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第四章 エルフの嫁入り
幡ヶ谷 嫁取りカレー戦争 8
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私は今、信じられない物を見ている。
眼前に広がる、肉を大量に沈めた茶色いスープ。それを私の元懸想相手の妹に勧められている。――正直、嫌がらせかと思ったが、付け合わせに運ばれたサラダを食べその気持ちも和らいだ。
私は、この娘、シンディに同情的だった。同じように家と里に縛られ、思うように生きてこれなかったもの同士のシンパシーとでも言おうか。だから私は煽るような言葉を彼女にいいつつ、応援した、つもりだった。彼女にやりたいことがあるなら協力しよう。嫁に娶ることはなかろうが、善戦さえすれば何か協力することも吝かではない――私はそのつもりで彼女を焚き付けた、と思っていた。しかし――なんだろうか、この違和感は? 試すつもりが、試されている。チェリッシュも私を試したが、その試しとは何か根本から違う気がする。
ふと皿から視線を外し顔を上げると彼女の悪戯な微笑みが私の瞳に飛び込んだ。一瞬、それがミリアルと重なり――。
「お姉ちゃんだったらな、とか思ってない?」
「な――」
見透かされたように、彼女に先制パンチを食らってしまい、二の句が継げなくなる。
「――分かりやすい男」
ふん、と鼻を鳴らし、彼女は目の前の茶色い物体の攻略に戻っていく。
「早く食べましょ。冷めると美味しくなくなるわよ?」
くっそ……完全にこの娘のペースではないか。
負けてなるものか――その思いが募る。私は銀のスプーンを手に取り、煮えたぎる鉄鍋の中にそれを差し入れた。
「――むぉぉぉぉぉ?」
重い。いや、もちろんスプーン一杯分のそれが重すぎるわけではない。しかし、今まで行ったどの店の一杯分よりも確実にそれは重く私のスプーンにのしかかる。掴んだのは、肉だ。
これは――何という肉だろうか? ゴロッとした角切りの肉の塊が茶色いスープ、『ルー』というものらしいが――を身にまとい、私を試すように見つめている。
「牛だよ、カミル。見たことあるだろ?」
隣にいた伸介が教えてくれる。
「――これが、牛?」
ミルクを採るために飼っていた光景は見たことがある。そうか、これが牛の肉か。
エルフの地を豊かにした神から与えられし使徒の一つ、そのようになぞらえることもある。だからこそエルフは未だに肉食を嫌う者も多いのだ。
――里の婆などに知られたら、卒倒されるだろうな。
小うるさい親族たちの顔を思い出し、少しだけ憂鬱な気持ちに浸るが、それも一瞬のことだった。私はその香り立つ塊を静かに、口に運んだ。
――ガブッ……。
「――ッッッ!!」
弾力が、私の歯を押し返す。舌と歯に、肉の繊維を思い切り感じる。
――これが、肉かっっっ。
チェリッシュたちと行った店で食べた物とは明らかに違うその食感に私は驚く。肉、そう肉だ。柔らかい――と硬いが部分によって違う。柔らかいのは脂肪のある部分だろう。しかし、肉の部位は歯にその繊維が絡みつくぐらいには『肉』である。しかしそれが、嫌ではない。むしろ、その食べ応えは私に軽い感動をもたらしていた。
肉そのものの味は固い部分に、そして柔らかく、ねっとりした脂部分が私の舌を甘く撫でる。
――ぷち。
「ほぅ……」
その肉ばかりの中で私の口内で弾ける音がする。そう、これはコーンだ。トウモロコシの粒が単調になりかけた私の口をリセットする。それは、他の野菜もそうだ。
ニンジン、それは甘く、茄子、それは清涼感を、ピーマン、それは苦みを、その時々で、私の舌を休ませ、楽しめる。
正直――舐めていた。なんだこれは、無限に食えてしまうぞ――。
見ればみな無言だ。しかし、顔は皆笑っている。そして手は止まらない。ああ、そうだ。これが――。
そういえば、こちらは何だろう? ふと皿の肉の横に盛られた肉の塊らしきものに私はスプーンを入れる。これは――ひき肉だろうか?
それに赤い粉末状のものが掛かっている。私は恐る恐るそれを掬い、一口――。
「む、はぁ―――――!」
食べ応えは先ほどの肉ほどではない。しかし、これは――、いやこれも間違いなく肉である。しっかりと下味のついたそれは赤い――そう、これが仄かな辛味を与え、私の食欲を刺激する。あれほど食べ応えがあっり、満腹感を与えてきた肉を取ったにもかかわらず、である。
「大丈夫か、カミル?」
気づけば伸介が心配そうに私の顔を見つめている。
「――だ、大丈夫だ。いや、色々初体験でな。驚きが勝ってしまった」
「そうか、ならいいんだ。ああ、辛味がきつかったらそのチーズと、温泉卵を食べるといいぞ?」
そう言われ目を皿に落とすと、白い膜に覆われたオレンジ色の物体と、白い多数の小さな欠片を見つける。
まず、小さい欠片にスプーンを差し入れると――。
――にょ。
伸びた。ああ、チーズだったな確か。それをルーに絡ませ、一口。
「――ほぁ……」
ねっとりとしたチーズが、ルーに絡まり、甘みと辛味をごちゃまぜにする。チーズの風味、甘みがルーを優しく包み、確かな満足感を舌に与える。そして――問題はこの膜の張ったオレンジ色の物体――確か、温泉卵、と言ったか?
「普通の卵と何が違うのだ?」
「ああ、それは半生――つまり不完全に茹でた状態、って言えばわかるか?」
「――そんなもの、食えるのか?」
卵は生で食べてはいけない。それぐらいのことは私でもわかる。そうした結果、腹痛を起こし、亡くなった里の者も多い。
「大丈夫だよ。日本の卵はかなり安全に気を使っているから」
「そ、そうか」
私はスプーンに膜ごと掬ったそれを見つめる。
「気にするなら割ってルーに混ぜるのがいいわよ。美味しいから」
ふと彼女に声を掛けられた。
「まったく、私が見合い相手何だから話しかけるなら私にしなさいよ。人に失礼、って説教かましているなら特に、ね」
「……す、すまない」
彼女の言うとおりである。慣れない食事を前にして、気後れしてつい気心のしれたほうにばかり声を掛けていた。これでは、彼女を笑えない。
「ほら、ちょっと貸しなさい」
「ちょ――」
気が付けば乗り出してきた彼女の顔が近くにある。ふわり、とカレー以外の良い香りが鼻腔をつく。
「ほら、こう混ぜて……」
ち、近い。……こら、乙女がそのように近くによって胸の谷間をみせるものではない……。
「ほら、あーん」
「!!!!!! い、いや! これは自分で……」
俺の手から奪い、混ぜたものを掬ったスプーンを伸ばしてきた彼女から思わず顔を反らす。
「なーに顔を真っ赤にしてんのよ。ほら」
強引に彼女が迫る。助けを求めようと隣の伸介に目配せしようとするが――。
「……」
ぷい、とそっぽを向かれ、無視された。しかも口笛まで吹いている。こら、どういうことだ友よ!?
「ほーら」
「……」
仕方ない。私は目を瞑り、口を開ける。ゆっくりと、熱いものが口内に挿しこまれ――。
――とろぅ~り。
「!!!!??!!!??!!」
思わず、頬がとろけた。甘い、何か甘いものが辛いルーに纏わりつき、口内を浸潤する。
「――うは……」
「ね、美味しいでしょ?」
そう言って彼女は微笑む。
「……う、うむ。美味い」
「もう一口、食べる?」
同じポーズで、スプーンにルーを掬い彼女は私の反応を待っている。
「い、いや――じゅ、十分だ」
私は彼女の手からひったくるようにスプーンを取り戻し、一気に残りのカレーに立ち向かった。
その間、クスクス、という笑い声が――まるでシルフのそれのように対面から漏れ続けた。
眼前に広がる、肉を大量に沈めた茶色いスープ。それを私の元懸想相手の妹に勧められている。――正直、嫌がらせかと思ったが、付け合わせに運ばれたサラダを食べその気持ちも和らいだ。
私は、この娘、シンディに同情的だった。同じように家と里に縛られ、思うように生きてこれなかったもの同士のシンパシーとでも言おうか。だから私は煽るような言葉を彼女にいいつつ、応援した、つもりだった。彼女にやりたいことがあるなら協力しよう。嫁に娶ることはなかろうが、善戦さえすれば何か協力することも吝かではない――私はそのつもりで彼女を焚き付けた、と思っていた。しかし――なんだろうか、この違和感は? 試すつもりが、試されている。チェリッシュも私を試したが、その試しとは何か根本から違う気がする。
ふと皿から視線を外し顔を上げると彼女の悪戯な微笑みが私の瞳に飛び込んだ。一瞬、それがミリアルと重なり――。
「お姉ちゃんだったらな、とか思ってない?」
「な――」
見透かされたように、彼女に先制パンチを食らってしまい、二の句が継げなくなる。
「――分かりやすい男」
ふん、と鼻を鳴らし、彼女は目の前の茶色い物体の攻略に戻っていく。
「早く食べましょ。冷めると美味しくなくなるわよ?」
くっそ……完全にこの娘のペースではないか。
負けてなるものか――その思いが募る。私は銀のスプーンを手に取り、煮えたぎる鉄鍋の中にそれを差し入れた。
「――むぉぉぉぉぉ?」
重い。いや、もちろんスプーン一杯分のそれが重すぎるわけではない。しかし、今まで行ったどの店の一杯分よりも確実にそれは重く私のスプーンにのしかかる。掴んだのは、肉だ。
これは――何という肉だろうか? ゴロッとした角切りの肉の塊が茶色いスープ、『ルー』というものらしいが――を身にまとい、私を試すように見つめている。
「牛だよ、カミル。見たことあるだろ?」
隣にいた伸介が教えてくれる。
「――これが、牛?」
ミルクを採るために飼っていた光景は見たことがある。そうか、これが牛の肉か。
エルフの地を豊かにした神から与えられし使徒の一つ、そのようになぞらえることもある。だからこそエルフは未だに肉食を嫌う者も多いのだ。
――里の婆などに知られたら、卒倒されるだろうな。
小うるさい親族たちの顔を思い出し、少しだけ憂鬱な気持ちに浸るが、それも一瞬のことだった。私はその香り立つ塊を静かに、口に運んだ。
――ガブッ……。
「――ッッッ!!」
弾力が、私の歯を押し返す。舌と歯に、肉の繊維を思い切り感じる。
――これが、肉かっっっ。
チェリッシュたちと行った店で食べた物とは明らかに違うその食感に私は驚く。肉、そう肉だ。柔らかい――と硬いが部分によって違う。柔らかいのは脂肪のある部分だろう。しかし、肉の部位は歯にその繊維が絡みつくぐらいには『肉』である。しかしそれが、嫌ではない。むしろ、その食べ応えは私に軽い感動をもたらしていた。
肉そのものの味は固い部分に、そして柔らかく、ねっとりした脂部分が私の舌を甘く撫でる。
――ぷち。
「ほぅ……」
その肉ばかりの中で私の口内で弾ける音がする。そう、これはコーンだ。トウモロコシの粒が単調になりかけた私の口をリセットする。それは、他の野菜もそうだ。
ニンジン、それは甘く、茄子、それは清涼感を、ピーマン、それは苦みを、その時々で、私の舌を休ませ、楽しめる。
正直――舐めていた。なんだこれは、無限に食えてしまうぞ――。
見ればみな無言だ。しかし、顔は皆笑っている。そして手は止まらない。ああ、そうだ。これが――。
そういえば、こちらは何だろう? ふと皿の肉の横に盛られた肉の塊らしきものに私はスプーンを入れる。これは――ひき肉だろうか?
それに赤い粉末状のものが掛かっている。私は恐る恐るそれを掬い、一口――。
「む、はぁ―――――!」
食べ応えは先ほどの肉ほどではない。しかし、これは――、いやこれも間違いなく肉である。しっかりと下味のついたそれは赤い――そう、これが仄かな辛味を与え、私の食欲を刺激する。あれほど食べ応えがあっり、満腹感を与えてきた肉を取ったにもかかわらず、である。
「大丈夫か、カミル?」
気づけば伸介が心配そうに私の顔を見つめている。
「――だ、大丈夫だ。いや、色々初体験でな。驚きが勝ってしまった」
「そうか、ならいいんだ。ああ、辛味がきつかったらそのチーズと、温泉卵を食べるといいぞ?」
そう言われ目を皿に落とすと、白い膜に覆われたオレンジ色の物体と、白い多数の小さな欠片を見つける。
まず、小さい欠片にスプーンを差し入れると――。
――にょ。
伸びた。ああ、チーズだったな確か。それをルーに絡ませ、一口。
「――ほぁ……」
ねっとりとしたチーズが、ルーに絡まり、甘みと辛味をごちゃまぜにする。チーズの風味、甘みがルーを優しく包み、確かな満足感を舌に与える。そして――問題はこの膜の張ったオレンジ色の物体――確か、温泉卵、と言ったか?
「普通の卵と何が違うのだ?」
「ああ、それは半生――つまり不完全に茹でた状態、って言えばわかるか?」
「――そんなもの、食えるのか?」
卵は生で食べてはいけない。それぐらいのことは私でもわかる。そうした結果、腹痛を起こし、亡くなった里の者も多い。
「大丈夫だよ。日本の卵はかなり安全に気を使っているから」
「そ、そうか」
私はスプーンに膜ごと掬ったそれを見つめる。
「気にするなら割ってルーに混ぜるのがいいわよ。美味しいから」
ふと彼女に声を掛けられた。
「まったく、私が見合い相手何だから話しかけるなら私にしなさいよ。人に失礼、って説教かましているなら特に、ね」
「……す、すまない」
彼女の言うとおりである。慣れない食事を前にして、気後れしてつい気心のしれたほうにばかり声を掛けていた。これでは、彼女を笑えない。
「ほら、ちょっと貸しなさい」
「ちょ――」
気が付けば乗り出してきた彼女の顔が近くにある。ふわり、とカレー以外の良い香りが鼻腔をつく。
「ほら、こう混ぜて……」
ち、近い。……こら、乙女がそのように近くによって胸の谷間をみせるものではない……。
「ほら、あーん」
「!!!!!! い、いや! これは自分で……」
俺の手から奪い、混ぜたものを掬ったスプーンを伸ばしてきた彼女から思わず顔を反らす。
「なーに顔を真っ赤にしてんのよ。ほら」
強引に彼女が迫る。助けを求めようと隣の伸介に目配せしようとするが――。
「……」
ぷい、とそっぽを向かれ、無視された。しかも口笛まで吹いている。こら、どういうことだ友よ!?
「ほーら」
「……」
仕方ない。私は目を瞑り、口を開ける。ゆっくりと、熱いものが口内に挿しこまれ――。
――とろぅ~り。
「!!!!??!!!??!!」
思わず、頬がとろけた。甘い、何か甘いものが辛いルーに纏わりつき、口内を浸潤する。
「――うは……」
「ね、美味しいでしょ?」
そう言って彼女は微笑む。
「……う、うむ。美味い」
「もう一口、食べる?」
同じポーズで、スプーンにルーを掬い彼女は私の反応を待っている。
「い、いや――じゅ、十分だ」
私は彼女の手からひったくるようにスプーンを取り戻し、一気に残りのカレーに立ち向かった。
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