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第一章 開業 異世界民泊
3組目 ハーフリングの七兄弟 2
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電話の主はドリスコルだ。俺のスマホは奴とホットラインが繋がる魔術の――みたいな構造ではない。単にあいつもこっちの世界でスマホを使っているだけである。出先でアメが倒れドリスコルに緊急の知らせが入り迎えに行ったあと、今どうやら屋敷に寝かせているらしい。
俺とラムネは急いで幡ヶ谷へと戻った。
「あの……ごめん、なさい」
「気にしないで寝ててくれ。チビ達の世話は俺がしておくから」
おそらくばあちゃん夫婦の寝室だったろう六畳ぐらいの個室にラムネは布団が敷かれ寝かせてあった。俺はポカリやらゼリーやらを買い込み、彼女の枕元に並べておいた。
「食べれるものを食べてくれ。食えないなら食えないでもいい」
「――ごほっ……すみ、ません」
「良いって、謝んなくても、旅にトラブルは付きものだろう?」
本来はすぐに彼女だけでも帰還させようかと思ったのだが体力のないまま転移門を通すのは危険が伴うらしい。それにまだ修学旅行の日程も残っている。だからこうして彼女はここで休ませることになった。
「でも……私がいないとあの子達は……」
熱にうなされながらも彼女は責任感からかそう口にする。
「……ま、病人が気にすることじゃない。ゆっくり寝てな」
「でも――」
「大丈夫だって、ガキ共は俺の知り合いがちゃんと案内してっから」
「そう――なのですか?」
「ああ、多分な。ドリスコルも『気づかなくて申し訳ない』って言ってガキ共にお菓子差し入れてたぞ? 大喜びだったわ。だから、安心して――」
その言葉の途中で彼女は申し訳なさそうに瞳を閉じ――そのまま気絶するように寝入った。きっと緊張の糸が切れたのだろう。俺はそっと部屋を出て灯りを消した。
※※※※
「――あ」
目覚めるとあたりは暗い。どうやら寝てしまった――らしい。
のどが渇く。水を――と思い手を伸ばすと。
「ほら、飲めよ」
「え――」
目の前に異世界の透明な水筒を突き付ける、見知った顔があった。
「ラム――ネ?」
「ほら、飲めって」
「う、うん――」
そう言われ透明な水筒を受け取るが、開け方がよくわからない。まごついていると――。
「ほらよ、飲めよ」
ラムネが優しく蓋を廻して開けてくれる。
「あ、ありがとう――」
「ああ、それとな、チビ達はもう飯食って寝てっから、安心しろ」
「え?」
「全部俺がやっておいた。チビ達を公園に案内して遊ばせて、飯も用意して食わせた。――どうよ?」
「え、うん、ありがとう……」
正直驚いたラムネがお兄ちゃんみたいなことをしてくれるなんていつ以来だろう? と。
きっとラムネは私が出来なかったことを誇って来るだろう。だから私は素直にそれを感謝して――と思っていた。しかし、ラムネは俯き、頭を掻き出して……。
「……アメ、おめえすげえよ」
「――」
私を、褒めた。
「……正直言って、全然上手くできなかった。チビ共は勝手に動くし、一回も言うとおりになんてしてくれねえ」
ラムネは、涙ぐんでいた。
「でも……さ」
ほら、と言って襖を開けると隣の部屋で皆が雑魚寝していた。
「飯はちゃんと食ってくれたよ。そんで、みんなアメが心配だから近くで寝てえって」
皆幸せそうな寝顔で寝息を立てている。傍には何か箱のような物が握られているような……。
「ああ、それピザっていう食いもんだよ。それが箱に入ってて、持ち帰れるからそれをこいつらに食わせたんだ。皆、それだけはすげー喜んで食ってくれた」
――何の役にも立たなかったのに、これだけはさ。
そう言ってから大粒の涙がラムネの瞳から零れ落ちた。
「……ごめん」
「ラムネ……いいよ、別に」
「ちげえよ……おまえの分、残ってねえってこと。ピザすげー美味かったから、ガキ共全部食っちまったし」
「……ふふ、どうせ、食べられないよ?」
「でもよ! すげー美味かったんだよ! 食ったらきっと元気になるかもしれねえって!」
ラムネが私のことを心配してくれている、それだけで十分、幸せだった。
「お、おい! 大丈夫か? どっか苦しいのか?」
胸を押さえて俯いてしまった私にラムネはずっと声を掛け続ける。私は暫く、顔が上げられなかった。だって、見せられるような顔も、出せる声も、何もなかったのだ。
「お、起きたか」
「お、おっさん! 何の用だよ?」
「ふふふ、話は聞かせて貰った」
「はあ? お前趣味悪いぞ、人の話盗み聞きとか……」
「うるせえな。てか、単に用事だ。おい、お前のせいだろが」
「すいません~」
俺の後ろからシルクハットのエルフがもみ手で現れる。
「ドリスコルです。いやあ今回のことは申し訳ございません。私の管理が行き届いておりませんで……」
「え? いや私が単に倒れただけで……」
「いえいえ、今回は私のミスです。検疫のミス、とでも申しましょうか」
「検疫?」
ラムネの頭にはてなマークが浮かぶ。
「異世界の物に触れるわけですから突然何かの病原菌や細菌……まあ悪しき呪いだと思ってください、そういうものに遭うかもしれないじゃないですか。ですからそういうのを忌避するお守りをお渡ししているんです。ですが――アメさんだけその、不具合で効き目の弱い物をお渡ししたみたいでして……」
そう言ってからドリスコルは土下座した。
「ですので私のミスです。それで、補填と言いますか、すぐに、治させて頂きます」
「何だ、それならとっととやっとけよ」
「いえ、伸介様。こちらも色々原因の特定作業ってもんがですね。そもそも異世界(むこう)と地球(こちら)では色々勝手が違うんですから治すときも……」
「うんちくは良い。とっととやれよ……ってわけで」
「はいはい。というわけでですね。失礼します」
ドリスコルは何処から取り出したのか黄色い電気ネズミのぬいぐるみを取り出し――。
ピカー。
何かピカピカそれは光だし、次第にその力を弱めたのか光は消えていく。
「はい。これをお持ちください。即席のお守りで、浄化作用があります」
「は、はい……」
おずおずとそれを受け取るアメちゃんだったが、受け取って暫くするとその全身が先ほどのぬいぐるみのように光り始めた。ついでに――。
「お、おい! 見てんじゃねえよおっさん共!」
「あうちっ」「あべしっ」
俺たちロリコン同盟はラムネに思い切りひっぱたかれ、手で目隠しをされる。
強すぎる光がアメちゃんの全身のフォルムを露わにし、透け透けで色々透過して見えてたからだ。
光が収まると――。
「……あ」
「アメ、大丈夫か?」
「うん……何とも、ない。もう、大丈夫」
気だるそうな様子は微塵もない。彼女は笑顔でラムネにそう答えた。
「それはよかった。そのぬいぐるみはお持ちください。あ、無くされても勝手に戻ってくるように設定されておりますので無くされても大丈夫です」
何その呪いの人形怖い。
「治ってよかったな。これで観光も続けられるし。ラムネもチビ共をまた押し付けられて楽出来るな」
「ばっ……! んなことしねーよ! 明日も俺がチビ共ちゃんと連れてけるし! アメはまだ寝ててもいいぞ?」
「こら、アメちゃんがまだまともにこっちの観光出来てねえってのに寝てろとかお前結構残酷だな」
「ち、ちげえよ! 俺は単にアメが心配で……それに俺だってそんぐらいできらあ!」
俺は先ほど盗み聞きしていた時にスマホで録音していたラムネの弱音を親切にも再生してあげる。
「て、てめえ! ふざけんな、それ寄こせ!」
「ふはは、盗賊見習い如きに後れを取る私ではないわ。あばよ、とっつぁ~ん」
「ふ、ふふ……」
俺たちのじゃれ合いのような不思議な踊りを見たからか、彼女は笑い出した。そして――。
きゅう。
「……あ」
なんとも可愛らしい腹の音を彼女は鳴らした。
「――飯、食べるよね?」
「あ、は――はい」
顔を真っ赤にして俯いて答える彼女の姿はとてもいじらしく、食べちゃいたいくらい可愛かった。
「変態め、手出ししたらぶっ殺すぞ?」
口には出さないがそんな言葉を軽蔑の視線に乗せてラムネが俺が見つめている。安心しろ、俺は都条例は守る男だ。
「つってもピザはもうねえし……買ってくるよ、俺が」
そうラムネが言うが、俺は手を掲げ一つの提案をした。
「まあ待てよ。往復の時間もかかる。ここはまあ一つ大人らしく、皆に俺が奢ってやるから店に行こう」
「おお、良いですねえ、ピザ、私も好きです」
ドリスコルはニコニコ笑顔で同意する。
お前に奢るとは一言も言ってないぞ?
「でも……この子達寝てるとはいえ放っては……」
「そうだな。ごもっともなご意見だ。だから……」
俺は笑顔のドリスコルの肩にポン、と手を置いた。
「じゃあ、見ててくれ。頼むぞ?」
「え?」
ドリスコルの笑みが一瞬で消え、能面のような顔になった。
「お前の責任でこうなったんだろうが。ついでに留守番頼むわ」
「――あの、私もそのまだ晩御飯」
「ほら、セブンの鳥五目。美味いぞ?」
俺は来るときに買っておいたコンビニ袋からおにぎりを取り出し奴の手に渡す。
「さ、行こうぜ。店が閉まる前に」
家を出るときに何処かから怨嗟の声が漏れていた気がするが、俺の知ったことではない。責任を取るのがいい大人の証拠である。俺よりも数倍長く生きているんだしな!
◆
「って、昼に食ったあの店じゃねえの?」
ラムネは店の前について早々そう言った。
方向は同じだったからつい同じ場所に食いに行くのだと勘違いしたのだろう。ここは昼に来たピザの店とは違い、川から更に駅前に移動した先、方南通りの坂の中腹にあった。
「……何と書いてあるのですか?」
アメちゃんは店の看板を見てその名前を俺に訊ねる。
「ワインてそっちにもある?」
「ええ、あります。葡萄から作られる飲み物、ですよね?」
「そう、そんな感じの名前。ワイン工房、みたいな感じ?」
特に店の名の由来は知らないし調べたこともない。前は『らくだ』みたいな名前だったのを改名したような記憶もある。その辺曖昧だ、何しろ最近まで俺もこの店から足が遠のいていたのだ。値段の割にお得感が昼に来た店より少ない、そう感じることもあったのだが最近再訪した際に食べた新メニューが俺の心を掴んだのだ。
「つっても食うものは変わらんよ、ピザだ」
そう、ピザを食おう。そもそも彼女だけが食べていないのだ。不公平も甚だしい。異世界の土産話に仲間外れはあってはならない。
「そう思わんかね、ラムネ君?」
「なんの話だよ?」
しまった、心の声だった。
俺は頭を掻きつつ焦げ茶色のシックな店の戸を開ける。中は中で扉と同じような基調の色で統一されている。木の色を大事にして落ち着いた大人の雰囲気が漂っている。
「いらっしゃいませ。どうぞ、好きな所に」
中に入ると眼鏡の少し頭の薄い店員にそう言われる。恐らくこの人が店長だと思っているのだが確証はない。数年前から店ではよく見かけているし、ほぼ間違いないとは思うのだが。
「サラダと、ピザの注文を、と」
俺たちは中央の丸テーブルに座り、目当ての品とサイドメニューを頼む。
「……楽しみです」
オレンジ色の照明が俺たちを優しく照らしている。そう、まるで俺たちの将来を――。
「――味がねえぞ?」
うるせえな、人が浸っている時に。
一足お先に運ばれたサラダを更に盛ったラムネが怪訝そうな顔で俺に訊ねた。
「喰い方が違げえよ。ほら、その入れ物に入ってるの掛けるんだよ」
そう言っておれは透明なプラスチックの容器に入っている茶色いソースをサラダに掛けてやる。
「お、うめえな!」
「美味いだろ? そのサラダのドレッシング」
この店の名物の一つ、それがこのサラダドレッシングだ。玉ねぎベースの茶色いそれは適度にしょっぱく、ほのかに甘く、酸味が後を引く。まさに三位一体の出来栄えである。何につけても美味い。確か持ち帰りもあったはずだ。
「お土産にするといい。早めに使えばそれなりに持つし」
そう言って俺もそれをサラダを取り分け振りかける。
しゃくり。
――うん、サラダに塩気と玉ねぎの甘みが乗りサラダをするっと喉の奥へと運んでいく。これだけで腹を膨らませかねないのでそこそこで自重する。運ばれてくる料理に対しての最高の前菜になっていることは間違いない。ラムネもアメちゃんも頬を綻ばせサラダを平らげている。
「――なあ、色々ピザメニューあったけど何頼んだんだ? アメの好みとかなんもわかってねえだろ?」
「心配すんなよ。これが不味かったら俺が責任をもって彼女を嫁に貰うから」
「なんの責任だよ! ったく……この変態異世界人が……」
「お待たせしました」
「お、来たか――」
仄かな潮の香――ああ、もう腹減ってしょうがない。着た瞬間からそれは俺の胃を絶妙に刺激した。そう、これを食ったから俺はまたここに通い始めたのだ。
「サーモンとアボカドのピザです。どうぞ」
薄目のピザ生地の上にはサーモン、玉ねぎ、香草、アボカド、チーズがびっしりと並べられている。サーモンは八等分にカットされているピースの一つ一つに鎮座し存在感を放っている。
「ほら、食えよ」
「お、おう……」
「はい、いただきます」
二人はおずおずと香気を放つそれに手を伸ばす。
俺も右手でそれを一ピース持ち上げてくるっと丸めて口に放り込む。
「むふぅ――」
思わず目じりが下がる。見れば他の二人も同様に大黒様のように目じりと頬が垂れ下がっている。
「美味しい――です」
「うめえ……」
サーモンがこのピザの肝だ。蕩けるアボカドとチーズ、そのクリーミーさにさらに拍車を掛ける存在、それが上に乗ったサーモンなのだ。なにしろこのサーモン『半生』だ。
生地と一緒に焼いてる訳じゃなくて、多分別に乗せて炙ってんだろう。だから半生のサーモンの切り身が香ばしく、半生のとろける身とアボカドが相乗効果で口の中で混じり合っていく。それはもう――蕩ける以外の表現が思い浮かばない。
最早二人とも心ここに非ずといった感じで次のピースに取り掛かろうと手を伸ばす。しかし俺は二人を手を挙げて制する。
「まあ待て、美味かったのなら――一味加えても大丈夫だろう? 酸っぱいの、平気か?」
「え、ええ……」
「おう、大丈夫だぞ?」
その言葉を待っていた。俺はピザの横に添えられたレモンを一絞り――ピザの残りに掛けまわす。
「いただきま~す」
辛抱たまらず俺はそのまま一ピース口に入れる。
「――んん……っ」
声にならない声が漏れる。クリーミーさの中に爽やかな酸味が挟まれそれがさらに半生のサーモンの味を引き立てる。より鮮烈に具の味が舌の上に広がっていく。
「うはぁ――」
「ふにゅう――」
二人からも同時にため息が零れる。
「ぜってえ……かけた方がうめえ……」
「そう……思います」
「だろ? でも最初からだと味の違いが分からんからな。レモン苦手ってやつもいるし。でも、この組み合わせは最強だろう?」
二人とも仲良く首を縦に振る。
「美味いな、アメ」
「そうだね、ラムネ」
二人とも本当に幸せそうに、ピースを頬張る。二人とも双子とはいえ全然別の性質を持った別の人物だ。このアボカドにしろサーモンにしろ、山のものと川のもの、全然別のものを合わせてこの旨味を作り上げている。きっと今まではお互い別の場所を見ていたから一緒に何もできなかっただけだ。これからはもっと――兄妹らしい関係が築ければいいと思う。俺は――そこに添えられるレモンでいい。
「いやあ、本当に美味いですねえ」
「うんうん、だろう……って」
俺の隣の席に座っているシルクハットのエルフ。なぜ、此処にいる!?
「てめっ……何でここにいるんだ? てか頼まれた留守番放置してんじゃねえよ!」
「心外ですねえ。放置などしておりません。私の分体を魔法で作って置いてきましたから大丈夫ですよ。まあ問題があるとしたらどちらが食いに行くかで揉めたぐらいです」
「って俺のピース食い切りやがって……」
「私が奢りますよ。すいませんもう一枚お願いしま~す。あ、ところでおめでとうございます。これは私からのお祝い替わりということで」
「え?」
ドリスコルは意味ありげな笑顔をアメちゃんに向ける。
「あ――はい、ありがとう、ございます」
何だ一体?
「んだよ。何の話だ?」
「いえ、異世界(こちら)の話ですので」
ドリスコルはその嘘くさい笑顔を崩さず俺に答えた。
――まあいいや、いつものことだ。気にするだけあれだな。俺は例のドレッシングをパンズに付けて口に運び気にしないことにした。
俺とラムネは急いで幡ヶ谷へと戻った。
「あの……ごめん、なさい」
「気にしないで寝ててくれ。チビ達の世話は俺がしておくから」
おそらくばあちゃん夫婦の寝室だったろう六畳ぐらいの個室にラムネは布団が敷かれ寝かせてあった。俺はポカリやらゼリーやらを買い込み、彼女の枕元に並べておいた。
「食べれるものを食べてくれ。食えないなら食えないでもいい」
「――ごほっ……すみ、ません」
「良いって、謝んなくても、旅にトラブルは付きものだろう?」
本来はすぐに彼女だけでも帰還させようかと思ったのだが体力のないまま転移門を通すのは危険が伴うらしい。それにまだ修学旅行の日程も残っている。だからこうして彼女はここで休ませることになった。
「でも……私がいないとあの子達は……」
熱にうなされながらも彼女は責任感からかそう口にする。
「……ま、病人が気にすることじゃない。ゆっくり寝てな」
「でも――」
「大丈夫だって、ガキ共は俺の知り合いがちゃんと案内してっから」
「そう――なのですか?」
「ああ、多分な。ドリスコルも『気づかなくて申し訳ない』って言ってガキ共にお菓子差し入れてたぞ? 大喜びだったわ。だから、安心して――」
その言葉の途中で彼女は申し訳なさそうに瞳を閉じ――そのまま気絶するように寝入った。きっと緊張の糸が切れたのだろう。俺はそっと部屋を出て灯りを消した。
※※※※
「――あ」
目覚めるとあたりは暗い。どうやら寝てしまった――らしい。
のどが渇く。水を――と思い手を伸ばすと。
「ほら、飲めよ」
「え――」
目の前に異世界の透明な水筒を突き付ける、見知った顔があった。
「ラム――ネ?」
「ほら、飲めって」
「う、うん――」
そう言われ透明な水筒を受け取るが、開け方がよくわからない。まごついていると――。
「ほらよ、飲めよ」
ラムネが優しく蓋を廻して開けてくれる。
「あ、ありがとう――」
「ああ、それとな、チビ達はもう飯食って寝てっから、安心しろ」
「え?」
「全部俺がやっておいた。チビ達を公園に案内して遊ばせて、飯も用意して食わせた。――どうよ?」
「え、うん、ありがとう……」
正直驚いたラムネがお兄ちゃんみたいなことをしてくれるなんていつ以来だろう? と。
きっとラムネは私が出来なかったことを誇って来るだろう。だから私は素直にそれを感謝して――と思っていた。しかし、ラムネは俯き、頭を掻き出して……。
「……アメ、おめえすげえよ」
「――」
私を、褒めた。
「……正直言って、全然上手くできなかった。チビ共は勝手に動くし、一回も言うとおりになんてしてくれねえ」
ラムネは、涙ぐんでいた。
「でも……さ」
ほら、と言って襖を開けると隣の部屋で皆が雑魚寝していた。
「飯はちゃんと食ってくれたよ。そんで、みんなアメが心配だから近くで寝てえって」
皆幸せそうな寝顔で寝息を立てている。傍には何か箱のような物が握られているような……。
「ああ、それピザっていう食いもんだよ。それが箱に入ってて、持ち帰れるからそれをこいつらに食わせたんだ。皆、それだけはすげー喜んで食ってくれた」
――何の役にも立たなかったのに、これだけはさ。
そう言ってから大粒の涙がラムネの瞳から零れ落ちた。
「……ごめん」
「ラムネ……いいよ、別に」
「ちげえよ……おまえの分、残ってねえってこと。ピザすげー美味かったから、ガキ共全部食っちまったし」
「……ふふ、どうせ、食べられないよ?」
「でもよ! すげー美味かったんだよ! 食ったらきっと元気になるかもしれねえって!」
ラムネが私のことを心配してくれている、それだけで十分、幸せだった。
「お、おい! 大丈夫か? どっか苦しいのか?」
胸を押さえて俯いてしまった私にラムネはずっと声を掛け続ける。私は暫く、顔が上げられなかった。だって、見せられるような顔も、出せる声も、何もなかったのだ。
「お、起きたか」
「お、おっさん! 何の用だよ?」
「ふふふ、話は聞かせて貰った」
「はあ? お前趣味悪いぞ、人の話盗み聞きとか……」
「うるせえな。てか、単に用事だ。おい、お前のせいだろが」
「すいません~」
俺の後ろからシルクハットのエルフがもみ手で現れる。
「ドリスコルです。いやあ今回のことは申し訳ございません。私の管理が行き届いておりませんで……」
「え? いや私が単に倒れただけで……」
「いえいえ、今回は私のミスです。検疫のミス、とでも申しましょうか」
「検疫?」
ラムネの頭にはてなマークが浮かぶ。
「異世界の物に触れるわけですから突然何かの病原菌や細菌……まあ悪しき呪いだと思ってください、そういうものに遭うかもしれないじゃないですか。ですからそういうのを忌避するお守りをお渡ししているんです。ですが――アメさんだけその、不具合で効き目の弱い物をお渡ししたみたいでして……」
そう言ってからドリスコルは土下座した。
「ですので私のミスです。それで、補填と言いますか、すぐに、治させて頂きます」
「何だ、それならとっととやっとけよ」
「いえ、伸介様。こちらも色々原因の特定作業ってもんがですね。そもそも異世界(むこう)と地球(こちら)では色々勝手が違うんですから治すときも……」
「うんちくは良い。とっととやれよ……ってわけで」
「はいはい。というわけでですね。失礼します」
ドリスコルは何処から取り出したのか黄色い電気ネズミのぬいぐるみを取り出し――。
ピカー。
何かピカピカそれは光だし、次第にその力を弱めたのか光は消えていく。
「はい。これをお持ちください。即席のお守りで、浄化作用があります」
「は、はい……」
おずおずとそれを受け取るアメちゃんだったが、受け取って暫くするとその全身が先ほどのぬいぐるみのように光り始めた。ついでに――。
「お、おい! 見てんじゃねえよおっさん共!」
「あうちっ」「あべしっ」
俺たちロリコン同盟はラムネに思い切りひっぱたかれ、手で目隠しをされる。
強すぎる光がアメちゃんの全身のフォルムを露わにし、透け透けで色々透過して見えてたからだ。
光が収まると――。
「……あ」
「アメ、大丈夫か?」
「うん……何とも、ない。もう、大丈夫」
気だるそうな様子は微塵もない。彼女は笑顔でラムネにそう答えた。
「それはよかった。そのぬいぐるみはお持ちください。あ、無くされても勝手に戻ってくるように設定されておりますので無くされても大丈夫です」
何その呪いの人形怖い。
「治ってよかったな。これで観光も続けられるし。ラムネもチビ共をまた押し付けられて楽出来るな」
「ばっ……! んなことしねーよ! 明日も俺がチビ共ちゃんと連れてけるし! アメはまだ寝ててもいいぞ?」
「こら、アメちゃんがまだまともにこっちの観光出来てねえってのに寝てろとかお前結構残酷だな」
「ち、ちげえよ! 俺は単にアメが心配で……それに俺だってそんぐらいできらあ!」
俺は先ほど盗み聞きしていた時にスマホで録音していたラムネの弱音を親切にも再生してあげる。
「て、てめえ! ふざけんな、それ寄こせ!」
「ふはは、盗賊見習い如きに後れを取る私ではないわ。あばよ、とっつぁ~ん」
「ふ、ふふ……」
俺たちのじゃれ合いのような不思議な踊りを見たからか、彼女は笑い出した。そして――。
きゅう。
「……あ」
なんとも可愛らしい腹の音を彼女は鳴らした。
「――飯、食べるよね?」
「あ、は――はい」
顔を真っ赤にして俯いて答える彼女の姿はとてもいじらしく、食べちゃいたいくらい可愛かった。
「変態め、手出ししたらぶっ殺すぞ?」
口には出さないがそんな言葉を軽蔑の視線に乗せてラムネが俺が見つめている。安心しろ、俺は都条例は守る男だ。
「つってもピザはもうねえし……買ってくるよ、俺が」
そうラムネが言うが、俺は手を掲げ一つの提案をした。
「まあ待てよ。往復の時間もかかる。ここはまあ一つ大人らしく、皆に俺が奢ってやるから店に行こう」
「おお、良いですねえ、ピザ、私も好きです」
ドリスコルはニコニコ笑顔で同意する。
お前に奢るとは一言も言ってないぞ?
「でも……この子達寝てるとはいえ放っては……」
「そうだな。ごもっともなご意見だ。だから……」
俺は笑顔のドリスコルの肩にポン、と手を置いた。
「じゃあ、見ててくれ。頼むぞ?」
「え?」
ドリスコルの笑みが一瞬で消え、能面のような顔になった。
「お前の責任でこうなったんだろうが。ついでに留守番頼むわ」
「――あの、私もそのまだ晩御飯」
「ほら、セブンの鳥五目。美味いぞ?」
俺は来るときに買っておいたコンビニ袋からおにぎりを取り出し奴の手に渡す。
「さ、行こうぜ。店が閉まる前に」
家を出るときに何処かから怨嗟の声が漏れていた気がするが、俺の知ったことではない。責任を取るのがいい大人の証拠である。俺よりも数倍長く生きているんだしな!
◆
「って、昼に食ったあの店じゃねえの?」
ラムネは店の前について早々そう言った。
方向は同じだったからつい同じ場所に食いに行くのだと勘違いしたのだろう。ここは昼に来たピザの店とは違い、川から更に駅前に移動した先、方南通りの坂の中腹にあった。
「……何と書いてあるのですか?」
アメちゃんは店の看板を見てその名前を俺に訊ねる。
「ワインてそっちにもある?」
「ええ、あります。葡萄から作られる飲み物、ですよね?」
「そう、そんな感じの名前。ワイン工房、みたいな感じ?」
特に店の名の由来は知らないし調べたこともない。前は『らくだ』みたいな名前だったのを改名したような記憶もある。その辺曖昧だ、何しろ最近まで俺もこの店から足が遠のいていたのだ。値段の割にお得感が昼に来た店より少ない、そう感じることもあったのだが最近再訪した際に食べた新メニューが俺の心を掴んだのだ。
「つっても食うものは変わらんよ、ピザだ」
そう、ピザを食おう。そもそも彼女だけが食べていないのだ。不公平も甚だしい。異世界の土産話に仲間外れはあってはならない。
「そう思わんかね、ラムネ君?」
「なんの話だよ?」
しまった、心の声だった。
俺は頭を掻きつつ焦げ茶色のシックな店の戸を開ける。中は中で扉と同じような基調の色で統一されている。木の色を大事にして落ち着いた大人の雰囲気が漂っている。
「いらっしゃいませ。どうぞ、好きな所に」
中に入ると眼鏡の少し頭の薄い店員にそう言われる。恐らくこの人が店長だと思っているのだが確証はない。数年前から店ではよく見かけているし、ほぼ間違いないとは思うのだが。
「サラダと、ピザの注文を、と」
俺たちは中央の丸テーブルに座り、目当ての品とサイドメニューを頼む。
「……楽しみです」
オレンジ色の照明が俺たちを優しく照らしている。そう、まるで俺たちの将来を――。
「――味がねえぞ?」
うるせえな、人が浸っている時に。
一足お先に運ばれたサラダを更に盛ったラムネが怪訝そうな顔で俺に訊ねた。
「喰い方が違げえよ。ほら、その入れ物に入ってるの掛けるんだよ」
そう言っておれは透明なプラスチックの容器に入っている茶色いソースをサラダに掛けてやる。
「お、うめえな!」
「美味いだろ? そのサラダのドレッシング」
この店の名物の一つ、それがこのサラダドレッシングだ。玉ねぎベースの茶色いそれは適度にしょっぱく、ほのかに甘く、酸味が後を引く。まさに三位一体の出来栄えである。何につけても美味い。確か持ち帰りもあったはずだ。
「お土産にするといい。早めに使えばそれなりに持つし」
そう言って俺もそれをサラダを取り分け振りかける。
しゃくり。
――うん、サラダに塩気と玉ねぎの甘みが乗りサラダをするっと喉の奥へと運んでいく。これだけで腹を膨らませかねないのでそこそこで自重する。運ばれてくる料理に対しての最高の前菜になっていることは間違いない。ラムネもアメちゃんも頬を綻ばせサラダを平らげている。
「――なあ、色々ピザメニューあったけど何頼んだんだ? アメの好みとかなんもわかってねえだろ?」
「心配すんなよ。これが不味かったら俺が責任をもって彼女を嫁に貰うから」
「なんの責任だよ! ったく……この変態異世界人が……」
「お待たせしました」
「お、来たか――」
仄かな潮の香――ああ、もう腹減ってしょうがない。着た瞬間からそれは俺の胃を絶妙に刺激した。そう、これを食ったから俺はまたここに通い始めたのだ。
「サーモンとアボカドのピザです。どうぞ」
薄目のピザ生地の上にはサーモン、玉ねぎ、香草、アボカド、チーズがびっしりと並べられている。サーモンは八等分にカットされているピースの一つ一つに鎮座し存在感を放っている。
「ほら、食えよ」
「お、おう……」
「はい、いただきます」
二人はおずおずと香気を放つそれに手を伸ばす。
俺も右手でそれを一ピース持ち上げてくるっと丸めて口に放り込む。
「むふぅ――」
思わず目じりが下がる。見れば他の二人も同様に大黒様のように目じりと頬が垂れ下がっている。
「美味しい――です」
「うめえ……」
サーモンがこのピザの肝だ。蕩けるアボカドとチーズ、そのクリーミーさにさらに拍車を掛ける存在、それが上に乗ったサーモンなのだ。なにしろこのサーモン『半生』だ。
生地と一緒に焼いてる訳じゃなくて、多分別に乗せて炙ってんだろう。だから半生のサーモンの切り身が香ばしく、半生のとろける身とアボカドが相乗効果で口の中で混じり合っていく。それはもう――蕩ける以外の表現が思い浮かばない。
最早二人とも心ここに非ずといった感じで次のピースに取り掛かろうと手を伸ばす。しかし俺は二人を手を挙げて制する。
「まあ待て、美味かったのなら――一味加えても大丈夫だろう? 酸っぱいの、平気か?」
「え、ええ……」
「おう、大丈夫だぞ?」
その言葉を待っていた。俺はピザの横に添えられたレモンを一絞り――ピザの残りに掛けまわす。
「いただきま~す」
辛抱たまらず俺はそのまま一ピース口に入れる。
「――んん……っ」
声にならない声が漏れる。クリーミーさの中に爽やかな酸味が挟まれそれがさらに半生のサーモンの味を引き立てる。より鮮烈に具の味が舌の上に広がっていく。
「うはぁ――」
「ふにゅう――」
二人からも同時にため息が零れる。
「ぜってえ……かけた方がうめえ……」
「そう……思います」
「だろ? でも最初からだと味の違いが分からんからな。レモン苦手ってやつもいるし。でも、この組み合わせは最強だろう?」
二人とも仲良く首を縦に振る。
「美味いな、アメ」
「そうだね、ラムネ」
二人とも本当に幸せそうに、ピースを頬張る。二人とも双子とはいえ全然別の性質を持った別の人物だ。このアボカドにしろサーモンにしろ、山のものと川のもの、全然別のものを合わせてこの旨味を作り上げている。きっと今まではお互い別の場所を見ていたから一緒に何もできなかっただけだ。これからはもっと――兄妹らしい関係が築ければいいと思う。俺は――そこに添えられるレモンでいい。
「いやあ、本当に美味いですねえ」
「うんうん、だろう……って」
俺の隣の席に座っているシルクハットのエルフ。なぜ、此処にいる!?
「てめっ……何でここにいるんだ? てか頼まれた留守番放置してんじゃねえよ!」
「心外ですねえ。放置などしておりません。私の分体を魔法で作って置いてきましたから大丈夫ですよ。まあ問題があるとしたらどちらが食いに行くかで揉めたぐらいです」
「って俺のピース食い切りやがって……」
「私が奢りますよ。すいませんもう一枚お願いしま~す。あ、ところでおめでとうございます。これは私からのお祝い替わりということで」
「え?」
ドリスコルは意味ありげな笑顔をアメちゃんに向ける。
「あ――はい、ありがとう、ございます」
何だ一体?
「んだよ。何の話だ?」
「いえ、異世界(こちら)の話ですので」
ドリスコルはその嘘くさい笑顔を崩さず俺に答えた。
――まあいいや、いつものことだ。気にするだけあれだな。俺は例のドレッシングをパンズに付けて口に運び気にしないことにした。
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