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第二章 異世界からの侵略者
7人目 フランスパンより硬いエルフ頭 3
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俺たちは歩きながら方南通り沿いまで出てきていた。目の前には消防署、こちらの道路側には小さな公園がある。桜の時期ではないが、春になれば公園の桜の樹は満開になり、かなり見ごたえがある。
「なるほど……中々に物知りなのだな伸介殿は」
「いや、単にあっちこっちふらついてるだけだと思いますよ?」
「時に、伸介殿はご結婚は?」
「いや、未婚ですよ? 特に寄って来る女性もいませんし」
「何と。ならば紹介しようか? 私の友だと言えばきっと婚姻したいと申す者もおるだろう」
「え、でもそれってエルフですよね? いやあ、ハードル高いでしょう異世界婚とか」
「エルフだろうが構うものか! 現に我々は種族を超えて友になれたではないか。エルフと結婚しても問題はなかろう? 私が貴殿にピッタリの女性を見つけて差し上げようではないか!」
「ええ……うーん、まあ、そういうことなら、でも、う~ん」
「何だ、歯切れが悪いな。それとも心に決めた女性でもいるのか?」
「え、ああ……別にそういうわけでもないんですけど。ただエルフならちょっとだけ気になった娘がいたので」
「おお! 何だそのようなものがもういたのか。誰だね?」
「えっと、エリアルさんとか言ってましたね。確か巫女だって」
「……ふむ、聞いたことがないな。恐らくうちの一族ではないな。よし、今度捜しておいてやろう。どんな容姿だ?」
「金髪の――」
俺はカミルにエリアルさんの姿を伝える。
「ふむ、何処となくミリアル殿のような感じだな」
「いえいえ、あんなおてんば……じゃない。もっとおしとやかな感じですねえ」
「ミリアル殿も十分におしとやかだと思うのだが……まあよい、男の約束だ。連絡を取ってみよう」
「ああ、ありがとうございます」
むしろ会ったところで口説くというより前回のことをもう一度謝罪したい気持ちの方が強い。一応儀礼的に彼の熱意に負けた形をとって折れただけだ。
すっかり意気投合した俺たちは談笑しながら、気が付けば目的の地に着いていた。
「ここです」
一階部分が一面ガラス窓のようになっている建物、そのまさにガラス窓の先に、求めるべきパンが陳列している。
俺はガラス窓の横に控えめに存在している扉に手を掛け中に入る。
「ほう、これはまた……趣が異なるな」
先ほどの店は入ってすぐに購入するスペースがありほぼ動線がなかったが、こちらは少し広めの店内で商品を物色できるようになっている。真ん中に人気のパンが積まれ、壁際に総菜パンが陳列されている。
「総菜パンは肉が多くつかわれてたり、海産物、主に海老ですけど――が使われているのであまり趣味に合わないかもしれません。だから買うならシンプルにこの『塩パン』がいいかな。でも、挑戦する気があるなら――」
そう言って俺は横に備え付けられていたトングを手に『大きめ衣のカレーパン』をトレイに乗せた。
「カレーという香辛料をたっぷり使った食べ物を中に詰めてます」
「……この、周りの四角いボツボツは何なのだ?」
「ああ、このカレーパン、カレーを包む生地の部分にパンの耳から作ったクルトンという物をつけてオリーブオイルをつけてからオーブンで焼いているんです。これをつけると油で揚げているわけではなくてもザクザクという食感が加わって、食べるとき楽しいですよ」
おそらく揚げてしまう工程を省き、オーブンだけで作るにはどうするか考えたのだろう。油を使い、もう一つ鍋を用意するのは割と面倒だ。この方法なら大分作りやすいし、かつ揚げたような食感も確保できる。一石二鳥だ。
「……ほう、しかし……」
カミルは少し悩んでいたが、意を決したようにそれをトレイに乗せた。
「あ、無理はしなくても……」
「いや、友が選んだ物だ。無下にはできんさ」
あ、これいい変化だな。
「後はこれですかね。卵たっぷり使った『濃厚すぎるクリームパン』あとはこれは外せないですね。持ち帰りでいいので、食パンを買ってください」
「お持ち帰り……土産ということでいいのか?」
「はい、これは店主が粉の配合を大分苦心した代物ですよ? 僕はこの食パンの食感、大好きですから。それこそ――」
つい先日、エリアルさん胸にかぶりついた感触を思い出す。
もっちり、しっとり――。
「あ、いやきっとミリアルさんも気に入ると思いますから、ぜひお土産にどうぞ」
「そうか! そう言われてしまうと買うしかないな。ハハハ」
そうしていくつかの総菜パンと勧めたそれを購入して――。
「そこで食べましょうか。ここイートイン……つまり店内で食えますから。そこに飲み物も売ってます」
「おおそうなのか、それは有難い」
俺たちは窓際のイートインスペースに並んで座りパンを食べることにした。まず取り出したのは濃厚すぎるクリームパンだ。
このパン、クリーム部分に卵かけごはんで有名になった蘭王という卵を使っている。鮮やかなオレンジ色の黄身をたたえるその卵はもうその見た目だけで味の濃さを想像させる。それを使った自家製カスタードクリームがたっぷりと詰まっている。
「どれ……」
もしゃ……もにゅ、ぶにゅ――。
はみ出したカスタードが口の周りにあふれる。まずカスタードの濃密な甘さが、次に、パン自体の甘みが仄かに感じ取れる。うん、甘い。だが嫌な甘さじゃない。濃すぎるように感じられるのが卵の濃密さであり、けっして砂糖の量ではないからだろう。
ふと隣を見れば、カミル君、惚けている。
「はぁぁぁぁぁ……甘い。甘い、これは恐らく精霊シオフィーネがエルフの青年に恋した初恋の味……」
意味が分からん。まあ美味いと思っているのは分かった。
「はっ! もうない! 食べてしまったのか、もう!」
「……気に入ったのならまだそこに売ってますから買えばいいと思いますよ?」
「う、うむ。……しかし、まだこちらがあるからな」
そう言うと彼は次に重たい面持ちで例のカレーパンを取り出した。
「……ううむ」
「まあ、食べきれなかったら僕が貰いますから、気にせずにいけるところまでで……」
「いや! 男が一度決めたらやり遂げねばならぬ! いただくとする!」
カレーパン相手に無用な男気を見せて彼は一気にかぶりついた。やだ、かっこいい。
勢い良すぎてこちらにまで『カリィッ』とした音が聞こえてきた。そして――。
「――――!!」
彼は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。大丈夫かな? 俺も彼に倣って一口カレーパンを齧る。
ふわ、ザク、カリィ……。
パン部分はカリふわと焼け、クルトン部分はザクっと口の中で弾ける。そしてカレーだ。カレーはよくあるタイプの子供でも食べれる辛すぎず、甘すぎない味付けの、家庭の味がする。それがパンの意外性と合わさり食べ飽きない。ああ、美味いな。
俺はまだ黙っている彼の横にお茶を置き、反応を待つと――。
「私は、愚かだ……」
大の大人が大粒の涙を流していた。
「あ、あの~……」
「私は食べる前にはまだ義務感に囚われていたのだ。友情の為、親睦の為、恐らく口に合わない物でも食べることで少しでも友人の上に立とうなどと……ああ、なんと浅ましい!」
彼は向き直り俺の手をしっかりと握りしめてくる。
「美味いものを――ただ紹介してくれただけなのに、私は、ちょっとでもそれを……ああ、すまない!」
ああ、なるほど。若干まだエルフの貴族としてのプライドが勝っていたのか。
「食べて確信した。この世界の食べ物は神が創りたもうたものだと! 疑い、自分の自尊心を満足させたいがために食べるものではないのだと! ああ……恥ずかしい」
まさかカレーパンでそこまで改心するとは思っていなかったが、でもそんなものかもしれない。何でも初めての衝撃は人生観を変えるのだ。それがソウルフードであり、誰の心の中にも必要なものだと俺は思う。
「もういいですよ。頭を上げて下さい」
「いや、しかし……」
「美味いものを食べている時に、泣いてたら駄目です。食べて、笑顔になるのが一番の幸せだと思いますから」
さあ――と俺は塩パンを彼の手に渡す。
「食べましょう。腹がまだ、空いているうちに」
「ああ! 心の友よ!」
俺たちは塩パンで乾杯した。
それはしょっぱい男の涙を、優しく包み込むような味がした。
◆
「ああこの店も美味かったな。見た感じとても繁盛しているようだ。こちらは流石に店が傾いたりはしたことはないのだろう?」
綺麗な店内を彼は見渡す。オープンは2年前ぐらいだろうか。綺麗な店内、順調そうに見える売り上げ、しかし……。
「一回閉店してますね」
「はあ!?」
信じられない言葉だったらしく、彼は思わず声を上げた。
「どうしてこの店が!? いや、嘘だとは言う気はないが……信じられん」
「ああ、パン屋としては閉店してないんですよ。実は前は雑貨店だったんです。パンとか影も形もなく」
「ほう?」
「何十年も新宿で営業してた由緒ある雑貨屋だったらしいですが、それがこっち移転したんですよ。それが、まあ売れなくて」
場所柄、品ぞろえ、時節、いろんなものが要因としてあるだろう。日がな一日ガラス越しに店主の爺さんが暇そうにしているのを俺は見ていた。
「それがまあ、パン屋にリニューアルしたら、売れたんですよねえ」
嬉しそうに前の店主の老夫婦がその様子をご近所に語っているのを見たとき、俺も自然と嬉しくなった。
「再生(リメイク)って言うんですけど。そうやってまた別のものとして生まれ変わることも悪いことじゃないって思いますよ? 最初のパン屋のように自分を変えることも、新しいことに切り替えて生まれ変わることも」
「……ああ、そうかもしれない」
カミルは項垂れていた頭を上げた。
「私の考えは間違っていたのかもしれない。そう、たとえ傷を負ったとしても、再生できるのだな」
そうだ。婚約者のことも、その関係も壊れたとしても何とかなるかもしれない。人生生きていれば道は何処かにあるものだ。
「純潔にこだわり過ぎていた自分の不明も恥じよう。彼女はそれをもう受け入れているのだ。私がそれを覆そうというならすべてを捨て去り、新たな気持ちで臨まねば」
おお! 成長したじゃん!
育てゲーが上手くいった感覚に陥り俺は嬉しくなる。いや、成長した彼が偉いんだけどさ。
「それがいいですよ。じゃあ、求婚し直しますか?」
「あ、いやあ……しかし一つ問題がなくもない」
「何か?」
「いや、処女じゃないことだ」
思わず脳内でズッコケた。おい、処女厨卒業したんじゃないのかよ?
「えーと、処女じゃないと何か問題でも?」
「ああいや、別に私は気にしないのだが……まずユニコーンの儀式を受けれない。誰かと密通していたことが結婚前に分かると大問題だ」
俺はエルフの結婚について彼から詳細を聞いた。
「あー……そりゃあかんな」
処女厨幻想生物代表ユニコーンさんの前に立つとかそりゃあ大問題になるよな。
「なるほど……じゃあそれ止めてしまえばいいのでは?」
「え?」
「だって儀礼的なものでしょう? 無礼だし、未婚の女性に対して失礼だって言い張って廃止すればいいじゃないですか」
(え? 止めていいの? やっべー思いつかなかったわ)
だからカミル君、喋る前に顔に出さないで。そろそろ笑うから。
「貴方の婚約者のことでしょう? 全くもってけしからんとか、妻となる女性を侮辱するのか、とか理由付けて辞めりゃいいんですよ。長男でご結婚てことはもう長継ぐ一歩手前何でしょう? 変えちゃいましょうよ、前例」
「……そう、そうだな。確かにそうだ! うむ、私はこの腐ったエルフの封建社会をぶっ壊そう! そうだ、革命だ!」
いや、そこまで求めていないよ? ちょっとカミル君、思い込みが強くて暴走しやすいみたいだ。
「いやあ、そこまでしなくても……」
「いや! あの頭の固い父君の首を一刻も早く挿げ替えねばならぬ! よおし、帰ったら忙しくなるな、ハハハ!」
エルフ男児三日会わざれば革命闘士ですか、いやあ怖い。
「まあ、それよりもですね。まずは、乙女心では?」
「むむ! 確かに、うむ、そうだな。仕組みを変えてもミリアル殿の心を変えねば何も始まらないな……」
「とりあえ、贈り物とか、手紙から始めますか? そこでまあ、こいつの出番ということで」
俺は先ほど購入した『食パン』を彼に手渡した。
―――
NTR展開はないっす。念のため。
「なるほど……中々に物知りなのだな伸介殿は」
「いや、単にあっちこっちふらついてるだけだと思いますよ?」
「時に、伸介殿はご結婚は?」
「いや、未婚ですよ? 特に寄って来る女性もいませんし」
「何と。ならば紹介しようか? 私の友だと言えばきっと婚姻したいと申す者もおるだろう」
「え、でもそれってエルフですよね? いやあ、ハードル高いでしょう異世界婚とか」
「エルフだろうが構うものか! 現に我々は種族を超えて友になれたではないか。エルフと結婚しても問題はなかろう? 私が貴殿にピッタリの女性を見つけて差し上げようではないか!」
「ええ……うーん、まあ、そういうことなら、でも、う~ん」
「何だ、歯切れが悪いな。それとも心に決めた女性でもいるのか?」
「え、ああ……別にそういうわけでもないんですけど。ただエルフならちょっとだけ気になった娘がいたので」
「おお! 何だそのようなものがもういたのか。誰だね?」
「えっと、エリアルさんとか言ってましたね。確か巫女だって」
「……ふむ、聞いたことがないな。恐らくうちの一族ではないな。よし、今度捜しておいてやろう。どんな容姿だ?」
「金髪の――」
俺はカミルにエリアルさんの姿を伝える。
「ふむ、何処となくミリアル殿のような感じだな」
「いえいえ、あんなおてんば……じゃない。もっとおしとやかな感じですねえ」
「ミリアル殿も十分におしとやかだと思うのだが……まあよい、男の約束だ。連絡を取ってみよう」
「ああ、ありがとうございます」
むしろ会ったところで口説くというより前回のことをもう一度謝罪したい気持ちの方が強い。一応儀礼的に彼の熱意に負けた形をとって折れただけだ。
すっかり意気投合した俺たちは談笑しながら、気が付けば目的の地に着いていた。
「ここです」
一階部分が一面ガラス窓のようになっている建物、そのまさにガラス窓の先に、求めるべきパンが陳列している。
俺はガラス窓の横に控えめに存在している扉に手を掛け中に入る。
「ほう、これはまた……趣が異なるな」
先ほどの店は入ってすぐに購入するスペースがありほぼ動線がなかったが、こちらは少し広めの店内で商品を物色できるようになっている。真ん中に人気のパンが積まれ、壁際に総菜パンが陳列されている。
「総菜パンは肉が多くつかわれてたり、海産物、主に海老ですけど――が使われているのであまり趣味に合わないかもしれません。だから買うならシンプルにこの『塩パン』がいいかな。でも、挑戦する気があるなら――」
そう言って俺は横に備え付けられていたトングを手に『大きめ衣のカレーパン』をトレイに乗せた。
「カレーという香辛料をたっぷり使った食べ物を中に詰めてます」
「……この、周りの四角いボツボツは何なのだ?」
「ああ、このカレーパン、カレーを包む生地の部分にパンの耳から作ったクルトンという物をつけてオリーブオイルをつけてからオーブンで焼いているんです。これをつけると油で揚げているわけではなくてもザクザクという食感が加わって、食べるとき楽しいですよ」
おそらく揚げてしまう工程を省き、オーブンだけで作るにはどうするか考えたのだろう。油を使い、もう一つ鍋を用意するのは割と面倒だ。この方法なら大分作りやすいし、かつ揚げたような食感も確保できる。一石二鳥だ。
「……ほう、しかし……」
カミルは少し悩んでいたが、意を決したようにそれをトレイに乗せた。
「あ、無理はしなくても……」
「いや、友が選んだ物だ。無下にはできんさ」
あ、これいい変化だな。
「後はこれですかね。卵たっぷり使った『濃厚すぎるクリームパン』あとはこれは外せないですね。持ち帰りでいいので、食パンを買ってください」
「お持ち帰り……土産ということでいいのか?」
「はい、これは店主が粉の配合を大分苦心した代物ですよ? 僕はこの食パンの食感、大好きですから。それこそ――」
つい先日、エリアルさん胸にかぶりついた感触を思い出す。
もっちり、しっとり――。
「あ、いやきっとミリアルさんも気に入ると思いますから、ぜひお土産にどうぞ」
「そうか! そう言われてしまうと買うしかないな。ハハハ」
そうしていくつかの総菜パンと勧めたそれを購入して――。
「そこで食べましょうか。ここイートイン……つまり店内で食えますから。そこに飲み物も売ってます」
「おおそうなのか、それは有難い」
俺たちは窓際のイートインスペースに並んで座りパンを食べることにした。まず取り出したのは濃厚すぎるクリームパンだ。
このパン、クリーム部分に卵かけごはんで有名になった蘭王という卵を使っている。鮮やかなオレンジ色の黄身をたたえるその卵はもうその見た目だけで味の濃さを想像させる。それを使った自家製カスタードクリームがたっぷりと詰まっている。
「どれ……」
もしゃ……もにゅ、ぶにゅ――。
はみ出したカスタードが口の周りにあふれる。まずカスタードの濃密な甘さが、次に、パン自体の甘みが仄かに感じ取れる。うん、甘い。だが嫌な甘さじゃない。濃すぎるように感じられるのが卵の濃密さであり、けっして砂糖の量ではないからだろう。
ふと隣を見れば、カミル君、惚けている。
「はぁぁぁぁぁ……甘い。甘い、これは恐らく精霊シオフィーネがエルフの青年に恋した初恋の味……」
意味が分からん。まあ美味いと思っているのは分かった。
「はっ! もうない! 食べてしまったのか、もう!」
「……気に入ったのならまだそこに売ってますから買えばいいと思いますよ?」
「う、うむ。……しかし、まだこちらがあるからな」
そう言うと彼は次に重たい面持ちで例のカレーパンを取り出した。
「……ううむ」
「まあ、食べきれなかったら僕が貰いますから、気にせずにいけるところまでで……」
「いや! 男が一度決めたらやり遂げねばならぬ! いただくとする!」
カレーパン相手に無用な男気を見せて彼は一気にかぶりついた。やだ、かっこいい。
勢い良すぎてこちらにまで『カリィッ』とした音が聞こえてきた。そして――。
「――――!!」
彼は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。大丈夫かな? 俺も彼に倣って一口カレーパンを齧る。
ふわ、ザク、カリィ……。
パン部分はカリふわと焼け、クルトン部分はザクっと口の中で弾ける。そしてカレーだ。カレーはよくあるタイプの子供でも食べれる辛すぎず、甘すぎない味付けの、家庭の味がする。それがパンの意外性と合わさり食べ飽きない。ああ、美味いな。
俺はまだ黙っている彼の横にお茶を置き、反応を待つと――。
「私は、愚かだ……」
大の大人が大粒の涙を流していた。
「あ、あの~……」
「私は食べる前にはまだ義務感に囚われていたのだ。友情の為、親睦の為、恐らく口に合わない物でも食べることで少しでも友人の上に立とうなどと……ああ、なんと浅ましい!」
彼は向き直り俺の手をしっかりと握りしめてくる。
「美味いものを――ただ紹介してくれただけなのに、私は、ちょっとでもそれを……ああ、すまない!」
ああ、なるほど。若干まだエルフの貴族としてのプライドが勝っていたのか。
「食べて確信した。この世界の食べ物は神が創りたもうたものだと! 疑い、自分の自尊心を満足させたいがために食べるものではないのだと! ああ……恥ずかしい」
まさかカレーパンでそこまで改心するとは思っていなかったが、でもそんなものかもしれない。何でも初めての衝撃は人生観を変えるのだ。それがソウルフードであり、誰の心の中にも必要なものだと俺は思う。
「もういいですよ。頭を上げて下さい」
「いや、しかし……」
「美味いものを食べている時に、泣いてたら駄目です。食べて、笑顔になるのが一番の幸せだと思いますから」
さあ――と俺は塩パンを彼の手に渡す。
「食べましょう。腹がまだ、空いているうちに」
「ああ! 心の友よ!」
俺たちは塩パンで乾杯した。
それはしょっぱい男の涙を、優しく包み込むような味がした。
◆
「ああこの店も美味かったな。見た感じとても繁盛しているようだ。こちらは流石に店が傾いたりはしたことはないのだろう?」
綺麗な店内を彼は見渡す。オープンは2年前ぐらいだろうか。綺麗な店内、順調そうに見える売り上げ、しかし……。
「一回閉店してますね」
「はあ!?」
信じられない言葉だったらしく、彼は思わず声を上げた。
「どうしてこの店が!? いや、嘘だとは言う気はないが……信じられん」
「ああ、パン屋としては閉店してないんですよ。実は前は雑貨店だったんです。パンとか影も形もなく」
「ほう?」
「何十年も新宿で営業してた由緒ある雑貨屋だったらしいですが、それがこっち移転したんですよ。それが、まあ売れなくて」
場所柄、品ぞろえ、時節、いろんなものが要因としてあるだろう。日がな一日ガラス越しに店主の爺さんが暇そうにしているのを俺は見ていた。
「それがまあ、パン屋にリニューアルしたら、売れたんですよねえ」
嬉しそうに前の店主の老夫婦がその様子をご近所に語っているのを見たとき、俺も自然と嬉しくなった。
「再生(リメイク)って言うんですけど。そうやってまた別のものとして生まれ変わることも悪いことじゃないって思いますよ? 最初のパン屋のように自分を変えることも、新しいことに切り替えて生まれ変わることも」
「……ああ、そうかもしれない」
カミルは項垂れていた頭を上げた。
「私の考えは間違っていたのかもしれない。そう、たとえ傷を負ったとしても、再生できるのだな」
そうだ。婚約者のことも、その関係も壊れたとしても何とかなるかもしれない。人生生きていれば道は何処かにあるものだ。
「純潔にこだわり過ぎていた自分の不明も恥じよう。彼女はそれをもう受け入れているのだ。私がそれを覆そうというならすべてを捨て去り、新たな気持ちで臨まねば」
おお! 成長したじゃん!
育てゲーが上手くいった感覚に陥り俺は嬉しくなる。いや、成長した彼が偉いんだけどさ。
「それがいいですよ。じゃあ、求婚し直しますか?」
「あ、いやあ……しかし一つ問題がなくもない」
「何か?」
「いや、処女じゃないことだ」
思わず脳内でズッコケた。おい、処女厨卒業したんじゃないのかよ?
「えーと、処女じゃないと何か問題でも?」
「ああいや、別に私は気にしないのだが……まずユニコーンの儀式を受けれない。誰かと密通していたことが結婚前に分かると大問題だ」
俺はエルフの結婚について彼から詳細を聞いた。
「あー……そりゃあかんな」
処女厨幻想生物代表ユニコーンさんの前に立つとかそりゃあ大問題になるよな。
「なるほど……じゃあそれ止めてしまえばいいのでは?」
「え?」
「だって儀礼的なものでしょう? 無礼だし、未婚の女性に対して失礼だって言い張って廃止すればいいじゃないですか」
(え? 止めていいの? やっべー思いつかなかったわ)
だからカミル君、喋る前に顔に出さないで。そろそろ笑うから。
「貴方の婚約者のことでしょう? 全くもってけしからんとか、妻となる女性を侮辱するのか、とか理由付けて辞めりゃいいんですよ。長男でご結婚てことはもう長継ぐ一歩手前何でしょう? 変えちゃいましょうよ、前例」
「……そう、そうだな。確かにそうだ! うむ、私はこの腐ったエルフの封建社会をぶっ壊そう! そうだ、革命だ!」
いや、そこまで求めていないよ? ちょっとカミル君、思い込みが強くて暴走しやすいみたいだ。
「いやあ、そこまでしなくても……」
「いや! あの頭の固い父君の首を一刻も早く挿げ替えねばならぬ! よおし、帰ったら忙しくなるな、ハハハ!」
エルフ男児三日会わざれば革命闘士ですか、いやあ怖い。
「まあ、それよりもですね。まずは、乙女心では?」
「むむ! 確かに、うむ、そうだな。仕組みを変えてもミリアル殿の心を変えねば何も始まらないな……」
「とりあえ、贈り物とか、手紙から始めますか? そこでまあ、こいつの出番ということで」
俺は先ほど購入した『食パン』を彼に手渡した。
―――
NTR展開はないっす。念のため。
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