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第三章 恋するエルフ

13組目は不穏な数字 2

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 中野坂上駅近郊は新宿と中野のちょうど中間あたりに位置するオフィス街である。大きなオフィスビルの横にあるその店は、昼休みは会社員ですぐに満杯になってしまう。もう昼休みの時間は終わっているから、並ぶ必要はなかった。雨が小降りに振り始め、俺たちは足早に店に駆け込んだ。レイは留守番をさせ、俺とカミル、そしてミリアルを連れ店まで来た。ちなみに服装は俺はTシャツに短パンのジーンズ、二人は……インド風というか、ゆったりとした緑色の服装をしている。見た目的にも結構目立つから、通行中はチラチラと視線を浴びていた。――おそらく、カップルだと思われていることだろう。
 当のミリアルはといえば、あのじゃじゃ馬が鳴りを潜め、大人しくカミルの傍に付き従っている。まるで、別人のようだった。

「すごいものだな、やはりこの、ビルという物は」

 カミルが感心したように顔を上げる。

「……まあ、見慣れるとどうでもよくなるよ?」

「そうなのか? まるでエルフの里の大樹のような建物を人が作れるとは、と思うのだが」

「工法が整えば出来るようになるさ。俺にはそっちの魔法とかの方がびっくりするけどね」

「なるほど。まあ、住めばなんとやら、と言ったところか。――ミリアル殿は、どちらが良いと思われますか?」

「――私は、エルフの里で愛する方と生きていきたいと思っております」

 その言葉に俺の心臓は一瞬鼓動を止めた――ような気がした。

「おお、我が守護精霊も喜んでいる。嘘偽りない、本心だと」

 カミルの精霊は嘘を見抜けるらしいとは聞いていた。だからミリアルの言葉は本心である――いや、そんなことが……。

「して、伸介。どこが目的の地なのだ?」

「あ、ああ……この地下だよ」

 オフィスビル横の小さな建物の地下に目指す場所はあった。

「随分とこじんまりとした場所だな。いや、しかし伸介が勧めるからにはそれなりのものなのだろう。よし、入ろうではないか」

 俺達は店に続く昏い階段を降りる。俺は一歩歩くごとに、暗く、昏い気持ちになって来る。しかし、扉を開けるとそんな俺の気持ちを癒すかのように、ふんわりとした『卵の香り』が鼻をついてきた。

「いらっしゃいませー」

「そこに、座ろうか」

 空いている席に俺達3人は座るとすぐにメニューが出てきた。

「ふむ? これはどれを頼めばいいのかな?」

「オムライス三つで。あ、こっちのカミルには肉関係は抜いてください」

 カレー付きなど色々あるが最初はスタンダードでいいだろう。それに、この店のオムライスなら肉など入っていなくても美味いはずだ。草食のエルフにはぴったりと合う、と俺は思った。

「――ミリアル、さん」

 俺は席に着いた後も大人しくしている彼女に声を掛ける。

「――どうですか、こちらは?」

「……ええ、楽しんでおります」

「そうですか……。いえ、そのこの度は……おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 簡潔な答え。そしてなによりその素っ気なさが俺の心を締め付ける。

「ミリアル殿は幾度かこちらへ来たことがあるのでしょう? ここ以外にどういったものを食べたのですか?」

 カミルのその質問に再び俺の心臓は鼓動を取り戻した。俺と食べた、飯の思い出だ。

「――特に、語ることもないですわ」

 それ以上何も話すことなどない、そう言うかのように彼女は俯いた。

 ――何故だ? どうしてだ、ミリアル!?

「はい、ドルフィンオムライス3つお持ちしました。固まる前にお食べ下さい」

 そういうと俺達の目の前に3つのオムライスが店員の手によって置かれた。

「うわあ……」

 思わずカミルが声を上げた。

 ぷるん、という擬音がまさに正しいことを証明するかのようにそのオムレツはチキンライスの上で揺れ、踊っている。その黄色の上には赤いケチャップで店名が描かれている。

「これは、どうやって食べるのだ?」

「待って、俺が手本を見せるから――」

 俺はテーブル横に置かれたナイフを手に取るとそのぷるん、ふわんとした黄色の塊にナイフを横一文字に差し入れる。

 ――とろん。

するとその黄色い物体がまるで意志を持った生き物のように――切り拓かれた個所から雪崩のようにチキンライスへ押し寄せる。

「おお……」「ああ……」

 二人のエルフが同時に感嘆の声を上げた。どうだ、美味そうだろう?

「さあ、同じようにやって食べて見てくれ」

 二人は思わずお互いの顔を見つめ合った。

「ど、どうぞ……」

「い、いや、君から、どうぞ」

 お互いが譲り合った後に、二人は「じゃあ……」と同時に――まるでケーキの入刀のようにナイフをオムレツに入れた。

「……おお、これは楽しいな」

 喜んでいる二人を横目に俺は黙々とオムライスを掻き込む。
 ふわとろ、とした食感とクリーミーな味わいが俺の舌を包み込み、さらに下のチキンライスと相まってまるで飲み物のように俺の喉を滑り落ちる。あまりに自然に呑み込めるものだから――気が付けばもう、俺の皿は空になっていた。

 ――ああ、美味いな。

 心が傷ついても、飯はいつもそこにあり、俺の胃を、心を満たしてくれる。

「――ミリアルさん」

 俺は一瞬だけ手を止め、彼女に訊ねた。

「美味しいですか?」

「――え? ええ……とても」

「そうですか……なら、よかった」

 そう、よかったのだ。彼女に――美味しい物を食べさせることが出来たのなら。
 その言葉を聞いたカミルが一瞬怪訝な表情をした。――何か、気に掛かることでもあったのだろうか?

   ◆

「じゃあ、出ましょうか」

「ああ、じゃあお金を……」

「いいよカミル、俺が奢る」

「え? いやこんな美味しいものを頂いてそれは……」

「いいんだよ。お祝い代わりだ」

「――そうか、じゃあ先に出てるよ」

 カミルは笑顔で、ミリアルと二人連れ添って店を出ていく。俺はそれを見送りながら、深いため息を一つついた。

「――聞くだけ、野暮か」

 振られた理由を探すほど女々しくはない。ただ、彼女が幸せそうならそれでいい。そう、最後に美味い飯を――。

「――え?」

 俺はその時、席の上に激しい違和感を覚えた。――どういうことだ?
 そう、普段なら――そう、普段なら絶対に『残らない』ものがそこにあったからだ。
 
「――まさか」

 俺は会計を終えると急いで階段を駆け上った。

「おお、伸介、今日は――」

「すまん、カミル」

 そう言うと俺は『ミリアル』の腕を掴んだ。

「え!?」

「な、いきなり何をするんだ伸介!?」

「違っていたら、素直に謝るさ」

「ちょ、や、止めて下さい!」

「そうだ、離せ伸介!」

 俺が彼女の顔に手を掛けようとした瞬間、カミルに突き飛ばされた。

「いきなり私の婚約者に手を上げるなど、何があったというんだ!」

「――カミル。頼む」

「何を頼むというんだ! 彼女を傷つけるような言動だけは、たとえ親友でも許さんぞ!」

「違う。――頼む、一つだけ彼女に質問してくれ」

「――伸介?」

 俺はカミルの瞳から目を離さない。今、彼の信頼を勝ち取らなければ何も始まらない。

「――何を、聞けばいいんだ?」

 カミルは俺の真剣な態度を見て、気持ちを向けてくれたようだ。

「ありがとう」

 そういうと俺はもう一度、『ミリアル』を見つめた。一言――そう、一言でよかった。

「彼女が――本当にミリアルなのか、だ」

『ミリアル』と呼ばれたその女は、大きく息を吸い込んだ。
 カミルは怪訝そうな顔で彼女に質問し、程なくして彼女は泣き崩れた。そして――『仮面』は剥げたのだ。
――異相の仮面、ミリアルが変装に用い、俺を騙した道具。それを身に着けていた、見たこともないエルフの娘がそこにいたのだ。

「――君は、ミリアルの……たしか妹ではなかったか?」

「申し訳、ございません」

 カミルの言葉に項垂れるエルフの娘は長い金髪を乱れさせたまま、俺たちと目線を合わせないで道端で膝を抱え座り込んでいる。天気は曇っていて、時折雨粒が俺の頬を打つ。早めに移動したほうが良い。

「どうして……見抜かれたのですか?」

「簡単なことだ。どうして、食べれるはずの『チキンライス』を残したのか考えたらな」

 ミリアルはもう『肉』が食えるのだ。わざわざ残す意味はない。なら結論はどちらかだ。腹がいっぱいで食えないか、本人じゃないか、だ。今回の店の量で前者はありえない。俺の腹は5分目にも達していないのだ。

「――ここじゃあれだな。移動しよう、カミル」

「ああ、しかしこれは、どういうことだ? それだけでも、今教えてくれ」

 カミルの疑問に俺は答える義務がある。いつまでも偽ってはいられない。

「カミル、お前の嘘を見抜ける力って、そもそもちゃんとした答えにしか反応しないんだろう?」

「――ああ、その者の言葉が嘘か真かだけを見抜く、程度だな」

「ああ、だからあの時――」

 俺がミリアルと一晩を共にした相手かどうかはわからなかったわけだ。俺にその認識がなかったから。

「……いや、だからこの子と会った時にカミルは気付かなったんだろ。『ミリアル本人かどうか』なんて質問するわけがないだろう?」

「――確かにそうだ、だが……」

「ああ、誰も嘘などついていない。皆がカミルとミリアルの結婚を望んでいたからだ。本人を、除いて」

 俺の言葉にカミルが深く息を吸い込んだ。
 要はこういう話だ。カミルがミリアルの元に足しげく通うことで皆がまだ婚姻を結べると期待を持った。だから本人の預かり知らぬところで結婚をまとめてしようと思い立った。そして妹を彼女に仕立て上げ、『既成事実』を作ってしまおうとしたのだ。ミリアルはこのことを知らない、もしくは認めていない。しかし、周囲をすべて固めてしまえば選択肢はなくなる、そう考えたのだろう。そしてこの『婚前旅行』を思いついたのだ。

「――だから、仮面をつけて……」

「そうだ。二人きりでの旅行。それはお互いの氏族で情報を共有される。そうなればもう、彼女に――ミリアルに選択肢はないからだ」

 彼女は恐らくまだ、幽閉されているのだろう。

「――はは、そうか。なんということだ……」

 カミルは天を仰いだ。嘆くのか、呆れているのか、その表情は見えない。
 その時、いっそう激しい雨が辺りに降り注ぎ始めた。

「――戻ろう。幡ヶ谷に」
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