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第4章 赤く咲く花
第37話 赤く堕ちる
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秋が深まった頃、不幸は唐突に訪れた。
「あら……?」
庭に布を敷き、お茶とお菓子を口にしながら、紅葉をボンヤリと眺めていた凜凜の体は急にぐらりと揺れて、手を地面についた。
「う……ぐ……」
痛みが走った。
いつも感じている胸の痛みではない。腹の方がズキズキと痛んだ。凜凜はお腹を押さえた。そこにいる子のことを思い、彼女の胸は逸った。額に脂汗が浮き、びくとも動けなかった。
「張世婦様!?」
「医官を呼べ!」
「張世婦様! 張世婦様!」
凜凜の体は数人がかりで寝台に運ばれた。
その下半身からは、血が滴り落ちていた。
それは経験したことのない痛みだった。
凜凜は寝台でのたうち回った。
血の匂いが充満するのを嗅いで、彼女は何も言われずともそれを悟った。
やがて意識が遠のいた。
――綺麗な花畑。全部雪英様が好きだと言った花だわ。
雪英は真っ赤な花の中にいた。
――雪英様はどこ?
キョロキョロと辺りを見回すと、川があった。流れの速い川だ。落ちたらひとたまりもないだろう。
その川の向こうに、透き通るような紗衣を羽織り、胸から下は長裾を引きずり、髪型はおびただしい簪のついた宝髻に結い上げた女がいた。
その人は、腕に赤子を抱いていた。
――ああ、すべて、悪い夢だったのね。よかった、雪英様が……雪英様が赤子を抱いていらっしゃる。こんなに望んだことはないわ……。
「せつえいさま……」
呼び掛ける声は奇妙にかすれていた。
雪英はこちらを振り返った。顔には白粉をはたき紅を引いている。いつものように、とても美しかった。
雪英は凜凜に目を留めると悲しそうに笑って、そのまま川の向こうに歩いて行った。
――待って、待ってください。私を置いていかないで。もう……そちらに行きたいのです。私も。
そう思って声を上げようとしても喉が詰まるばかりで、雪英には届かなかった。
目を覚まして最初に見えたのは、憔悴しきった医官の姿だった。その横で、皇帝が表情の消え失せた顔をしていた。
「……た、大変、誠に、残念なことですが……御子が……流れました……」
医局からやって来た医官は泣きながら、大粒の汗をかき、震え声で皇帝にそう報告した。
「そ、そして……張世婦様が普段から飲まれている茶葉などの中に……その……複数の……妊婦によくない薬が……混入しておりました……っ」
「……それは、医官が気付かないようなものなのか?」
静かに皇帝は問うた。
「……茶葉の点検をしていれば、気付いたはずです。香りでわかります。……そして始水殿の医官には……定期的に点検をするよう言いつけておりました」
「始水殿につけた医官を拘束せよ」
皇帝は私兵にそう告げた。
彼のやけに静かな声が、凜凜にはひどく恐ろしく聞こえた。
「医官殿……」
か細い声で、寝台に横たわる凜凜は医官を呼んだ。
「凜凜! 無理をするな」
皇帝は寝台に駆け寄り、凜凜の手を強く握りしめた。
「……流れた子は……いずこに……」
「こ、こちらに骸がございますが……」
「見せて……ちょうだい……」
医官は皇帝に許可を問うように視線を送った。
皇帝はうなずいた。
皇帝に支えられ、まだ痛む腹を抱えながら、凜凜は寝台に起き上がった。
上質の布にくるまれた我が子は、まだまだ小さかった。
まだ性別もわからぬ体だという。
――そちらでこの子を抱いてやってくださいますか、雪英様。
取り落としそうになるくらい小さな体を凜凜はしばらくの間、抱き続けていた。
泣くことすらできぬほど、その心はズキズキと痛んだ。
凜凜が力尽き、寝台に横たわると、皇帝が代わって子供を抱き上げた。
そして彼は声を上げて泣いた。わあわあと子供のように泣き続ける皇帝の声を遠くに聞きながら、凜凜は貧血で保てぬ意識を手放した。
「あら……?」
庭に布を敷き、お茶とお菓子を口にしながら、紅葉をボンヤリと眺めていた凜凜の体は急にぐらりと揺れて、手を地面についた。
「う……ぐ……」
痛みが走った。
いつも感じている胸の痛みではない。腹の方がズキズキと痛んだ。凜凜はお腹を押さえた。そこにいる子のことを思い、彼女の胸は逸った。額に脂汗が浮き、びくとも動けなかった。
「張世婦様!?」
「医官を呼べ!」
「張世婦様! 張世婦様!」
凜凜の体は数人がかりで寝台に運ばれた。
その下半身からは、血が滴り落ちていた。
それは経験したことのない痛みだった。
凜凜は寝台でのたうち回った。
血の匂いが充満するのを嗅いで、彼女は何も言われずともそれを悟った。
やがて意識が遠のいた。
――綺麗な花畑。全部雪英様が好きだと言った花だわ。
雪英は真っ赤な花の中にいた。
――雪英様はどこ?
キョロキョロと辺りを見回すと、川があった。流れの速い川だ。落ちたらひとたまりもないだろう。
その川の向こうに、透き通るような紗衣を羽織り、胸から下は長裾を引きずり、髪型はおびただしい簪のついた宝髻に結い上げた女がいた。
その人は、腕に赤子を抱いていた。
――ああ、すべて、悪い夢だったのね。よかった、雪英様が……雪英様が赤子を抱いていらっしゃる。こんなに望んだことはないわ……。
「せつえいさま……」
呼び掛ける声は奇妙にかすれていた。
雪英はこちらを振り返った。顔には白粉をはたき紅を引いている。いつものように、とても美しかった。
雪英は凜凜に目を留めると悲しそうに笑って、そのまま川の向こうに歩いて行った。
――待って、待ってください。私を置いていかないで。もう……そちらに行きたいのです。私も。
そう思って声を上げようとしても喉が詰まるばかりで、雪英には届かなかった。
目を覚まして最初に見えたのは、憔悴しきった医官の姿だった。その横で、皇帝が表情の消え失せた顔をしていた。
「……た、大変、誠に、残念なことですが……御子が……流れました……」
医局からやって来た医官は泣きながら、大粒の汗をかき、震え声で皇帝にそう報告した。
「そ、そして……張世婦様が普段から飲まれている茶葉などの中に……その……複数の……妊婦によくない薬が……混入しておりました……っ」
「……それは、医官が気付かないようなものなのか?」
静かに皇帝は問うた。
「……茶葉の点検をしていれば、気付いたはずです。香りでわかります。……そして始水殿の医官には……定期的に点検をするよう言いつけておりました」
「始水殿につけた医官を拘束せよ」
皇帝は私兵にそう告げた。
彼のやけに静かな声が、凜凜にはひどく恐ろしく聞こえた。
「医官殿……」
か細い声で、寝台に横たわる凜凜は医官を呼んだ。
「凜凜! 無理をするな」
皇帝は寝台に駆け寄り、凜凜の手を強く握りしめた。
「……流れた子は……いずこに……」
「こ、こちらに骸がございますが……」
「見せて……ちょうだい……」
医官は皇帝に許可を問うように視線を送った。
皇帝はうなずいた。
皇帝に支えられ、まだ痛む腹を抱えながら、凜凜は寝台に起き上がった。
上質の布にくるまれた我が子は、まだまだ小さかった。
まだ性別もわからぬ体だという。
――そちらでこの子を抱いてやってくださいますか、雪英様。
取り落としそうになるくらい小さな体を凜凜はしばらくの間、抱き続けていた。
泣くことすらできぬほど、その心はズキズキと痛んだ。
凜凜が力尽き、寝台に横たわると、皇帝が代わって子供を抱き上げた。
そして彼は声を上げて泣いた。わあわあと子供のように泣き続ける皇帝の声を遠くに聞きながら、凜凜は貧血で保てぬ意識を手放した。
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