アーヴァインの亜人奴隷

上総十河

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奴隷のオークとヘタレな相棒

第四話 仕事

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 大地を照らす陽光が燦々さんさんと降りそそ昼日中ひるひなかでも、新緑に色付く樹葉の絨毯じゅうたんが日射しをさえぎり、辺りは薄暗く、不気味な雰囲気をかもし出している。ほおでる程度の微風そよかぜに、草木が静かに葉音を奏でているが、鳥獣の息遣いさえも聞こえないこの森の中では、自然の清涼さを微塵みじんも感じられず、むし陰鬱いんうつさを助長させていた。
 ガスタの森ーーアーヴァインから南へ向かって、馬車で半日ほどの場所にある、広大な『魔の森』である。
 大陸の南半分を占めるガスタの森は、ある『魔物』の巣窟そうくつとして有名である。『魔物』とは、動物に近い姿を持つ生物の総称であり、高い知性と魔力、そして凶暴さを兼ね備えており、魔物が人間や亜人の住処すみかを襲うケースも少なくない。その中でも、ガスタの森に生息しているある魔物・・・・は特に危険度が高く、アーヴァインの一般人はおろか、冒険者ですら滅多なことでは立ち入らない。
 だが、それでも俺達は、そんな森の中に足を踏み入れていた。冒険者ギルドで請け負った依頼で、そのある魔物・・・・を討伐するためである。俺はティクロに買ってもらった戦斧せんぷを握り締め、辺りを警戒する。『黒鰐くろわに』と呼ばれる爬虫はちゅうるい型の魔物の革でできたよろいには、〈硬化〉〈対刃〉〈対衝撃〉の魔法が付与されているが、それでも一瞬の油断が命取りになりかねない。
 森の中に入る直前にかけた『結界』の魔法が切れかけていたため、再度かけ直す。視覚では確認できないが、俺の身体からだを包み込む様に、薄い膜が張り巡らされる感覚がした。この感覚は、結界魔法に慣れていないと分からない程度の薄いものであるが、戦闘せんとう奴隷どれいとして何十年も訓練してきた今の俺であれば、結界の気配など手に取る様に分かる。この結界は、付与魔法ほど強力なものではないが、敵からの攻撃から身を守ってくれる生命線なのだ。少しでも生存率を上げるためにも結界魔法を切らせてはならないのは、冒険者だけでなく、戦闘せんとう奴隷どれいとしても常識である。
「……いないな。ティクロ、そっちはどうだ?」
 俺の背後を警戒しているティクロに、声をかける。彼は普段通りの上半身裸に袖無しの黒いジャケットを羽織り、申し訳程度に肩当てと籠手こてを付け、下半身も白いズボンにすねてを付けているのみ。黒革のよろいに身を包んだ俺と比べると、軽装どころか無防備にすら見える。だが、彼はこれでもプラチナランクの冒険者だ。そんな装備とは裏腹に、一切のすきを感じさせない。
「あぁ、魔物の気配はえな。もう少し奥に進んでみて、駄目だったら引き返すか」
 危険領域の中で一晩過ごすわけにもいかないため、日が沈む前には森から抜け出さなければならない。もし今日中に依頼を達成できなければ、ガスタの森から歩いて一時間ほどの距離にあるリュートの村で一泊し、明日またアタックするつもりだ。
 俺達はさらに奥へと歩み進めると、やがて視界が明るくなり、森のひらけた場所へと辿たどり着いた。倒れた大木や草葉などを避けながら、ギャップの中心付近まで移動する。すると、左手から生き物のかすかな気配とともに、すきかぜの様な細い息遣いが聞こえてきた。俺は戦斧せんぷを構え、耳を研ぎ澄ます。ティクロも拳を握り締め、構えを取った。
 ーーーーガルルルルル。
 人間に比べてはるかに耳の良い俺が、ようやく聴き取れる程度の小さな音だったが、猛獣のうなる様な低い鳴き声に、討伐対象の魔物であることを確信する。俺は生唾なまつばを飲み込み、茂みの奥へと神経を集中させた。
 どのくらい、時間が経っただろうか。たったの数秒かもしれないし、数十秒かもしれない。周囲に漂う緊迫した空気は、経時けいじの感覚を狂わせる。
 ーーーーざわり。
 不意に、右手の森の奥から、何かが通り過ぎる様な気配がした。俺は一瞬、そちらに気をとられる。
「テッセン、左!!」
「なっ!?」
 ティクロの叫び声とともに、左手の茂みから豹柄ひょうがら獅子ししが勢いよく飛び出し、俺に襲い掛かってきた。俺は咄嗟とっさに防御しようとするが、獅子ししは目前まで迫ってきている。駄目だ、間に合わないーー!!
 反応が一瞬遅れた自分を呪い、俺は歯を食い縛る。だが、左から飛んできたティクロの拳が獅子ししの頭に直撃し、獅子しし身体からだが急激に方向転換した。獅子ししはそのまま右方に吹き飛び、地面に叩きつけられる。そして、転げ回りながらも、四つ脚で踏ん張って体勢を立て直し、俺達に向き直った。
「間一髪だったな。だが、油断すんじゃねぇぞ!」
 獅子ししと入れ替わる様に、俺の目の前に現れたティクロは、俺を一瞥いちべつしたあと、獅子ししをキッとにらみつける。獅子ししもまた、威嚇いかくする様に低くうなり、ティクロをにらみ返した。俺は獅子ししの動向に注意しつつ、先ほど感じた他の気配を探ってみる。だが、最初から何もなかったかの様に、気配は消え去っていた。
「俺達のすきを作るために、風魔法か何かを使ったんだろうな。流石さすがは『ひょう獅子じし』、魔物のクセに狡猾こうかつな野郎だぜ」
 気配を感じていたのは、俺だけではなかった様だ。ティクロは口の端をゆがめ、対峙している魔物ーーひょう獅子じしに悪態を吐いた。
 ひょう獅子じしはその見た目の通り、豹柄ひょうがらをした獅子ししの魔物である。ティクロいわく、ひょうの父親と獅子ししの母親の雑種である『レオポン』という動物に似ているらしい。槍の穂先の様な鋭い爪に、風を自由自在に操る魔法。それだけでも充分脅威であるが、それに加えて〈加速〉や〈硬化〉の付与魔法による『疾風の如き速さ』と『鋼の如き硬さ』、そしてさらに、獲物をあざむく知性なども兼ね備えているため、世間ではゴールドランクの恐ろしい魔物として認知されている。ちなみに、目の前にいるひょう獅子じしたてがみが無いため、おそらく野郎・・ではないだろう。
 俺はティクロに視線で合図を送り、彼はそれに頷く。俺は戦斧せんぷを右に構え、ひょう獅子じしに向かって突進した。ひょう獅子じしは俺の動きに反応して左手に回り込み、飛びかかる。俺は右脚を軸にして左に回転しながら後方に跳躍し、かみ一重ひとえで回避した。そして、着地したひょう獅子じしの後ろから胴体目掛けて、勢いよく斧を振り下ろす。だが、ひょう獅子じしはくるりと回転する様に、俺の右方へ回避した。そのまま俺の背後に回り込み、爪を立て、再び俺に襲い掛かる。俺は即座に軸足を左に変更し、右回りに身体からだを回転させながら斧を振るう。〈鋭刃〉を付与した戦斧せんぷの刃は、ひょう獅子じしの脚を捕らえようとするが、ひょう獅子じしはまたもや即座に反応し、後方に大きく跳躍してかわした。
 俺とひょう獅子じしは、この調子でしばらく攻防を繰り返すも、お互い一向に攻撃が当たらない。四方八方から繰り出されるひょう獅子じしの攻撃をいなしながら反撃していくうちに、俺の手足にだんだんと疲労が蓄積されていく。しかし、それはひょう獅子じしも同じらしく、徐々に動きが鈍くなっていくのが目に見えた。あともう少し、あともう少しーーなるべく敵の注意を引く様に立ち回りながら、仕掛けるタイミングを虎視こし眈々たんたんと狙う。
 そして遂に、その時が訪れた。不意にひょう獅子じしの猛攻がみ、少し離れたところで俺と対峙たいじする。このままにらみ合っていては、ひょう獅子じしに攻撃魔法を詠唱するすきを与えてしまうだろう。それに、ひょう獅子じしは見るからに疲れ切っている。仕掛けるなら、今しかないーー!
 俺は戦斧せんぷを左に構え、ひょう獅子じしに向かって突進し、わざとおお袈裟げさぎ払ってみせた。ひょう獅子じしは風をまとって大きく跳躍し、戦斧せんぷを飛び越え、俺に空襲しようとする。だが、その瞬間を待っていたかの様に、俺の右方で隠れていたティクロが飛び出した。地面を蹴り、ひょう獅子じしに向かって渾身の右ストレートを繰り出す。空中で咄嗟とっさに回避行動をとれないひょう獅子じしすべもなく、ティクロの拳がひょう獅子じしの胴体に直撃した。そのまま吹き飛ばされたひょう獅子じしは、木の幹に勢いよく叩き付けられる。大槌おおづちを打ちつけたかの様な鈍い音とともに、木の葉がざわざわとざわめいた。
 ひょう獅子じしは真っ赤な血を吐きながら、ゆっくりと逆さに落下する。ティクロは着地したあと、すぐに前方へと跳躍し、地面に落ちる寸前のひょう獅子じしに、さらなる拳をお見舞いした。ひょう獅子じしを挟んで拳を叩きつけられた樹木はミシミシと音を立て、根本から奥へと倒れる。ティクロの拳が離れ、ようやく地面に着地したひょう獅子じしは、ピクピクと痙攣けいれんを起こしながら、赤黒い泡を口から吐き出した。俺はトドメに戦斧せんぷを大きく振りかぶり、ひょう獅子じしの首を斬り落とす。首から大量の鮮血が吹き出し、赤い水溜まりが広がっていった。
 ひょう獅子じしが絶命したのを確認し、俺は深い溜息を吐いた。奴隷どれい時代じだいにもひょう獅子じしと同等以上の魔物と戦ったことはあるのだが、身体からだを故障してからは山賊や低ランクの魔物ばかりを相手にしていたため、この様な大物を相手にしたのは久々である。俺の怪我けがが完全に治ったため「肩慣らしにはちょうどいい」と選んだ依頼だったが、いざ終わってみるとひたいから冷や汗が止まらない。ひょう獅子じしに最初襲われた時、ティクロの援護がなければ、決して無事では済まなかっただろう。
 視界がかすみ、ひざから崩れ落ちる。持っていた戦斧せんぷが手から離れ、地面に突き刺さった。
「テッセン、大丈夫か!?」
 周囲を確認していたティクロが、慌てて俺の元に駆け寄る。その瞳は、不安に揺れていた。不謹慎ふきんしんながらも、こうして俺の心配をしてくれる気持ちが嬉しい。
「どうした、どっか怪我けがしてるのか? だったら、俺が治癒ちゆ魔法まほうかけてやるから、遠慮なく言えよ」
「いや、大丈夫だ。何処どこ怪我けがしてない。少し気が抜けただけだ」
 俺は無理して立ち上がろうとするが、ふらっと後ろによろけ、尻餅をついた。情けない格好に、羞恥しゅうちで顔が熱くなる。
「……テッセン、少し休憩してろ。あとは俺がやる」
 ティクロはふいと視線をらし、ひょう獅子じしの解体作業を始めた。顔をわずかに赤く染めているが、どうやら俺の醜態しゅうたいを見なかったことにしてくれるらしい。そんな彼の気遣いに、俺はさらに情けなくなった。だが、ここで無理したところで仕方がないので、俺は彼の言葉に素直に甘えることにした。胡座あぐらをかき、肩の力を抜いて目を伏せる。寂寞じゃくまくたる森の中、木々のすきを吹き抜ける風が心地良い。次第に汗は引き、心が安らかになった。
 俺が休んでいる間に、ひょう獅子じしの解体作業は終わっていた。討伐証明となる頭だけはそのままに、肉はブロック状に切り分けられている。豹柄ひょうがらの毛皮は生活魔法で洗浄済みであり、武器の素材となる黒い爪も傷一つ無く光沢がある。残りの骨や内臓などは、匂いで他の動物や魔物が寄ってくるのを防ぐため、地面を掘って埋めた様だ。
「よし、そろそろ帰るぞ。テッセンはもう大丈夫か?」
「ああ。すまない、心配をかけた」
 俺はティクロの手を借りて立ち上がり、下半身についたほこりを手で払う。そして、戦斧せんぷを地面から引き抜き、刃に付着していた血や土を軽くぬぐってから背負った。
 戦闘による緊張と興奮で荒ぶっていた俺の精神は、今ではもう、すっかり落ち着いている。俺は仕事の達成感を、森の空気とともに胸いっぱいに吸い込んだ。
 
「それでは初仕事、お疲れさん」
 リュートに戻った俺達は、宿屋の一階にある酒場のカウンターで乾杯した。ティクロはビールを一気に飲み干し、早速お代わりを店員に要求している。対して俺は、アルコールがあるか無いか程度の薄い林檎酒りんごしゅを、舐める様に飲んでいた。
 ティクロに買われてから仕事を始めるまでの間、彼にアーヴァインを案内してもらいながら、俺のしょく嗜好しこうを調査していたのだが、どうも俺は基本的にアルコールが苦手の様だ。だが、奴隷どれい商館しょうかんでたまに提供されていた薄い林檎酒りんごしゅであれば飲み慣れているため、酒場ではとりあえず林檎酒りんごしゅを頼むことにしている。
 亜人である俺が椅子に座るたびに、周りから鋭い視線を向けられる。だが、ティクロが何も言わない以上、周りも特に何もしてこないし、店員も人間と同様に食事を出してくれるので、これで不満を持つのは贅沢ぜいたくというものだ。今も俺のことをじろじろと見てくるやからがいるが、俺は気にせず好物の卵焼きを口に運び、ゆっくりと味わう。俺は中が半熟が好みだが、中までしっかり焼いたこの卵焼きも、それはそれで美味うまい。ちなみに味付けは、ティクロは砂糖派、俺は塩派だ。今回は、俺にとっては当たりである。
 ティクロは二杯目も飲み干し、三杯目を注文する。ビールを待っている間、彼は腕を組み、目を伏せ、何かを考える様にうなっていた。
「今回の仕事はおおむね成功だが、やっぱ『ポーター』を雇った方が良かったかもな。今回はテッセンに運んでもらったけどさ」
「……あぁ、そうだな」
 ティクロの意見に、賛同の意を示す。『ポーター』とはおもに、冒険者とともに行動し、パーティーの荷物や納品物などを運ぶ役割をになう職業のことだ。ポーターが直接戦うことはほとんどないが、遠征時の数日分の食料やテント、傷薬、討伐した魔物の肉や素材など、戦闘の際に邪魔になるものを持ってくれるだけでも断然違う。また、ポーターの中には、壊れた武器を交換・修理したり、発煙弾や罠などでサポートしたりする者もいるらしい。もちろん、戦闘の際には戦える者がポーターを守らなければならないが、ポーターがいなければ結局、誰かが荷物を運ばなければならない。そのため、ポーターはパーティーにおいて、非常に重要な役割なのだ。
 今回はポーターがいなかったため、討伐したひょう獅子じしの肉や素材などを、俺達だけで運ばなければならなかった。最初はティクロが一人で全部運ぼうとしていたのだが、俺はそれを全力で阻止した。いくら俺を奴隷どれい扱いしていないとはいえ、なんでもかんでもティクロが一人で全部やろうとするのは流石さすがに見過ごせなかったのだ。かといって、分担して運ぶと、今度は魔物に奇襲された時に戦える者がいなくなってしまう。そのため、今回は俺が全て運ぶことになった。幸い、あれ以降、魔物とは遭遇そうぐうしなかったが、やはりポーターは最低でも一人は欲しいところである。
「だが、また奴隷どれいを買うのか? 雑用ざつよう奴隷どれいであれば、せい奴隷どれい戦闘せんとう奴隷どれいよりは安く買えるはずだが……」
 荷物持ちができる程度の力が必要ではあるが、それでも容姿や戦闘力を求めなければ、従順なポーターが安く手に入る。そう思い、奴隷どれいを購入するのか聞いてみたのだが、ティクロはその問いに対して首を横に振った。
「いや、当分は本職のポーターを日雇いでいいんじゃねぇの? 報酬の二割程度を渡せば、喜んでついてくるヤツもいるだろ」
「二割もか、けっこう多いな」
 ティクロの提案に、俺は口では冷静に返しながらも、内心では非常に吃驚びっくりしていた。パーティーの人数やポーターの実力にもよるが、例えば俺達のパーティーにポーターを一人入れた場合、俺は一応ティクロの奴隷どれいであるため除外するとして、それでもポーターには多くても一割程度しか分配されない。それどころか、五分ごぶ以下もザラである。パーティーの荷物を持つ重要な役割であるのに、戦闘能力がないというだけで、ポーターはかなりの不遇職である。つまり、報酬の二割はかなり多いどころか、むしろ破格なのだ。
 それに、ティクロはダイヤモンドクラスになって、買いたいものがあると言っていた。そのためにも、今は金を貯めなければならないのだが、ポーターへの支出を抑えなくていいのだろうか。ちなみに、ダイヤモンドクラスになると、国や貴族からもある程度の融通を利かせてもらえる様になると、以前ティクロから教わった。つまり、ティクロはダイヤモンドクラスになって権力を得ないと買えないものを欲しがっている可能性が非常に高いのだが、果たして一体、何を買うつもりなのだろうか。その内容を彼に聞いても、返ってくる答えは「今のところ秘密」とのことである。
「まぁ、それでもゴールド以上の依頼をバンバンこなせば、充分稼げるだろ」
 ティクロは届いたビールを飲みながら、のほほんと答える。確かに、今回のひょう獅子じしの討伐だけでも、二人で一週間遊んで暮らせるほどの報酬が手に入る。仮に、ポーターに報酬の二割を渡したとしても、充分貯金できるだろう。
「それに、俺はあまり奴隷どれいを買ったり、レンタルしたりはしたくねぇしな。そうすると、人間を雇うことになるわけだが。俺達の関係を考えると、逆に二割渡しとかねぇと、あとで色々文句言ってくるかもな」
 そう言い、ティクロはやれやれと肩をすくめる。彼の言葉に、俺はようやく納得した。ティクロは俺と対等に接してくれているが、雇ったポーターは、そんな俺達の関係をこころよく思わないだろう。遠巻きに見ている分には「自分は関係ない」とスルーできるだろうが、パーティーに入って一緒に仕事をするとなると話は別である。亜人を見下している人間が、亜人と肩を並べて仕事をする様なパーティーに入って、不満が出ないとは到底思えないのだ。
 だが、ポーターに対して報酬を多めに分配することで、その不満はある程度フォローできるかもしれない。有りていに言えば、「これだけ報酬を渡しているのだから、俺達のことはつべこべ言わず、黙って働け」ということである。金さえ貰えれば、表面上だけでも納得するポーターはいるだろう。俺達への不満と報酬を天秤てんびんにかけ、報酬をとったポーターを雇えばいい。それがティクロの考えである。
「そう考えると俺、色々な意味で足を引っ張ってるな……」
「俺は、お前が一番大事だからな。これくらい、どうってことねぇよ」
 ティクロはそう言いながら、カウンターの奥で顔をしかめている宿の女将からステーキを受け取った。どうやら、女将は俺達の会話を聞いていたらしく、不快に思っている様だ。だが、ティクロはそんな女将の反応を気にもせず、肉に歯を立ててかぶり付いた。このステーキは先ほど、俺達が狩ってきたひょう獅子じしの肉で作られたものである。肉の色は白く、脂身は無い。
 魔物を狩ってきた俺達には一皿目が無料のため、俺もひょう獅子じしのステーキを受け取り、一口食べてみる。だが、み締めた途端、俺は思わず「うっ」と声を漏らしてしまった。強い魔物の肉は濃厚で美味うまいと言われているが、この肉は淡白でパサパサしている。味付けも軽く塩が振ってあるのみだ。申し訳程度に香草が乗っているが、獣臭さが抜けていない。ティクロも同じものを食べているので、俺にだけ手抜きされたわけではないのだろうが、正直あまり美味うまくはない。奴隷どれい商館しょうかんにいた頃は、これでも充分なご馳走だっただろうが、俺の舌は今となっては、すっかり肥えてしまった様だ。
 隣でガツガツと食べているティクロの顔を見やる。勢いは良いが、その表情は決して美味うまそうではなかった。
 
 リュートの宿屋で一泊した、その翌日。まだ朝日も顔を出していない時間帯の便びんで馬車に乗り込み、アーヴァインへと向かう。俺はもう少し宿屋で眠っていたかったのだが、一刻も早く戻りたいとティクロが懇願こんがんしたのだ。
 アーヴァインに到着し、南東ギルドで討伐証明と引き換えに報酬を受け取った頃には、太陽が西に傾き、空がだいだいいろに染まっていた。一旦ギルドの近くにある宿にチェックインして荷物を置いたあと、ティクロは早速、甘味を求めて街に出る。リュートには甘いものが無かったため、彼は相当飢えている様だ。俺も一人ではすることがないため、暇潰しとして彼に付いていくことにした。
 ティクロは最近お気に入りの甘味処に入り、次々と注文していく。色とりどりのケーキに、ふわふわで蜂蜜がたっぷりかかったホットケーキ。外はサクサクで、中には甘い林檎りんごがぎっしりと詰まったアップルパイ。俺の前腕ぜんわんの長さと同じくらいの高さがある、クリームたっぷりのパフェ。そして、彼の大好物である、砂糖がたっぷり入ったホットミルク。彼はそれらを味わいながらも、一心不乱に胃袋へと収めていく。俺も少し付き合ったが、胸焼けした。
 店を出たあと、俺達は腹ごなしに、冒険者ギルドの近くにある広場を散歩する。ティクロは満足そうな顔をしているが、俺はすこぶる調子が悪い。先ほど食べた甘味が、いまだに口の中にまとわり付いているかの様な感覚に、軽く吐き気を覚える。あれは食後に少しだけ食べるから良いのであって、決して肉やパンの様に主食とするものではない。俺は広場に広がる自然の空気で口をすすぐ様に深呼吸し、陰鬱いんうつな気分を浄化した。
 そして、歩くこと十数分。広場の中央に到着すると突然、聞き覚えのある男の声が、俺達に向かって投げかけられた。
「よう、ティクロにテッセン。こんなところで奇遇きぐうだな!」
 声のした方に顔を向けると、そこには、沈みかけた夕日に頭を光らせたオルバーの姿があった。相変わらずの上半身裸で、肩には大剣を背負うためのホルダーベルトを掛けている。背負っている大剣は、オルバーの身長と同じくらいの長さがありそうだ。
 そして、オルバーの隣には、黒縁の眼鏡を掛けた男が立っていた。身長はティクロと同じくらいだ。暗い色の茶髪は、眼鏡にかかるかかからないかといったギリギリのラインで、前髪をぱっつんと切り揃えている。ローブを着てても分かる程度には体格が良い様だが、俺達と比較すると、どうしても貧相に見えてしまう。彼の背負っている灰色のリュックは、正面から見ても左右にはみ出して見えるほど横幅があり、高さも彼の肩からひざほどと非常に大きい。荷物がたくさん入っているせいか、リュックはパンパンに膨れ上がっている。そんなリュックを軽々と背負っている彼は、おそらくポーターだろう。
「オルバー、こっちに戻ってきてたのか。北西での仕事は、もう終わったのか?」
「ああ? んなもん、二週間前の話だろ。もうとっくに終わって、こっちに戻ってきてるっつうの!」
 二週間前というと、ちょうど俺が北西の奴隷どれい商館しょうかんでティクロと出会い、冒険者ギルドでオルバーやシシクルとも知り合った頃である。オルバーはティクロのパーティーメンバーだが、俺が加入する前から別行動をとっていたため、一緒に仕事をしたことはない。ここ二週間で色々あり過ぎたせいか、オルバーと会うのは随分ずいぶんと久し振りな気がした。
「それに、ついさっき近くの森で、色々と魔物を狩ってきたところだ。これからギルドに行くが、二人も一緒にどうだ。夕飯まだだろ?」
 オルバーが親指で冒険者ギルドの方向を指しながら、俺達を夕飯に誘ってきた。南東の冒険者ギルドも北西と同じく、地下に冒険者用の酒場がある。北西ほどの広さはないが、冒険者の数は北西の半分程度しかいないため、いつ行ってもいているらしい。
 しかし、今回は非常にタイミングが悪い。ティクロは腹をりょうてのひらでぽんぽんと叩きながら、オルバーの誘いを断った。
「いや、さっきテッセンと一緒に、甘味を鱈腹たらふく食ってきところだ。今日はもう、これ以上入らねぇ」
「おいおい、またかよ。そのうち病気になるぜ? テッセンもこいつに付き合わされて、可哀想になぁ」
 オルバーは肩をすくめ、俺に同情の目を向ける。ティクロの極度の甘味好きは、どうやら元からの様だ。それにしても、オルバーは初めて会った時から俺に対して友好的ではあったが、亜人である俺に対してここまで親身になってくれるのは流石さすがに妙である。オルバーの隣でずっと話を聞いている眼鏡の男も違和感があるらしく、オルバーの顔をいぶかしげに見ていた。
「いや、俺がティクロに付いていった。だが、ティクロにつられて食べ過ぎてしまったことを、今では後悔している」
 ウプッと吐きそうになる俺の姿に、オルバーはニヤニヤと笑っている。初めて会った時の様な、親しげではあるが、何処どこかいけ好かない顔だ。何がおかしいのかとにらみ付けるが、オルバーはひるむどころか、さらに嫌らしい笑みを浮かべた。
「ほほぉ、『ティクロ』ね。なるほどなるほど」
 オルバーはティクロの名前を、わざと強調して言った。そういえば、俺は人前でも当たり前の様にティクロを呼び捨てにしている。眼鏡の男を見てみると、案の定、吃驚びっくりした表情で俺を見つめたまま固まっていた。対して、オルバーは腕を組み、うんうんと満足した様な顔で頷いている。
「俺の言った通り、あのあと、ちゃんと話し合ったんだな。もしかしたら、またティクロがヘタレるんじゃねぇかと思って、心配してたんだぜ?」
「ダウト。お前、ぜってぇ楽しんでるだろ」
 ティクロは眉間みけんしわを寄せ、オルバーをにらみ付ける。『ヘタレ』とか『ダウト』の意味は分からないが、ここでいちいち確認しなければならない様な単語であるとは思えないため、あとでティクロにまとめて聞こうと、頭の片隅に留めておくとして。今の話の流れから推測すると、ティクロが俺に名前で呼ばれたがっていたことを、オルバーは知っていたのかもかもしれない。それどころか、俺達の関係を全て把握している可能性すらある。オルバーが何を考えているのかは読めないが、ティクロが俺と対等に接しているので、とりあえず表面上は仲良くしてくれている様だ。
「そうだ、来週には南東での仕事もひと段落つくからよ、そしたらパーティーに戻るからな。よろしく頼むぜぇ?」
 オルバーに肩をポンと叩かれる。予想以上の力に、俺のひざがカクンと曲がり、危うく崩れ落ちそうになった。悪い男ではないのだろうが、如何いかんせんガサツ過ぎる。そんな男と一緒にパーティーを組んで、本当に大丈夫なのだろうか。ティクロもいるとはいえ、俺はこの男に振り回されやしないだろうか。プラチナランクであるオルバーは、冒険者としての実力は申し分ないのだろうが、性格の相性面での不安が、どうしてもぬぐい切れない。
「あ、あの、少しよろしいですか?」
 今までずっと黙っていた眼鏡の男が、おずおずと会話に割り込んできた。というより、ずっと間に入ろうとしていたが、俺達ーーおもにティクロとオルバーの二人が楽しそうに会話をしているので、話すタイミングをうかがっていたのだろう。
「なんだ、ルイス……っと、そうだ。二人にはまだ紹介をしてなかったな。こいつはルイス。見ての通り、ポーターだ。今日の魔物狩りは、こいつと一緒に行った」
「は、はい。ルイス・カレーミアといいます。ゴールドランクのポーターです。オルバーさんとは今日、初めて知り合いました」
 眼鏡の男ーールイスは、ぺこりとお辞儀をする。言葉遣いも堅苦しくない程度に丁寧ていねいであり、人柄の良さがうかがえる。その落ち着いた物腰を、オルバーに少し分けてやりたいほどだ。
「俺はティクロ・オゼンジー。オルバーと同郷で、プラチナランクの冒険者だ。そして、こっちはテッセン・オーグマー。俺の相棒だ」
 何の躊躇ちゅうちょもせず、俺を相棒と紹介するティクロに内心驚きながら、俺はルイスに向かって軽くお辞儀をする。ルイスは怪訝けげんそうな表情で、ティクロの顔をじっと見つめた。
「あ、相棒、ですか?」
「あぁ。形式上は俺の奴隷どれいだが、俺はテッセンを相棒だと思っている。まぁ、まだ出会って日は浅いから、テッセンには『お試し期間』で組んでもらってるけどな」
「なんだ、『お試し期間』ってよぉ。ティクロおめぇ、やっぱ最後の最後でヘタレたんじゃねぇか?」
 茶々を入れたオルバーを、ティクロがギロリとにらみ付ける。オルバーは「おぉ怖い、怖い」とおどけた調子で肩をすくめた。
 一方、ルイスは「信じられない」といった目で、俺とティクロを交互に見ている。まぁ、これが普通の反応だろう。むしろ、嫌悪感をあらわにしないだけでも上等である。しばらくして、とりあえず納得したのか、それとも思考を放棄したのか、ルイスは表情の読めない顔でゆっくりと口を開いた。
「そ、そうですか。最初『甘味を一緒に食べた』と聞いた時は、まさかとは思ったのですが。本当だったなんて……」
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 ティクロもまた、表情の読めない顔で聞き返す。ルイスはハッとした顔で、慌ててりょうてのひらを俺達に向け、ブンブンと振った。
「えっ? い、いえ。別にそうは思いません。むしろ……」
むしろ、何だ?」
 黙ってしまったルイスに、オルバーが急かす様に続きをうながす。ルイスは肩を震わせ、俺達から視線をらした。しばらく沈黙を貫いていたが、俺達の視線に耐えられなくなったのか、やがてゆっくりと、本当にゆっくりと口を開いた。
「……す、すみません。今のは忘れてください」
 何か思い詰めたかの様な表情で、虚空こくうを見つめるルイス。その姿は、静かな声とともに夕闇へと溶けて消えてしまいそうなほどはかなく、弱々しいものだった。
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