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第二章 異世界からの侵略者
8人目 白騎士・ドワーフ・カラクリ・メイド 2
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「なんじゃここは?」
彼女は目を白黒させながら目の前の回転するレーンを眺めている。
「回転寿司屋ですが、何か?」
「いやそれ説明になっておらんじゃろうが! ……これは、食べ物が回っておる、のか?」
「ええ、酢飯と言って酢で締めた白米に生の魚を乗せて食べるものです」
「生!? 生って食えるのじゃ!?」
「食えますよ。食品衛生管理はそちらより厳しいですからこっちは。いやなら店を変えますが――でも、そちらのご要望に沿う場所となると他に思いつかなかったんですよね」
「いや、機構自体はさほど派手ではなかろう。これでどう我の要望に応えると――」
「まあその答えは、食ってからということで」
いい加減腹が減った俺はサーモン皿を一つ取り、目の前に置く。
「ああ、お金は全部一皿150円均一です。わかりやすいでしょう?」
この店、飲み物以外は全品150円である。場所は西武新宿線に行く途中にある大ガードの手前の十字路にある。
新宿にある回転寿司の中で俺はここを一番利用している。ちなみに開店前から並ぶ中国人が多いので、多分あっちで評判になっているのではなかろうか。
新宿で俺が利用している回転寿司は主に2つ、たまにもう一つを使うこともある。
西口だと夏の風物詩の花の名前を冠した店名の寿司屋によく入る。こちらも外国人は多い。値段も味もそこそこ、利用はしやすいだろう。
東南口になると一軒美味い回転寿司があるのだが、そっちは若干高いため俺の利用から外れている。味は良い。素材もいい。しかしお高めの値段設定だ。その値段出せばそりゃこんだけ美味いよな、という味だ。
そして俺が最も利用しているのがここ、江戸の名を冠した寿司屋である。
この店、飯時はいつも並びが途切れない。理由は恐らくその分かりやすい値段設定と、味だ。
150円の皿でどうやって値段の高いネタを出すのかと言えば、通常二貫乗せのところを一貫にしているだけである。量より質、というわけでこちらも気軽に取りやすい。300円皿で回されるよりも確かにそのほうがこちらも気分が違うし、何より高いネタを回転させ続けて廃棄することになった場合のロスも少ないだろう。うまく考えた物である。
「あんむ」
俺はサッと手づかみで小皿に入れたしょうゆをつけ、サーモンを一貫口に入れる。
しっとりとしたサーモンが舌に一瞬張り付き、すぐに飯と共に喉を抜ける。
俺はサッパリと一瞬でそれを味わう。
「さ、どうぞ」
俺は怖くて固まっている彼女に余ったもう一つを差し出す。
「う、うむむ」
「食わないと次にいけないんですよ。とりあえず、ね?」
「ええい、わかったわ!」
そういうと彼女はえいや、っと掴んでサーモンを口に放り込んだ。
「――うまい」
「でしょ? はい、次」
「え、いや、ちょっと早くないか?」
「寿司は鮮度が勝負ですよ? 食えることが分かったら手なんか抜きませんよ」
次に俺が取ったのは、ネギサーモンだ。
「な、なんじゃこれ?」
サーモンの上に玉ねぎのスライスがのり、マヨネーズが振りかけられている。
もしゃ。
ああ、やっぱサーモンと玉ねぎとマヨネーズは『合う』。
お前ら生まれる前から結婚してただろうと思われるほどの相性、これぞ運命の競演だろう。淡白なサーモンにマヨがコクを与え、玉ねぎのシャキ、がアクセントとなり口の中を飽きさせない。とはいえ、量は少ないのだから一瞬でそれも終わるのだが。
「ほうぞ」
口にまだそれを含んだまま俺はそれも彼女に差し出す。
「え、ええい!」
やっ――とばかりに彼女はそれも口に入れた。
「――!!」
彼女は水色の瞳をキラキラさせて瞳で語った。『美味い』と。
「はい、つぎ!」
俺はもう次を取る。焼きサーモンだ。
表面を軽くバーナーで炙ったそれは香ばしく、表面に脂が浮きだっている。それをパクっと口に入れると香ばしいサーモンの香りが口内に溢れ、野趣が際立つ。
「――ふまあああああ」
今度は俺が差し出す前に彼女がもうそれを奪っていた。
「う、うまいぞ! しかもこれは――すべて同じ素材ではないか!」
そう、その通りだ。すべて同じ魚だ。それなのに飽きさせない。すべて味わいが違うし、趣も異なる。
「じゃあサーモンはこのぐらいで、次はこれで」
俺はマグロの赤身を取り、次に『漬け』を取った。
「どうぞ、こっちの濃い色をしているほうは何もつけないで食べて下さい」
「ふむ?」
俺は赤身を一貫口に放り込む。サッパリとした味わいにマグロ独特の血の匂い、旨味よりも水っぽい風味のほうを強く感じる。しかし、そのあとに漬けを食えば――。
「うっ……」
ダイヤは漬けを一口食べ、言葉に詰まっていた。
「あっま……うま」
俺も今それを口に入れている。ねっとりとした食感に、旨味、しょうゆに漬け込んだことによる熟成。肉として美味くなっているそれを口に入れ、口内でしょうゆとマグロの旨味を解きほぐしていく。
「……同じものなのか、これも」
「そうですよ、それが『江戸前』の精神ですよ」
「江戸前――?」
「はい、江戸時代――昔の保存状態が良くなかった時代に生み出された技法です。魚介が新鮮なうちにそれを閉じ込め、美味いまま提供する。それはしょうゆに漬け込む『漬け』、ほかにも煮たり、焼いたり、旨味の質を保持したり、増やすことを目的とした技法。それが江戸前寿司、と呼ばれるものです」
俺は先ほどのネギサーモンももう一回取る。
「厳密にはこういうのは江戸前じゃないかもしれませんが、精神的なものは一緒じゃないかと思うんです。この店は外国人が多い。当然味覚も我々日本人とは違う。より美味く、万人に向け提供するために生み出されたメニュー。保存状態がよくなった今でも、これは変わりません。常に、誰かに向けて、美味しく提供したい。それがこの技法の骨子だと思っています」
そう言ってから俺はもう一度それを口に入れた。
次を勧めようとしたが、彼女は俯いて、何か神妙な顔つきになっていた。
『――何か、掴めそう』
そんな心の声が彼女から漏れ聞こえてきそうな……。
「これ、どうぞ」
「え?」
「どうぞ、食べて下さい」
俺は一貫しか乗ってない皿を彼女に渡す。
「これは?」
「食べて見て下さい」
白い、プリっとした断面に、そこから見えるきめ細かいキラキラの脂。そう、これは『高い』やつである証拠だ。
「う、うむ」
そう言って彼女はそれを口に入れる、と――。
「――!?!!!!」
水色の目ん玉をひん剥いてこちらを見た。
「何じゃこの旨味!?」
「それがトロってやつですよ。蕩けそうなほど甘い、でしょう?」
「う、うむ。美味い、しかも、甘い。トロとは、どんな魚なのじゃ?」
「トロは――魚じゃありませんよ。部位、です」
「部、部位?」
「そうです、取れる場所から食べ方、味わい方が変わるんです。トロは脂の多い腹身のことです。そしてこのトロは、前に食べた魚と同じ、サーモンのものですね」
俺が取った皿はトロサーモンだ。蕩ける甘い脂が適度な歯ごたえと共に口内を愉しませる、俺の好きな皿でもある。
「ま、まさかこれが、サーモン……」
彼女は驚きと共に食べかけのそれを見つめている。
「同じ魚、同じ素材でも場所が違えば性質が変わります。ちなみにこれ、魚が同じでも、取れる産地で味が変わることも普通です。ね、面白いでしょう?」
彼女に何か参考になったろうか? 俺が彼女の顔を覗き込むと――。
つう――。
一筋の涙が彼女の瞳から零れ落ちていく。
「あ、あの……」
「我は、愚か者じゃ……」
彼女はぽつりとそう零した。
「何が『万の鋼』じゃ。ただ良い鋼を使こうて使いこなしていた気になっていただけの、二線ものじゃ。本物には程遠かった。……師匠は、正しかったのじゃな」
彼女はテーブルの下で、拳を握りしめていた。
「鋼にも色々ある。取れる産地も違えば、微妙な質も違う。同じミスリルでも生まれた環境で変わることもある。ああ、そんなこと基本中の基本じゃったというのに……。しかも、その加工もまた甘い。加工するのにお互いをすり合わせるための素材にも気を遣わんかった。酢と飯、マグロとしょうゆのようにベストな組み合わせはどこかにある。それを我は……ミスリルと魔鋼を合わせるときにそれを伝えるためには――ああ、恥ずかしい!」
彼女はバン、と己の顔を両手で叩いた。
「帰るぞ、伸介」
「え?」
「受けよう、お主のリフォーム。我のすべてを使って、必ず最良のもの――いやそれ以上を作り上げて見せよう」
彼女はもう、前を向いていた。
◆
家に戻ってからダイヤはまさに不眠不休、三日かけてばあちゃんの屋敷をリフォームした。
見た目はそこまで変わらない、しかし、中身はもう、別物だ。
「では、さらばじゃ」
満足そうな笑みと共に彼女は帰っていった。よほど出来栄えに自信があったのだろう。
まず、掃除が要らない。ある程度の埃は全部自動で取り除いてくれる。そして、本当に再生する。壊しても元通りに戻る。この時点ですげえ。そして、最も大きな変化は――。
ちょこん、と畳に鎮座する、機構人形。黒髪、黒いメイド服のそれはほとんど人と見分けがつかない。
そう、なんと、管理用メイドロボが付いてきたのだ。この屋敷の実質的な管理を任せられる、らしい。容姿は俺のチョイスで黒髪ぱっつんのスレンダーな女性型になっている。
まじかー、メイドついちゃうかー。
見た目はあまり人と変わらないが球体関節など所々これが機械的な代物であることはわかる。内部にあるミスリル電池に魔力を貯めこんでいて、それを動力にして動くらしい。
俺は高鳴る鼓動を押さえながら耳奥にある起動スイッチを押す。
暫く待つと、ゆっくりと彼女は長いまつ毛のある瞼を開ける。
「じヴぃつあひmちcぁhhbhせbmhhb――ブウウウウウウウウン――言語認識・起動準備完了」
メイドは訳の分からない言語を発したかと思ったが、すぐに日本語に切り替わる。
「――」
「は、初めまして?」
メイドは何も言わない。ただ、俺の顔をジッと見つめている。
しかし、動かない。何か、不具合でもあるのだろうか?
「素体探索・核(コア)未取得・起動未完了・休眠(スリープモード)」
ヒュウウンという音共に電源が落ちたPCのようにメイドは無反応になった。あれぇ?
「核未取得ってなんだ?」
取説らしきものなんてないので意味が分からない。兎も角まだ、動かないらしい。これではただの置物である。さて、どうしようか……。
俺はとりあえずメイドの起動を一旦諦めた。さて、掃除の必要が無くなった我が屋敷だが、庭の草むしりや落ち葉掃きは別だ。そちらまで自動でやるか尋ねられたが、その機能は保留にしておいた。なぜなら――。
「ばあちゃんに怒られかねんしな」
庭の一角にじいちゃんと一緒に過ごしていた頃の家庭菜園の跡や、幾つか意味の分からないオブジェのような石がゴロゴロしているのだ。何かを象ったような、よくわからない30cmぐらいの石が幾つか整然と並べられている区画があった。掃除して除けてしまおうかと思ったのだが、なんだかよくわからないものを退けるのも怖いし、これ、恐らくじいちゃんが作った造形物なのは間違いなさそうなのだ。だって、小さくどの石にもじいちゃんの名前の一文字が彫られているのだから。
そんな物を捨てるわけにもいかず、庭の一角で特に誰が通るでもない裏にあるものに手を付けるのも億劫なので放置し続けていたのだが――。
「ううむ、流石に捨てるしかないか?」
この間の季節外れの大嵐で石のオブジェ群が何処かから飛んできた木の枝にぶつかり崩れてしまっていたのだ。これはダイヤの来る前の話でリフォームの力が及んでいない。ゆえに、壊れたままなのだ。
「とりあえず、片そう……」
俺は崩れた石を持ってきたリアカーに次々とぶち込んでいく。すると、石の下から――。
「げ」
その土に埋もれかけている白い物体は、どう見ても骨のように見えた。しかもよく見れば大小、細かいものがそこら中に散らばっている。まさか、ここで殺人……。
「ってこれ、動物の墓かよ!?」
見れば犬だか猫だかの小動物の骨である。どうやらこのオブジェ、それらを象った墓の代わりだったようだ。
「セ、センスねえ……」
崩れかけたオブジェを見返すと、確かに四足獣らしいのは分かるが、明らかにキメラの様なものにしか見えない。これを犬猫だと言い当てられたらそれはそれで凄いことである。
「しかし、そうなると、これどうしよう?」
骨は埋め直したとしても、墓はもうない。代わりを作ってやればいいのかもしれないが、俺はここに埋まっていた奴らのことを何も知らない。弔う気持ちもない。気持ちのない奴に弔われてもあまりこういうことは意味がないのではないか、とも思う。特にばあちゃんもこれに関して何も言ってなかったことから、ばあちゃんがやったというよりじいちゃんの手によるものであると推測される。つまり――。
「片付けちまうか」
それが最も妥当な判断だろう。所有者は俺だし、残しておいても滞在者が発見して気味が悪いと思われても困る。ばあちゃんがこの墓を大事じゃないなら俺が義理立てするほどのこともない。俺はスコップを持ち出し全部の骨をあらかたリアカーに乗せた。
「ふう、やれやれ」
俺は手を洗い、縁台で一息ついて団子を食べながらペットボトルの茶を啜る。
もう冬だが、今日はいつもより暖かかった。午後のポカポカ陽気に当てられ眠くなる。
「休憩~……」
俺は伸びをして寝っ転がり、そのまま意識を失った。
―――
「大江戸寿司」
チェーン店ですが、新宿ではよく行っていたお店です。コロ前までは中国客が列をなしていました。ちょっとばかり職人さんたちの質が良い店だという印象があります。
色んな回転すしチェーンを回りましたが、どれも美味しいのは企業努力だなと感心します。
彼女は目を白黒させながら目の前の回転するレーンを眺めている。
「回転寿司屋ですが、何か?」
「いやそれ説明になっておらんじゃろうが! ……これは、食べ物が回っておる、のか?」
「ええ、酢飯と言って酢で締めた白米に生の魚を乗せて食べるものです」
「生!? 生って食えるのじゃ!?」
「食えますよ。食品衛生管理はそちらより厳しいですからこっちは。いやなら店を変えますが――でも、そちらのご要望に沿う場所となると他に思いつかなかったんですよね」
「いや、機構自体はさほど派手ではなかろう。これでどう我の要望に応えると――」
「まあその答えは、食ってからということで」
いい加減腹が減った俺はサーモン皿を一つ取り、目の前に置く。
「ああ、お金は全部一皿150円均一です。わかりやすいでしょう?」
この店、飲み物以外は全品150円である。場所は西武新宿線に行く途中にある大ガードの手前の十字路にある。
新宿にある回転寿司の中で俺はここを一番利用している。ちなみに開店前から並ぶ中国人が多いので、多分あっちで評判になっているのではなかろうか。
新宿で俺が利用している回転寿司は主に2つ、たまにもう一つを使うこともある。
西口だと夏の風物詩の花の名前を冠した店名の寿司屋によく入る。こちらも外国人は多い。値段も味もそこそこ、利用はしやすいだろう。
東南口になると一軒美味い回転寿司があるのだが、そっちは若干高いため俺の利用から外れている。味は良い。素材もいい。しかしお高めの値段設定だ。その値段出せばそりゃこんだけ美味いよな、という味だ。
そして俺が最も利用しているのがここ、江戸の名を冠した寿司屋である。
この店、飯時はいつも並びが途切れない。理由は恐らくその分かりやすい値段設定と、味だ。
150円の皿でどうやって値段の高いネタを出すのかと言えば、通常二貫乗せのところを一貫にしているだけである。量より質、というわけでこちらも気軽に取りやすい。300円皿で回されるよりも確かにそのほうがこちらも気分が違うし、何より高いネタを回転させ続けて廃棄することになった場合のロスも少ないだろう。うまく考えた物である。
「あんむ」
俺はサッと手づかみで小皿に入れたしょうゆをつけ、サーモンを一貫口に入れる。
しっとりとしたサーモンが舌に一瞬張り付き、すぐに飯と共に喉を抜ける。
俺はサッパリと一瞬でそれを味わう。
「さ、どうぞ」
俺は怖くて固まっている彼女に余ったもう一つを差し出す。
「う、うむむ」
「食わないと次にいけないんですよ。とりあえず、ね?」
「ええい、わかったわ!」
そういうと彼女はえいや、っと掴んでサーモンを口に放り込んだ。
「――うまい」
「でしょ? はい、次」
「え、いや、ちょっと早くないか?」
「寿司は鮮度が勝負ですよ? 食えることが分かったら手なんか抜きませんよ」
次に俺が取ったのは、ネギサーモンだ。
「な、なんじゃこれ?」
サーモンの上に玉ねぎのスライスがのり、マヨネーズが振りかけられている。
もしゃ。
ああ、やっぱサーモンと玉ねぎとマヨネーズは『合う』。
お前ら生まれる前から結婚してただろうと思われるほどの相性、これぞ運命の競演だろう。淡白なサーモンにマヨがコクを与え、玉ねぎのシャキ、がアクセントとなり口の中を飽きさせない。とはいえ、量は少ないのだから一瞬でそれも終わるのだが。
「ほうぞ」
口にまだそれを含んだまま俺はそれも彼女に差し出す。
「え、ええい!」
やっ――とばかりに彼女はそれも口に入れた。
「――!!」
彼女は水色の瞳をキラキラさせて瞳で語った。『美味い』と。
「はい、つぎ!」
俺はもう次を取る。焼きサーモンだ。
表面を軽くバーナーで炙ったそれは香ばしく、表面に脂が浮きだっている。それをパクっと口に入れると香ばしいサーモンの香りが口内に溢れ、野趣が際立つ。
「――ふまあああああ」
今度は俺が差し出す前に彼女がもうそれを奪っていた。
「う、うまいぞ! しかもこれは――すべて同じ素材ではないか!」
そう、その通りだ。すべて同じ魚だ。それなのに飽きさせない。すべて味わいが違うし、趣も異なる。
「じゃあサーモンはこのぐらいで、次はこれで」
俺はマグロの赤身を取り、次に『漬け』を取った。
「どうぞ、こっちの濃い色をしているほうは何もつけないで食べて下さい」
「ふむ?」
俺は赤身を一貫口に放り込む。サッパリとした味わいにマグロ独特の血の匂い、旨味よりも水っぽい風味のほうを強く感じる。しかし、そのあとに漬けを食えば――。
「うっ……」
ダイヤは漬けを一口食べ、言葉に詰まっていた。
「あっま……うま」
俺も今それを口に入れている。ねっとりとした食感に、旨味、しょうゆに漬け込んだことによる熟成。肉として美味くなっているそれを口に入れ、口内でしょうゆとマグロの旨味を解きほぐしていく。
「……同じものなのか、これも」
「そうですよ、それが『江戸前』の精神ですよ」
「江戸前――?」
「はい、江戸時代――昔の保存状態が良くなかった時代に生み出された技法です。魚介が新鮮なうちにそれを閉じ込め、美味いまま提供する。それはしょうゆに漬け込む『漬け』、ほかにも煮たり、焼いたり、旨味の質を保持したり、増やすことを目的とした技法。それが江戸前寿司、と呼ばれるものです」
俺は先ほどのネギサーモンももう一回取る。
「厳密にはこういうのは江戸前じゃないかもしれませんが、精神的なものは一緒じゃないかと思うんです。この店は外国人が多い。当然味覚も我々日本人とは違う。より美味く、万人に向け提供するために生み出されたメニュー。保存状態がよくなった今でも、これは変わりません。常に、誰かに向けて、美味しく提供したい。それがこの技法の骨子だと思っています」
そう言ってから俺はもう一度それを口に入れた。
次を勧めようとしたが、彼女は俯いて、何か神妙な顔つきになっていた。
『――何か、掴めそう』
そんな心の声が彼女から漏れ聞こえてきそうな……。
「これ、どうぞ」
「え?」
「どうぞ、食べて下さい」
俺は一貫しか乗ってない皿を彼女に渡す。
「これは?」
「食べて見て下さい」
白い、プリっとした断面に、そこから見えるきめ細かいキラキラの脂。そう、これは『高い』やつである証拠だ。
「う、うむ」
そう言って彼女はそれを口に入れる、と――。
「――!?!!!!」
水色の目ん玉をひん剥いてこちらを見た。
「何じゃこの旨味!?」
「それがトロってやつですよ。蕩けそうなほど甘い、でしょう?」
「う、うむ。美味い、しかも、甘い。トロとは、どんな魚なのじゃ?」
「トロは――魚じゃありませんよ。部位、です」
「部、部位?」
「そうです、取れる場所から食べ方、味わい方が変わるんです。トロは脂の多い腹身のことです。そしてこのトロは、前に食べた魚と同じ、サーモンのものですね」
俺が取った皿はトロサーモンだ。蕩ける甘い脂が適度な歯ごたえと共に口内を愉しませる、俺の好きな皿でもある。
「ま、まさかこれが、サーモン……」
彼女は驚きと共に食べかけのそれを見つめている。
「同じ魚、同じ素材でも場所が違えば性質が変わります。ちなみにこれ、魚が同じでも、取れる産地で味が変わることも普通です。ね、面白いでしょう?」
彼女に何か参考になったろうか? 俺が彼女の顔を覗き込むと――。
つう――。
一筋の涙が彼女の瞳から零れ落ちていく。
「あ、あの……」
「我は、愚か者じゃ……」
彼女はぽつりとそう零した。
「何が『万の鋼』じゃ。ただ良い鋼を使こうて使いこなしていた気になっていただけの、二線ものじゃ。本物には程遠かった。……師匠は、正しかったのじゃな」
彼女はテーブルの下で、拳を握りしめていた。
「鋼にも色々ある。取れる産地も違えば、微妙な質も違う。同じミスリルでも生まれた環境で変わることもある。ああ、そんなこと基本中の基本じゃったというのに……。しかも、その加工もまた甘い。加工するのにお互いをすり合わせるための素材にも気を遣わんかった。酢と飯、マグロとしょうゆのようにベストな組み合わせはどこかにある。それを我は……ミスリルと魔鋼を合わせるときにそれを伝えるためには――ああ、恥ずかしい!」
彼女はバン、と己の顔を両手で叩いた。
「帰るぞ、伸介」
「え?」
「受けよう、お主のリフォーム。我のすべてを使って、必ず最良のもの――いやそれ以上を作り上げて見せよう」
彼女はもう、前を向いていた。
◆
家に戻ってからダイヤはまさに不眠不休、三日かけてばあちゃんの屋敷をリフォームした。
見た目はそこまで変わらない、しかし、中身はもう、別物だ。
「では、さらばじゃ」
満足そうな笑みと共に彼女は帰っていった。よほど出来栄えに自信があったのだろう。
まず、掃除が要らない。ある程度の埃は全部自動で取り除いてくれる。そして、本当に再生する。壊しても元通りに戻る。この時点ですげえ。そして、最も大きな変化は――。
ちょこん、と畳に鎮座する、機構人形。黒髪、黒いメイド服のそれはほとんど人と見分けがつかない。
そう、なんと、管理用メイドロボが付いてきたのだ。この屋敷の実質的な管理を任せられる、らしい。容姿は俺のチョイスで黒髪ぱっつんのスレンダーな女性型になっている。
まじかー、メイドついちゃうかー。
見た目はあまり人と変わらないが球体関節など所々これが機械的な代物であることはわかる。内部にあるミスリル電池に魔力を貯めこんでいて、それを動力にして動くらしい。
俺は高鳴る鼓動を押さえながら耳奥にある起動スイッチを押す。
暫く待つと、ゆっくりと彼女は長いまつ毛のある瞼を開ける。
「じヴぃつあひmちcぁhhbhせbmhhb――ブウウウウウウウウン――言語認識・起動準備完了」
メイドは訳の分からない言語を発したかと思ったが、すぐに日本語に切り替わる。
「――」
「は、初めまして?」
メイドは何も言わない。ただ、俺の顔をジッと見つめている。
しかし、動かない。何か、不具合でもあるのだろうか?
「素体探索・核(コア)未取得・起動未完了・休眠(スリープモード)」
ヒュウウンという音共に電源が落ちたPCのようにメイドは無反応になった。あれぇ?
「核未取得ってなんだ?」
取説らしきものなんてないので意味が分からない。兎も角まだ、動かないらしい。これではただの置物である。さて、どうしようか……。
俺はとりあえずメイドの起動を一旦諦めた。さて、掃除の必要が無くなった我が屋敷だが、庭の草むしりや落ち葉掃きは別だ。そちらまで自動でやるか尋ねられたが、その機能は保留にしておいた。なぜなら――。
「ばあちゃんに怒られかねんしな」
庭の一角にじいちゃんと一緒に過ごしていた頃の家庭菜園の跡や、幾つか意味の分からないオブジェのような石がゴロゴロしているのだ。何かを象ったような、よくわからない30cmぐらいの石が幾つか整然と並べられている区画があった。掃除して除けてしまおうかと思ったのだが、なんだかよくわからないものを退けるのも怖いし、これ、恐らくじいちゃんが作った造形物なのは間違いなさそうなのだ。だって、小さくどの石にもじいちゃんの名前の一文字が彫られているのだから。
そんな物を捨てるわけにもいかず、庭の一角で特に誰が通るでもない裏にあるものに手を付けるのも億劫なので放置し続けていたのだが――。
「ううむ、流石に捨てるしかないか?」
この間の季節外れの大嵐で石のオブジェ群が何処かから飛んできた木の枝にぶつかり崩れてしまっていたのだ。これはダイヤの来る前の話でリフォームの力が及んでいない。ゆえに、壊れたままなのだ。
「とりあえず、片そう……」
俺は崩れた石を持ってきたリアカーに次々とぶち込んでいく。すると、石の下から――。
「げ」
その土に埋もれかけている白い物体は、どう見ても骨のように見えた。しかもよく見れば大小、細かいものがそこら中に散らばっている。まさか、ここで殺人……。
「ってこれ、動物の墓かよ!?」
見れば犬だか猫だかの小動物の骨である。どうやらこのオブジェ、それらを象った墓の代わりだったようだ。
「セ、センスねえ……」
崩れかけたオブジェを見返すと、確かに四足獣らしいのは分かるが、明らかにキメラの様なものにしか見えない。これを犬猫だと言い当てられたらそれはそれで凄いことである。
「しかし、そうなると、これどうしよう?」
骨は埋め直したとしても、墓はもうない。代わりを作ってやればいいのかもしれないが、俺はここに埋まっていた奴らのことを何も知らない。弔う気持ちもない。気持ちのない奴に弔われてもあまりこういうことは意味がないのではないか、とも思う。特にばあちゃんもこれに関して何も言ってなかったことから、ばあちゃんがやったというよりじいちゃんの手によるものであると推測される。つまり――。
「片付けちまうか」
それが最も妥当な判断だろう。所有者は俺だし、残しておいても滞在者が発見して気味が悪いと思われても困る。ばあちゃんがこの墓を大事じゃないなら俺が義理立てするほどのこともない。俺はスコップを持ち出し全部の骨をあらかたリアカーに乗せた。
「ふう、やれやれ」
俺は手を洗い、縁台で一息ついて団子を食べながらペットボトルの茶を啜る。
もう冬だが、今日はいつもより暖かかった。午後のポカポカ陽気に当てられ眠くなる。
「休憩~……」
俺は伸びをして寝っ転がり、そのまま意識を失った。
―――
「大江戸寿司」
チェーン店ですが、新宿ではよく行っていたお店です。コロ前までは中国客が列をなしていました。ちょっとばかり職人さんたちの質が良い店だという印象があります。
色んな回転すしチェーンを回りましたが、どれも美味しいのは企業努力だなと感心します。
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小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
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