アーヴァインの亜人奴隷

上総十河

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奴隷のオークとヘタレな相棒

第六話 赤竜

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「なぁ、ティクロ。最近、二人の様子がおかしくねぇか? なんていうか、心ここにあらずといった感じでよ」
 ランドウィークの森で魔物の討伐を始めてから四日目。北西の公園で見てしまったティクロのキスシーンを払拭ふっしょくするかのごとく、無心に戦斧せんぷを振るっているが、あの時の光景が脳裏のうりに焼き付いて離れない。ルイスもルイスで、俺とティクロの顔を交互に見たり、かと思えば慌てて顔をらしたりと、挙動不審である。そんな俺達の様子にオルバーが気付かないはずもなく、魔物解体中のルイスを横目に、ティクロにそっと耳打ちした。とはいえ、オーク特有の地獄耳である俺には、はっきりと聞き取れてしまうため、あまり意味はないのだが。
「あぁ、俺も気になって聞いてみたんだが、何も教えてくれねぇんだよ。まぁ大方、二人で喧嘩でもしたんじゃねぇか?」
 俺達をおかしくさせた張本人が、頓珍漢とんちんかんなことを抜かす。俺は若干じゃっかんイラッとしたが、俺達が現場を目撃したことをティクロは知らないのだから、ここで彼に怒りをぶつけるのは流石さすがに理不尽だと思い直した。
「テッセンとルイスが、か? 俺達ならともかく、あの二人が喧嘩している姿なんざ、想像できねぇんだが」
 ティクロが俺の名前を呼びながら、ピピンに幾度となく接吻せっぷんし続ける光景の方が、よほど想像できないのではーーそう言いそうになるのを必死にこらえ、俺は周囲の警戒を続ける。ルイスも黙々と魔物を解体しているが、心境は同じだろう。
 あの日、ティクロとピピンの濃厚なキスシーンを目撃してから、どうやって帰ったのか覚えていない。気が付くと、俺は宿屋の椅子に、項垂うなだれる様に座っていた。ハッと顔を上げると、正面に座っていたルイスが気まずそうにキョロキョロと辺りを見回しては、俺の顔色をうかがう、といったことをひたすら繰り返していたのを覚えている。
 頭の中を整理しようと思いつつも、情報量が多過ぎるせいか、それとも状況を理解するのを無意識にこばんでいるのか、数日経った今でも、うまくまとまらない。ティクロと相棒になった日に「たとえだまされていたとしても構わない」とすら思っていたはずだったのだが、いざ彼のあんな姿を見てしまった途端、このていたらくである。本当に情けないことこの上ないが、あまりの衝撃の強さに、自分のキャパシティをとうに超えてしまっているのだ。
 あの時、本能のままに行動しなければよかった、理性に従っておけばよかったと、後悔の念にさいなまれる。ルイスを巻き込んでしまったことについても、本当に申し訳ない。あのまま何も知らなければ、俺達は今も、そしてこれからもずっと心穏やかに過ごせたはずだ。ティクロが裏で何をしているかなど気にもせず、ずっと彼の相棒として、彼の優しさに甘え続けてーー
「ーーーー!!」
「ど、どうした、テッセン!?」
「敵襲か! 何処どこだ、何処どこにいやがる!?」
 突然、身震いした俺に、ティクロとオルバーが騒ぎ出した。俺はなんでもないことを二人に告げ、平静を装いながら、周囲の警戒を続ける。だが、俺の心臓はドクンドクンと、五月蝿うるさいほどに脈打っていた。それはまるで、気付いてはいけない俺の気持ちを、書き消しているかの様に。
 そんな俺の様子を見かねたティクロが、心配そうに声をかけてきた。
「あのさ、テッセン。何かあったら、俺に言えよ。俺達は相棒だからな。悩んでいることでも相談でも、何だって聞いてやるからさ」
 俺達は相棒だからーー今のティクロの台詞せりふは、果たして本心なのだろうか。そう疑い始めていることに自己嫌悪するも、その思考をめられない。ティクロは俺の反応が鈍いことに気付くと、あぁ、と落胆した様子で視線をらした。違う、俺はティクロにそんな顔をさせたいわけではない。彼にそう伝えたいが、どうしても口に出せない。
「まぁ、俺に言いづらいこともあるか。だったら、オルバーかルイスにでもーーっっ!?」
 ティクロが俺に気を遣う様に言いかけたところで突如とつじょ、森の奥から地響きの様な低い轟音ごうおんが鳴り響いた。俺達は咄嗟とっさに武器を構え、音のする方へと警戒を強める。静かな森に、強い風が吹き荒れ、木々が恐慌きょうこうをきたしかの様にざわめいていた。
 森の奥から、強い気配を感じる。相手にするな、逃げろと本能が叫んでいるが、脚が震えて動けない。他の三人も同じらしく、森の奥をじっと見つめたまま、身体からだをカタカタと震わせていた。ドスン、ドスンと、岩や隕石が地面に落下しているかの様な鈍い音とともに大地が揺れ、木々がメキメキと音を立てて倒れる音がする。それはまるで、大型の肉食動物が暴れ回っているかの様なーー
「ーーまさか!?」
 予想が外れてほしいと願うもむなしく、森の木々を突き抜けるほどの大きな物体が、俺達の前に姿を現した。それは、鮮やかな紅色の鱗を身にまとった、大きな蜥蜴とかげの様な魔物。話には聞いたことがあるが、滅多に遭遇そうぐうしないため、半ば伝説と化している化け物。
「せ、『赤竜せきりゅう』……!?」
 最悪だ、と俺は心の中で吐き捨てる。赤竜せきりゅうは俺達を見下すかの様ににらむと、威嚇いかくするかの如く、突出した口をガバリと大きく開けた。
 
 グオオオオオオオオオオオオォォーーッ!!
 赤竜せきりゅう容赦ようしゃない咆哮ほうこうが、森の中に木霊こだまする。荒波の如く震える空気が、身体からだを揺さぶる。あまりの威圧に、俺の身体からだは思わずすくんでしまう。戦斧せんぷを危うく落としてしまいそうになるのをこらえ、ぎゅっと握り締めた。
 赤竜せきりゅう所謂いわゆる『ドラゴン』と呼ばれる魔物である。あか蜥蜴とかげの背中に、蝙蝠こうもりの様な翼が生えているが、赤竜せきりゅうは空を飛ぶことができないと言われている。赤竜せきりゅう紅蜥蜴べにとかげが進化した魔物であるとか、紅蜥蜴べにとかげ紅蝙蝠べにこうもりの魔物を合成した失敗作のキメラであるなどの説があるが、いずれも真偽のほどはさだかではない。
 しかし、制空権がないとはいえ、脅威きょういであることには変わりない。堅牢けんろうな鱗で覆われた全身は、如何いかなる衝撃も通さず、あらゆる刃をも跳ね返す。赤竜せきりゅうにダメージを与えるには、『賢者』と呼ばれるクラスの魔法使いが全身全霊をかけた氷結魔法を浴びせるか、特別な強化魔法を付与した武器で一刀両断するしかないと言われているが、生憎あいにく俺達は、その様な手段など持ち合わせていない。
 そもそも、赤竜せきりゅうはダイヤモンドランクの冒険者が数十人と束になり、勝つための作戦を数日間に渡って念入りに計画し、それでようやく倒せるか倒せないかといったレベルの魔物である。間違っても、プラチナランクの冒険者二人に、同程度の実力であるオーク、そしてゴールドランクのポーターの計四人が、何の打ち合わせもせずに挑む様な相手ではない。とどのつまり、万に一つも俺達には勝ち目などないのだ。
 それでも、俺達は逃げることができない。一瞬でもすきを見せれば、目の前の赤竜せきりゅう蹂躙じゅうりんされてしまうだろう。先ほど水を飲んだばかりなのに、すっかり乾き切ってしまったのどを少しでもうるおす様に、ごくりと唾を飲み込む。全身から冷や汗が止まらず、戦斧せんぷに力を込めたてのひらは痛々しいほどに熱を帯びていた。
 二年前にひょう獅子じしと死闘を繰り広げた時の比ではない。出会ったが最後、確実な『死』が、俺達を待っている。だがーー
(俺はともかく、他の三人ーー特に、ティクロを死なせるわけにはいかない!)
 ティクロに買われてから二年間、ずっと俺に優しくしてくれた恩を返す時が、ようやく訪れたのだ。たとえ俺の命を犠牲ぎせいにしてでも、ティクロを守ってみせる。ティクロが俺のことをどう思っていようと、たとえ性的な目で見ていたとしても、その気持ちだけは今でも決して変わらない。余計なことは考えるな、今は目の前の敵に集中しろ。俺は戦斧せんぷを構え、赤竜せきりゅうにらみつけた。
 ーーーーグルルルルル。
 赤竜せきりゅうのどの奥からしぼり出すかの様に、低いうめき声を上げる。一瞬、俺達を威嚇いかくしているのかと思ったが、数日前に戦ったべに蜥蜴とかげを思い出し、咄嗟とっさに叫んだ。
「全員、左右に避けろ!!」
 赤竜せきりゅうが口を大きく開き、のどの奥から勢いよく炎を吐き出した。赤竜せきりゅうの目の前が轟々ごうごうと燃えているが、俺の合図で回避行動を取ったティクロ達は無事の様だ。俺も赤竜せきりゅうの右方に回り込み、間一髪で炎の海からのがれた。その勢いで赤竜せきりゅうの胴体目掛けて大きく跳躍し、〈鋭刃〉の魔法を重ね掛けした戦斧せんぷを大きく振り下ろす。赤竜せきりゅうべに蜥蜴とかげと同様、炎を吐いている間は他の行動をとることができないらしく、戦斧せんぷすきだらけとなった赤竜せきりゅうの胴体を難なく捕らえるが、刃が通らず、えなく跳ね返された。だが、それは予想済みのため、余裕を持って着地し、赤竜せきりゅうがこちらを向いて前足の爪を突き出したところを、ひらりとかわす。
「おい、もしかしてあいつ、赤竜せきりゅうとやり合うつもりじゃねぇだろうな!?」
「そんな、無茶です! テッセンさん、退いてください!!」
 ここで退いたところで、すぐに追い付かれるのは目に見えている。オルバーとルイスの声を無視し、俺は赤竜せきりゅうに再び、刃を突き立てた。当然跳ね返されるが、俺は構わず、赤竜せきりゅうの攻撃を避けながら、何度も何度も斧を振るう。赤竜せきりゅうに傷一つ付けられないが、それでもいい。とにかく、赤竜せきりゅうのヘイトを俺に向けることが重要だ。
「おい、お前ら! 俺がおとりになるから、さっさと逃げろ!!」
 俺は赤竜せきりゅうに向かって、腹の底から大きく叫んだ。赤竜せきりゅうに言葉は通じないだろうと踏んでの行動だったが、案の定、赤竜せきりゅうは俺からの威嚇いかくと受け取ったらしく、俺から視線を外すことはなかった。成功だ。これで赤竜せきりゅうに気付かれずに、三人を逃がすことができる。
 しかし、赤竜せきりゅうの向こう側にいるオルバーとルイスは動こうとせず、心配そうに俺を見ていた。早く逃げろと、俺は内心舌打ちする。俺は再度、赤竜せきりゅうに向かって叫ぼうとした。だがーー
(ーーん? 二人?)
 俺はここで、ティクロの姿が無いことに気付いた。彼の性格上、真っ先に逃げるとは考えにくいが、一体何処どこへ行ってしまったのだろうか。俺は一瞬、赤竜せきりゅうから目を離し、辺りを見回す。
 しかし、そのわずかなすきが命取りだった。赤竜せきりゅうの尾が、左にゆらりと揺れる気配がする。
「し、しまったーー!!」
 気付いた時にはもう遅く、赤竜せきりゅう身体からだがぐるりと右回転し、その勢いでスイングされた尾がを描く様に、俺の右方から迫り来る。避けられないーー俺は迫り来る衝撃を覚悟し、目を閉じる。だが、衝撃は右方からではなく、何故なぜか正面からやってきた。後方に吹き飛ばされ、樹木に背中を打ち付けるが、〈対衝撃〉が付与されたよろいのおかけで、大したダメージはない。何が起こったか分からず目を開けると、そこには赤竜せきりゅうの尾を腕にかかえる様に掴みながら、両足で踏ん張って回転の勢いを殺そうとしているティクロの姿があった。赤竜せきりゅうはバランスを崩し、激しく転倒する。ティクロもまた、赤竜せきりゅうの重さにバランスを崩してよろける。腕から尾がすっぽ抜け、赤竜せきりゅうはそのまま転がっていった。
「くっ……あれだけ〈剛力〉の魔法を練っても、流石さすがに投げ飛ばすことはできねぇか。おい、テッセン! 怪我けがはねぇか!?」
 俺にかけられたティクロの声には、若干じゃっかんの怒気が含まれている様な気がした。彼の両腕はしびれたかの様に震え、手は真っ赤になっている。付与魔法で腕を強化したとはいえ、俺を突き飛ばしたうえに、あのスイングを止めたのだから、相当な負荷が掛かったのだろう。脚にも相当ダメージがきたらしく、よろよろと身体からだがおぼつかない様だ。
「あ、あぁ。だが、ティクロはーー」
 ティクロの元に駆け寄ろうとしたが、手で制される。ギロリとにらまれ、俺は思わず萎縮いしゅくしてしまった。ティクロがオルバーに対してにらむのはよくあることだが、俺に対してこの様な目を向けたのは初めてだ。
「テッセン。お前は俺達を助けようとしてくれたんだろうが、お前が犠牲ぎせいになってまですることじゃねぇ。ここでお前が死んだら、二年前にお前を買った意味がねぇんだよ。それなら、お前が奴隷どれい商館しょうかんで一生過ごすか、他の誰かがお前を奴隷どれいとして買った方がまだマシだ」
 俺の先ほどの決意を根本から否定するかの様な物言いに、俺は絶句した。もちろん、俺を守ろうとしてくれているのは理解できる。だが、俺には彼を守る義務どころか、権利すらなかったというのか。彼を守ろうとする俺に、価値などないのか。彼の庇護ひごを一身に受け、いつまでも微温湯ぬるまゆに浸かっているべきだったのか。馬鹿げた思考だと分かってはいるが、俺達は相棒のはずなのに、俺が彼に守られることは許されても、彼を守ることは許されないというのは理不尽ではないかと問い詰めたい。しかし、あまりのショックに、声が出なかった。
「本当なら、こんなことしたくなかったんだが、仕方ねぇ。おい、テッセン」
 地に伏していた赤竜せきりゅうが起き上がろうとしている。ティクロは意を決したかの様に、俺に向かってピシャリと言い放った。
「俺を置いて、お前は逃げろ。これは命令・・だ」
「なっーー!?」
 俺が声を上げたその瞬間、首に巻かれている隷属れいぞくの首輪が白く光った。俺の意志とは無関係に足が勝手に動き、森の入り口に向かって走っていく。
「ティ、ティクローー!!」
 俺は必死の思いで立ち止まろうとするも、命令に背こうとした俺を罰するかの様に首輪が絞まり、一瞬意識が飛ぶ。俺の両足はそのすきを狙ったかの様に、再び森の入り口へと全力で走り出した。
「おい、二人とも! お前らはテッセンと一緒に冒険者ギルドに戻って、緊急クエストを出してくれ!」
「で、でも、そしたらティクロさんは……」
「はぁ……仕方ねぇな。俺はティクロと残るぜ。ここで赤竜せきりゅうを食い止めねぇと、街への被害がデカくなるだろうしな」
「オルバー、お前……あぁ、分かった。お前がいてくれると助かる」
「なぁに、いいってことよ。おい、ルイス。俺達の生死は、お前らにかかってるからな。さっさと行ってこい!」
「……はい。分かりました。二人とも、どうかご無事でーー!」
 三人の話し声が、だんだんと遠ざかっていく。赤竜せきりゅうの怒り狂った咆哮ほうこうが、遠くから響いてきた。俺は止まれ、止まってくれと念を込めるが、両脚が言うことを聞いてくれない。それどころか、首輪が命令に従えと言わんばかりに、じわじわと絞まっていき、心も首も苦しい。せっかく俺の命を犠牲ぎせいにする覚悟ができたというのに、こんな結末は嫌だ。俺の両目からは涙があふれ、しずくとなって俺の背後へと流れていった。
「テ、テッセンさん! や、やっと追いつきました……!」
 そこへ、俺のあとを追ってきたルイスが俺に並んだ。ポーターはパーティーの荷物を一身に引き受けるため、総じて健脚である。彼も例に漏れず、息切れする様子を一切見せない。
「ルイス、頼む! 俺を止めてくれ! 俺をティクロの元に向かわせてくれ!」
 俺はルイスに涙声で懇願こんがんする。しかし、彼は走りながら、首を横に振った。
「いいえ、それはできません。俺の力では止められないでしょうし、もし止められたとしても、テッセンさんの首が物理的な意味で吹き飛びます。それに、今ここで戻ったとしても、何かできるとは思えませんよ。それより、俺達は俺達で出来ることをしましょう。少しでも早く応援を呼べば、もしかしたらお二人は助かるかもしれません」
「くっ……ティクロ、ティクロ……!」
 ルイスに冷静にさとされ、俺は必死に足を動かす。命令で勝手に動いている分と相乗して、普段より速く走れている気がした。
 
 途中で出会でくわした魔物を戦斧せんぷぎ倒しながら、走ること三十分。ようやくランドウィークの森から抜け出し、見渡す限りの青々とした草原が視界に広がった。さらに一時間ほど走ると、アーヴァインの西門が見えてくる。俺達は門番のもとへと一直線に駆け寄り、赤竜せきりゅうが出現して冒険者二名が応戦しているむねを、簡潔に話す。門番は事態を把握すると、慌てながらすぐに中央の騎士団へと連絡を入れた。俺達はラストスパートをかけ、北西の冒険者ギルドへと飛び込む。汗だくで息を切らしている俺達に、周りの冒険者達はぎょっとしているが、非常事態だと理解するやいなや、一斉に受付までの道を開ける様に避けてくれた。
 俺達はよろよろと受付まで足を運ぶが、俺はぜいぜいと息をするのに精いっぱいで、うまく喋ることができない。
「どうしました、ルイスさん。そんなに慌てて……それに、そちらは確か、ティクロさんのパートナー・・・・・ですよね。何かあったんですか?」
 ルイスと顔馴染みの受付嬢が、心配そうに俺達を見ている。俺のことは、ギルドの受付にまで知れ渡っている様だが、今は気にしている場合ではない。俺の疲労ひろう困憊こんぱいな様子を見かねたルイスが、息を調ととのえながら代わりに説明した。
「ランドウィークの森に、赤竜せきりゅうが出現しました。現在、ティクロさんとオルバーさんが交戦中です。至急、応援をお願いします」
 ルイスの言葉に、受付嬢だけでなく、周りの冒険者達も一斉に静まり返る。無理もない、災害レベルの魔物が近くの森に出現しているのだ。しかし、ここで時間が過ぎるのを、ただ待っているわけにはいかない。俺の目配せに気付いたルイスは、分かっていると頷いた。
「メリーティアさん。事態は一刻を争うのですが」
「は、はい、申し訳ありません! 至急、緊急クエストを発令します。ソフィアはギルドマスターに連絡して!」
 メリーティアと呼ばれた受付嬢は我に返り、部下に指示を出しながら、ギルド内に緊急クエストを発令する。ギルドマスターも受付にやってきて、討伐隊のメンバーを募集するが、誰も名乗りを挙げない。運の悪いことに、ダイヤモンドクラス以上の冒険者は全員、アーヴァインから出払っているそうだ。
 一方、中央の騎士団は要請してから準備するまでに時間がかかるため、すぐには出発できないそうだ。それに、中央から西門まで距離がある。もしかしたら、実際にランドウィークの森に向かうのは、明日以降になるかもしれない。それでは到底、間に合わないーー
「お願いだ! 二人を、ティクロを助けてくれ!!」
 俺は必死になって、冒険者達に土下座する。ティクロが住んでいた国の作法で、相手に何かをお願いしたり謝罪したりする時の最敬礼であるらしい。俺達の国には、その様な作法はないが、少しでも気持ちが伝わってくれれば、それでいい。もちろん、ここにいる全員が赤竜せきりゅうに挑んだとして、勝てる保証など何処どこにもない。それどころか、返り討ちにう可能性の方が、明らかに高いだろう。だが、だからといって、何もしないなんて選択肢など、あるはずがなかった。
「あいつは亜人の俺にも優しくしてくれた。俺を逃がすために、おとりになってくれた。俺は、あいつを失いたくない。俺が出来ることがあるなら、何だってしてやる。だから、だからどうかーー!!」
 二人を、助けてくれーー俺の思いを心の底から吐き出し、響かせる。ティクロとともに過ごすことでひそかに芽生えていた『人』としての意地やプライドをかなぐり捨て、頭を地面に打ち付けながら、冒険者達の良心や同情心にうったえかける。二人を、ティクロを助けるためなら、手段を選んでなどいられなかった。
 しかし、周りの反応はかんばしくない。先に口を開いたルイスも、どうすればいいか迷っている様だ。
「テッセンさん……ティクロさん達を助けたい気持ちは、俺も同じです。それに、赤竜せきりゅうがお二人を突破してしまったら、次はアーヴァインを攻めてくるかもしれません。街に被害を出さないためにも、今のうちに討ち取りたいところですが……」
 ルイスはそれ以上言葉を続けず、口をつぐんでしまう。周りの冒険者達にも、俺の熱意は伝わった様だが、だからといって「じゃあ、今から赤竜せきりゅうを倒しにいくか!」と軽い気持ちで向かえるものでもない。憐情れんじょうと困惑が入り混じる絶望的な空気に、目の前が真っ暗になったーーその時だった。
「あの、ルイス様にテッセン様。一体、何があったのですか?」
 聞き覚えのある、若い女性の声。それに、ルイスだけでなく、俺にも「様」を付けて呼ぶ人物など、この世に一人しか存在しない。俺はガバッと顔を上げると、きょとんとした顔で俺を見降ろすシシクルの姿があった。いつも酒場で会うので、給仕の格好をしていない彼女は新鮮である。ピンクを基調としたパフスリーブのワンピースに日除けの帽子は、服に詳しくない俺から見ても上質な素材で出来ていることが分かる。いくら給仕とはいえ、冒険者ギルドへの出勤で着ていく様な服ではない。
 彼女の肩には、灰色がかった蝙蝠こうもりが乗っている。初めて見るが、彼女のペットだろうか。しかし、この蝙蝠こうもりからは異様なオーラを感じる。よく見ると、少し古びた隷属れいぞくの首輪を付けているので、もしかしたら魔物のたぐいかもしれない。世の中には魔物を調教して使役する者がいると言われているが、シシクルはその一人なのだろうか。
「あっ、シシクルさん。実はーー」
 のどが枯れて声が出ない俺に代わって、ルイスが説明する。シシクルは状況を把握すると、普段は見せない真剣な顔になった。
「そうですか、ティクロ様とオルバー様がーー『バルバトス』」
 シシクルは肩の蝙蝠こうもりに目配せする。蝙蝠こうもりは返事をする様に、羽根をバタつかせた。そして、ルイスに向き直ると、彼女の口からとんでもない言葉が飛び出した。
「ルイス様、私達が向かいます。案内してください」
 ギルドの中が再び、しんと静まり返る。誰もが無言でシシクルを見つめる中、最初に口を開いたのはメリーティアだった。
「あ、あの、シシクルさん、分かってます? 相手は赤竜せきりゅうですよ、無謀むぼうにも程があります」
「そうですよ。確かにシシクルさんは昔、冒険者だったかもしれないですが、今はかなりのブランクがありますし。それに、そもそもシルバーランク止まりだったんでしょう?」
「そ、そうだぜ、シシクルちゃん。赤竜せきりゅうはダイヤモンドクラス以上の冒険者が複数人必要だ。君が一人で向かったところで、何もできんだろ」
 ルイスや他の冒険者も、シシクルを止めに入る。しかし、シシクルの表情に、迷いはなかった。
「えぇ、赤竜せきりゅうがどんな魔物かということは分かってます。それでも、私はお二人を、恩人であるティクロ様を見捨てることはできません。それに、私には『彼』がいますから」
 シシクルは肩に乗っている蝙蝠こうもりを指し示す。すると、蝙蝠こうもりはパタパタと羽根を羽ばたかせた。ただでさえ強いオーラが、さらにどす黒くなってきている様な気がするが、周りの人間達は気付いていないのだろうか。対して、奴隷どれいである亜人達は、種族問わず、俺と同じ様に顔を真っ青にしたり、ガタガタと震えたりしている。
「あの、その蝙蝠こうもりが何をーー」
「待ちたまえ。シシクル君、君は先ほど『バルバトス』と呼んでいたな。まさか、その蝙蝠こうもりーーいや、彼は!?」
 突然割り込んできたギルドマスターは、宙を舞う蝙蝠こうもりを見ながら驚愕きょうがくの表情を浮かべている。その顔は若干じゃっかん、青白くなっていた。
「えぇ、ギルドマスターのご想像の通りだと思います。バルバトス!」
 シシクルの合図で、蝙蝠こうもりは彼女の肩から離れ、上空を快活かいかつに飛び回る。すると突如とつじょ蝙蝠こうもりの全身が青白い光に包まれた。あまりの眩しさに、思わず目を細める。その光は人の姿をかたどり、やがて光がだんだんと収まると、そこには一人の男の姿が映し出された。
「ーーふむ。この姿で人前に出るのも、随分ずいぶんと久しぶりですな」
 男は腕を組み、辺りを見渡す。その瞳は、まるでシリトンの様に、黄金に輝いていた。
 おそらく、この男が蝙蝠こうもりの正体なのだろう。精悍せいかんな顔立ちながら、優しげな雰囲気も兼ね備えた、中年の男だ。黒い革のよろいの上に、うぐいす茶色ちゃいろのロングコートを羽織り、灰色がかった白髪はくはつをオールバックに決めている。その姿は、戦士と紳士が入り混じった、不思議な雰囲気をかもし出していた。だが、口の両端からのぞく鋭い牙や、ターコイズの様な青緑色の肌が、人間であることを否定している。
 そんな彼の姿を見た俺は、ようやく強者のオーラとやらの正体を悟った。赤竜せきりゅう対峙たいじした時以上に、冷や汗が止まらない。
「ヴァ、ヴァンパイアーー!?」
 俺のつぶやきに、冒険者達からの悲鳴が次々と聞こえてくる。立ったまま気絶したり、失禁している者もいた。
 人間の生き血を吸うことで有名なヴァンパイアは、亜人の中でも最高峰の実力を持つと言われている。かつてのブルダンとの戦争では、ヴァンパイア一人で何百・何千もの人間をほうむったそうだ。いくら隷属れいぞくの首輪をしているとはいえ、そんな化け物が突然、目の前に現れたのだから、パニックにもなるだろう。男はその光景に苦笑し、執事の様にうやうやしく一礼した。
「お初にお目にかかります。私はバルバトス・テリスト。ヴァンパイアの末裔まつえいにして、今ではシシクルのボディーガードをしております」
 ヴァンパイアの男ーーバルバトスは、阿鼻あび叫喚きょうかんの周囲を落ち着かせるかの様に、優しく微笑ほほえみかける。だが、どす黒いオーラは決して隠しきれていない。冒険者や受付嬢らは、その禍々まがまがしいオーラに圧倒され、ガタガタと身体からだを震わせている。
 そんな中でも、ギルドマスターは「自分も飲み込まれるわけにはいかない」と言わんばかりに平静を保ちつつ、納得した様に頷いた。
「やはりそうか。今までずっと、ただの魔物だと思っていたのだが、只者ただものではなかったか」
 ギルドマスターの言葉に、周囲が頷く。どうやら、俺が見たことがなかっただけで、シシクルが蝙蝠こうもりを連れていること自体は周知の事実である様だ。普段は何処どこに居るか分からないが、シシクルと一緒に出勤しているのだろう。だが、周りからは下級の魔物程度にしか思われていなかった様である。
「いえいえ。ヴァンパイアと申しましても、私は『一族の恥』と呼ばれるほどの落ちこぼれでございまして……ですが、赤竜せきりゅう程度でしたら、私一人でも始末できますよ」
 さらりと言ってのけるバルバトスに、俺はごくりと生唾なまつばを飲み込む。しかし、これはチャンスだ。俺はバルバトスに向き直り、ひたいが地面に付くほど深々と土下座した。
「バルバトス様、お願いします! 俺達の仲間を、二人を助けてください!!」
 かわき切ったのどから声をしぼり出す様に、奴隷どれい商館しょうかんにいた時でさえ使ったことのない敬語で懇願こんがんする。バルバトスは一瞬黙ったあと、すぐに俺に声をかけた。
「あなたは確か、テッセン様ですね。酒場の陰から拝見していましたので、存じております。あなたはティクロ様の奴隷どれいでありながら、相棒であると」
 亜人の中でも底辺に位置するオークである俺に対しても丁寧ていねいな言葉遣いに、却って萎縮いしゅくしてしまう。バルバトスはクスッと笑い、言葉を続けた。
「シシクルから話があったかと思いますが、ティクロ様は私達の恩人なのですよ。ですから、テッセン様。どうか顔をお上げください」
 バルバトスの言葉に、周りがざわめく。ティクロがバルバトスの恩人であることに、誰もが疑問を持っている様だ。だが、俺には思い当たるふしがあった。おそるおそる顔を上げ、バルバトスの顔を仰ぐ。俺を見降ろす彼の顔からは、先ほどのプレッシャーなど微塵も感じず、むし柔和にゅうわな笑みを浮かべていた。
「あの、バルバトス様はその、もしかしてーー」
「テッセンさん」
 うっかり言いそうになるのを、ルイスに止められる。そうだ、数多くの冒険者達が注目している中、シシクルとバルバトスの関係を第三者である俺が許可なく暴露ばくろするわけにはいかない。バルバトスは口に人差し指を当て、ウィンクした。少し茶目っ気のある彼の表情に、少しだけ心がやわらいだ。
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「は、はい。ついてきてください!」
 ルイスはシシクルとバルバトスを連れて、冒険者ギルドをあとにした。受付ではメリーティアが外部と連絡を取っている。俺はここで行儀良く待っていることなどできるはずもなく、疲れ切った身体からだむち打ちながら、ルイス達のあとを追う様に、冒険者ギルドを飛び出したのだった。
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土岐ゆうば(金湯叶)
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リュアオス神を祀る神殿の神官長であるアメデアには専用の祈祷室があった。 アメデア以外は誰も入ることが許されない部屋には、神の像と燭台そして聖典があるだけ。窓もなにもなく、出入口は木の扉一つ。扉の前には護衛が待機しており、アメデア以外は誰もいない。 それなのに祈祷が終わると、アメデアの体には情交の痕がある。アメデアの聖痕は濃く輝き、その強力な神聖力によって人々を助ける。 救済のために神は神官を抱くのか。 それとも愛したがゆえに彼を抱くのか。 神×神官の許された神秘的な夜の話。 ※小説家になろう(ムーンライトノベルズ)でも掲載しています。

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