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東雲ゆいか

東雲ゆいかの監禁 4

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「だからまあ、怒る気にはなれない。でも――」

 出来るなら、彼女も――。

「少しでいいから、助けてくれないか? 警察でも、どこでもいいから電話を……」

 返事はしかし、別の声で遮られた。

「ほんま、女ったらしやのう」

 パンチだ。もう、帰ってきたのか? いや、それ以前にもしかして盗聴でもされていたのかもしれない。タイミングが良すぎる。

「仏心なんて出すんやないぞ。お前の携帯も没収や、財布も預かっとく」

 外からそんなやり取りが聞こえる。
 そして徐にドアが開かれ、またあの下ひた笑みが僕の前に姿を現した。

「残念やったなあ、もうちょいで陥落(おと)せたかもしれへんのに」

 その傍で怯えたように泣く彼女の姿が目に映る。それが、過去の自分と重なる。
 ――許せない、絶対に。だが、気持ちだけじゃこの場は解決しない。何か、機転を効かさないと……。

「恥ずかしくないのか? 子供にこんなことさせて」
「あ? 他人様の家庭に文句言う筋合いちゃうやろが」
「いや、僕も似たような親を持ったからよく分かる」

 慎重に、言葉を選ぶ。やることは挑発と『気付いてもらうこと』だ。

「子供の物を取り上げて自分の物だという。一度与えて置いて都合が悪くなると自分の物だという。貴方は子供を物扱いしているだけ――」
「ああ? わかったような口を――」

 間合いを詰められ凄まれる。僕は少し、意味ありげに彼女に視線を送る。

「いや、違うな。貴方――あんたにとって他人は全部物だ。敬意を払ったりなんて決してしない。だから僕の大事なスマホだってあっさり窓から捨てられたんだ。他人を人として見ていないから――」

 ゴツン!

 衝撃はすぐに、痛みは遅れてやって来た。

「……つっ」
「ああ、悪いな、躓いてしもうたわ」

 鼻が痛い。頭突きを貰ったのだ。

「ちっ まあええわ。もうちょいだけ、大人しく頭冷やしとけや」

 そう言うとパンチは面白くなさそうに靴音を立て、ゆいかちゃんを連れ部屋から出て行く。恐らく、最後にした音が鍵を掛けた時のものだろう。

「――はぁ」

 どっと汗が噴き出してきた。

「ああ、珈琲、飲みたいな」

 喉が渇き、最初に思ったのは彼女の淹れてくれた一杯のことだった。

「はぁ……柄にもないことをするもんじゃないな……」

 僕は基本的に無抵抗主義だった。クラスの揉め事も流していたし、荒事は苦手だったから喧嘩もしたことはない。それでも――許せなかったのだ。

 さて――。
 頭から血の気が引くにつれ冷静さを取り戻して来た。
 何時までも……そう、彼も僕を監禁してはおけないだろう。だが、どこで手打ちをする気なのか? 僕から念書を取れなければ恐らく事務所に乗り込むかもしれない。しかし、事務所を巻き込めば警察が出てくる可能性がある。これを監禁ではないと言い張るのも強引ではあるだろう。だが、こちらに弱みがないわけではない。何よりゆいかちゃんは未成年だ。未成年に何かをしたとなれば大抵の場合こちらの立場の方が悪い。向こうはその気はないかもしれないが、最悪被害届を出されてしまえばこちらは勝ち目がない。金は取れないかもしれないが、向こうは無傷で済む。こちらの被害は想像したくもない。それが社会、というものだ。それは僕が一番痛感していた。
 時間を掛けたくはないのは向こうも同じだとは思うが、こちらも時間が経てば経つほど相手に工作をする時間を与えてしまう。僕が堕ちないと思えば何かよからぬ企みをまた企てるに違いない。出来るだけ、早めに僕の状況を外部に知らせないとまずい。それも、正確に。
 だから、一縷の望みを託した――彼女に。
 先程のパンチとの会話、窓から落ちた僕の携帯電話のことを。あれを暗に彼女に、ゆいかちゃんに示した。あそこから、彼女が何処かへ連絡してくれれば或いは――。
 希望的観測だということは分かっている。そして彼女は恐らく警察には連絡しないことも分かる。親を売ることはしないだろう。でも……それでももしかして。
 待つしかない。神に祈りたくなる人の気持ちが、この時僕にも理解できた。





 それから2時間後。
 結論から言おう。僕は、解放された。
 但し――。





「お待ちしておりました」
「おう、こりゃとんでもない上物やな」

 目の前には深々と頭を下げる僕の女神――ライスシャワーの店主、米田雫さんがいる。
 そして僕の横にはオークの様に醜く爛れた舌を舐めるパンチパーマの悪魔がいる。






 ――――――






「奥へどうぞ――」

 そう、僕らは今ライスシャワーにいる。
 暗がりの森を抜けた先に見えたこの店の灯りは、僕に灯った最後の希望であり、拠り所だ。そう、此処へは当然彼女、米田雫さんの要望で来たのだ。あの後――僕は自分のスマホをゆいかちゃんの手から受け取ることに成功した。そしてその着信履歴をみて驚愕したのだ。そう、十分おきにライスシャワーから掛けられたそれを見て。
 彼女は僕から聞いていた就業時間を過ぎた後から、定期的に電話を掛けていた。ずっと気にかかり、心配だったらしい。「ご迷惑でしたか?」と電話越しに言われた時には思わず目頭が熱くなった。
 僕と彼女はそれから事細かに話合った。何が起きて、どうなっているのか、を。

「警察に云うべきでしょうか?」

 その僕の問いに彼女は暫く黙った、そして、変なことを聞いてきた。

「ゆいかさんの事をもう少し詳しくお話下さい。そう、デートの時の様子とか、気になったことも」
「え? でもそれは……」

 必要なこと、なのだろうか? ここから逃げ出すとか、警察に連絡を取って相談したほうが良い可能性もあるのだが……。

「人が正しく人を裁けるとは限りません。警察も同様です。ですから、情報は必要です。無駄なことなどありません」

 そう言われ僕は今日の彼女とのデート内容も事細かに伝えた。全て伝え終えたあと、彼女は「分かりました」と言葉を切り、次に驚くことを言ったのだ。

「では、そのゆいかさんのお父様と名乗る方にお代わり下さい」と。






 そうして僕らはここにいる。彼女の居城、ライスシャワーに。
 あの後彼女はパンチと何事か交渉し、此処へと僕らを呼び出したのだ。

「姉ちゃんが身元引受人か? いやあ、自分の男の不始末つけようとは殊勝な心掛けやなあ」

 パンチはニタニタと厭らしい笑みを彼女の顔に近づける。

「お席をご用意しておりますので、どうぞ、中へ」

 雫さんはその笑みを意に介さないかのように淡々と対応する。折り目正しく、こんな相手でも礼を失しないように背をピンと伸ばし向き合う。その様子に、パンチはつまらなさそうに横を抜け店に入った。

「……あの、雫さん」

 僕は彼女に声を掛ける。

「おら! 客を待たせるんやないぞ!」

 僕らの会話を遮断する様にそのダミ声は響く。

「――行きましょう」

 そう言い残し、彼女は僕らに踵を返し奥のテーブルへと向かう。まるでそれは、物語で読んだジャンヌダルクの様に見えた。

「さあ、とっとと支払って貰おうやんか?」

 四人掛けのテーブルの雫さんの隣に僕、対面にパンチとゆいかちゃん、という風に座っている。
 雫さんがどう対応するのか僕は気が気ではない。僕にも彼女の行動は読めないのだ。

「分かりました」

 あっさりと彼女は同意してしまった。冷や汗が僕の顔から噴き出す。

「し、雫さん」
「その前に、一つだけお話を宜しいでしょうか?」
「あ? 今更ごねるのは無しやぞ?」
「いえ、そんなつもりはございません。ただ契約の確認です」
「ほう?」
「兼平礼人様が、東雲ゆいか様という女性に無理やり手を出そうとした。その子は未成年であり、親であり、保護者である貴方が慰謝料を請求する。その金額が五百万である。そうですね?」
「そうやで」

 パンチは退屈そうに答える。

「契約とは古来から、嘘偽りがある場合無効です。現代日本においてもそうなる場合が殆どでしょう」
「あ? やっぱごねる気か? 何が嘘や? 証拠も何もここに全部あるやろが?」

 彼はそう言ってゆいかちゃんを指差し凄む。

「ごねてなどいません。確認です」

 淡々と受け応える雫さんにパンチは苛立ったように机を叩いた。

「ごねて金がない言うならお前の身体で払って貰ってもええんやぞ!?」

 その言葉を前に、しかし雫さんは動じない。そして床に置いてあった一つの包みを取り出し、広げると――。

「おお!」
「!?」

 中からは札束――おそらく百万の束が5つ出て来た。パンチがそれに手を伸ばそうとするが、彼女はその動作を優雅に躱し、包みを自分に引き寄せた。

「おい! はよ寄こさんかい!」
「ですから、確認が先です」

 彼女は声色も変えず、目も逸らさず、はっきりと言い放つ。凛、という言葉がこれほど似合う女性もいないだろう。

「ご要望の物はご用意しました。ですから、私の話にもお付き合い頂けますでしょうか? お聴き下さり、正当な権利があればこそ、程なくこれは手に入るでしょう」
「……ちっ」

 舌打ちを一つしてパンチは座りなおした。

「わあったわ。じゃあそれが終わったら、貰うぞ?」
「主の御意志のままに」

 ふてぶてしく彼がふんぞり返るのを見届け、一呼吸置いてから雫さんは口を開き、こう言った。

「それでは人類最初の美人局について、お話しましょう」
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