く、各部屋の壁や床は木造だが、〈防音〉〈防汚〉〈耐火〉〈耐水〉〈耐衝撃〉〈耐震〉などの魔法がしっかりと付与されており、三百年は保障されているとのことである。
家を購入したあと、俺達は部屋を割り当て、それぞれにベッドやテーブル、椅子などの家具を次々に配置していく。オルバーやルイスが泊まりに来たときのことも考えて、余った二部屋を客間にし、ベッドやテーブル、椅子と、最低限の家具を配置した。リビングにも大きなテーブルと、六人分の椅子を配置する。収納スペースや雑貨類などは後日、追々と揃えていくとして、これでひとまず生活できる環境は整った。
それから、俺達の今後のことを話し合う。俺とティクロは冒険者稼業を続けるが、親父とデュビックは所謂、無職の状態である。
親父は今年で五十八歳となり、これは人間でいうところの三十代半ばに相当するため、まだまだ働き盛りだ。親父は元々、戦闘奴隷として販売されていたが、長らく鉱山奴隷として暮らしていたため、ツルハシ以外の得物は久しく握っていないという。
一方、デュビックは今年で三十歳と、まだ若い。親父と同様、最初は戦闘奴隷として、奴隷商館で暮らしていた。だが、男爵家に買われてからは、細々とした雑用や、荷馬車ならぬ荷オーク車をしていたらしく、実戦経験はないという。それに、デュビックは大柄で強面な見た目に反して気が弱く、とても実戦向きとは思えない。暫くは親父とともに家の留守番や、ルイスのポーターとしての仕事を手伝ってもらうことになりそうだ。
「というわけで、これからよろしく頼む。環境が変わって落ち着かないとは思うが、徐々に慣れていこうぜ」
ティクロの言葉に、俺達オーク陣は一斉に頷く。親父とデュビックはそわそわしながらも、これからの生活に期待を膨らませている様で、表情は明るい。俺も新生活に胸を躍らせながら、ティクロを加えた新しい家族の姿を、いつまでも眺め続けていた。
新居での生活に慣れてきた頃。ティクロの提案で、オルバーやルイスを家に招き、家の購入と親父達の歓迎を兼ねたパーティーを開催することになった。しかし、まだキッチンには調理器具が無いし、そもそも全員料理ができない。そのため、今回は人間組の三人が、それぞれ市場や飲食店から出来合いのものを持ち寄る形となった。ちなみに、肉やパン、サラダなどを持ってきたのはルイスのみで、オルバーはビールやウィスキーなどの酒類、ティクロはケーキやチョコレートなどの甘味ばかりである。
オルバーはパーティーが始まってすぐ、ビールをジョッキ三杯飲んで、ご機嫌だ。ティクロも肉や野菜には目もくれず、ひたすら甘味ばかりを貪っている。二人とも自分のために買ってきたのかと呆れ果てながら、俺はルイスが買ってきたパンとシチューに手を付けた。一方、親父とデュビックは何処から手を付けたらいいのかと迷っていたが、「なんでも好きな物を食べろ」とティクロが促すと、おずおずと料理に手を伸ばす。二人ともティクロと一緒に何度か食事をしているが、未だに人間と同じテーブルで食事をする感覚に慣れない様だ。
「それにしても、ティクロさんは本当にお人好しですよね。わざわざテッセンさんの家族を集めて、さらに個室を与えるなんて」
俺の隣に座っているルイスが、俺に顔を近付けて耳打ちした。俺も周りに聞かれない様に、声を潜める。
「ルイス、お前の目から見て、ティクロはおかしいと思うか?」
「い、いえ。珍しいとは思いますが、おかしいとまでは思いません。ただ……」
ルイスは慌てて否定し、一旦言葉を切る。まるで何かに怯えるかの様に身体を震わせ、俺から目を逸らした。そんなルイスの表情を、俺は何処かで見た様な気がする。それはーーそうだ、冒険者ギルドの近くにある広場で、彼と初めて出会った時だ。ティクロが俺を『相棒』として紹介した時のルイスの表情が、今でも印象に残っている。彼はあの時の続きを話すかの様に、重々しく口を開いた。
「ただ、俺はティクロさんが羨ましいなと思って」
「羨ましい?」
思いもよらぬ言葉に、俺は眉を顰める。ルイスは俺から目を逸らしたまま、こくりと頷いた。
「その、『奴隷』に対しても偉ぶったりせず、懇到切至なところとか。自分の身を犠牲にしてでも、『奴隷』を守るところとか。あと、『奴隷』であるテッセンさんに劣情を抱いているにも関わらず、一切手を出さないところとか」
ルイスは指折り数えながら、ティクロの長所を言葉にして紡いでいく。ただ、先の二つはともかく、三つ目は果たして褒めているのか、それとも「情けない」と貶しているのか、判断しかねるが。それに、彼がわざわざ『奴隷』という言葉を強調していることに、何処か違和感を覚える。彼の話に、俺は注意深く耳を傾けた。
「すごいですよね、ティクロさんは。亜人であるテッセンさんを『相棒』と呼んで仲良くして、そしてテッセンさんに慕われてるなんて。僕には到底、そんな真似などできない。だから、そんなティクロさんのことが、心底羨ましいんです」
ルイスは目を伏せ、拳をぎゅっと握り締める。俺はここでようやく、彼が抱いているのは恐怖心ではない、もっと別の感情であることに気付いた。俺はその正体を確かめるべく、ずっと聞きに徹するために結んでいた口を開く。だがーー
「ルイス、お前まさか……」
「おいおい。何しんみりしてんだよ、お二人さん! 今日はパーティーなんだから、楽しまなきゃ駄目だろうが!」
俺が核心を突こうとしたところで、突然割り込んできたオルバーに、俺達はビクッと身体を震わせる。「しんみり」というより「どんより」といった表現の方が正しいが、どちらにしても空気の読めないオルバーに払拭されてしまった。尤も、せっかくのパーティーなのに暗い雰囲気を漂わせている俺達の方が、よっぽど空気を読めていないのではないかと言われれば、全く以てその通りではあるのだが。
「ちょっ、オルバーさん!? それに、ガルドさんも飲み過ぎじゃないですか! 駄目ですよ、オルバーさんのペースに合わせちゃ」
オルバーの隣では、親父がビールのジョッキを片手に、ご機嫌の様子である。どうやら、パーティーが始まってから僅か数分で、すっかり意気投合してしまった様だ。一方、デュビックはティクロと一緒に甘味を次々と頬張り、恍惚の笑みを浮かべている。幸せそうで何よりだが、あまり食べすぎるなと注意しておく必要がありそうだ。しかし、そんな俺を邪魔するかの様に、親父が俺の左肩に顎を乗せ、腰に手を回してきた。吃驚して振り向くと、俺に似た不細工な顔が、至近距離で俺の目の前に映し出される。
「お、親父。気持ち悪いから離れーー」
「テッセンよぉ。お前、本当にいいご主人様と巡り合ったよなぁ。それに、おこぼれで俺達も地獄の様な日々から救ってもらって、本当に感謝しているんだ。ティクロ様はもちろん、お前に対してもな。本当に、本当にありがとなぁ」
酒臭い息から顔を逸らし、押し退けようとするが、親父の殊勝な態度に気が削がれてしまった。やれやれと思いながらも、俺の肩に乗っている親父の頭を撫でてあげる。親父は一瞬驚いていたが、すぐに破顔し、俺の掌に身を委ねる様に、頭を擦り寄せてきた。
「そうだぜ、ガルドのおっさんよぉ。テッセンがいなければ、ティクロは山賊や赤竜に殺されていたかもしんねぇし、そしたらおっさんやデュビックは今でも過酷な労働生活を強いられていただろうな。お前ら、本当にテッセンさま様に感謝しろよ!」
今度は右肩から、オルバーが絡んでくる。気持ちは嬉しいが、むさ苦しさと酒臭さが倍増したため、俺は流石にオルバーを引き剥がした。オルバーは俺の反応にもめげず、今度はルイスに絡み始める。
「ルイス、お前にも感謝してるんだぜ! テッセンと一緒にバルバトスのおっさんを連れてきてくれて、本当にありがとな!」
「うわっ!? オルバーさん、その話は何度も聞かされてますし、気持ちは充分受け取りましたから、離れてくださーー痛たたたたたっ、骨が折れる、折れますって!」
オルバーの熱い抱擁に、ルイスが悲鳴を上げる。ルイスは懸命にオルバーから解放されようと踠くが、力の差は歴然でピクリとも動かない。俺は溜め息を吐き、親父の頭をどかして席を立つ。そして、オルバーの脳天にチョップをかました。
「痛えっ!? おいコラ、俺の頭が馬鹿になったらどうしてくれる!」
「安心しろ、お前はそれ以上馬鹿にはならない」
文句を言うオルバーを適当にいなし、オルバーの腕の中からルイスを解放する。ルイスは痛みに肩を震わせながら、俺の胸に飛び込んできた。
「あ、ありがとうございます、テッセンさん。貴方は命の恩人です、このご恩は一生忘れません!」
「大袈裟だな。だが念のため、怪我がないかティクロに診てもらえ」
ルイスは頷き、ティクロに頼んで治癒魔法をかけてもらう。ルイスは初めてかけてもらった治癒魔法に、甚く感動した様だ。俺はその様子を見て、ふと気になったことをオルバーにぶつけてみる。
「オルバー、お前はティクロに怪我を治してもらわなくていいのか?」
「そういえば、オルバーさんはティクロさんの幼馴染なんですし、何回も治癒魔法かけてもらっているんですよね。なのに、赤竜と戦った時の傷もそうですが、僕達が初めて会った時の傷も、まだ残ったままですよね。ティクロさんなら完璧に治せると思うのですが、どうして傷が残ったままなんですか?」
ルイスも不思議に思っていた様だ。確かに、右の脇腹にある大きな切り傷も、左肩にある十字の傷跡も、俺と出会った頃から見覚えのあるものだ。小さい傷はティクロの治癒魔法や自然治癒で次第に治っていった様だが、大中の深い傷は完全に治っていないものも多い。しかし、俺が山賊と戦った時に負った大怪我が、ティクロの治癒魔法で治ったことを考えると、オルバーの傷まみれな身体は、あまりにも不自然過ぎる。
「あぁ? そりゃおめぇ……昨日傷だらけだった俺が、翌日に快癒したとして、周りの冒険者から見てどう思うよ。治癒師に頼めば治してもらえるだろうが、そう何度も何度も回復してたら流石に怪しまれるだろ。特に、俺は姉ちゃんのいる店で金を湯水の如く使うのは、周りの冒険者達も知ってるしな」
「胸を張って言うことではないと思うのですが、言われてみれば確かにそうですね。まぁ、服とか鎧を着て隠せばいいとは思いますが……」
ルイスは呆れつつも、納得している様だ。だが、ルイスの言葉に、オルバーが一瞬動揺したかの様に身体を震わせたのを、俺は見逃さなかった。オルバーは何か隠しごとをしているーーティクロとピピンの件があってから、俺はどうも人を疑う癖がついてしまった様だ。だが、人は誰しもが他人に言えない秘密を、一つや二つ持っているものだ。ティクロもルイスもそうだ。俺だって、ティクロに対する不確かな感情の正体が分からず、未だに誰にも相談できないままなのだ。もしかしたら、オルバーもそうなのかもしれない。
ーーと思っていたのも束の間。次のオルバーの台詞に、その考えは一瞬にして吹き飛んだ。
「それによぉ、傷一つ無え身体より、身体中に傷跡があった方が、如何にも戦士っぽくて、格好いいだろ? ダイヤモンドクラスの冒険者としての箔も付くってもんよ。姉ちゃん達にも好評みてぇだしな!」
満面の笑みで高らかに宣うオルバーに、呆気に取られてしまう。ルイスも呆れているのか、隣から溜息が聞こえてきた。俺は無言のまま、オルバーの頭に勢いよく手刀を落とす。ドンッという鈍い音とともに、オルバーの頭がガクンと沈んだ。
「い、痛えっ!? またチョップかましやがって、この馬鹿野郎めが! 頭蓋骨が陥没したら、どう責任をとるつもりだ!?」
「その時はティクロに治療してもらえ。もういいから、お前は親父とあっちで酒飲んでろ」
涙目で頭を擦るオルバーからのクレームを右から左へと聞き流しながら、テーブルの上にあったビールを差し出す。オルバーは不満気な顔をしながらもビールを受け取り、しぶしぶと酒飲みを再開させた。親父もオルバーの隣で、酒の一気飲み競争を始める。
「ルイス君、ルイス君。このケーキ凄く美味しいから、一緒に食べようよ! 栗のクリームがすごく濃厚で、口の中が幸せになっちゃうよ」
「デュビックさん、まだティクロさんに付き合ってたんですか。それでも全然、減っている様に見えませんが……」
デュビックに手招きされ、ルイスは呆れた表情を浮かべながらも、勧められたモンブランに手を付け始めた。ルイスはそのまま菓子組に参加してしまい、彼が持ってきた料理を俺一人で食べ続けるのも寂しかったため、俺もティクロ達に混ざることにした。薄い林檎酒をチビチビと飲みながら、四方山話や懐旧談に花を咲かせる。ルイスとは話の途中だったが、今その話題を出すのは何となく避けた方がいい様な気がするため、後日二人っきりになった時にでも聞こうと、心の中にしまった。
オルバーが泥酔し、テーブルに伏して寝息を立てたのは、夜も更けた頃。ティクロとルイスも眠くなってきた様なので、パーティーはお開きとなった。オルバーを横抱きにし、客室のベッドへと運ぶ。人生初のお姫様抱っこの相手はオルバーになってしまったが、気にしたら負けである。何と戦っているのかは分からないが。
ティクロもまた、ルイスを別の客室に案内したあと、自分の部屋へと戻っていった。これで、リビングに残っているのはオーク組の三人のみ。ティクロには明日でいいと言われていたが、まだ目が冴えていて暇だったため、デュビックと二人でパーティーの後片付けを始める。テーブルの上に残っていた料理やゴミを始末し、食べカスやオルバーの涎の跡を雑巾で拭き取る。その間、親父は椅子に座って赤ワインをちびちびと飲んでいた。
「お父さん、まだお酒飲んでるの? そんなに飲んで、大丈夫?」
「あぁ、鉱山にいた時も、これくらい酒は飲んでたからな。アルコールばっか強くて、旨みはなかったが。だからこんくれぇ、どうってことねぇよ」
デュビックの心配を吹き飛ばすかの如く、親父はガハハと豪快に笑った。顔は赤く染まっているが、意識ははっきりしている様だ。オルバーを超える酒豪の登場に、俺は頭が痛くなった。
俺が奴隷商館にいた時は、たまに薄い林檎酒が提供されたが、親父のいた鉱山では酒類が娯楽として頻繁に振る舞われたという。まぁ、奴隷にとっては、それ以外の娯楽がなかったともいえるだろうが。ちなみに、デュビックは酒類が一切飲めないらしい。オークは腹が丈夫のため、真水を飲んでも平気ではあるが、俺もデュビックも今までよく生きてこれたなと思う。
「あぁ、それにしても、ビールやワインのなんと美味いことか。こんな贅沢をさせてもらって、本当にティクロ様には頭が下がるわい」
「うん、僕もティクロ様に色んなお菓子をもらって、本当に嬉しかった! 特にあの、タルタルタンタンだっけ? あれは美味しかったなぁ……」
「タルトタタンな。俺には甘過ぎて、口に合わんが」
酒を水の様に飲む親父に、甘味を主食の様に食べる弟。そんな二人と俺は本当に家族なのかどうか、だんだんと疑わしくなってきた。だが、赤と黒のオッドアイは、紛れもなくオーグマー家の血筋のものだ。姿や声を変える魔法もあるらしいが、わざわざそんな繊細で高度な魔法を使ってまで、俺を騙す理由はないだろう。それに、一緒に過ごした期間は短いとはいえ、奴隷時代に僅かながらも一緒に過ごしていた時の二人の口調や仕草、癖などは、はっきりと覚えている。間違いない、二人は俺の家族だ。血の繋がった、大切なーー
「兄貴、どうしたの? ボーッとしちゃって。眠いなら、あとは僕が片付けとくから、もう寝ていいよ」
デュビックに声をかけられ、思考に意識が飛んでいた自分に気付く。ハッと顔を上げると、デュビックと親父が俺に注目していた。
「えっ? あぁ、別に。ただ……幸せだなと思ってな」
自分の素直な気持ちを、シンプルに伝える。デュビックは少し驚いていたが、すぐに同意する様に頷いた。一方、親父は俺の話を聞きながら、黙々とワインを飲み続けている。一瞬だけ、客室の扉をチラリと見た様な気がした。
奴隷商館にいた頃の俺からは、考えられない様な気持ちだった。寧ろ、不幸であることが当たり前だった。アーヴァイン・ブルダン戦争で亜人が負けた時から、亜人の人生は終わったも同然だった。人間の奴隷にされ、如何なる命令にも絶対服従、散々こき使われた挙句、不要になったら処分される。俺も、そんな人生を送るはずだった。だが、そんな俺をティクロが救ってくれた。俺を相棒として扱い、家族ともども衣食住を提供してくれている。俺達のことを理解し、仲良くしてくれる仲間もいる。これを幸せと呼ばずして、何と呼べというのか。だがーー
「だが、俺は……ティクロにどうやって恩を返せばいいのか、分からない」
幸せに包まれていた俺の心が、チクリと針を刺す様に痛む。嬉しいはずなのに、悲しさとも切なさとも何とも言えない感情が、僅かな穴からじわじわと滲み出てくる。俺は心の奥底に溜まっていた感情を絞り出す様に、吐露した。
「ティクロは俺に『罪滅ぼしをするためにやっていることだ』と言っていたが、山賊退治や赤竜討伐の時に俺がしたことなど、本当に微々たるものだ。それより遥かに、俺はティクロからもらっている……あまりにも、もらい過ぎている」
もちろん、ティクロに優しくされて、嬉しくないわけではない。だが、どんなに栄養価が高く、身体に優しいものでも、食べ過ぎれば毒となる。彼の優しさに溺れ、甘やかされている現状が苦しい。彼に与えられるだけ与えられ、何も返せていない現状が辛い。
それに、「人のせいにするな」と言われるかもしれないが、そもそもティクロが俺達に見返りを求めてくれないのも悪い。赤竜との戦いの時にも薄々感じてはいたが、彼は俺に対して何も期待していない様にすら感じるのだ。俺は一体、何のために彼の相棒になったのだろうか。だったらもう、いっそのことーー
「いっそのこと、俺を竿奴隷として扱ってくれれば、どれだけ気が楽だったかーー」
俺の口から思わず零れた失言に、親父は口に含んでいたワインを盛大に吹き出した。デュビックも動揺のあまり、目を丸くしている。
「あ、兄貴!? 竿奴隷ってあの、えっと、お、おち、おちんちんでご主人様を、ご、ご奉仕するっていう、あの……!?」
「いやいや、テッセンもデュビックも少し落ち着け! 人間がオークを性奴隷にするなんざ、天地が引っくり返っても、あるわけねぇだろうが!」
親父の指摘は、世間一般的に見れば的確である。竿奴隷の様に性処理を目的とされた奴隷は通常、眉目秀麗と謳われるエルフや、幼女趣味や稚児趣味向けのドワーフなどといった種族が選ばれる。獣人や鳥人、リザードマンといった鳥獣の見た目をした亜人も人気だが、体型はスリムか、せいぜいうっすらと筋肉が浮き出ている程度で、さらに顔立ちの良い者ばかりだ。腹筋や胸筋などがバッキバキに割れ、腕や足も丸太の様に太い全身肉達磨の亜人も、ニッチ趣味としての需要はあるらしいが、それでもオークの様な醜悪面が性奴隷として選ばれることはまずないだろう。
しかし、相手はあのティクロだ。彼が世間一般に当て嵌まらないことを、俺は知っている。彼の秘密に関わるため、それを二人に言うべきかどうか悩んだが、先ほどの俺の発言をうまくフォローできる自信がない。それに、家族である二人に相談したい気持ちが強かった。
「親父、デュビック。今から俺が話すことは内証にしてほしいのだが……」
そう前置きし、ティクロがハイオークであるピピンをレンタルして、疑似恋愛を楽しんでいた時のことを話した。ただ、ティクロがピピンを俺の名前で呼んでいたことについては、何となく気恥ずかしかったため、伏せてしまったが。
親父は俺の話に、興味津々の様子。対してデュビックは、顔を真っ赤に染め、俯いていた。見た目の割に精神年齢が幼い弟にとっては相当、刺激の強い話だっただろう。人によっては嫌悪感を示すこともあり得る話ではあるが、少なくとも二人からはその様子は見られないため、ひとまず安心した。
「ほぉ、人は見かけによらんなぁ。女を侍らせて派手に遊んでそうなティクロ様がまさか、オークのチンポでメスにされて喜ぶド変態だったとはな」
「親父、言い方」
親父の歯に衣着せぬ物言いに、流石に諫言する。しかし、俺も少しはそう思っていたため、あまり強くは言えなかった。
「だがよ、テッセン。ティクロ様は、お前を竿奴隷にする気はねぇんだろ? もしその気なら、お前が買われたその日に、そうしてるはずだからな。それに、ティクロ様のことだ。きっとお前に手を出したら、今度こそ罪悪感に押し潰されてしまうだろうよ」
ティクロと付き合いの浅い親父でも、彼の性格はある程度、把握している様だ。俺も同じ考えのため、素直に頷く。
「あとな、テッセンよ。性奴隷になると言ったって、お前にティクロ様を抱けるのか? 隷属の首輪を使えば、お前の精神やチンポをコントロールできるかもしれねぇが、ティクロ様はそんなことしなさそうだしな。そうすると、お前は自分の意思でチンポをおっ立てて、ティクロ様のケツマンコに突っ込まなければならねぇんだぞ」
「親父、だから言い方」
最低レベルで下品な親父の物言いを諌めようとするが、言っていることは的確であるため、それ以上は何も言えなかった。異性愛者である俺が、同性であるティクロの裸を見て興奮し、彼を抱いて満足させなければならない。それに、キスやフェラチオなどといった前戯も必要だろう。隷属の首輪を使わず、果たして俺にできるのだろうか。
そもそも「竿奴隷として扱ってくれたら楽だったかもしれない」だなんて、そんなことある訳がない。竿奴隷を完全に舐め切っているし、竿奴隷にされて苦しんでいる亜人達に対して失礼である。俺は先ほどの不用意な発言を恥じた。
「まぁ、そんなわけだ。何も見なかったことにして、ティクロ様の『相棒』として付き合っていくしかねぇんじゃねぇか?」
確かに、ここで俺が無理してティクロとそういう関係になったところで、彼は決して喜ばないだろう。分かってはいるのだが、どうもスッキリしない。自分の気持ちが分からず、心に霧がかかった様にもやもやする。
「俺達も協力するからよ、これからティクロ様に少しずつ恩返ししていこうや。なぁ、デュビックよ」
親父は同意を求める様に、デュビックを見やる。デュビックは何かを考え込んでいる様だが、親父に話を振られてハッと顔を上げた。
「そ、そうだね。僕達もティクロ様に助けてもらった恩があるからね。もちろん協力するよ、兄貴!」
親父の話をしっかりと聞いていたかどうかは分からないが、デュビックは親父に向かって大きく頷いた。そして、俺の顔をじっと見つめ、にこりと笑う。だが、その眼差しからは、何処か不穏めいたものを感じた。
そして翌日、未だに床で鼾をかいているオルバーを余所に、俺達は親父とデュビックの服を買いに出掛けた。派手で奇抜な服装が好きなティクロとは対照的に、二人は質素でゆったりとした服装を好むらしい。ティクロのおすすめを振り切り、地味に纏まった。ティクロは少々不満気だが、二人が満足している姿に、一応は納得した様だ。
市場の屋台で昼食を軽く取ったあと、俺達はオルバーを迎えに宿へ戻った。オルバーはまだ寝ていたため、ティクロが頭にチョップを入れて起こす。
「グガッ!? 何だ、いきなり……ってティクロお前、帰ってきてたのか。ということは、お前らはガルドとデュビックだな。そうかそうか、無事にテッセンと再会できた様で、本当に良かったな!」
オルバーとは昨日の夜の時点で顔合わせをしていたはずだが、酔っ払って覚えていないらしい。本当にどうしようもないと呆れながらも、新しく迎えた二人を嘘偽りなく歓迎するオルバーの姿に、自然と頬が緩んだ。
チェックアウトを済ませた俺達は、冒険者ギルドでシシクルとバルバトスに挨拶を済ませたあと、南東へと戻る。厳つい大男二人にオーク三人の組み合わせは非常に目立つらしく、道行く人々が俺達の方に振り向いていた。オルバーは南東の冒険者ギルドに用があるからと別れ、俺達は南東でいつも利用している宿屋にチェックインして一泊する。
翌日、宿に荷物を置いたまま、不動産屋へと足を運んだ。以前、ティクロが赤竜の報酬を受け取った時に話していた、俺達が住む家を購入するためである。担当となった女性店員の案内のもと、俺達は南東エリアを中心に家を見て回る。数日間かけてじっくりと検討した結果、冒険者ギルドと市場の間にある一軒家に決定した。四人どころか六人住んでも充分に生活できるほどのスペースがあり、キッチンや風呂、トイレなどの各設備も充実している。日当たりも良く、各部屋の壁や床は木造だが、〈防音〉〈防汚〉〈耐火〉〈耐水〉〈耐衝撃〉〈耐震〉などの魔法がしっかりと付与されており、三百年は保障されているとのことである。
家を購入したあと、俺達は部屋を割り当て、それぞれにベッドやテーブル、椅子などの家具を次々に配置していく。オルバーやルイスが泊まりに来たときのことも考えて、余った二部屋を客間にし、ベッドやテーブル、椅子と、最低限の家具を配置した。リビングにも大きなテーブルと、六人分の椅子を配置する。収納スペースや雑貨類などは後日、追々と揃えていくとして、これでひとまず生活できる環境は整った。
それから、俺達の今後のことを話し合う。俺とティクロは冒険者稼業を続けるが、親父とデュビックは所謂、無職の状態である。
親父は今年で五十八歳となり、これは人間でいうところの三十代半ばに相当するため、まだまだ働き盛りだ。親父は元々、戦闘奴隷として販売されていたが、長らく鉱山奴隷として暮らしていたため、ツルハシ以外の得物は久しく握っていないという。
一方、デュビックは今年で三十歳と、まだ若い。親父と同様、最初は戦闘奴隷として、奴隷商館で暮らしていた。だが、男爵家に買われてからは、細々とした雑用や、荷馬車ならぬ荷オーク車をしていたらしく、実戦経験はないという。それに、デュビックは大柄で強面な見た目に反して気が弱く、とても実戦向きとは思えない。暫くは親父とともに家の留守番や、ルイスのポーターとしての仕事を手伝ってもらうことになりそうだ。
「というわけで、これからよろしく頼む。環境が変わって落ち着かないとは思うが、徐々に慣れていこうぜ」
ティクロの言葉に、俺達オーク陣は一斉に頷く。親父とデュビックはそわそわしながらも、これからの生活に期待を膨らませている様で、表情は明るい。俺も新生活に胸を躍らせながら、ティクロを加えた新しい家族の姿を、いつまでも眺め続けていた。
新居での生活に慣れてきた頃。ティクロの提案で、オルバーやルイスを家に招き、家の購入と親父達の歓迎を兼ねたパーティーを開催することになった。しかし、まだキッチンには調理器具が無いし、そもそも全員料理ができない。そのため、今回は人間組の三人が、それぞれ市場や飲食店から出来合いのものを持ち寄る形となった。ちなみに、肉やパン、サラダなどを持ってきたのはルイスのみで、オルバーはビールやウィスキーなどの酒類、ティクロはケーキやチョコレートなどの甘味ばかりである。
オルバーはパーティーが始まってすぐ、ビールをジョッキ三杯飲んで、ご機嫌だ。ティクロも肉や野菜には目もくれず、ひたすら甘味ばかりを貪っている。二人とも自分のために買ってきたのかと呆れ果てながら、俺はルイスが買ってきたパンとシチューに手を付けた。一方、親父とデュビックは何処から手を付けたらいいのかと迷っていたが、「なんでも好きな物を食べろ」とティクロが促すと、おずおずと料理に手を伸ばす。二人ともティクロと一緒に何度か食事をしているが、未だに人間と同じテーブルで食事をする感覚に慣れない様だ。
「それにしても、ティクロさんは本当にお人好しですよね。わざわざテッセンさんの家族を集めて、さらに個室を与えるなんて」
俺の隣に座っているルイスが、俺に顔を近付けて耳打ちした。俺も周りに聞かれない様に、声を潜める。
「ルイス、お前の目から見て、ティクロはおかしいと思うか?」
「い、いえ。珍しいとは思いますが、おかしいとまでは思いません。ただ……」
ルイスは慌てて否定し、一旦言葉を切る。まるで何かに怯えるかの様に身体を震わせ、俺から目を逸らした。そんなルイスの表情を、俺は何処かで見た様な気がする。それはーーそうだ、冒険者ギルドの近くにある広場で、彼と初めて出会った時だ。ティクロが俺を『相棒』として紹介した時のルイスの表情が、今でも印象に残っている。彼はあの時の続きを話すかの様に、重々しく口を開いた。
「ただ、俺はティクロさんが羨ましいなと思って」
「羨ましい?」
思いもよらぬ言葉に、俺は眉を顰める。ルイスは俺から目を逸らしたまま、こくりと頷いた。
「その、『奴隷』に対しても偉ぶったりせず、懇到切至なところとか。自分の身を犠牲にしてでも、『奴隷』を守るところとか。あと、『奴隷』であるテッセンさんに劣情を抱いているにも関わらず、一切手を出さないところとか」
ルイスは指折り数えながら、ティクロの長所を言葉にして紡いでいく。ただ、先の二つはともかく、三つ目は果たして褒めているのか、それとも「情けない」と貶しているのか、判断しかねるが。それに、彼がわざわざ『奴隷』という言葉を強調していることに、何処か違和感を覚える。彼の話に、俺は注意深く耳を傾けた。
「すごいですよね、ティクロさんは。亜人であるテッセンさんを『相棒』と呼んで仲良くして、そしてテッセンさんに慕われてるなんて。僕には到底、そんな真似などできない。だから、そんなティクロさんのことが、心底羨ましいんです」
ルイスは目を伏せ、拳をぎゅっと握り締める。俺はここでようやく、彼が抱いているのは恐怖心ではない、もっと別の感情であることに気付いた。俺はその正体を確かめるべく、ずっと聞きに徹するために結んでいた口を開く。だがーー
「ルイス、お前まさか……」
「おいおい。何しんみりしてんだよ、お二人さん! 今日はパーティーなんだから、楽しまなきゃ駄目だろうが!」
俺が核心を突こうとしたところで、突然割り込んできたオルバーに、俺達はビクッと身体を震わせる。「しんみり」というより「どんより」といった表現の方が正しいが、どちらにしても空気の読めないオルバーに払拭されてしまった。尤も、せっかくのパーティーなのに暗い雰囲気を漂わせている俺達の方が、よっぽど空気を読めていないのではないかと言われれば、全く以てその通りではあるのだが。
「ちょっ、オルバーさん!? それに、ガルドさんも飲み過ぎじゃないですか! 駄目ですよ、オルバーさんのペースに合わせちゃ」
オルバーの隣では、親父がビールのジョッキを片手に、ご機嫌の様子である。どうやら、パーティーが始まってから僅か数分で、すっかり意気投合してしまった様だ。一方、デュビックはティクロと一緒に甘味を次々と頬張り、恍惚の笑みを浮かべている。幸せそうで何よりだが、あまり食べすぎるなと注意しておく必要がありそうだ。しかし、そんな俺を邪魔するかの様に、親父が俺の左肩に顎を乗せ、腰に手を回してきた。吃驚して振り向くと、俺に似た不細工な顔が、至近距離で俺の目の前に映し出される。
「お、親父。気持ち悪いから離れーー」
「テッセンよぉ。お前、本当にいいご主人様と巡り合ったよなぁ。それに、おこぼれで俺達も地獄の様な日々から救ってもらって、本当に感謝しているんだ。ティクロ様はもちろん、お前に対してもな。本当に、本当にありがとなぁ」
酒臭い息から顔を逸らし、押し退けようとするが、親父の殊勝な態度に気が削がれてしまった。やれやれと思いながらも、俺の肩に乗っている親父の頭を撫でてあげる。親父は一瞬驚いていたが、すぐに破顔し、俺の掌に身を委ねる様に、頭を擦り寄せてきた。
「そうだぜ、ガルドのおっさんよぉ。テッセンがいなければ、ティクロは山賊や赤竜に殺されていたかもしんねぇし、そしたらおっさんやデュビックは今でも過酷な労働生活を強いられていただろうな。お前ら、本当にテッセンさま様に感謝しろよ!」
今度は右肩から、オルバーが絡んでくる。気持ちは嬉しいが、むさ苦しさと酒臭さが倍増したため、俺は流石にオルバーを引き剥がした。オルバーは俺の反応にもめげず、今度はルイスに絡み始める。
「ルイス、お前にも感謝してるんだぜ! テッセンと一緒にバルバトスのおっさんを連れてきてくれて、本当にありがとな!」
「うわっ!? オルバーさん、その話は何度も聞かされてますし、気持ちは充分受け取りましたから、離れてくださーー痛たたたたたっ、骨が折れる、折れますって!」
オルバーの熱い抱擁に、ルイスが悲鳴を上げる。ルイスは懸命にオルバーから解放されようと踠くが、力の差は歴然でピクリとも動かない。俺は溜め息を吐き、親父の頭をどかして席を立つ。そして、オルバーの脳天にチョップをかました。
「痛えっ!? おいコラ、俺の頭が馬鹿になったらどうしてくれる!」
「安心しろ、お前はそれ以上馬鹿にはならない」
文句を言うオルバーを適当にいなし、オルバーの腕の中からルイスを解放する。ルイスは痛みに肩を震わせながら、俺の胸に飛び込んできた。
「あ、ありがとうございます、テッセンさん。貴方は命の恩人です、このご恩は一生忘れません!」
「大袈裟だな。だが念のため、怪我がないかティクロに診てもらえ」
ルイスは頷き、ティクロに頼んで治癒魔法をかけてもらう。ルイスは初めてかけてもらった治癒魔法に、甚く感動した様だ。俺はその様子を見て、ふと気になったことをオルバーにぶつけてみる。
「オルバー、お前はティクロに怪我を治してもらわなくていいのか?」
「そういえば、オルバーさんはティクロさんの幼馴染なんですし、何回も治癒魔法かけてもらっているんですよね。なのに、赤竜と戦った時の傷もそうですが、僕達が初めて会った時の傷も、まだ残ったままですよね。ティクロさんなら完璧に治せると思うのですが、どうして傷が残ったままなんですか?」
ルイスも不思議に思っていた様だ。確かに、右の脇腹にある大きな切り傷も、左肩にある十字の傷跡も、俺と出会った頃から見覚えのあるものだ。小さい傷はティクロの治癒魔法や自然治癒で次第に治っていった様だが、大中の深い傷は完全に治っていないものも多い。しかし、俺が山賊と戦った時に負った大怪我が、ティクロの治癒魔法で治ったことを考えると、オルバーの傷まみれな身体は、あまりにも不自然過ぎる。
「あぁ? そりゃおめぇ……昨日傷だらけだった俺が、翌日に快癒したとして、周りの冒険者から見てどう思うよ。治癒師に頼めば治してもらえるだろうが、そう何度も何度も回復してたら流石に怪しまれるだろ。特に、俺は姉ちゃんのいる店で金を湯水の如く使うのは、周りの冒険者達も知ってるしな」
「胸を張って言うことではないと思うのですが、言われてみれば確かにそうですね。まぁ、服とか鎧を着て隠せばいいとは思いますが……」
ルイスは呆れつつも、納得している様だ。だが、ルイスの言葉に、オルバーが一瞬動揺したかの様に身体を震わせたのを、俺は見逃さなかった。オルバーは何か隠しごとをしているーーティクロとピピンの件があってから、俺はどうも人を疑う癖がついてしまった様だ。だが、人は誰しもが他人に言えない秘密を、一つや二つ持っているものだ。ティクロもルイスもそうだ。俺だって、ティクロに対する不確かな感情の正体が分からず、未だに誰にも相談できないままなのだ。もしかしたら、オルバーもそうなのかもしれない。
ーーと思っていたのも束の間。次のオルバーの台詞に、その考えは一瞬にして吹き飛んだ。
「それによぉ、傷一つ無え身体より、身体中に傷跡があった方が、如何にも戦士っぽくて、格好いいだろ? ダイヤモンドクラスの冒険者としての箔も付くってもんよ。姉ちゃん達にも好評みてぇだしな!」
満面の笑みで高らかに宣うオルバーに、呆気に取られてしまう。ルイスも呆れているのか、隣から溜息が聞こえてきた。俺は無言のまま、オルバーの頭に勢いよく手刀を落とす。ドンッという鈍い音とともに、オルバーの頭がガクンと沈んだ。
「い、痛えっ!? またチョップかましやがって、この馬鹿野郎めが! 頭蓋骨が陥没したら、どう責任をとるつもりだ!?」
「その時はティクロに治療してもらえ。もういいから、お前は親父とあっちで酒飲んでろ」
涙目で頭を擦るオルバーからのクレームを右から左へと聞き流しながら、テーブルの上にあったビールを差し出す。オルバーは不満気な顔をしながらもビールを受け取り、しぶしぶと酒飲みを再開させた。親父もオルバーの隣で、酒の一気飲み競争を始める。
「ルイス君、ルイス君。このケーキ凄く美味しいから、一緒に食べようよ! 栗のクリームがすごく濃厚で、口の中が幸せになっちゃうよ」
「デュビックさん、まだティクロさんに付き合ってたんですか。それでも全然、減っている様に見えませんが……」
デュビックに手招きされ、ルイスは呆れた表情を浮かべながらも、勧められたモンブランに手を付け始めた。ルイスはそのまま菓子組に参加してしまい、彼が持ってきた料理を俺一人で食べ続けるのも寂しかったため、俺もティクロ達に混ざることにした。薄い林檎酒をチビチビと飲みながら、四方山話や懐旧談に花を咲かせる。ルイスとは話の途中だったが、今その話題を出すのは何となく避けた方がいい様な気がするため、後日二人っきりになった時にでも聞こうと、心の中にしまった。
オルバーが泥酔し、テーブルに伏して寝息を立てたのは、夜も更けた頃。ティクロとルイスも眠くなってきた様なので、パーティーはお開きとなった。オルバーを横抱きにし、客室のベッドへと運ぶ。人生初のお姫様抱っこの相手はオルバーになってしまったが、気にしたら負けである。何と戦っているのかは分からないが。
ティクロもまた、ルイスを別の客室に案内したあと、自分の部屋へと戻っていった。これで、リビングに残っているのはオーク組の三人のみ。ティクロには明日でいいと言われていたが、まだ目が冴えていて暇だったため、デュビックと二人でパーティーの後片付けを始める。テーブルの上に残っていた料理やゴミを始末し、食べカスやオルバーの涎の跡を雑巾で拭き取る。その間、親父は椅子に座って赤ワインをちびちびと飲んでいた。
「お父さん、まだお酒飲んでるの? そんなに飲んで、大丈夫?」
「あぁ、鉱山にいた時も、これくらい酒は飲んでたからな。アルコールばっか強くて、旨みはなかったが。だからこんくれぇ、どうってことねぇよ」
デュビックの心配を吹き飛ばすかの如く、親父はガハハと豪快に笑った。顔は赤く染まっているが、意識ははっきりしている様だ。オルバーを超える酒豪の登場に、俺は頭が痛くなった。
俺が奴隷商館にいた時は、たまに薄い林檎酒が提供されたが、親父のいた鉱山では酒類が娯楽として頻繁に振る舞われたという。まぁ、奴隷にとっては、それ以外の娯楽がなかったともいえるだろうが。ちなみに、デュビックは酒類が一切飲めないらしい。オークは腹が丈夫のため、真水を飲んでも平気ではあるが、俺もデュビックも今までよく生きてこれたなと思う。
「あぁ、それにしても、ビールやワインのなんと美味いことか。こんな贅沢をさせてもらって、本当にティクロ様には頭が下がるわい」
「うん、僕もティクロ様に色んなお菓子をもらって、本当に嬉しかった! 特にあの、タルタルタンタンだっけ? あれは美味しかったなぁ……」
「タルトタタンな。俺には甘過ぎて、口に合わんが」
酒を水の様に飲む親父に、甘味を主食の様に食べる弟。そんな二人と俺は本当に家族なのかどうか、だんだんと疑わしくなってきた。だが、赤と黒のオッドアイは、紛れもなくオーグマー家の血筋のものだ。姿や声を変える魔法もあるらしいが、わざわざそんな繊細で高度な魔法を使ってまで、俺を騙す理由はないだろう。それに、一緒に過ごした期間は短いとはいえ、奴隷時代に僅かながらも一緒に過ごしていた時の二人の口調や仕草、癖などは、はっきりと覚えている。間違いない、二人は俺の家族だ。血の繋がった、大切なーー
「兄貴、どうしたの? ボーッとしちゃって。眠いなら、あとは僕が片付けとくから、もう寝ていいよ」
デュビックに声をかけられ、思考に意識が飛んでいた自分に気付く。ハッと顔を上げると、デュビックと親父が俺に注目していた。
「えっ? あぁ、別に。ただ……幸せだなと思ってな」
自分の素直な気持ちを、シンプルに伝える。デュビックは少し驚いていたが、すぐに同意する様に頷いた。一方、親父は俺の話を聞きながら、黙々とワインを飲み続けている。一瞬だけ、客室の扉をチラリと見た様な気がした。
奴隷商館にいた頃の俺からは、考えられない様な気持ちだった。寧ろ、不幸であることが当たり前だった。アーヴァイン・ブルダン戦争で亜人が負けた時から、亜人の人生は終わったも同然だった。人間の奴隷にされ、如何なる命令にも絶対服従、散々こき使われた挙句、不要になったら処分される。俺も、そんな人生を送るはずだった。だが、そんな俺をティクロが救ってくれた。俺を相棒として扱い、家族ともども衣食住を提供してくれている。俺達のことを理解し、仲良くしてくれる仲間もいる。これを幸せと呼ばずして、何と呼べというのか。だがーー
「だが、俺は……ティクロにどうやって恩を返せばいいのか、分からない」
幸せに包まれていた俺の心が、チクリと針を刺す様に痛む。嬉しいはずなのに、悲しさとも切なさとも何とも言えない感情が、僅かな穴からじわじわと滲み出てくる。俺は心の奥底に溜まっていた感情を絞り出す様に、吐露した。
「ティクロは俺に『罪滅ぼしをするためにやっていることだ』と言っていたが、山賊退治や赤竜討伐の時に俺がしたことなど、本当に微々たるものだ。それより遥かに、俺はティクロからもらっている……あまりにも、もらい過ぎている」
もちろん、ティクロに優しくされて、嬉しくないわけではない。だが、どんなに栄養価が高く、身体に優しいものでも、食べ過ぎれば毒となる。彼の優しさに溺れ、甘やかされている現状が苦しい。彼に与えられるだけ与えられ、何も返せていない現状が辛い。
それに、「人のせいにするな」と言われるかもしれないが、そもそもティクロが俺達に見返りを求めてくれないのも悪い。赤竜との戦いの時にも薄々感じてはいたが、彼は俺に対して何も期待していない様にすら感じるのだ。俺は一体、何のために彼の相棒になったのだろうか。だったらもう、いっそのことーー
「いっそのこと、俺を竿奴隷として扱ってくれれば、どれだけ気が楽だったかーー」
俺の口から思わず零れた失言に、親父は口に含んでいたワインを盛大に吹き出した。デュビックも動揺のあまり、目を丸くしている。
「あ、兄貴!? 竿奴隷ってあの、えっと、お、おち、おちんちんでご主人様を、ご、ご奉仕するっていう、あの……!?」
「いやいや、テッセンもデュビックも少し落ち着け! 人間がオークを性奴隷にするなんざ、天地が引っくり返っても、あるわけねぇだろうが!」
親父の指摘は、世間一般的に見れば的確である。竿奴隷の様に性処理を目的とされた奴隷は通常、眉目秀麗と謳われるエルフや、幼女趣味や稚児趣味向けのドワーフなどといった種族が選ばれる。獣人や鳥人、リザードマンといった鳥獣の見た目をした亜人も人気だが、体型はスリムか、せいぜいうっすらと筋肉が浮き出ている程度で、さらに顔立ちの良い者ばかりだ。腹筋や胸筋などがバッキバキに割れ、腕や足も丸太の様に太い全身肉達磨の亜人も、ニッチ趣味としての需要はあるらしいが、それでもオークの様な醜悪面が性奴隷として選ばれることはまずないだろう。
しかし、相手はあのティクロだ。彼が世間一般に当て嵌まらないことを、俺は知っている。彼の秘密に関わるため、それを二人に言うべきかどうか悩んだが、先ほどの俺の発言をうまくフォローできる自信がない。それに、家族である二人に相談したい気持ちが強かった。
「親父、デュビック。今から俺が話すことは内証にしてほしいのだが……」
そう前置きし、ティクロがハイオークであるピピンをレンタルして、疑似恋愛を楽しんでいた時のことを話した。ただ、ティクロがピピンを俺の名前で呼んでいたことについては、何となく気恥ずかしかったため、伏せてしまったが。
親父は俺の話に、興味津々の様子。対してデュビックは、顔を真っ赤に染め、俯いていた。見た目の割に精神年齢が幼い弟にとっては相当、刺激の強い話だっただろう。人によっては嫌悪感を示すこともあり得る話ではあるが、少なくとも二人からはその様子は見られないため、ひとまず安心した。
「ほぉ、人は見かけによらんなぁ。女を侍らせて派手に遊んでそうなティクロ様がまさか、オークのチンポでメスにされて喜ぶド変態だったとはな」
「親父、言い方」
親父の歯に衣着せぬ物言いに、流石に諫言する。しかし、俺も少しはそう思っていたため、あまり強くは言えなかった。
「だがよ、テッセン。ティクロ様は、お前を竿奴隷にする気はねぇんだろ? もしその気なら、お前が買われたその日に、そうしてるはずだからな。それに、ティクロ様のことだ。きっとお前に手を出したら、今度こそ罪悪感に押し潰されてしまうだろうよ」
ティクロと付き合いの浅い親父でも、彼の性格はある程度、把握している様だ。俺も同じ考えのため、素直に頷く。
「あとな、テッセンよ。性奴隷になると言ったって、お前にティクロ様を抱けるのか? 隷属の首輪を使えば、お前の精神やチンポをコントロールできるかもしれねぇが、ティクロ様はそんなことしなさそうだしな。そうすると、お前は自分の意思でチンポをおっ立てて、ティクロ様のケツマンコに突っ込まなければならねぇんだぞ」
「親父、だから言い方」
最低レベルで下品な親父の物言いを諌めようとするが、言っていることは的確であるため、それ以上は何も言えなかった。異性愛者である俺が、同性であるティクロの裸を見て興奮し、彼を抱いて満足させなければならない。それに、キスやフェラチオなどといった前戯も必要だろう。隷属の首輪を使わず、果たして俺にできるのだろうか。
そもそも「竿奴隷として扱ってくれたら楽だったかもしれない」だなんて、そんなことある訳がない。竿奴隷を完全に舐め切っているし、竿奴隷にされて苦しんでいる亜人達に対して失礼である。俺は先ほどの不用意な発言を恥じた。
「まぁ、そんなわけだ。何も見なかったことにして、ティクロ様の『相棒』として付き合っていくしかねぇんじゃねぇか?」
確かに、ここで俺が無理してティクロとそういう関係になったところで、彼は決して喜ばないだろう。分かってはいるのだが、どうもスッキリしない。自分の気持ちが分からず、心に霧がかかった様にもやもやする。
「俺達も協力するからよ、これからティクロ様に少しずつ恩返ししていこうや。なぁ、デュビックよ」
親父は同意を求める様に、デュビックを見やる。デュビックは何かを考え込んでいる様だが、親父に話を振られてハッと顔を上げた。
「そ、そうだね。僕達もティクロ様に助けてもらった恩があるからね。もちろん協力するよ、兄貴!」
親父の話をしっかりと聞いていたかどうかは分からないが、デュビックは親父に向かって大きく頷いた。そして、俺の顔をじっと見つめ、にこりと笑う。だが、その眼差しからは、何処か不穏めいたものを感じた。
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