33 / 43
第3章 雪は溶けて、消える
第33話 雪が溶けたら
しおりを挟む
「古堂様、張世婦様からの伝言です」
寝台でぼうっとしていた古堂は、宮女の言葉に一瞬張世婦とは誰だっただろうと思ってしまった。
すぐに凜凜のことだと気付く。
最近はこうして物忘れが激しくなった。頭にモヤがかかってしまったようだった。
もう自分は駄目なのだろう。すっかり壊れてしまった。
そう思いながらも古堂は始水殿に留まり続けた。
雪英はもちろん、凜凜のことだって放ってはおけなかった。
「……ご懐妊、だそうです」
息を潜めて宮女がそう言った。
この宮女は央家から連れてきた昔なじみの宮女だった。
央家にいた頃は雪英と凜凜に対して、姉のように接していた。
「……そう」
古堂はめでたいとは、到底思ってあげられなかった。
それがとても悲しかった。
「まだ他の者どもには口止めするように、と。皇帝陛下にもです」
「わかったわ……でも、不安ね、私、もうそんな器用なことできる頭じゃなくなってしまったから……」
「……どうぞ、元気になってくださいまし。私達、古堂様がいなければ、何も出来ません」
「情けないことを言って……」
古堂が説教じみた口調になると、宮女はむしろ嬉しそうな顔になった。
古堂も苦笑した。こんなに壊れても、自分は未だに央家の侍女として振る舞おうとしている。それがなんだかとってもおかしかった。
そこに、宦官が駆け込んできた。
「古堂様!」
「なんです……騒がしい……」
「せ、雪英様が……!」
古堂の体は自分でも驚くほど機敏に起き上がった。
宮女と宦官に支えられながら、古堂は雪英の部屋へと急いだ。
雪英は寝台に横たわり、大粒の汗をかき、息を乱していた。
――ああ、もう、この方は……。
古堂はふと雪英の母が死んだときのことを思い出していた。
雪英の母は娘によく似た気性と体質の人だった。その人の最期もこのように苦しげであった。
雪英の側に立つ医官が古堂に向かって頭を横に振った。その顔には沈痛な表情が浮かんでいた。
「凜凜をお呼び」
古堂は鋭い声で宮女に命じた。
「で、ですが……」
「呼んであげて……」
古堂の涙混じりの声に、宮女は頷いた。
「雪英様」
古堂は雪英の手を握り締めた。
その手は夏だというのに、冷え切っていた。
「……古堂、凜凜は? いつも側に侍ってなさいと言っているのに……あの子は私の侍女なのに……」
「花に水でもやっているのでしょう。今呼ばせましたから、すぐ来ますよ」
「そう……そう……ならいいけど……ああ、人形……人形をね、やろうと思ったのよ、あの子ほしがっていたじゃない。ほら、あの伽羅の香りのする人形……」
「それは、もうお渡しになりましたよ、雪英様ったら」
「そう……だったかしら……? そういえば古堂、今日は白檀の香りがしないのね」
そんなはずはなかった。始水殿に移った今でも古堂の部屋には白檀の香りが焚きしめられている。かつて「この香りがすると古堂が来たって感じがするの」と雪英に言われてから、古堂は白檀の香りを欠かしたことはなかった。
だからそれは雪英から嗅覚が失われているという証左だった。
寝台でぼうっとしていた古堂は、宮女の言葉に一瞬張世婦とは誰だっただろうと思ってしまった。
すぐに凜凜のことだと気付く。
最近はこうして物忘れが激しくなった。頭にモヤがかかってしまったようだった。
もう自分は駄目なのだろう。すっかり壊れてしまった。
そう思いながらも古堂は始水殿に留まり続けた。
雪英はもちろん、凜凜のことだって放ってはおけなかった。
「……ご懐妊、だそうです」
息を潜めて宮女がそう言った。
この宮女は央家から連れてきた昔なじみの宮女だった。
央家にいた頃は雪英と凜凜に対して、姉のように接していた。
「……そう」
古堂はめでたいとは、到底思ってあげられなかった。
それがとても悲しかった。
「まだ他の者どもには口止めするように、と。皇帝陛下にもです」
「わかったわ……でも、不安ね、私、もうそんな器用なことできる頭じゃなくなってしまったから……」
「……どうぞ、元気になってくださいまし。私達、古堂様がいなければ、何も出来ません」
「情けないことを言って……」
古堂が説教じみた口調になると、宮女はむしろ嬉しそうな顔になった。
古堂も苦笑した。こんなに壊れても、自分は未だに央家の侍女として振る舞おうとしている。それがなんだかとってもおかしかった。
そこに、宦官が駆け込んできた。
「古堂様!」
「なんです……騒がしい……」
「せ、雪英様が……!」
古堂の体は自分でも驚くほど機敏に起き上がった。
宮女と宦官に支えられながら、古堂は雪英の部屋へと急いだ。
雪英は寝台に横たわり、大粒の汗をかき、息を乱していた。
――ああ、もう、この方は……。
古堂はふと雪英の母が死んだときのことを思い出していた。
雪英の母は娘によく似た気性と体質の人だった。その人の最期もこのように苦しげであった。
雪英の側に立つ医官が古堂に向かって頭を横に振った。その顔には沈痛な表情が浮かんでいた。
「凜凜をお呼び」
古堂は鋭い声で宮女に命じた。
「で、ですが……」
「呼んであげて……」
古堂の涙混じりの声に、宮女は頷いた。
「雪英様」
古堂は雪英の手を握り締めた。
その手は夏だというのに、冷え切っていた。
「……古堂、凜凜は? いつも側に侍ってなさいと言っているのに……あの子は私の侍女なのに……」
「花に水でもやっているのでしょう。今呼ばせましたから、すぐ来ますよ」
「そう……そう……ならいいけど……ああ、人形……人形をね、やろうと思ったのよ、あの子ほしがっていたじゃない。ほら、あの伽羅の香りのする人形……」
「それは、もうお渡しになりましたよ、雪英様ったら」
「そう……だったかしら……? そういえば古堂、今日は白檀の香りがしないのね」
そんなはずはなかった。始水殿に移った今でも古堂の部屋には白檀の香りが焚きしめられている。かつて「この香りがすると古堂が来たって感じがするの」と雪英に言われてから、古堂は白檀の香りを欠かしたことはなかった。
だからそれは雪英から嗅覚が失われているという証左だった。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
王子様と朝チュンしたら……
梅丸
恋愛
大変! 目が覚めたら隣に見知らぬ男性が! え? でも良く見たら何やらこの国の第三王子に似ている気がするのだが。そう言えば、昨日同僚のメリッサと酒盛り……ではなくて少々のお酒を嗜みながらお話をしていたことを思い出した。でも、途中から記憶がない。実は私はこの世界に転生してきた子爵令嬢である。そして、前世でも同じ間違いを起こしていたのだ。その時にも最初で最後の彼氏と付き合った切っ掛けは朝チュンだったのだ。しかも泥酔しての。学習しない私はそれをまた繰り返してしまったようだ。どうしましょう……この世界では処女信仰が厚いというのに!
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
死んで巻き戻りましたが、婚約者の王太子が追いかけて来ます。
拓海のり
恋愛
侯爵令嬢のアリゼは夜会の時に血を吐いて死んだ。しかし、朝起きると時間が巻き戻っていた。二度目は自分に冷たかった婚約者の王太子フランソワや、王太子にべったりだった侯爵令嬢ジャニーヌのいない隣国に留学したが──。
一万字ちょいの短編です。他サイトにも投稿しています。
残酷表現がありますのでR15にいたしました。タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる