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奴隷のオークとヘタレな相棒
第八話 再会
しおりを挟む 昼食の時分を過ぎているからか、宿屋の食堂はがらんとしていた。俺の姿を横目に、ヒソヒソと話す人間はいるが、割と静かである。
そんな中、奥のテーブルで酒を飲んでいるオルバーと、そんな彼に呆れながらシチューを食べているルイスの姿があった。ティクロとともに、二人と同じテーブルに着き、ルイスが食べているものと同じメニューを注文する。料理を待っている間、赤竜との戦いで最初に囮になろうとした俺に対して、酔っ払ったオルバーから説教を食らった。空きっ腹に酒臭い男の説教が響き、腹を下しそうになる。だが、オルバーが本気で心配してくれているのだと感じることができて、俺は嬉しさのあまり、泣きそうになった。
「……っとまぁ、そんなわけだ。今後どうしても誰かを犠牲にしなければならねぇ時が来るかもしれんが、それでも『生きる』ということをそう簡単に諦めるな。特に、お前は奴隷生活が長かったせいか、未だに実感が湧かねぇんだろうが、お前が死ぬことで悲しむヤツがいるんだってことを、絶対に忘れんじゃねぇぞ」
「あぁ、肝に銘じる」
「……ったく、説教ジジイにはなりたくなかったんだけどな。お前もティクロも、お互い自己犠牲が過ぎるから、つい口出ししてしまったぜ、ったくよぉ」
そう言い、オルバーはビールを呷る。ジョッキに半分ほど残っていたビールは、一瞬で消えた。
オルバーの説教が終わり、ようやく店員が持ってきたシチューとパンで腹を満たした。そして、人心地ついたあと、四人で冒険者ギルドへと向かう。ギルドの中に入ると、冒険者達や職員から一斉に注目を浴び、盛大に歓迎された。赤竜を倒したのはバルバトスだが、それまでの間にランドウィークの森で足止めしていたティクロとオルバーもまた、高く評価されている様だ。受付で報告を済ますと、晴れて二人はダイヤモンドクラスへの昇格を果たした。
また、赤竜討伐の報酬により、俺達に莫大な金が手に入った。報酬の半分はシシクル達の手に渡り、そこからさらに俺達パーティー内で分配しても、十年以上は遊んで暮らせそうである。オルバーは素直に喜んでいたが、ティクロとルイスは突然手にした大金に戸惑っている様だ。だが、ティクロはこれで前から欲しかったものが買えるうえ、家を購入してもまだ手元に金が残ると、嬉しそうである。
ランドウィークの森で赤竜の素材を回収し、魔物討伐の依頼を完了させた俺達は、シシクルやバルバトスを交えて、ルイスおすすめの高級料理店で打ち上げをした。やたらと高級そうな肉や魚に、ハーブや香辛料などを惜しみなく使った数々の料理に、思わず舌鼓を打つ。オルバーは質より量を重視するため、料理は物足りないと愚痴っていたが、ウィスキーやワインなどの酒類には満足した様だ。一方、シシクルとバルバトスは二人とも少食だが、俺達の普段の生活や仕事の話、ティクロの豆知識、オルバーの下らない話などを、心ゆくまで楽しんだ様だ。
そして翌日、ガンガンする頭を押さえながら目を覚ますと、ティクロが突然「一週間ほど、旅に出る」と言い出した。どうやら早速、「ダイヤモンドクラスになったら欲しいもの」とやらを買いにいく様だ。既に準備を済ませ、大量の荷物を詰め込んだ鞄を背負い、いつでも出発できる状態である。俺も荷物持ちとして一緒に行くと言ったが、今回は馬車で移動するため、荷物持ちは不要であると、すげなく断られる。オルバーと一緒にアーヴァインで待っててくれと言い残し、ティクロはそそくさと宿から出ていった。
宿酔いで頭が回らないうちに追い討ちをかけるかの様な早業に、俺は呆気にとられた。あとでオルバーとルイスに話を聞いたところ、どうやらティクロが旅に出るということを、昨日の時点で聞かされていた様だ。何故、相棒である俺には話してくれなかったんだと一瞬憤慨したが、そういえば二次会でうっかり酒を飲み過ぎてしまい、そのあとの記憶が綺麗さっぱりと消えてしまっている。二人に確認すると、やはりその時に話があった様だ。しかし、それでも昨日の今日と、いくら何でも急過ぎる。そんなに慌ててまで、彼は一体、何を買おうとしているのだろうか。
(ティクロのことだから、昇進祝いに新しいアクセサリーを買うだけの可能性も捨て切れないがーー)
オルバーは何かを知っている様だが、聞いても適当にはぐらかされてしまう。俺は不審に思いながらも、どうせ一週間後には分かることだと、気にしないことにした。
差し当たっての課題は、ティクロが不在の間、どう過ごすかである。ティクロがいなければ、冒険者ギルドで依頼を受けることができない。オルバーに頼めば、仕事に着いていくことも可能ではあるが、赤竜との一戦で心身ともに疲れ切ってしまったため、暫くはゆっくりしたいそうだ。一方、ルイスは同居人の様子を見にいくと、南東にある自宅とやらに帰っている。
夜になり、『太陽の雫』で一緒に飲まないかとオルバーに誘われたが、気乗りしないと断った。いくら客商売とはいえ、オークを接待するのは、流石に嫌だろう。たとえ、相手の女が気にしないタイプだったとしても、俺が気にする。そんな中、お互い楽しめるとは、到底思えない。
俺はベッドに寝転がり、暇を持て余していた。一人になるのは、奴隷商館にいた時以来だ。目を伏せ、奴隷商館にいた時のことを思い出す。本当は思い出したくないほどの辛い日々だったが、今ではそのプロセスがあったからこそ、ティクロと出会い、今の幸せがあるのだと思える。
そういえば、俺は左腕と右足に怪我を負っていた。ティクロに治してもらってから二年もの月日が流れ、今ではその感覚をすっかり忘れていた。これが、ティクロが以前話していた、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というやつだろうか。
(「また助けてもらった」、か。もし、あれがただの寝言ではないのであれば、もしかしたら、ティクロと俺はーー)
ティクロが俺の怪我を知っていたことと、俺に「また助けてもらった」というティクロの台詞。二つの事柄は全く関係ない様に思えるが、どうしても切り離すことができない。俺は因果関係を探るべく、必死に記憶を辿っていく。
俺が怪我をしたのは、レンタル奴隷として山賊と戦った時だ。その時は大勢の人間が人質となっていた。本隊である中央の兵士や冒険者、傭兵が山賊を引きつけている中、俺達奴隷や一部の冒険者は人質の救出に向かっていた。だが、小屋の中に囚われていた人質を救出した後、小屋から出たところで、思わぬ伏兵の襲撃に遭ってしまう。俺はその時、人質の一人である青年を庇い、怪我を負ったのだがーー
(もしかしたら、その時の青年が、ティクロだったのか……?)
泣きながら、何度も何度も俺に謝る青年の姿を思い出す。その青年は金髪で、指輪やネックレスなどといった貴金属は身に付けていなかったが、赤いヘッドバンドは着用していた様な気がする。今よりだいぶ幼い顔をしていたが、よくよく思い返してみれば、あの顔はティクロとそっくりだ。
その青年がティクロ本人だったと仮定すると、彼が俺に感じているであろう『罪悪感』についても説明がつく。彼を山賊の攻撃から庇ったことで、今後の活動に支障が出るレベルの大怪我を負ったのだから、無理もないだろう。それからの俺は、戦闘奴隷としての役目を充分に果たせず、いつ処分されてもおかしくはなかった。そんな俺を購入し、相棒として優しくすることで、彼はせめてもの罪滅ぼしをしたかったのだろう。
そして、そのことを俺に言い出せない気持ちも理解できる。軽蔑されるだけならまだいい、殺意を向けられたとしてもおかしくはない。実際、出会ってすぐにそのことを告げられたとしたら、表面上は気にしない風を装いながらも、決していい気はしなかっただろう。それに、奴隷が主人に殺意を向けると隷属の首輪が発動し、首を絞められる。そんなリスクを冒してまで、わざわざ告げるわけにもいかないだろう。だからこそ、俺に償うために、過去のことを隠しながら、相棒として傍にいるという選択をしたのだ。
それにしても、いくら俺に対して罪悪感を持っていたとはいえ、たかが奴隷である俺のために、そこまでするだろうか。亜人の奴隷は使い潰されることが通例であるこの国において、彼の思考はあまりにも異常である。シシクルの様に亜人と恋愛する者もいなくはないが、それでも主人の意向に合わせて、奴隷がそれに従う前提で成り立っている。間違っても、奴隷の顔色を窺い、自分の気持ちを押し殺す様な主人など、本来であれば存在するはずがないのだがーー
(……ん? そういえば、ティクロはこの国の出身ではないんだったな)
確かティクロは、アルディバランと呼ばれる国の孤児院出身だと言っていた。その国はこの大陸にはないらしく、どの様な国なのかは俺もよく知らない。だが、もし奴隷の待遇がアーヴァインとは異なっていたり、そもそも奴隷制度自体が存在しないのだとしたら、彼の思考がこの国の住人と異なるのは当然だ。オルバーもティクロと同郷であり、彼もまたティクロと同様に、俺に対しての扱いが優しいことからも、裏付けが取れる。
(……と、思考が逸れてしまったな。要するに、ティクロは自分のせいで俺が怪我を負ったことに、罪悪感を持った。だから俺を購入し、罪を償おうとした。まぁ、そこには俺に対しての恋情も含まれているとは思うが、だからこそ言い出せなかったのだろうな。俺に軽蔑されるのを恐れてーー)
あくまで俺の推測に過ぎないが、妙に確信めいたものを感じていた。帰ってきた時にでも答え合わせをしてみるかと、俺は思考を止め、身体の力を抜く。頭をフル回転させたせいか、働いてもいないのに相当疲れが溜まっている様だ。闇の中に意識を委ねると、すぐに深い眠りへと誘われた。
次の日、オルバーに肩を叩かれ、目が覚める。何事かと理解する間もなくオルバーに急かされ、着替えるとすぐに街へと連れられた。どうも、市場で珍しい肉料理や酒をメインとした祭りが開催されているらしい。オルバーに起こされるのも、二人で街を歩くのも珍しいーーというより初めてだが、どうせ暇なので付き合うことにした。
露店で食べ歩きしながら、街の中を二人で散策する。今日は祭りであるせいか、人通りが多い。澄み渡る青空から降り注ぐ太陽の光が、大地をギラギラと照らしているため、芋を洗う様な混雑と相まって、非常に暑苦しい。額から流れる汗を拭い、人混みを避けながら焼き鳥に齧り付いていると、不意にオルバーが俺の肩を叩いてきた。
「おいテッセン、見てみろよ。あそこにいる姉ちゃん、メッチャ可愛いくねぇか!?」
興奮気味のオルバーが指し示す方へと顔を向けると、そこには一際目立つエルフの姿があった。エルフの見た目は一言で言うと「耳が長いだけの人間」だが、千年という長い寿命と、老若男女問わず美形の多い種族で有名だ。透き通る様な、白い肌。腰まで伸びている髪は、金色に輝いている。スレンダーな体付きは戦闘向きではないが、白いワンピースはそれなりに良い材質であるため、おそらく上流階級の性奴隷だろう。その服装に似合わぬ首輪をしているのは奴隷として仕方のないことではあるが、それでも彼女の美貌を損ねることはなかった。
「あぁ。可愛いというか、美人だな」
俺が素直な感想を述べると、オルバーは「おっ?」とニヤニヤしながら、俺の脇腹を小突いてきた。痛くはないが、若干鬱陶しい。
「お前にもそういう感性があるんだな、良かった良かった。お前は真面目で堅物だから、この手の話題はどうかと思ったんだが、イケるなら遠慮なくいくぜ。それで、どうだ? あのエルフ、お前の好みか?」
俺が話せるクチだと思ったのだろう、ただでさえ普段から熱苦しい彼のテンションが、いつも以上に高い気がする。面倒臭いことこの上ないが、彼と二人きりで他に話すこともないので、とりあえず話題に乗ることにした。
亜人は通常、同種族同士で番となるが、オークには雌がいないため、必然的に他種族と交尾して子孫を残すことになる。つまり、実際は純血のオークなど、この世には存在しない。だが、オークの精子から生まれた子供は、全てオークの姿になるため、オークという種族が確立しているのだ。よって、同種族好きの同性愛者でもない限り、オークは基本的に他種族から好みのタイプを選ぶことになる。奴隷という身分や、オークという種族の都合上、決して選り好みできる立場ではないのだが、それでも一応、オークにも好みのタイプというものは存在するのだ。
俺は顎に手を当て、相手のエルフに気付かれない様に観察しながら、自分の好みと照らし合わせてみる。だがーー
「……いや、あまり好みではないな。線が細過ぎる。もっと肉付きのいい方が好みだ」
俺はオルバーの耳元に顔を近付け、周囲に聞こえない様に耳打ちする。真昼間の市場のど真ん中で、彼の様に堂々と大声で話す度胸はない。
「なるほど、なるほど。確かに俺もボン、キュッ、ボンの方がいいな。だったら、あの黒い姉ちゃんはどうだ? 胸が大きくてたまんねぇぜ!」
何故ここで、爆発音や物を絞める音が出てくるのだろうか。そう思いながら、オルバーの視線の先に顔を向けると、そこには褐色の肌をしたエルフーー所謂、ダークエルフの姿があった。エルフは基本的に美人だが、貧相な体付きをしている者が多いのに対し、ダークエルフは胸や尻が大きく、逆に腰回りが締まっている者が多い。あのダークエルフの胸も、俺の大きな掌でも収まらないであろうほどに大きく、六つに割れた腹筋は歴戦の戦士を思わせるほどに引き締まっている。おそらく、女性のスタイルをオルバーなりに表現したかったのだろう。
紫がかった黒髪を、邪魔にならない程度に短く切り揃えていることからも、彼女は戦闘奴隷であることが窺える。だが、胸や股を最低限隠す程度のビキニアーマーに鉄のブーツのみといった、ティクロやオルバー以上に露出度の高い格好で、果たして魔物や盗賊と戦えるのかどうかは甚だ疑問ではあるが。
「確かに好みではあるが、胸が大き過ぎるな。俺としては、掌に収まるくらいが、ちょうどいい」
「そうか? 俺はあれくらい大きい方がいいと思うんだがな。あぁ、あの胸で俺のモノを挟んでもらいてぇなぁ……」
普段通りの声量で堂々と下ネタを口にするオルバーに、俺は頭を抱えたくなった。市場の喧騒にオルバーの声が掻き消されているとは思うが、周囲の人間から冷ややかな視線を向けられている様な錯覚に陥る。俺は他人のフリをしたいところだが、露店で俺の代わりに代金を支払ってくれるこの男から離れることはできない。これ以上この話題が続いて、オルバーの口からさらなる下ネタが飛び出さない様、俺は話を逸らすことにした。
「というか、オルバー。俺の好みなど聞いてどうする。奴隷である俺達は自由な恋愛などできず、種の存続のためだけに交配させられるか、人間の慰み者になるかのどちらかしかない。それに、仮に自由恋愛が認められたとしても、オークである俺が好みの女性と付き合うことはおろか、お近付きになることすらできないと思うが」
あくまで一般論を語る俺に、先ほどまで上機嫌で語っていたオルバーは、人の往来が激しい市場のど真ん中であるにも関わらず立ち止まり、後方にいる俺の方へと振り返る。そして、俺の顔をじっと見つめたあと、深い溜め息を吐いた。やれやれと肩を竦め、俺に対して何とも言い難い微妙な視線を向ける。
「あぁ……いくらティクロと一緒に過ごしていたとはいえ、そこら辺の意識は根深いか。よし、お前に言いたいことがあるから、ちょっとこっち来い」
オルバーは俺を手招きし、人混みの少ない路地裏の入口へと足を運ぶ。誰にも話を聞かれたくないというよりは、単純に足を休めたいだけの様だ。俺としても、これ以上オルバーが変なことを往来で話すのは非常に困るので、喜んで彼のあとに付いていった。オルバーは路地裏入口の壁に寄りかかり、俺の目を真っ直ぐに見つめる。そして、普段の戯けた調子は鳴りを潜め、真面目な口調で語り出した。
「ルイスから聞いたんだが、赤竜との事件があった日、テッセンは俺達を助けるために冒険者の前で土下座したんだってな」
「……あ、あぁ、そうだが。それがどうした?」
突然話が斜め上の方向から飛んできたことに疑問を浮かべながらも、事実のため肯定する。オルバーはそんな俺の返事を確認し、話を続けた。
「奴隷は主人のためにあるものだが、だからといって奴隷が主人に対して忠誠心を持っているとは限らねぇ。いや、この国の奴隷制度の在り方を考えると、主人を敬う気持ちになれる環境であるとは到底思えねぇ。個人差はあると思うが、大抵は主人に対して深い恨みを抱きながらも、隷属の首輪に縛られているせいで逆らえず、ただ命令されるがままに一生を過ごすしかねぇんだ。ここまでは理解できるよな?」
一昨日の様な「酒で酔っ払いながらの説教」とはまた違う、オルバーの真剣味を帯びた話に、思わず聞き入ってしまう。俺が頷いたのを確認したオルバーは、さらに話を続けた。
「だが、テッセン。お前は俺達を、ティクロを助けてくれと、冒険者達に土下座した。それは忠誠心とは違うかもしれねぇが、ただ命令されて仕方なくやったわけでもねぇ。そもそも、ティクロはテッセンではなく、ルイスに応援を呼ぶ様に頼んだんだからな。つまり、テッセンは別に、冒険者達に土下座をする必要はなかったわけだ」
淡々と語るオルバーに相槌を打つも、この話が一体何処に向かっているのか分からない。彼の言葉を頭の中で整理しながら、俺は注意深く耳を傾けた。
「だが、テッセンは『力を貸してくれ』『ティクロを助けてくれ』と、心の底から冒険者達に嘆願した。まぁ、ティクロが死んで奴隷商館に戻されるのを避けたかったという打算もあったのかもしれねぇが、ティクロを助けたいという気持ちも嘘じゃなかったんだろ? それを見た冒険者ーー特に奴隷持ちのヤツらは、そんなお前に心を打たれたんだとよ。今まで道具としてしか見ていなかった奴隷に対しても愛情を持って接すれば、テッセンの様に信頼してくれるんじゃねぇかとな。まぁ、そのあとに登場したイチャイチャバカップルの影響もあるんだろうが……」
イチャイチャバカップルとはおそらく、シシクルとバルバトスのことだろう。二人は恋人同士であることを隠している様だが、それでも二人が主人と奴隷の枠を超えた特別な関係であることに、周囲は気付いているのかもしれない。
それにしても、冒険者ギルドが現在、その様な雰囲気になっているとは知らなかった。それも、俺達がその切っ掛けを作ったということに、驚きを隠せない。だが、俺とティクロが相棒であるということは既に知れ渡っていたため、その影響もあるのだろう。もし、これが名も知らぬ者だったとしたら、「変な亜人だな」程度にしか思われずに終了していたかもしれない。日々の積み重ねがあったからこそ、俺達の関係は周囲に認められたのだ。
「……とまぁ、そんなわけだ。今はまだ難しいが、遠い将来、戦争のことなんざ忘れて、亜人と人間が手を取り合って仲良く暮らせる日が来るかもしれねぇな。そんなものは理想論でしかねぇと笑われるかもしれねぇが、お前達が確実にその一歩を踏み出したんだ。胸張っていけよ!」
そう言い、オルバーは俺の腰を掌でパシンと叩く。手加減はされていたため、然程痛くはなかったが、それでも突然の衝撃に吃驚した。あまりにも壮大過ぎてイマイチ話を飲み込めなかったが、良い方向へと向かっているなら、それでいいのかもしれない。
「それに、気付いてねぇだろうが、お前……今、冒険者の女どもの間で、密かに人気なんだぜ?」
「……は? どういうことだ、それは」
先ほどから話の変わり方が激しいと思いながらも、思わぬ情報にドキリとした。俺は困惑しつつも、オルバーの話に興味を隠せず、続きを急かす。
「主人想いの心優しいオークだとか、主人のために必死に頭を下げる姿が、男らしくて格好いいとか言ってたぜ。まぁ、それが恋愛感情かどうかまでは分からねぇが、少なくともお前に好印象であることには間違いねぇ……チキショー! 俺だって赤竜相手に善戦したのに、お前ばっかりモテて羨ましいぜ、ったくよお!」
腕で両目を隠し、おいおいと泣いてみせるオルバー。もちろん演技だろうが、俺のことを羨ましいと思っている点については本当だろう。
「……とまぁ、そういうわけだからよ。女にモテモテのテッセン君は、一体どういう女が好みなのかなーと、ずっと気になっていたわけですよ。ドゥーユーアンダースタン?」
急な『君』付けや丁寧語は気持ちが悪いし、最後のドゥーユーなんたらとやらは一体何なのかよく分からなかったが、とりあえず最近元気のない俺を元気付けようと街へ連れ出した、ということだけは理解できた。俺はフッと笑い、辺りを見渡すと、緑髪をポニーテールにして結ったドワーフの女性を発見する。ドワーフは小柄の人間の様な容姿で、ずんぐりむっくりとした体型をしている者が多いが、彼女はそんなドワーフにしては身長が高く、且つスレンダーである。とはいえ、エルフの様な線の細さはないが。
「あのドワーフは、俺の好みのタイプだな。気の強そうな目をしているが、中身は乙女だと、なお良い」
今日だけは、オルバーのお遊びに付き合ってあげるのもいいかもしれない。俺はオルバーほどではないがヒソヒソと話すのを止め、冒険者の女達が聞いたら幻滅しそうな話を、いつも通りの声量で再開した。それでも、市場の喧騒に容易くかき消される程度ではあるが。
「なるほど、ギャップ萌えか。それは俺も分かる気がするな。じゃあよ、ああいうのはどうだ? 俺はファンタジー要素が強いのは、あまり好みではないが」
「あぁ、猫獣人か。ファンタジーが何かはよく分からないが、好みではあるな。獣人が駄目なら、鬼人はどうだ? あそこにいる、肌の赤い女がそうだ」
「鬼人……オーガか。うーん、胸の大きさは確かに俺好みなんだが……」
それから俺達は暫くの間、路地裏から市場の人混みを観察しながら、好みの女性のタイプを言い合った。ティクロには悪いと思いながらも、久し振りに楽しい時間を過ごせた様に思う。
だが、これが後に思わぬトラブルを招くことになろうとは、この時の俺は想像だにしていなかったのだーー
一週間は長い様で、あっという間だった。三十も半ばに差し掛かると、時の流れを速く感じる。オークは百五十年近く生きる種族だが、この調子ではあっという間に老け込んでしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら、宿屋のベッドで寛いでいると、コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。俺は返事をしてベッドから降り、扉を開ける。すると、扉の外には赤いヘッドバンドを巻いた黒髪の男が立っていた。
「ーーよぉ、テッセン」
「あぁ、おかえり。ティクロ」
ぎごちなく挨拶するティクロを、部屋に招き入れる。彼が中に入ったのを確認し、扉を閉めた。俺は椅子に座ったが、ティクロは扉の前に突っ立ったまま、俺の顔をじっと見ている。何事かとティクロの顔を見返すと、彼は突然、俺に向かって頭を下げた。
「すまねぇ! ここに来る前に、南東の冒険者ギルドに用事があって寄ったら、偶然ルイスに会ってな。そこで、『俺が旅に出る』と伝えたことを、お前が覚えてないって聞いたんだ。お前からしたら突然のことで、吃驚したよな」
「あぁ、そのことか。それなら、酔っ払って覚えてなかった俺にも非がある。だから頭を上げて、こっちに座らないか?」
テーブルを挟んだ向かいの椅子を勧めるが、ティクロは扉の前から動こうとしない。俺は不審に思いながらも、とりあえず気になっていることを聞いてみた。
「それで、ティクロ。『欲しいもの』とやらは買えたのか?」
「あぁ。そのことについて、テッセンに話さなければならねぇことがある」
ティクロの表情は、真剣そのものである。彼の買ったものについて、俺に話さなければならないこととは、一体何だろうか。俺に関係のあるものだとしても、心当たりは全くない。つい無駄遣いしてしまった程度のことであれば、別に構わないと思っている。彼の真剣な表情が気になりながらも、俺は深く考えず、続きを促した。
「何だ、俺に話さなければならないこととは?」
「それはな……おい、二人とも。入ってきてくれ!」
ティクロは扉に向かって声をかける。俺はこの時になってようやく、扉の外に何者かの気配があることに気付いた。いや、今まで無かった気配が突然現れた、といった表現の方が正しいのかもしれない。
ガチャリとドアノブが回る音がしたあと、ゆっくりと扉が開いた。そこに現れたのは、緑色の肌をした二つの巨体。二人とも毛一本生えていないオークであるが、二人の間にはかなりの身長差や年齢差があった。俺より二十歳以上も歳上だろうオークは俺よりも頭ひとつ分背が低く、逆に俺よりも歳下であろうオークは俺より背が高い。二人とも腰蓑一丁に隷属の指輪のみと、如何にもな奴隷スタイルである。また、身体中には無数の傷や、打撲の痕などがあった。
「ティクロ、その二人は一体……」
言いかけて、二人の瞳を見た瞬間、俺は言葉を失った。右は黒曜石の様な黒い瞳、左目はルビーの様な紅い瞳のオッドアイ。俺と同じ瞳の色だ。ドクン、と心臓が脈打つ。まさか、この二人はーー!?
「テッセン……お前、本当にテッセンなのか?」
中年のオークが、俺に語りかける。遠い昔に聞いた、男らしくも心地良い響き。俺は、その声が大好きだった。
「お、親父……!? それに、お前はまさか……!」
俺は思わず立ち上がり、若いオークに視線を向けると、彼の瞳はうるうると潤んでいた。よろよろと俺に近付き、両腕を俺の肩に回して抱き締める。ふわりと、彼の温かな体温を感じた。
「そうだよ。俺はデュビック、兄貴の弟だよ……!」
俺の頭上から、弟ーーデュビックの啜り泣く声が聞こえてくる。あまりの出来事にパニックを起こすが、状況を理解した瞬間、堪らず涙が溢れてきた。もう二度と会えないと思っていた二人が急に目の前に現れ、これは俺の夢幻なのではないかと錯覚する。だが、弟から伝わる熱や鼓動が、はっきりと現実であることを、俺に強く訴えかけてきた。
「デュビック、親父……生きてて良かっ……」
俺はこれ以上、言葉を続けられず、弟の胸の中で号泣した。俺の涙は弟の胸を濡らし、雫となってポタポタと地面を濡らすが、俺は構わず泣き続ける。弟も腕に力を込め、俺の頭に雫を落とした。弟の向こう側で、親父も泣き声を上げている。俺は涙が枯れるまで、弟の胸にしがみ付いていた。
泣き疲れたか、次第に涙は出なくなった。俺はおもむろに弟から離れ、恥ずかしさのあまり目を逸らす。だが、弟が俺に向かってニッコリと笑っている姿を視界の端に捉え、俺は居た堪れなくなった。
「み、見るな! 俺の醜悪な顔が無様に歪んだところを、まじまじと見るんじゃない!」
腫れた目を隠すため、テーブルの上に置いてあったサングラスをかける。そして、親父の横で外野の如く振る舞っているティクロをサングラス越しにキッと睨み付けた。
「おい、ティクロ。これは一体どういうことか、説明してもらおうか!」
怒っているわけでないが、あまりの気恥ずかしさに、思わず怒鳴ってしまった。そんな俺を、親父が慌てた様子で嗜める。
「テッセン! 主人に向かって、その様な態度は何だ! 奴隷の身分を弁えないと、また俺達は離れ離れになってしまうぞ……」
「そ、そうだよ兄貴。せっかく再会できたのに、また別れなきゃいけなくなるなんて俺、嫌だよ……!」
弟も俺を諌めるが、俺はティクロから視線を離さず、じとーっとした視線を送った。ティクロは暫く黙っていたが、観念したかの様に両手を上げる。
「わ、悪い。ちゃんと説明するから、そう睨まねぇでくれ。だが先に、二人の治療をしてからだ」
ティクロの言葉に俺は頷き、彼を睨んでいた目を和らげる。そんな俺達のやりとりに、二人が大層驚いていたのは言うまでもない。
ティクロが二人に治癒魔法を施すと、身体中の怪我が瞬く間に消え去った。二人は目が飛び出るほど驚きながら、ティクロの方に向き直る。そして、二人揃って深々と頭を下げた。
「ご主人様、こんな卑しいオークであります私の身を、手ずから癒してくださり、至極恐悦に存じます。私どもが恩返しと申し上げるには厚かましいことこの上ないでしょうが、どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、ご主人様。このご恩は、絶対に忘れません!」
最大級の謝辞に、ティクロは気圧されたかの様に後退りながらも、彼の頬は僅かに赤くなっていた。とりあえず二人に頭を上げる様に指示したティクロは、「長旅で疲れた」とぼやきながら椅子に座る。俺もまた、彼の隣に並んでいる椅子に腰掛けた。
ティクロは親父と弟にも座る様に促したが、二人は当然であるかの如く、床に腰を降ろす。寧ろ何故、俺が椅子に座っているのだと言わんばかりに、白い目で俺を見てきた。そんな二人の様子に、ティクロは苦笑しながら、空いている椅子に座る様にと手で指し示す。二人は戸惑いながらも、おじおじと椅子の縁に座った。
「それでは、ガルド・オーグマーに、デュビック・オーグマー。改めて、俺の名前はティクロ。ティクロ・オゼンジー。最近、ダイヤモンドクラスになったばかりの冒険者だ」
「なんか、俺がティクロに出会った時と、似た様な自己紹介だな」
奴隷商館で檻越しに出会った時のことを思い出し、俺はクスリと笑った。あの時、ティクロはプラチナランクになりたてだった。たった二年前の出来事なのに、ひどく懐かしい。
「テッセン。さっきも言ったが、主人に対してその様な態度はーー」
「あぁ、ガルド。別にいい。テッセンにはあらかじめ、俺とは対等に接する様に言ってあるからな」
俺の態度を見かねて説教を始めそうになる親父に、ティクロが割り込んだ。彼の説明に、親父は「訳が分からない」と言わんばかりに顔を歪める。そんな親父の反応が気になった俺は、ティクロに向かって疑問を投げかけた。
「寧ろ何故、親父達はティクロに対して、そこまで遜っているのだ? 馬車での移動中、話す機会はいくらでもあっただろう?」
「あぁ、確かに『俺のことは主人として見なくていい』『フランクに接していい』と説明はしたんだがな。二人はずっと奴隷として散々虐げられながら暮らしていたせいか、俺の言葉を理解できていないというか、信じていないといった様な感じなんだ。それに、馬車には他の乗客もいたもんだから、あまり堂々と説明するのも憚られたしな。だから、実際に俺達の関係を見せた方が分かりやすいだろうと思って、今日この時まで保留にしてたんだ」
ティクロの説明に、俺は「なるほど」と相槌を打った。親父とデュビックは困惑した表情で、俺とティクロの顔を交互に見ている。
そんな二人に対し、ティクロは改めて、俺達の関係について説明した。奴隷と主人の関係は書類上のみであること。俺達は相棒として接していること。そして、普段は仲間と一緒に冒険者としての活動をしていることなどを、こと細かに。
「というわけで、ガルドとデュビックも、俺に対して無理に敬語を使う必要はない。『ご主人様』なんて他人行儀な言い方ではなく、是非『ティクロ』と呼んでくれ」
そう締め括るティクロに、親父とデュビックは相変わらず困惑の表情を浮かべながら、お互いの顔を見合わせていた。まぁ、今すぐには難しくても、そのうち慣れてくるだろう。俺は次の話題へと進むことにした。
「それで、ティクロ。お前が買いたかったものとは、俺の親父と弟だったのか?」
「あぁ、そうだ。お前も家族と一緒に暮らせるなら、その方がいいだろうと思ってな。家族の仲が悪いならともかく、良好だったということは、お前と出会った初日に確認済みだしな」
「……なぁ、ティクロ。本当に理由はそれだけか?」
いきなり話の腰を折る様だが、俺はどうしても確認しておきたいことがあった。それに、俺から核心を突いておかないと、ティクロはいつまで経っても話さない様な気がする。
「……な、何がだ?」
「奴隷商館で俺がティクロに買われた時よりずっと前に、俺達は一度会っている。山賊討伐の時にな。そうだろ?」
俺の言葉に、ティクロは目を大きく見開き、硬直する。暫く言葉を詰まらせていたが、やがて彼は肯定するかの様に頭を下げた。どうやら、俺の推理は当たっている様だ。
「……そうか、思い出してしまったか。本当はこんな情けねぇ話なんざ、聞かせたくはなかったんだけどな」
話に置いてけぼりの二人への説明を兼ねて、ティクロは俺達が初めて出会った時のことを話し始める。ティクロはオルバーと一緒にアーヴァインで冒険者としての活動をしている中、ハヌマ山脈でうっかりオルバーと逸れてしまい、そのタイミングで運悪くも山賊に遭遇してしまったのだという。当時のティクロであれば、オルバーと二人で何とか切り抜けられる程度のものであったが、たった一人では為す術もなく、あっさりと捕まってしまったそうだ。そのあとは、俺の記憶通りであるーー
「自己満足だとは分かっているんだけどな、俺はどうしてもお前に償いたかったんだ。俺を庇ったせいで大怪我をして、しかも俺が周りの目を気にしてお前を治療しなかったばかりに、お前の人生を台無しにしてしまったんだ。だからそのぶん、俺自身の手で幸せにしなければならないんだと、そう思ってな。そのためにも俺は、ダイヤモンドクラスになったら、お前の家族を購入すると決めていたんだ。お前達家族が一緒に暮らせるのが一番だと思ってな」
ティクロは一旦、言葉を区切る。親父とデュビックの様子を見ると、二人ともぽかんとした表情をしていた。ティクロの言っている意味は分かるが、理解はできない、そんな顔だ。俺にも似た様な経験があるため、二人の考えていることが手に取る様に分かる。まぁ、俺もティクロの言動には慣れてきたとはいえ、今回の件は流石にスケールが大き過ぎるのだが。
「お前の父親と弟が健在であることは、オルバーの調査で分かっていた。そして、二人の居場所も特定できたんだが……ここで、問題が発生した。デュビックはハイネスカスの郊外にある男爵家に買われ、ガルドは鉱山奴隷としてモザルーに送られていたんだ。男爵は爵位としては一番低いとはいえ貴族だし、鉱山奴隷に至っては国が管理しているからな。一介の冒険者が、おいそれと『奴隷を売ってください』と頼みにいけるわけがねぇ。逆に、お前をハイネスカスやモザルーに連れて行けば、プラチナランクでも面会くらいはできたかもしれねぇが、奴隷として扱き使われている家族の姿を、お前に見せたくなかったしな」
そういえば、俺がティクロに買われた、あの日。ティクロは冒険者ギルドで、オルバーから何かの資料を受け取り、男爵家だの金鉱だのと言っていた様な気がする。まさか、その時にはもう既に計画は始まっていたというのか。次々と明かされる真実に、俺は驚きを隠せない。
「そして以前、晴れてダイヤモンドクラスとなったお前は、颯爽と二人を買いに出掛けた……そういうわけだな?」
「そういうわけだ。ダイヤモンドクラスになれば、国や貴族にもそれなりに融通を利かせてもらえる様になるからな。奴隷を売ってくれるかどうかまでは正直微妙だったんだが、オークであれば格安で売ってもいいと言われてな。あまりにも簡単に話が進んで、少し拍子抜けした気分だぜ、ったく……」
ティクロは呆れた様に、溜め息を吐いた。だが、溜め息を吐きたいのは、俺の方だ。俺の知らないところで色々と動いていたという事実に頭がクラクラしてきたが、なんとか立て直し、彼に疑問をぶつける。
「経緯は分かったが……ティクロ、お前は何故、そのことを俺に黙っていた? 過去のことについてはともかく、二人を購入する件については別に隠す様なことではない。理由を言ってくれれば、俺も家族を取り戻そうと、もっと気合を入れて協力したのだが」
「うっ……それは、その……」
ティクロはギクリと、俺から視線を逸らした。それでも俺は、じっとティクロを見続ける。暫く間を置いたあと、彼は腹を括ったかの様に俺と視線を合わせ、ゆっくりと口を開いた。
「いやな、お前に『家族を取り戻せる』と期待させておいて、『結局ダイヤモンドクラスになれませんでした』『そして間に合わず、二人は死んでしまいました』となったら、お前を悲しませると思ってな。ダイヤモンドクラスなんざ、そう簡単になれるもんでもねぇし」
情けない理由ではあるが、気持ちは分からなくもない。それに、ルイスの前で治癒魔法を使わない様にしていたため、あまり無茶な真似はできなかったし、たとえ治癒魔法のことをルイスに伝えていたとしても、治癒魔法を頼りに無茶すべきではない。万が一ティクロが死んだり、治癒魔法で治せないほどの致命的な怪我を負ってしまったら、それこそ二人を買い戻せなくなってしまう。だからこそ、もっと長い年月をかけて、ダイヤモンドクラスを目指すつもりだったのだろう。「赤竜との遭遇」というトラブルがあったからこそ、たまたま予定より早くダイヤモンドクラスになれた、ただそれだけの話なのだ。
俺はそう納得しかけたが、ティクロの次の言葉で、その気持ちは一気に吹き飛んだ。
「あとは、お前を驚かせようと思ってな。気配に敏感なお前に気付かれないかヒヤヒヤしたが、サプライズが無事成功して本当に良かったぜ!」
「……あぁ、本当に驚いた。心臓が止まるかと思ったぞ」
すっきりとした顔で満面の笑みを浮かべるティクロとは対照的に、俺はげんなりと椅子にもたれかかった。ティクロが俺のためにここまでしてくれたことに対しては素直に嬉しいが、物事には限度というものがある。それに、ティクロの一連の行動は筋が通っている様で、どうも理不尽な気がしてならない。俺はこのもやもやした感情を、何処かにぶつけたい気持ちでいっぱいだ。
そんな俺を余所に、親父とデュビックの二人は目を爛々と輝かせていた。ティクロの手を握り、口々にお礼の言葉を告げる。
「ご主人様ーーいえ、ティクロ……様。本当にありがとうございます。奴隷生活が長かった故、ティクロ様のご要望にお応えするには少々時間を要すると思いますことをお許しください。ですが、これから少しずつ慣れて参りますので、息子ともども、これからよろしくお願いいたします」
「ティクロ様、ありがとう! 俺も頑張るから、これからよろしくね」
「あぁ、二人とも。これからよろしくな」
奴隷としての生活がすっかり染み付いているなりにも、頑張って順応しようとしている二人に、ティクロは嬉々として手を握り返す。同じ空間にいるはずなのに、俺と三人の間には、ひどく温度差がある様な気がした。
そんな中、奥のテーブルで酒を飲んでいるオルバーと、そんな彼に呆れながらシチューを食べているルイスの姿があった。ティクロとともに、二人と同じテーブルに着き、ルイスが食べているものと同じメニューを注文する。料理を待っている間、赤竜との戦いで最初に囮になろうとした俺に対して、酔っ払ったオルバーから説教を食らった。空きっ腹に酒臭い男の説教が響き、腹を下しそうになる。だが、オルバーが本気で心配してくれているのだと感じることができて、俺は嬉しさのあまり、泣きそうになった。
「……っとまぁ、そんなわけだ。今後どうしても誰かを犠牲にしなければならねぇ時が来るかもしれんが、それでも『生きる』ということをそう簡単に諦めるな。特に、お前は奴隷生活が長かったせいか、未だに実感が湧かねぇんだろうが、お前が死ぬことで悲しむヤツがいるんだってことを、絶対に忘れんじゃねぇぞ」
「あぁ、肝に銘じる」
「……ったく、説教ジジイにはなりたくなかったんだけどな。お前もティクロも、お互い自己犠牲が過ぎるから、つい口出ししてしまったぜ、ったくよぉ」
そう言い、オルバーはビールを呷る。ジョッキに半分ほど残っていたビールは、一瞬で消えた。
オルバーの説教が終わり、ようやく店員が持ってきたシチューとパンで腹を満たした。そして、人心地ついたあと、四人で冒険者ギルドへと向かう。ギルドの中に入ると、冒険者達や職員から一斉に注目を浴び、盛大に歓迎された。赤竜を倒したのはバルバトスだが、それまでの間にランドウィークの森で足止めしていたティクロとオルバーもまた、高く評価されている様だ。受付で報告を済ますと、晴れて二人はダイヤモンドクラスへの昇格を果たした。
また、赤竜討伐の報酬により、俺達に莫大な金が手に入った。報酬の半分はシシクル達の手に渡り、そこからさらに俺達パーティー内で分配しても、十年以上は遊んで暮らせそうである。オルバーは素直に喜んでいたが、ティクロとルイスは突然手にした大金に戸惑っている様だ。だが、ティクロはこれで前から欲しかったものが買えるうえ、家を購入してもまだ手元に金が残ると、嬉しそうである。
ランドウィークの森で赤竜の素材を回収し、魔物討伐の依頼を完了させた俺達は、シシクルやバルバトスを交えて、ルイスおすすめの高級料理店で打ち上げをした。やたらと高級そうな肉や魚に、ハーブや香辛料などを惜しみなく使った数々の料理に、思わず舌鼓を打つ。オルバーは質より量を重視するため、料理は物足りないと愚痴っていたが、ウィスキーやワインなどの酒類には満足した様だ。一方、シシクルとバルバトスは二人とも少食だが、俺達の普段の生活や仕事の話、ティクロの豆知識、オルバーの下らない話などを、心ゆくまで楽しんだ様だ。
そして翌日、ガンガンする頭を押さえながら目を覚ますと、ティクロが突然「一週間ほど、旅に出る」と言い出した。どうやら早速、「ダイヤモンドクラスになったら欲しいもの」とやらを買いにいく様だ。既に準備を済ませ、大量の荷物を詰め込んだ鞄を背負い、いつでも出発できる状態である。俺も荷物持ちとして一緒に行くと言ったが、今回は馬車で移動するため、荷物持ちは不要であると、すげなく断られる。オルバーと一緒にアーヴァインで待っててくれと言い残し、ティクロはそそくさと宿から出ていった。
宿酔いで頭が回らないうちに追い討ちをかけるかの様な早業に、俺は呆気にとられた。あとでオルバーとルイスに話を聞いたところ、どうやらティクロが旅に出るということを、昨日の時点で聞かされていた様だ。何故、相棒である俺には話してくれなかったんだと一瞬憤慨したが、そういえば二次会でうっかり酒を飲み過ぎてしまい、そのあとの記憶が綺麗さっぱりと消えてしまっている。二人に確認すると、やはりその時に話があった様だ。しかし、それでも昨日の今日と、いくら何でも急過ぎる。そんなに慌ててまで、彼は一体、何を買おうとしているのだろうか。
(ティクロのことだから、昇進祝いに新しいアクセサリーを買うだけの可能性も捨て切れないがーー)
オルバーは何かを知っている様だが、聞いても適当にはぐらかされてしまう。俺は不審に思いながらも、どうせ一週間後には分かることだと、気にしないことにした。
差し当たっての課題は、ティクロが不在の間、どう過ごすかである。ティクロがいなければ、冒険者ギルドで依頼を受けることができない。オルバーに頼めば、仕事に着いていくことも可能ではあるが、赤竜との一戦で心身ともに疲れ切ってしまったため、暫くはゆっくりしたいそうだ。一方、ルイスは同居人の様子を見にいくと、南東にある自宅とやらに帰っている。
夜になり、『太陽の雫』で一緒に飲まないかとオルバーに誘われたが、気乗りしないと断った。いくら客商売とはいえ、オークを接待するのは、流石に嫌だろう。たとえ、相手の女が気にしないタイプだったとしても、俺が気にする。そんな中、お互い楽しめるとは、到底思えない。
俺はベッドに寝転がり、暇を持て余していた。一人になるのは、奴隷商館にいた時以来だ。目を伏せ、奴隷商館にいた時のことを思い出す。本当は思い出したくないほどの辛い日々だったが、今ではそのプロセスがあったからこそ、ティクロと出会い、今の幸せがあるのだと思える。
そういえば、俺は左腕と右足に怪我を負っていた。ティクロに治してもらってから二年もの月日が流れ、今ではその感覚をすっかり忘れていた。これが、ティクロが以前話していた、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というやつだろうか。
(「また助けてもらった」、か。もし、あれがただの寝言ではないのであれば、もしかしたら、ティクロと俺はーー)
ティクロが俺の怪我を知っていたことと、俺に「また助けてもらった」というティクロの台詞。二つの事柄は全く関係ない様に思えるが、どうしても切り離すことができない。俺は因果関係を探るべく、必死に記憶を辿っていく。
俺が怪我をしたのは、レンタル奴隷として山賊と戦った時だ。その時は大勢の人間が人質となっていた。本隊である中央の兵士や冒険者、傭兵が山賊を引きつけている中、俺達奴隷や一部の冒険者は人質の救出に向かっていた。だが、小屋の中に囚われていた人質を救出した後、小屋から出たところで、思わぬ伏兵の襲撃に遭ってしまう。俺はその時、人質の一人である青年を庇い、怪我を負ったのだがーー
(もしかしたら、その時の青年が、ティクロだったのか……?)
泣きながら、何度も何度も俺に謝る青年の姿を思い出す。その青年は金髪で、指輪やネックレスなどといった貴金属は身に付けていなかったが、赤いヘッドバンドは着用していた様な気がする。今よりだいぶ幼い顔をしていたが、よくよく思い返してみれば、あの顔はティクロとそっくりだ。
その青年がティクロ本人だったと仮定すると、彼が俺に感じているであろう『罪悪感』についても説明がつく。彼を山賊の攻撃から庇ったことで、今後の活動に支障が出るレベルの大怪我を負ったのだから、無理もないだろう。それからの俺は、戦闘奴隷としての役目を充分に果たせず、いつ処分されてもおかしくはなかった。そんな俺を購入し、相棒として優しくすることで、彼はせめてもの罪滅ぼしをしたかったのだろう。
そして、そのことを俺に言い出せない気持ちも理解できる。軽蔑されるだけならまだいい、殺意を向けられたとしてもおかしくはない。実際、出会ってすぐにそのことを告げられたとしたら、表面上は気にしない風を装いながらも、決していい気はしなかっただろう。それに、奴隷が主人に殺意を向けると隷属の首輪が発動し、首を絞められる。そんなリスクを冒してまで、わざわざ告げるわけにもいかないだろう。だからこそ、俺に償うために、過去のことを隠しながら、相棒として傍にいるという選択をしたのだ。
それにしても、いくら俺に対して罪悪感を持っていたとはいえ、たかが奴隷である俺のために、そこまでするだろうか。亜人の奴隷は使い潰されることが通例であるこの国において、彼の思考はあまりにも異常である。シシクルの様に亜人と恋愛する者もいなくはないが、それでも主人の意向に合わせて、奴隷がそれに従う前提で成り立っている。間違っても、奴隷の顔色を窺い、自分の気持ちを押し殺す様な主人など、本来であれば存在するはずがないのだがーー
(……ん? そういえば、ティクロはこの国の出身ではないんだったな)
確かティクロは、アルディバランと呼ばれる国の孤児院出身だと言っていた。その国はこの大陸にはないらしく、どの様な国なのかは俺もよく知らない。だが、もし奴隷の待遇がアーヴァインとは異なっていたり、そもそも奴隷制度自体が存在しないのだとしたら、彼の思考がこの国の住人と異なるのは当然だ。オルバーもティクロと同郷であり、彼もまたティクロと同様に、俺に対しての扱いが優しいことからも、裏付けが取れる。
(……と、思考が逸れてしまったな。要するに、ティクロは自分のせいで俺が怪我を負ったことに、罪悪感を持った。だから俺を購入し、罪を償おうとした。まぁ、そこには俺に対しての恋情も含まれているとは思うが、だからこそ言い出せなかったのだろうな。俺に軽蔑されるのを恐れてーー)
あくまで俺の推測に過ぎないが、妙に確信めいたものを感じていた。帰ってきた時にでも答え合わせをしてみるかと、俺は思考を止め、身体の力を抜く。頭をフル回転させたせいか、働いてもいないのに相当疲れが溜まっている様だ。闇の中に意識を委ねると、すぐに深い眠りへと誘われた。
次の日、オルバーに肩を叩かれ、目が覚める。何事かと理解する間もなくオルバーに急かされ、着替えるとすぐに街へと連れられた。どうも、市場で珍しい肉料理や酒をメインとした祭りが開催されているらしい。オルバーに起こされるのも、二人で街を歩くのも珍しいーーというより初めてだが、どうせ暇なので付き合うことにした。
露店で食べ歩きしながら、街の中を二人で散策する。今日は祭りであるせいか、人通りが多い。澄み渡る青空から降り注ぐ太陽の光が、大地をギラギラと照らしているため、芋を洗う様な混雑と相まって、非常に暑苦しい。額から流れる汗を拭い、人混みを避けながら焼き鳥に齧り付いていると、不意にオルバーが俺の肩を叩いてきた。
「おいテッセン、見てみろよ。あそこにいる姉ちゃん、メッチャ可愛いくねぇか!?」
興奮気味のオルバーが指し示す方へと顔を向けると、そこには一際目立つエルフの姿があった。エルフの見た目は一言で言うと「耳が長いだけの人間」だが、千年という長い寿命と、老若男女問わず美形の多い種族で有名だ。透き通る様な、白い肌。腰まで伸びている髪は、金色に輝いている。スレンダーな体付きは戦闘向きではないが、白いワンピースはそれなりに良い材質であるため、おそらく上流階級の性奴隷だろう。その服装に似合わぬ首輪をしているのは奴隷として仕方のないことではあるが、それでも彼女の美貌を損ねることはなかった。
「あぁ。可愛いというか、美人だな」
俺が素直な感想を述べると、オルバーは「おっ?」とニヤニヤしながら、俺の脇腹を小突いてきた。痛くはないが、若干鬱陶しい。
「お前にもそういう感性があるんだな、良かった良かった。お前は真面目で堅物だから、この手の話題はどうかと思ったんだが、イケるなら遠慮なくいくぜ。それで、どうだ? あのエルフ、お前の好みか?」
俺が話せるクチだと思ったのだろう、ただでさえ普段から熱苦しい彼のテンションが、いつも以上に高い気がする。面倒臭いことこの上ないが、彼と二人きりで他に話すこともないので、とりあえず話題に乗ることにした。
亜人は通常、同種族同士で番となるが、オークには雌がいないため、必然的に他種族と交尾して子孫を残すことになる。つまり、実際は純血のオークなど、この世には存在しない。だが、オークの精子から生まれた子供は、全てオークの姿になるため、オークという種族が確立しているのだ。よって、同種族好きの同性愛者でもない限り、オークは基本的に他種族から好みのタイプを選ぶことになる。奴隷という身分や、オークという種族の都合上、決して選り好みできる立場ではないのだが、それでも一応、オークにも好みのタイプというものは存在するのだ。
俺は顎に手を当て、相手のエルフに気付かれない様に観察しながら、自分の好みと照らし合わせてみる。だがーー
「……いや、あまり好みではないな。線が細過ぎる。もっと肉付きのいい方が好みだ」
俺はオルバーの耳元に顔を近付け、周囲に聞こえない様に耳打ちする。真昼間の市場のど真ん中で、彼の様に堂々と大声で話す度胸はない。
「なるほど、なるほど。確かに俺もボン、キュッ、ボンの方がいいな。だったら、あの黒い姉ちゃんはどうだ? 胸が大きくてたまんねぇぜ!」
何故ここで、爆発音や物を絞める音が出てくるのだろうか。そう思いながら、オルバーの視線の先に顔を向けると、そこには褐色の肌をしたエルフーー所謂、ダークエルフの姿があった。エルフは基本的に美人だが、貧相な体付きをしている者が多いのに対し、ダークエルフは胸や尻が大きく、逆に腰回りが締まっている者が多い。あのダークエルフの胸も、俺の大きな掌でも収まらないであろうほどに大きく、六つに割れた腹筋は歴戦の戦士を思わせるほどに引き締まっている。おそらく、女性のスタイルをオルバーなりに表現したかったのだろう。
紫がかった黒髪を、邪魔にならない程度に短く切り揃えていることからも、彼女は戦闘奴隷であることが窺える。だが、胸や股を最低限隠す程度のビキニアーマーに鉄のブーツのみといった、ティクロやオルバー以上に露出度の高い格好で、果たして魔物や盗賊と戦えるのかどうかは甚だ疑問ではあるが。
「確かに好みではあるが、胸が大き過ぎるな。俺としては、掌に収まるくらいが、ちょうどいい」
「そうか? 俺はあれくらい大きい方がいいと思うんだがな。あぁ、あの胸で俺のモノを挟んでもらいてぇなぁ……」
普段通りの声量で堂々と下ネタを口にするオルバーに、俺は頭を抱えたくなった。市場の喧騒にオルバーの声が掻き消されているとは思うが、周囲の人間から冷ややかな視線を向けられている様な錯覚に陥る。俺は他人のフリをしたいところだが、露店で俺の代わりに代金を支払ってくれるこの男から離れることはできない。これ以上この話題が続いて、オルバーの口からさらなる下ネタが飛び出さない様、俺は話を逸らすことにした。
「というか、オルバー。俺の好みなど聞いてどうする。奴隷である俺達は自由な恋愛などできず、種の存続のためだけに交配させられるか、人間の慰み者になるかのどちらかしかない。それに、仮に自由恋愛が認められたとしても、オークである俺が好みの女性と付き合うことはおろか、お近付きになることすらできないと思うが」
あくまで一般論を語る俺に、先ほどまで上機嫌で語っていたオルバーは、人の往来が激しい市場のど真ん中であるにも関わらず立ち止まり、後方にいる俺の方へと振り返る。そして、俺の顔をじっと見つめたあと、深い溜め息を吐いた。やれやれと肩を竦め、俺に対して何とも言い難い微妙な視線を向ける。
「あぁ……いくらティクロと一緒に過ごしていたとはいえ、そこら辺の意識は根深いか。よし、お前に言いたいことがあるから、ちょっとこっち来い」
オルバーは俺を手招きし、人混みの少ない路地裏の入口へと足を運ぶ。誰にも話を聞かれたくないというよりは、単純に足を休めたいだけの様だ。俺としても、これ以上オルバーが変なことを往来で話すのは非常に困るので、喜んで彼のあとに付いていった。オルバーは路地裏入口の壁に寄りかかり、俺の目を真っ直ぐに見つめる。そして、普段の戯けた調子は鳴りを潜め、真面目な口調で語り出した。
「ルイスから聞いたんだが、赤竜との事件があった日、テッセンは俺達を助けるために冒険者の前で土下座したんだってな」
「……あ、あぁ、そうだが。それがどうした?」
突然話が斜め上の方向から飛んできたことに疑問を浮かべながらも、事実のため肯定する。オルバーはそんな俺の返事を確認し、話を続けた。
「奴隷は主人のためにあるものだが、だからといって奴隷が主人に対して忠誠心を持っているとは限らねぇ。いや、この国の奴隷制度の在り方を考えると、主人を敬う気持ちになれる環境であるとは到底思えねぇ。個人差はあると思うが、大抵は主人に対して深い恨みを抱きながらも、隷属の首輪に縛られているせいで逆らえず、ただ命令されるがままに一生を過ごすしかねぇんだ。ここまでは理解できるよな?」
一昨日の様な「酒で酔っ払いながらの説教」とはまた違う、オルバーの真剣味を帯びた話に、思わず聞き入ってしまう。俺が頷いたのを確認したオルバーは、さらに話を続けた。
「だが、テッセン。お前は俺達を、ティクロを助けてくれと、冒険者達に土下座した。それは忠誠心とは違うかもしれねぇが、ただ命令されて仕方なくやったわけでもねぇ。そもそも、ティクロはテッセンではなく、ルイスに応援を呼ぶ様に頼んだんだからな。つまり、テッセンは別に、冒険者達に土下座をする必要はなかったわけだ」
淡々と語るオルバーに相槌を打つも、この話が一体何処に向かっているのか分からない。彼の言葉を頭の中で整理しながら、俺は注意深く耳を傾けた。
「だが、テッセンは『力を貸してくれ』『ティクロを助けてくれ』と、心の底から冒険者達に嘆願した。まぁ、ティクロが死んで奴隷商館に戻されるのを避けたかったという打算もあったのかもしれねぇが、ティクロを助けたいという気持ちも嘘じゃなかったんだろ? それを見た冒険者ーー特に奴隷持ちのヤツらは、そんなお前に心を打たれたんだとよ。今まで道具としてしか見ていなかった奴隷に対しても愛情を持って接すれば、テッセンの様に信頼してくれるんじゃねぇかとな。まぁ、そのあとに登場したイチャイチャバカップルの影響もあるんだろうが……」
イチャイチャバカップルとはおそらく、シシクルとバルバトスのことだろう。二人は恋人同士であることを隠している様だが、それでも二人が主人と奴隷の枠を超えた特別な関係であることに、周囲は気付いているのかもしれない。
それにしても、冒険者ギルドが現在、その様な雰囲気になっているとは知らなかった。それも、俺達がその切っ掛けを作ったということに、驚きを隠せない。だが、俺とティクロが相棒であるということは既に知れ渡っていたため、その影響もあるのだろう。もし、これが名も知らぬ者だったとしたら、「変な亜人だな」程度にしか思われずに終了していたかもしれない。日々の積み重ねがあったからこそ、俺達の関係は周囲に認められたのだ。
「……とまぁ、そんなわけだ。今はまだ難しいが、遠い将来、戦争のことなんざ忘れて、亜人と人間が手を取り合って仲良く暮らせる日が来るかもしれねぇな。そんなものは理想論でしかねぇと笑われるかもしれねぇが、お前達が確実にその一歩を踏み出したんだ。胸張っていけよ!」
そう言い、オルバーは俺の腰を掌でパシンと叩く。手加減はされていたため、然程痛くはなかったが、それでも突然の衝撃に吃驚した。あまりにも壮大過ぎてイマイチ話を飲み込めなかったが、良い方向へと向かっているなら、それでいいのかもしれない。
「それに、気付いてねぇだろうが、お前……今、冒険者の女どもの間で、密かに人気なんだぜ?」
「……は? どういうことだ、それは」
先ほどから話の変わり方が激しいと思いながらも、思わぬ情報にドキリとした。俺は困惑しつつも、オルバーの話に興味を隠せず、続きを急かす。
「主人想いの心優しいオークだとか、主人のために必死に頭を下げる姿が、男らしくて格好いいとか言ってたぜ。まぁ、それが恋愛感情かどうかまでは分からねぇが、少なくともお前に好印象であることには間違いねぇ……チキショー! 俺だって赤竜相手に善戦したのに、お前ばっかりモテて羨ましいぜ、ったくよお!」
腕で両目を隠し、おいおいと泣いてみせるオルバー。もちろん演技だろうが、俺のことを羨ましいと思っている点については本当だろう。
「……とまぁ、そういうわけだからよ。女にモテモテのテッセン君は、一体どういう女が好みなのかなーと、ずっと気になっていたわけですよ。ドゥーユーアンダースタン?」
急な『君』付けや丁寧語は気持ちが悪いし、最後のドゥーユーなんたらとやらは一体何なのかよく分からなかったが、とりあえず最近元気のない俺を元気付けようと街へ連れ出した、ということだけは理解できた。俺はフッと笑い、辺りを見渡すと、緑髪をポニーテールにして結ったドワーフの女性を発見する。ドワーフは小柄の人間の様な容姿で、ずんぐりむっくりとした体型をしている者が多いが、彼女はそんなドワーフにしては身長が高く、且つスレンダーである。とはいえ、エルフの様な線の細さはないが。
「あのドワーフは、俺の好みのタイプだな。気の強そうな目をしているが、中身は乙女だと、なお良い」
今日だけは、オルバーのお遊びに付き合ってあげるのもいいかもしれない。俺はオルバーほどではないがヒソヒソと話すのを止め、冒険者の女達が聞いたら幻滅しそうな話を、いつも通りの声量で再開した。それでも、市場の喧騒に容易くかき消される程度ではあるが。
「なるほど、ギャップ萌えか。それは俺も分かる気がするな。じゃあよ、ああいうのはどうだ? 俺はファンタジー要素が強いのは、あまり好みではないが」
「あぁ、猫獣人か。ファンタジーが何かはよく分からないが、好みではあるな。獣人が駄目なら、鬼人はどうだ? あそこにいる、肌の赤い女がそうだ」
「鬼人……オーガか。うーん、胸の大きさは確かに俺好みなんだが……」
それから俺達は暫くの間、路地裏から市場の人混みを観察しながら、好みの女性のタイプを言い合った。ティクロには悪いと思いながらも、久し振りに楽しい時間を過ごせた様に思う。
だが、これが後に思わぬトラブルを招くことになろうとは、この時の俺は想像だにしていなかったのだーー
一週間は長い様で、あっという間だった。三十も半ばに差し掛かると、時の流れを速く感じる。オークは百五十年近く生きる種族だが、この調子ではあっという間に老け込んでしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら、宿屋のベッドで寛いでいると、コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。俺は返事をしてベッドから降り、扉を開ける。すると、扉の外には赤いヘッドバンドを巻いた黒髪の男が立っていた。
「ーーよぉ、テッセン」
「あぁ、おかえり。ティクロ」
ぎごちなく挨拶するティクロを、部屋に招き入れる。彼が中に入ったのを確認し、扉を閉めた。俺は椅子に座ったが、ティクロは扉の前に突っ立ったまま、俺の顔をじっと見ている。何事かとティクロの顔を見返すと、彼は突然、俺に向かって頭を下げた。
「すまねぇ! ここに来る前に、南東の冒険者ギルドに用事があって寄ったら、偶然ルイスに会ってな。そこで、『俺が旅に出る』と伝えたことを、お前が覚えてないって聞いたんだ。お前からしたら突然のことで、吃驚したよな」
「あぁ、そのことか。それなら、酔っ払って覚えてなかった俺にも非がある。だから頭を上げて、こっちに座らないか?」
テーブルを挟んだ向かいの椅子を勧めるが、ティクロは扉の前から動こうとしない。俺は不審に思いながらも、とりあえず気になっていることを聞いてみた。
「それで、ティクロ。『欲しいもの』とやらは買えたのか?」
「あぁ。そのことについて、テッセンに話さなければならねぇことがある」
ティクロの表情は、真剣そのものである。彼の買ったものについて、俺に話さなければならないこととは、一体何だろうか。俺に関係のあるものだとしても、心当たりは全くない。つい無駄遣いしてしまった程度のことであれば、別に構わないと思っている。彼の真剣な表情が気になりながらも、俺は深く考えず、続きを促した。
「何だ、俺に話さなければならないこととは?」
「それはな……おい、二人とも。入ってきてくれ!」
ティクロは扉に向かって声をかける。俺はこの時になってようやく、扉の外に何者かの気配があることに気付いた。いや、今まで無かった気配が突然現れた、といった表現の方が正しいのかもしれない。
ガチャリとドアノブが回る音がしたあと、ゆっくりと扉が開いた。そこに現れたのは、緑色の肌をした二つの巨体。二人とも毛一本生えていないオークであるが、二人の間にはかなりの身長差や年齢差があった。俺より二十歳以上も歳上だろうオークは俺よりも頭ひとつ分背が低く、逆に俺よりも歳下であろうオークは俺より背が高い。二人とも腰蓑一丁に隷属の指輪のみと、如何にもな奴隷スタイルである。また、身体中には無数の傷や、打撲の痕などがあった。
「ティクロ、その二人は一体……」
言いかけて、二人の瞳を見た瞬間、俺は言葉を失った。右は黒曜石の様な黒い瞳、左目はルビーの様な紅い瞳のオッドアイ。俺と同じ瞳の色だ。ドクン、と心臓が脈打つ。まさか、この二人はーー!?
「テッセン……お前、本当にテッセンなのか?」
中年のオークが、俺に語りかける。遠い昔に聞いた、男らしくも心地良い響き。俺は、その声が大好きだった。
「お、親父……!? それに、お前はまさか……!」
俺は思わず立ち上がり、若いオークに視線を向けると、彼の瞳はうるうると潤んでいた。よろよろと俺に近付き、両腕を俺の肩に回して抱き締める。ふわりと、彼の温かな体温を感じた。
「そうだよ。俺はデュビック、兄貴の弟だよ……!」
俺の頭上から、弟ーーデュビックの啜り泣く声が聞こえてくる。あまりの出来事にパニックを起こすが、状況を理解した瞬間、堪らず涙が溢れてきた。もう二度と会えないと思っていた二人が急に目の前に現れ、これは俺の夢幻なのではないかと錯覚する。だが、弟から伝わる熱や鼓動が、はっきりと現実であることを、俺に強く訴えかけてきた。
「デュビック、親父……生きてて良かっ……」
俺はこれ以上、言葉を続けられず、弟の胸の中で号泣した。俺の涙は弟の胸を濡らし、雫となってポタポタと地面を濡らすが、俺は構わず泣き続ける。弟も腕に力を込め、俺の頭に雫を落とした。弟の向こう側で、親父も泣き声を上げている。俺は涙が枯れるまで、弟の胸にしがみ付いていた。
泣き疲れたか、次第に涙は出なくなった。俺はおもむろに弟から離れ、恥ずかしさのあまり目を逸らす。だが、弟が俺に向かってニッコリと笑っている姿を視界の端に捉え、俺は居た堪れなくなった。
「み、見るな! 俺の醜悪な顔が無様に歪んだところを、まじまじと見るんじゃない!」
腫れた目を隠すため、テーブルの上に置いてあったサングラスをかける。そして、親父の横で外野の如く振る舞っているティクロをサングラス越しにキッと睨み付けた。
「おい、ティクロ。これは一体どういうことか、説明してもらおうか!」
怒っているわけでないが、あまりの気恥ずかしさに、思わず怒鳴ってしまった。そんな俺を、親父が慌てた様子で嗜める。
「テッセン! 主人に向かって、その様な態度は何だ! 奴隷の身分を弁えないと、また俺達は離れ離れになってしまうぞ……」
「そ、そうだよ兄貴。せっかく再会できたのに、また別れなきゃいけなくなるなんて俺、嫌だよ……!」
弟も俺を諌めるが、俺はティクロから視線を離さず、じとーっとした視線を送った。ティクロは暫く黙っていたが、観念したかの様に両手を上げる。
「わ、悪い。ちゃんと説明するから、そう睨まねぇでくれ。だが先に、二人の治療をしてからだ」
ティクロの言葉に俺は頷き、彼を睨んでいた目を和らげる。そんな俺達のやりとりに、二人が大層驚いていたのは言うまでもない。
ティクロが二人に治癒魔法を施すと、身体中の怪我が瞬く間に消え去った。二人は目が飛び出るほど驚きながら、ティクロの方に向き直る。そして、二人揃って深々と頭を下げた。
「ご主人様、こんな卑しいオークであります私の身を、手ずから癒してくださり、至極恐悦に存じます。私どもが恩返しと申し上げるには厚かましいことこの上ないでしょうが、どうぞ何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます、ご主人様。このご恩は、絶対に忘れません!」
最大級の謝辞に、ティクロは気圧されたかの様に後退りながらも、彼の頬は僅かに赤くなっていた。とりあえず二人に頭を上げる様に指示したティクロは、「長旅で疲れた」とぼやきながら椅子に座る。俺もまた、彼の隣に並んでいる椅子に腰掛けた。
ティクロは親父と弟にも座る様に促したが、二人は当然であるかの如く、床に腰を降ろす。寧ろ何故、俺が椅子に座っているのだと言わんばかりに、白い目で俺を見てきた。そんな二人の様子に、ティクロは苦笑しながら、空いている椅子に座る様にと手で指し示す。二人は戸惑いながらも、おじおじと椅子の縁に座った。
「それでは、ガルド・オーグマーに、デュビック・オーグマー。改めて、俺の名前はティクロ。ティクロ・オゼンジー。最近、ダイヤモンドクラスになったばかりの冒険者だ」
「なんか、俺がティクロに出会った時と、似た様な自己紹介だな」
奴隷商館で檻越しに出会った時のことを思い出し、俺はクスリと笑った。あの時、ティクロはプラチナランクになりたてだった。たった二年前の出来事なのに、ひどく懐かしい。
「テッセン。さっきも言ったが、主人に対してその様な態度はーー」
「あぁ、ガルド。別にいい。テッセンにはあらかじめ、俺とは対等に接する様に言ってあるからな」
俺の態度を見かねて説教を始めそうになる親父に、ティクロが割り込んだ。彼の説明に、親父は「訳が分からない」と言わんばかりに顔を歪める。そんな親父の反応が気になった俺は、ティクロに向かって疑問を投げかけた。
「寧ろ何故、親父達はティクロに対して、そこまで遜っているのだ? 馬車での移動中、話す機会はいくらでもあっただろう?」
「あぁ、確かに『俺のことは主人として見なくていい』『フランクに接していい』と説明はしたんだがな。二人はずっと奴隷として散々虐げられながら暮らしていたせいか、俺の言葉を理解できていないというか、信じていないといった様な感じなんだ。それに、馬車には他の乗客もいたもんだから、あまり堂々と説明するのも憚られたしな。だから、実際に俺達の関係を見せた方が分かりやすいだろうと思って、今日この時まで保留にしてたんだ」
ティクロの説明に、俺は「なるほど」と相槌を打った。親父とデュビックは困惑した表情で、俺とティクロの顔を交互に見ている。
そんな二人に対し、ティクロは改めて、俺達の関係について説明した。奴隷と主人の関係は書類上のみであること。俺達は相棒として接していること。そして、普段は仲間と一緒に冒険者としての活動をしていることなどを、こと細かに。
「というわけで、ガルドとデュビックも、俺に対して無理に敬語を使う必要はない。『ご主人様』なんて他人行儀な言い方ではなく、是非『ティクロ』と呼んでくれ」
そう締め括るティクロに、親父とデュビックは相変わらず困惑の表情を浮かべながら、お互いの顔を見合わせていた。まぁ、今すぐには難しくても、そのうち慣れてくるだろう。俺は次の話題へと進むことにした。
「それで、ティクロ。お前が買いたかったものとは、俺の親父と弟だったのか?」
「あぁ、そうだ。お前も家族と一緒に暮らせるなら、その方がいいだろうと思ってな。家族の仲が悪いならともかく、良好だったということは、お前と出会った初日に確認済みだしな」
「……なぁ、ティクロ。本当に理由はそれだけか?」
いきなり話の腰を折る様だが、俺はどうしても確認しておきたいことがあった。それに、俺から核心を突いておかないと、ティクロはいつまで経っても話さない様な気がする。
「……な、何がだ?」
「奴隷商館で俺がティクロに買われた時よりずっと前に、俺達は一度会っている。山賊討伐の時にな。そうだろ?」
俺の言葉に、ティクロは目を大きく見開き、硬直する。暫く言葉を詰まらせていたが、やがて彼は肯定するかの様に頭を下げた。どうやら、俺の推理は当たっている様だ。
「……そうか、思い出してしまったか。本当はこんな情けねぇ話なんざ、聞かせたくはなかったんだけどな」
話に置いてけぼりの二人への説明を兼ねて、ティクロは俺達が初めて出会った時のことを話し始める。ティクロはオルバーと一緒にアーヴァインで冒険者としての活動をしている中、ハヌマ山脈でうっかりオルバーと逸れてしまい、そのタイミングで運悪くも山賊に遭遇してしまったのだという。当時のティクロであれば、オルバーと二人で何とか切り抜けられる程度のものであったが、たった一人では為す術もなく、あっさりと捕まってしまったそうだ。そのあとは、俺の記憶通りであるーー
「自己満足だとは分かっているんだけどな、俺はどうしてもお前に償いたかったんだ。俺を庇ったせいで大怪我をして、しかも俺が周りの目を気にしてお前を治療しなかったばかりに、お前の人生を台無しにしてしまったんだ。だからそのぶん、俺自身の手で幸せにしなければならないんだと、そう思ってな。そのためにも俺は、ダイヤモンドクラスになったら、お前の家族を購入すると決めていたんだ。お前達家族が一緒に暮らせるのが一番だと思ってな」
ティクロは一旦、言葉を区切る。親父とデュビックの様子を見ると、二人ともぽかんとした表情をしていた。ティクロの言っている意味は分かるが、理解はできない、そんな顔だ。俺にも似た様な経験があるため、二人の考えていることが手に取る様に分かる。まぁ、俺もティクロの言動には慣れてきたとはいえ、今回の件は流石にスケールが大き過ぎるのだが。
「お前の父親と弟が健在であることは、オルバーの調査で分かっていた。そして、二人の居場所も特定できたんだが……ここで、問題が発生した。デュビックはハイネスカスの郊外にある男爵家に買われ、ガルドは鉱山奴隷としてモザルーに送られていたんだ。男爵は爵位としては一番低いとはいえ貴族だし、鉱山奴隷に至っては国が管理しているからな。一介の冒険者が、おいそれと『奴隷を売ってください』と頼みにいけるわけがねぇ。逆に、お前をハイネスカスやモザルーに連れて行けば、プラチナランクでも面会くらいはできたかもしれねぇが、奴隷として扱き使われている家族の姿を、お前に見せたくなかったしな」
そういえば、俺がティクロに買われた、あの日。ティクロは冒険者ギルドで、オルバーから何かの資料を受け取り、男爵家だの金鉱だのと言っていた様な気がする。まさか、その時にはもう既に計画は始まっていたというのか。次々と明かされる真実に、俺は驚きを隠せない。
「そして以前、晴れてダイヤモンドクラスとなったお前は、颯爽と二人を買いに出掛けた……そういうわけだな?」
「そういうわけだ。ダイヤモンドクラスになれば、国や貴族にもそれなりに融通を利かせてもらえる様になるからな。奴隷を売ってくれるかどうかまでは正直微妙だったんだが、オークであれば格安で売ってもいいと言われてな。あまりにも簡単に話が進んで、少し拍子抜けした気分だぜ、ったく……」
ティクロは呆れた様に、溜め息を吐いた。だが、溜め息を吐きたいのは、俺の方だ。俺の知らないところで色々と動いていたという事実に頭がクラクラしてきたが、なんとか立て直し、彼に疑問をぶつける。
「経緯は分かったが……ティクロ、お前は何故、そのことを俺に黙っていた? 過去のことについてはともかく、二人を購入する件については別に隠す様なことではない。理由を言ってくれれば、俺も家族を取り戻そうと、もっと気合を入れて協力したのだが」
「うっ……それは、その……」
ティクロはギクリと、俺から視線を逸らした。それでも俺は、じっとティクロを見続ける。暫く間を置いたあと、彼は腹を括ったかの様に俺と視線を合わせ、ゆっくりと口を開いた。
「いやな、お前に『家族を取り戻せる』と期待させておいて、『結局ダイヤモンドクラスになれませんでした』『そして間に合わず、二人は死んでしまいました』となったら、お前を悲しませると思ってな。ダイヤモンドクラスなんざ、そう簡単になれるもんでもねぇし」
情けない理由ではあるが、気持ちは分からなくもない。それに、ルイスの前で治癒魔法を使わない様にしていたため、あまり無茶な真似はできなかったし、たとえ治癒魔法のことをルイスに伝えていたとしても、治癒魔法を頼りに無茶すべきではない。万が一ティクロが死んだり、治癒魔法で治せないほどの致命的な怪我を負ってしまったら、それこそ二人を買い戻せなくなってしまう。だからこそ、もっと長い年月をかけて、ダイヤモンドクラスを目指すつもりだったのだろう。「赤竜との遭遇」というトラブルがあったからこそ、たまたま予定より早くダイヤモンドクラスになれた、ただそれだけの話なのだ。
俺はそう納得しかけたが、ティクロの次の言葉で、その気持ちは一気に吹き飛んだ。
「あとは、お前を驚かせようと思ってな。気配に敏感なお前に気付かれないかヒヤヒヤしたが、サプライズが無事成功して本当に良かったぜ!」
「……あぁ、本当に驚いた。心臓が止まるかと思ったぞ」
すっきりとした顔で満面の笑みを浮かべるティクロとは対照的に、俺はげんなりと椅子にもたれかかった。ティクロが俺のためにここまでしてくれたことに対しては素直に嬉しいが、物事には限度というものがある。それに、ティクロの一連の行動は筋が通っている様で、どうも理不尽な気がしてならない。俺はこのもやもやした感情を、何処かにぶつけたい気持ちでいっぱいだ。
そんな俺を余所に、親父とデュビックの二人は目を爛々と輝かせていた。ティクロの手を握り、口々にお礼の言葉を告げる。
「ご主人様ーーいえ、ティクロ……様。本当にありがとうございます。奴隷生活が長かった故、ティクロ様のご要望にお応えするには少々時間を要すると思いますことをお許しください。ですが、これから少しずつ慣れて参りますので、息子ともども、これからよろしくお願いいたします」
「ティクロ様、ありがとう! 俺も頑張るから、これからよろしくね」
「あぁ、二人とも。これからよろしくな」
奴隷としての生活がすっかり染み付いているなりにも、頑張って順応しようとしている二人に、ティクロは嬉々として手を握り返す。同じ空間にいるはずなのに、俺と三人の間には、ひどく温度差がある様な気がした。
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