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繫華街 1
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「ゲンさん、おはようございます」
「おはようさん、玖未」
夕方の5時だけれど、出勤の挨拶は‘おはようございます’がお決まりだ。
大きな繁華街の一番端に位置する‘食堂まる’は、ここが繁華街になる前からあるらしい。
現在は来年還暦を迎える丸井源太さんの代で、私、天野玖未は高校1年で中退後、調理師免許を取っていくつかの飲食店で働き、ここではちょうど1年が経ったところだ。
18:00~0:00という営業時間のここには、繁華街で飲む前後の食事に来るお客さんや、ご飯とお酒という組み合わせを好む人たちが来てくれる。
「ビール、入れますね」
「半分ほどな」
「はい」
裏から入った時に、置きっぱなしになっていた瓶ビールを冷蔵庫に入れていると
「食うぞ」
ゲンさんの声がする。
「はい」
今これを入れると言ったばかりだよ…開店前にゲンさんがせっかちなのはいつものことだけれど。ビールを冷蔵庫に入れてから手を洗うと
「いただきます」
一人鍋に用意してくれている食事をゲンさんの隣でいただく。今日はニラ豚団子の春雨鍋だ。キャベツともやしがたっぷりで美味しい。
「今日の小鍋メニューですね…美味しい」
「去年、玖未が出したメニューだな」
もう一年経ったんですね…私はその、あと一言の会話のキャッチボールが苦手なままの大人だ。
「おからサラダ、作ります」
「はいよ」
白ワインビネガーとおろし玉ねぎを混ぜて置いておく。その間にきゅうりの小口切りに塩をして、ハムも切る。しんなりしたきゅうりの水気を絞り、おから、ハム、玉ねぎを塩麹、ヨーグルト、オリーブ油、こしょうを加え混ぜたら完成。塩気が程よく、副菜にもおつまみにもいい一品だ。
あとは、豚バラブロック肉を1cm幅に切ったり、小ネギを切ったり…切って用意しておくものと、18時ぴったり目掛けてお味噌汁を必ず作る。
「玖未、カツサンド3つ。30分後だと」
「はい」
隣か向かいか裏の何処からか取りに来るってことだ。ゲンさんの一言足りないのにも慣れた。困らないことは聞き直しもしない。お互いにそのくらいが楽だから。
結局、今夜は18時30分くらいに裏のショーパブのお兄さんがカツサンドを取りに来たのが最初のお客さんで、それから社会人と大学生が入り乱れて食事をする慌ただしい時間が来る。
仕事帰りのお客さんはここで食事を済ませてから飲みに行き、大学生のお客さんは食事の後、夜のお店にアルバイトへ行くのだ。繁華街で遊んでいた帰宅前のグループもたまに来る。
今日もこの時間は、定番メニューの豚バラブロック丼を次々に作る。厚切り豚バラ肉に甘辛いタレがよく絡みごはんにぴったりの味わいで、卵黄を絡めて食べるとまろやかになり箸が止まらないと人気ナンバーワンの丼物だ。
こってり丼物が人気の一方
「和朝食お願い」
という方も訪れる。完全に寝起きの朝ご飯扱いで、今から出勤されるホストとかバーテンたちがいるからだ。
白米、焼き魚、卵焼き、味噌汁、小鉢がひとつ…今日は塩鮭、大根と人参と油揚げの味噌汁、おからサラダ。
「よしっ…と。ごちそうさま、玖未ちゃん。いってきます」
「いってらっしゃい」
「うん、稼いでくるわぁ」
そう1000円を置いていくホストの彼は、今夜いくら稼ぐのだろうか。
「ゲンさーん、玖未さーん、お味噌汁プリ~ズ」
半分酔っぱらいのお姉さんが、あと一踏ん張りのために休憩に来るのがだいたい23時前だ。ママさんが来ることもある。その頃にはゲンさんと私もお腹が減っているのでお味噌汁と漬物と少しのご飯を食べたりして、0時に閉店となる。
そこから片付けと掃除をして1時頃に店を出て、徒歩10分もかからないアパートに帰る。それから映画を見たりゴロゴロとしてから4時頃にお風呂に入って、空がうっすらと白み始めるのを感じてから眠る。夜が嫌いで、夜が怖い私の日常だ。
食堂が休みの日にも繁華街へは行く。夜の22時か23時までは何かしらテレビを眺め、疲れた頃に繁華街へ向かうのがお決まりのパターン。
私が‘まる’で働いていることを知っている人のお店に行くので、ぼったくられることもなければ、いかがわしい営業をされることもない。それよりも、同じ繁華街の住人に出会えばご馳走になることの方が多いかもしれない。
「今日はイマイチ羽振りのいいお客様が来なかったから、さっさと店じまいよ」
そう言う高級スナックのママさんが店の女性スタッフを3人連れて‘お付き合い’で他の店に飲みに行くところに出会った今夜は
「玖未ちゃんも今から飲むんでしょ?連れてってあげる」
ベージュ地にグレーのしま模様が大胆な着物は赤の細いラインがポイントで華やかさを出しているな…とママさんの着物を見るうちに手首を引かれる。
「前にも言ったけど、玖未ちゃんと私が同い年って絶対に見えないよね」
「いい意味でも悪い意味でも見えないね」
「それそれ、いい意味でも悪い意味でもだよ」
3人のスタッフさんも初対面ではなく、私にあっさり普通に話してくれる。実は現時点で私は彼女達の名前を思い出せていないので、話の中で名前が出てくるのを待っている。髪型やドレスを変えないでいてくれると覚えられる…はず…なのだけれど。
「おはようさん、玖未」
夕方の5時だけれど、出勤の挨拶は‘おはようございます’がお決まりだ。
大きな繁華街の一番端に位置する‘食堂まる’は、ここが繁華街になる前からあるらしい。
現在は来年還暦を迎える丸井源太さんの代で、私、天野玖未は高校1年で中退後、調理師免許を取っていくつかの飲食店で働き、ここではちょうど1年が経ったところだ。
18:00~0:00という営業時間のここには、繁華街で飲む前後の食事に来るお客さんや、ご飯とお酒という組み合わせを好む人たちが来てくれる。
「ビール、入れますね」
「半分ほどな」
「はい」
裏から入った時に、置きっぱなしになっていた瓶ビールを冷蔵庫に入れていると
「食うぞ」
ゲンさんの声がする。
「はい」
今これを入れると言ったばかりだよ…開店前にゲンさんがせっかちなのはいつものことだけれど。ビールを冷蔵庫に入れてから手を洗うと
「いただきます」
一人鍋に用意してくれている食事をゲンさんの隣でいただく。今日はニラ豚団子の春雨鍋だ。キャベツともやしがたっぷりで美味しい。
「今日の小鍋メニューですね…美味しい」
「去年、玖未が出したメニューだな」
もう一年経ったんですね…私はその、あと一言の会話のキャッチボールが苦手なままの大人だ。
「おからサラダ、作ります」
「はいよ」
白ワインビネガーとおろし玉ねぎを混ぜて置いておく。その間にきゅうりの小口切りに塩をして、ハムも切る。しんなりしたきゅうりの水気を絞り、おから、ハム、玉ねぎを塩麹、ヨーグルト、オリーブ油、こしょうを加え混ぜたら完成。塩気が程よく、副菜にもおつまみにもいい一品だ。
あとは、豚バラブロック肉を1cm幅に切ったり、小ネギを切ったり…切って用意しておくものと、18時ぴったり目掛けてお味噌汁を必ず作る。
「玖未、カツサンド3つ。30分後だと」
「はい」
隣か向かいか裏の何処からか取りに来るってことだ。ゲンさんの一言足りないのにも慣れた。困らないことは聞き直しもしない。お互いにそのくらいが楽だから。
結局、今夜は18時30分くらいに裏のショーパブのお兄さんがカツサンドを取りに来たのが最初のお客さんで、それから社会人と大学生が入り乱れて食事をする慌ただしい時間が来る。
仕事帰りのお客さんはここで食事を済ませてから飲みに行き、大学生のお客さんは食事の後、夜のお店にアルバイトへ行くのだ。繁華街で遊んでいた帰宅前のグループもたまに来る。
今日もこの時間は、定番メニューの豚バラブロック丼を次々に作る。厚切り豚バラ肉に甘辛いタレがよく絡みごはんにぴったりの味わいで、卵黄を絡めて食べるとまろやかになり箸が止まらないと人気ナンバーワンの丼物だ。
こってり丼物が人気の一方
「和朝食お願い」
という方も訪れる。完全に寝起きの朝ご飯扱いで、今から出勤されるホストとかバーテンたちがいるからだ。
白米、焼き魚、卵焼き、味噌汁、小鉢がひとつ…今日は塩鮭、大根と人参と油揚げの味噌汁、おからサラダ。
「よしっ…と。ごちそうさま、玖未ちゃん。いってきます」
「いってらっしゃい」
「うん、稼いでくるわぁ」
そう1000円を置いていくホストの彼は、今夜いくら稼ぐのだろうか。
「ゲンさーん、玖未さーん、お味噌汁プリ~ズ」
半分酔っぱらいのお姉さんが、あと一踏ん張りのために休憩に来るのがだいたい23時前だ。ママさんが来ることもある。その頃にはゲンさんと私もお腹が減っているのでお味噌汁と漬物と少しのご飯を食べたりして、0時に閉店となる。
そこから片付けと掃除をして1時頃に店を出て、徒歩10分もかからないアパートに帰る。それから映画を見たりゴロゴロとしてから4時頃にお風呂に入って、空がうっすらと白み始めるのを感じてから眠る。夜が嫌いで、夜が怖い私の日常だ。
食堂が休みの日にも繁華街へは行く。夜の22時か23時までは何かしらテレビを眺め、疲れた頃に繁華街へ向かうのがお決まりのパターン。
私が‘まる’で働いていることを知っている人のお店に行くので、ぼったくられることもなければ、いかがわしい営業をされることもない。それよりも、同じ繁華街の住人に出会えばご馳走になることの方が多いかもしれない。
「今日はイマイチ羽振りのいいお客様が来なかったから、さっさと店じまいよ」
そう言う高級スナックのママさんが店の女性スタッフを3人連れて‘お付き合い’で他の店に飲みに行くところに出会った今夜は
「玖未ちゃんも今から飲むんでしょ?連れてってあげる」
ベージュ地にグレーのしま模様が大胆な着物は赤の細いラインがポイントで華やかさを出しているな…とママさんの着物を見るうちに手首を引かれる。
「前にも言ったけど、玖未ちゃんと私が同い年って絶対に見えないよね」
「いい意味でも悪い意味でも見えないね」
「それそれ、いい意味でも悪い意味でもだよ」
3人のスタッフさんも初対面ではなく、私にあっさり普通に話してくれる。実は現時点で私は彼女達の名前を思い出せていないので、話の中で名前が出てくるのを待っている。髪型やドレスを変えないでいてくれると覚えられる…はず…なのだけれど。
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