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6 ブラックホール
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日を追うごとにわたしは段々もぬけの殻となっていった。それは、わたしが脱皮して、わたしの中からまともな部分だけが抜け出ていくようだった。
思うように頭が働かず、仕事の効率が異様に悪い。休みの日も体力と気力の両方が不足して床を温めるだけの毎日を過ごし、SNSなどここ数日間、開こうと思い立ってすらいない。職場にいる時は多量の情報がわたしの中に入り、何一つ記憶が定着することなく全て流れ出てしまう。データ打ち込みなどの、思考を必要としない単純作業以外の業務は内容をなかなか理解できず、三度も四度も聞き返して鈴木主任に本気で心配された。
一度大きなミスをしてしまい、それに気付いた時ついに主任から雷が落ちるかと思って身をすくめて構えていたのだが、主任は声を荒げるどころかわたしを責めることもなく、お前が相当参ってる様子で見ていられない、と眉をひそめながら言った。その時の父親のような主任の顔が忘れられない。そればかりか、体だけじゃなくて心が疲れたときも体調不良って呼ぶんだからな、無理するなよと肩を叩いてくれたときには恐怖すら覚えた。わたしはそんなに憔悴しているように見えるのだろうか。確かに最近、注意力が散漫になってミスは多くなってしまっているが、少なくとも見た目だけは今までと同じように普通に取り繕っているつもりだ。でも、そういえば数日前の同窓会でも普通にしていたつもりなのに元気がないだとか生気がないだとか言われたな、と思い返す。もしかしたらわたしは今まで、思ったことを隠したつもりで、実際には顔や所作に全部出てしまっていたのだろうか。そうだとすると、相当な人数に不機嫌な表情を振りまいていることになる。だがよく考えてみると、それだけ不機嫌を振りまいていたのならもっと職場での人間関係がぎすぎすして、わたしの過ごしにくさはこんなもので済まなかったはずである。しかし、さすがにそこまで居場所がない思いをした経験は無い。ということは、わたしが心身ともに普通であるかのように振る舞うのが異常に下手なのではなく、今のわたしの中には、今まで通りの振る舞いをしていても覆い隠せないほどの大きな感情の動きがあるということだ。
最近、何をしていてもすぐに集中力が切れてしまって力なく呆け、焦点の合わない視界を眺めていることが多くなった。かといって、今でも唯一連絡を取っているゆりくんや、短い間わたしの生きがいと化していたみつきのことを考えているわけでもない。わたしがこうなった原因は、確かにみつきがいなくなってしまったことにあるのだろう。みつきを失ったことは確かに悲しかったし、わたしの心に多少の穴を開けることにはなった。でも、今更もう「悲しい」という感情が沸き立つことはないから、わたしはみつきを失った悲しみからはとっくに立ち直ったはずだと思っていた。それなのにわたしの中には、ひたすらに埋まることのない何かがぽっかり口を開けて居座ったままである。その空洞はまるでブラックホールのようで、「空っぽで何もない」というよりは「無がそこに存在する」という方がしっくりくる感覚だ。
ふと心の中で思いついたこの例えが、今のわたしの心持ちにぴったり当てはまった。
テレビか何かで見かけた齧りかけの知識だけれど、ブラックホールは光を反射せずに吸収するため直接観測することはできないらしい。そこに何もなく、光を当てても返って来ないが故に、そこに「何もない」があることを認識できるのだという。今のわたしの心の中には、「何もない」という精神のブラックホールが確かに存在した。
そんな小難しい思考をぐるぐるとかき混ぜていると、携帯が震えて着信が来たことを知らせる。ため息をついて誰からの着信かを確かめると、ゆりくんだった。時間を見ると午後十時ごろで、ゆりくんのサークルはとっくに終わっている時間である。わたしは仕事から帰ってきて、二時間以上着替えもせずにこんな考え事をしていたことに気付き、自分の精神の脆さを再確認して余計気分が重くなった。最近は意味もなく時間を浪費してばかりだ。以前のSNSやテレビを見る生活が生産的だったとはとても言えないけれど、さすがにここ最近の「ただぼんやりしながら天井や床を見つめる」という時間の使い方よりは何万倍もましだろう。何かを見て退屈を紛らわせている時の方が、一時的とはいえ心も楽に動いていた。
そんなことをもぞもぞ考えているうちに、着信は途切れてしまった。今度はこちらから電話をかけなおそうかとも思ったのだが、いざ携帯電話を手にするといまいちその気になれない。まあゆりくん相手なら、電話を億劫で取らなかったことなんて今回に限ったことではないからと気にしないことにした。
そう気を取り直してふと手に取った携帯の画面を見ると、着信は五件来ていた。わたしが家に帰ってから五件も着信音が鳴った記憶はなく、まさかとは思いつつ誰からの着信かを確認すると、案の定すべてゆりくんだった。多分ゆりくんはわたしがメッセージすら見ないから寝ていると思っていて、そのまま風呂も夕食も明日の準備も、何もできないまま朝になるのを防ぐために電話してくれている。ありがたいとは思うのだが、正直今のわたしにはこのありがたいお節介が鬱陶しく思えたことが何より恐ろしかった。わたしは、あんなに心を許せていたゆりくんでさえ疎ましく感じ始めているのである。
手のひらを震わせながら動悸を抑えていると、再び携帯電話が着信を知らせた。表示された相手はまたゆりくんだ。わたしは寝ていたわけではなく、起きていたのにくだらない考え事で着信を何度も無視していたことや、寝てしまった時に起こしてもらうのはこれが初めてではなく、以前この電話のおかげで助かったことも一度や二度ではないのに今は鬱陶しく思ってしまっていることが、今さら電話を取る後ろめたさを増幅させた。電話に出ようとする手が鉛で出来ているように重く感じる。一呼吸置き、疲れたからしばらく連絡は取らないことを温和に伝えよう、と決心して電話を取る。
「もしもし」
「もしもし。寝てた?しつこくてごめんね」
「ん……」
ゆりくんの言葉を、わたしの心のフィルターが勝手に鋭い針に変えてしまう。心臓をちくりと刺されたような幻覚が襲う。ゆりくんは悪いことをしていないのに、その上心配をかけて気を遣わせてしまっているという罪悪感がじわじわと染みてくる。だがその罪悪感と天秤にかけても、自分の精神を守るために全ての人間関係を切ってしまいたい気持ちのほうが今は強かった。
「えっと、本当に大丈夫?なんか元気ないよ。寝起きだから?」
気道に粘土が詰まったかのように息ができない。喉に溜まった空気を飲み込み、ゆっくり深呼吸をして震える口を開く。
「うーん、えっとね、大丈夫。あの、ゆりくん。最近なんか疲れちゃったんだよね。気力がなくなっちゃったというか。復活までちょっと時間がかかるかもしれないけど、しばらく待ってて」
「え?あ、うん。しばらく?っていうか、」
わたしはゆりくんが話している途中で電話を切ってしまった。やってしまったという後悔と、これでわたしに干渉してくる人は誰もいないという安心がわたしの体を激しく脈打たせているのが分かる。罪悪感、申し訳なさ、それに開放感がないまぜになって、わたしの膝から力を奪っていく。擦り切れてしまった今のわたしでも、できるだけ傷つかないような言い方をしようという気遣いが残っていることに誇りを感じ、うんざりした。わたしは結局、いつまでも心の中で悪態をつき、不機嫌に蓋をしたりわざと見せたりして、それでいて本当に言いたいことだけは舌根に溜め込んだままの生き方から逃れられないようだ。
携帯電話をそこらに放り投げて深いため息をつき、力の抜けた膝を折ってうつ伏せで布団に倒れこむ。あの言い方はわたしなりに心配をかけないように気丈に振舞ったつもりの言い方だったのだけれど、今思い返すと、もしかしたら突き放すような冷たい言い方になってしまっていたかもしれない。悪いことをしたと思いつつも誤解をわざわざ訂正するためにもう一度電話するつもりもなく、そうなるとこの弁解もずっとできないということになる。自分のしたことを冷静に振り返る度に、重りを一つずつ乗せられるように加速度的に心がずぶずぶ沈んでいく。ゆりくんならきっとわたしの真意を分かってくれる、と希望を持つことで、とめどない自己批判と後悔を何とか止めようと努める。
わたしは人を傷つけたいわけではなく、ただわたしのことを放っておいて欲しいだけなのに、いらない一言や配慮の足りない言い方のせいで、相手だけでなくわたしの心をもささくれ立たせてしまう。ヤマアラシなんて生易しいものではない。針を構えて近づくなと威嚇をし、近づくことを許せる相手が現れても針で傷つける。さらにわたしの針には返しがついていて、これ以上相手を傷つけないようにと離れる時にも相手を傷つけてしまう。しかも、それは今までほとんど無自覚だったのだ。
今になってこのことに気づき、わたしは今まで人と関わるのが嫌だと思っていたけれどそうではなく、わたしは人と関わるべきではないのだと思えてきた。わたしが煩わしいから云々という話で済む問題ではなく、関わった人を傷つけてしまうからだ。これは、わたしの思う「美しい生き方」に矛盾する。
しかも今までのわたしは、もちろん自分が鬱陶しく思うから人に対して不干渉だったのだけれど、不干渉であることで他人への迷惑を最大限減らすという目的も果たしているつもりだった。それなのに今さら、それこそが他人にとって迷惑になっていたことにも気づく。本当に今さらだ。
自己嫌悪が今までの生のなかでも最高潮に達した時、最近までわたしは自分をクラゲのようだと思っていたことを思い出した。今考えると、それはなんておこがましい自己評価だったのだろう。わたしはクラゲのように慎ましく質素に生きることも、死んだ時にまるで最初からこの世にいなかったかのように消えてしまうこともできない。触れないことで、他人に迷惑もたくさんかけてきた。達成できているとまでは思わないが、わたしの理想である「美しい生き方」に向かって進めている、とは思っていたわたしの今までの生き方は、まるで正反対の効果を生み出していたことに絶望した。そして、絶望して死のうにも何かを残さないと死ぬことすらできない上に、死への恐怖が生への嫌悪を上回る自分をひたすらに情けなく思い、恨んだ。
そうやって自分を憎み、世界に向かって届くことのない懺悔をしているうちに、布団に埋まったわたしの意識が段々と薄れてくるのを感じた。まだ遅くない時間であるのに、布団に倒れこむだけで眠気が襲ってくるほど心身ともに疲労困憊していたらしい。わたしの体の一番外側にある輪郭と、わたしの脳から漏れだす意識、世界が全て溶けて混ざり合うような気がした。たった今の今まで、空っぽになったわたしの胸には自分への失望が満ちて最悪の気分であったのに、今は全ての淀みが浄化されてゆく気がした。夢と現実が曖昧になっていく感覚がひたすら気持ちよかった。
夢と現の狭間をふらふらとさまよう中、これで眠るように死んで、それからわたしもクラゲのようにきれいに溶けて無くなりたいな、などと薄ら考えながら、意識が霧散して身体が沈んでいくのに任せた。
思うように頭が働かず、仕事の効率が異様に悪い。休みの日も体力と気力の両方が不足して床を温めるだけの毎日を過ごし、SNSなどここ数日間、開こうと思い立ってすらいない。職場にいる時は多量の情報がわたしの中に入り、何一つ記憶が定着することなく全て流れ出てしまう。データ打ち込みなどの、思考を必要としない単純作業以外の業務は内容をなかなか理解できず、三度も四度も聞き返して鈴木主任に本気で心配された。
一度大きなミスをしてしまい、それに気付いた時ついに主任から雷が落ちるかと思って身をすくめて構えていたのだが、主任は声を荒げるどころかわたしを責めることもなく、お前が相当参ってる様子で見ていられない、と眉をひそめながら言った。その時の父親のような主任の顔が忘れられない。そればかりか、体だけじゃなくて心が疲れたときも体調不良って呼ぶんだからな、無理するなよと肩を叩いてくれたときには恐怖すら覚えた。わたしはそんなに憔悴しているように見えるのだろうか。確かに最近、注意力が散漫になってミスは多くなってしまっているが、少なくとも見た目だけは今までと同じように普通に取り繕っているつもりだ。でも、そういえば数日前の同窓会でも普通にしていたつもりなのに元気がないだとか生気がないだとか言われたな、と思い返す。もしかしたらわたしは今まで、思ったことを隠したつもりで、実際には顔や所作に全部出てしまっていたのだろうか。そうだとすると、相当な人数に不機嫌な表情を振りまいていることになる。だがよく考えてみると、それだけ不機嫌を振りまいていたのならもっと職場での人間関係がぎすぎすして、わたしの過ごしにくさはこんなもので済まなかったはずである。しかし、さすがにそこまで居場所がない思いをした経験は無い。ということは、わたしが心身ともに普通であるかのように振る舞うのが異常に下手なのではなく、今のわたしの中には、今まで通りの振る舞いをしていても覆い隠せないほどの大きな感情の動きがあるということだ。
最近、何をしていてもすぐに集中力が切れてしまって力なく呆け、焦点の合わない視界を眺めていることが多くなった。かといって、今でも唯一連絡を取っているゆりくんや、短い間わたしの生きがいと化していたみつきのことを考えているわけでもない。わたしがこうなった原因は、確かにみつきがいなくなってしまったことにあるのだろう。みつきを失ったことは確かに悲しかったし、わたしの心に多少の穴を開けることにはなった。でも、今更もう「悲しい」という感情が沸き立つことはないから、わたしはみつきを失った悲しみからはとっくに立ち直ったはずだと思っていた。それなのにわたしの中には、ひたすらに埋まることのない何かがぽっかり口を開けて居座ったままである。その空洞はまるでブラックホールのようで、「空っぽで何もない」というよりは「無がそこに存在する」という方がしっくりくる感覚だ。
ふと心の中で思いついたこの例えが、今のわたしの心持ちにぴったり当てはまった。
テレビか何かで見かけた齧りかけの知識だけれど、ブラックホールは光を反射せずに吸収するため直接観測することはできないらしい。そこに何もなく、光を当てても返って来ないが故に、そこに「何もない」があることを認識できるのだという。今のわたしの心の中には、「何もない」という精神のブラックホールが確かに存在した。
そんな小難しい思考をぐるぐるとかき混ぜていると、携帯が震えて着信が来たことを知らせる。ため息をついて誰からの着信かを確かめると、ゆりくんだった。時間を見ると午後十時ごろで、ゆりくんのサークルはとっくに終わっている時間である。わたしは仕事から帰ってきて、二時間以上着替えもせずにこんな考え事をしていたことに気付き、自分の精神の脆さを再確認して余計気分が重くなった。最近は意味もなく時間を浪費してばかりだ。以前のSNSやテレビを見る生活が生産的だったとはとても言えないけれど、さすがにここ最近の「ただぼんやりしながら天井や床を見つめる」という時間の使い方よりは何万倍もましだろう。何かを見て退屈を紛らわせている時の方が、一時的とはいえ心も楽に動いていた。
そんなことをもぞもぞ考えているうちに、着信は途切れてしまった。今度はこちらから電話をかけなおそうかとも思ったのだが、いざ携帯電話を手にするといまいちその気になれない。まあゆりくん相手なら、電話を億劫で取らなかったことなんて今回に限ったことではないからと気にしないことにした。
そう気を取り直してふと手に取った携帯の画面を見ると、着信は五件来ていた。わたしが家に帰ってから五件も着信音が鳴った記憶はなく、まさかとは思いつつ誰からの着信かを確認すると、案の定すべてゆりくんだった。多分ゆりくんはわたしがメッセージすら見ないから寝ていると思っていて、そのまま風呂も夕食も明日の準備も、何もできないまま朝になるのを防ぐために電話してくれている。ありがたいとは思うのだが、正直今のわたしにはこのありがたいお節介が鬱陶しく思えたことが何より恐ろしかった。わたしは、あんなに心を許せていたゆりくんでさえ疎ましく感じ始めているのである。
手のひらを震わせながら動悸を抑えていると、再び携帯電話が着信を知らせた。表示された相手はまたゆりくんだ。わたしは寝ていたわけではなく、起きていたのにくだらない考え事で着信を何度も無視していたことや、寝てしまった時に起こしてもらうのはこれが初めてではなく、以前この電話のおかげで助かったことも一度や二度ではないのに今は鬱陶しく思ってしまっていることが、今さら電話を取る後ろめたさを増幅させた。電話に出ようとする手が鉛で出来ているように重く感じる。一呼吸置き、疲れたからしばらく連絡は取らないことを温和に伝えよう、と決心して電話を取る。
「もしもし」
「もしもし。寝てた?しつこくてごめんね」
「ん……」
ゆりくんの言葉を、わたしの心のフィルターが勝手に鋭い針に変えてしまう。心臓をちくりと刺されたような幻覚が襲う。ゆりくんは悪いことをしていないのに、その上心配をかけて気を遣わせてしまっているという罪悪感がじわじわと染みてくる。だがその罪悪感と天秤にかけても、自分の精神を守るために全ての人間関係を切ってしまいたい気持ちのほうが今は強かった。
「えっと、本当に大丈夫?なんか元気ないよ。寝起きだから?」
気道に粘土が詰まったかのように息ができない。喉に溜まった空気を飲み込み、ゆっくり深呼吸をして震える口を開く。
「うーん、えっとね、大丈夫。あの、ゆりくん。最近なんか疲れちゃったんだよね。気力がなくなっちゃったというか。復活までちょっと時間がかかるかもしれないけど、しばらく待ってて」
「え?あ、うん。しばらく?っていうか、」
わたしはゆりくんが話している途中で電話を切ってしまった。やってしまったという後悔と、これでわたしに干渉してくる人は誰もいないという安心がわたしの体を激しく脈打たせているのが分かる。罪悪感、申し訳なさ、それに開放感がないまぜになって、わたしの膝から力を奪っていく。擦り切れてしまった今のわたしでも、できるだけ傷つかないような言い方をしようという気遣いが残っていることに誇りを感じ、うんざりした。わたしは結局、いつまでも心の中で悪態をつき、不機嫌に蓋をしたりわざと見せたりして、それでいて本当に言いたいことだけは舌根に溜め込んだままの生き方から逃れられないようだ。
携帯電話をそこらに放り投げて深いため息をつき、力の抜けた膝を折ってうつ伏せで布団に倒れこむ。あの言い方はわたしなりに心配をかけないように気丈に振舞ったつもりの言い方だったのだけれど、今思い返すと、もしかしたら突き放すような冷たい言い方になってしまっていたかもしれない。悪いことをしたと思いつつも誤解をわざわざ訂正するためにもう一度電話するつもりもなく、そうなるとこの弁解もずっとできないということになる。自分のしたことを冷静に振り返る度に、重りを一つずつ乗せられるように加速度的に心がずぶずぶ沈んでいく。ゆりくんならきっとわたしの真意を分かってくれる、と希望を持つことで、とめどない自己批判と後悔を何とか止めようと努める。
わたしは人を傷つけたいわけではなく、ただわたしのことを放っておいて欲しいだけなのに、いらない一言や配慮の足りない言い方のせいで、相手だけでなくわたしの心をもささくれ立たせてしまう。ヤマアラシなんて生易しいものではない。針を構えて近づくなと威嚇をし、近づくことを許せる相手が現れても針で傷つける。さらにわたしの針には返しがついていて、これ以上相手を傷つけないようにと離れる時にも相手を傷つけてしまう。しかも、それは今までほとんど無自覚だったのだ。
今になってこのことに気づき、わたしは今まで人と関わるのが嫌だと思っていたけれどそうではなく、わたしは人と関わるべきではないのだと思えてきた。わたしが煩わしいから云々という話で済む問題ではなく、関わった人を傷つけてしまうからだ。これは、わたしの思う「美しい生き方」に矛盾する。
しかも今までのわたしは、もちろん自分が鬱陶しく思うから人に対して不干渉だったのだけれど、不干渉であることで他人への迷惑を最大限減らすという目的も果たしているつもりだった。それなのに今さら、それこそが他人にとって迷惑になっていたことにも気づく。本当に今さらだ。
自己嫌悪が今までの生のなかでも最高潮に達した時、最近までわたしは自分をクラゲのようだと思っていたことを思い出した。今考えると、それはなんておこがましい自己評価だったのだろう。わたしはクラゲのように慎ましく質素に生きることも、死んだ時にまるで最初からこの世にいなかったかのように消えてしまうこともできない。触れないことで、他人に迷惑もたくさんかけてきた。達成できているとまでは思わないが、わたしの理想である「美しい生き方」に向かって進めている、とは思っていたわたしの今までの生き方は、まるで正反対の効果を生み出していたことに絶望した。そして、絶望して死のうにも何かを残さないと死ぬことすらできない上に、死への恐怖が生への嫌悪を上回る自分をひたすらに情けなく思い、恨んだ。
そうやって自分を憎み、世界に向かって届くことのない懺悔をしているうちに、布団に埋まったわたしの意識が段々と薄れてくるのを感じた。まだ遅くない時間であるのに、布団に倒れこむだけで眠気が襲ってくるほど心身ともに疲労困憊していたらしい。わたしの体の一番外側にある輪郭と、わたしの脳から漏れだす意識、世界が全て溶けて混ざり合うような気がした。たった今の今まで、空っぽになったわたしの胸には自分への失望が満ちて最悪の気分であったのに、今は全ての淀みが浄化されてゆく気がした。夢と現実が曖昧になっていく感覚がひたすら気持ちよかった。
夢と現の狭間をふらふらとさまよう中、これで眠るように死んで、それからわたしもクラゲのようにきれいに溶けて無くなりたいな、などと薄ら考えながら、意識が霧散して身体が沈んでいくのに任せた。
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