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第2章 石の花
第18話 怒りと痛み
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「雪英様……」
凜凜はふらふらと自室へ戻ると、自分が刺した手巾を抱き締め、泣き続けた。
どうしても手放すことはできなかった。
その夜も皇帝の呼び出しがあった。妃嬪ならまだしも、一介の宮女にすぎない凜凜に断ることなどもちろんできなかった。
化粧でも隠しきれなかった腫れた目と頬のまま、彼女はいつもの輿に乗った。
「……ふむ」
皇帝は凜凜の顔を見るなり表情を歪めた。
「央賢妃に殴られたか」
「い、いえ……」
「嘘を申すな。私の寵を受けるお前にそんなことができるのはもう央賢妃くらいのものだろう」
「ち、違うのです。雪英様は……央賢妃様は何も悪くないのです。悪いのはすべて私なのです」
「お前は幼い頃からそのように育てられてきたからそう思うだけだ。央賢妃がお前に振るった暴力は悪いことなのだ。……宮女というのは皆そうだな」
皇帝は凜凜ではないどこかを見ながらそうつぶやいた。
「母のところにいた宮女もそうだった。どれほど母の癇気になぶられようと、母を庇った……」
「皇太后様……」
皇帝の母はすでに亡い。しかしどうやら皇帝の記憶には彼女はあまりよくないものとして残っているようだった。
「……それでも央賢妃様は悪くありません」
「凜凜」
「……わ、悪いのは、あなただ……」
凜凜は蛮勇を奮い立たせてそう言った。
皇帝は心底驚いた顔をした。
「あなたが……あなたが央賢妃様の元を訪れないから、私などを戯れに選ぶから!」
それは怒りと悲しみが入り混じった咆哮だった。
凜凜たちを見張っている外の気配がガタリと揺れた。
「よい! ただの痴話喧嘩だ! 何も問題はない!」
皇帝が鋭く外を牽制する。
「あなたがこんなことをしなければ、雪英様はもっとお元気だった! 私は雪英様の元を遠ざけられたりしなかった! 私はこんな格好をして、こんな化粧をして、あなたの元に侍りたいなどと願いはしなかった!」
凜凜は泣きながら、喉からそう叫んだ。
「ただ、ただ、雪英様が幸せならそれでよかった……あの方が昔のように屈託なく笑えるのなら、何でもよかった……」
そう言い切ると、凜凜は咳き込んだ。
皇帝は寝台の横に置かれた茶を凜凜に差し出した。
少し冷えた茶を凜凜はちびちびと喉に押し込んだ。
「こんなこと……望んではいなかった……!」
凜凜は一晩中、泣き続けた。
皇帝は何も言わずにそんな宮女を表情の見えない目で見つめていた。
凜凜が泣きぐずっている間に、空は白み始めた。
凜凜は自分がとんでもない無礼を働いたことに遅まきながら気付いたが、それを弁明する気にもなれなかった。
凜凜はふらふらと自室へ戻ると、自分が刺した手巾を抱き締め、泣き続けた。
どうしても手放すことはできなかった。
その夜も皇帝の呼び出しがあった。妃嬪ならまだしも、一介の宮女にすぎない凜凜に断ることなどもちろんできなかった。
化粧でも隠しきれなかった腫れた目と頬のまま、彼女はいつもの輿に乗った。
「……ふむ」
皇帝は凜凜の顔を見るなり表情を歪めた。
「央賢妃に殴られたか」
「い、いえ……」
「嘘を申すな。私の寵を受けるお前にそんなことができるのはもう央賢妃くらいのものだろう」
「ち、違うのです。雪英様は……央賢妃様は何も悪くないのです。悪いのはすべて私なのです」
「お前は幼い頃からそのように育てられてきたからそう思うだけだ。央賢妃がお前に振るった暴力は悪いことなのだ。……宮女というのは皆そうだな」
皇帝は凜凜ではないどこかを見ながらそうつぶやいた。
「母のところにいた宮女もそうだった。どれほど母の癇気になぶられようと、母を庇った……」
「皇太后様……」
皇帝の母はすでに亡い。しかしどうやら皇帝の記憶には彼女はあまりよくないものとして残っているようだった。
「……それでも央賢妃様は悪くありません」
「凜凜」
「……わ、悪いのは、あなただ……」
凜凜は蛮勇を奮い立たせてそう言った。
皇帝は心底驚いた顔をした。
「あなたが……あなたが央賢妃様の元を訪れないから、私などを戯れに選ぶから!」
それは怒りと悲しみが入り混じった咆哮だった。
凜凜たちを見張っている外の気配がガタリと揺れた。
「よい! ただの痴話喧嘩だ! 何も問題はない!」
皇帝が鋭く外を牽制する。
「あなたがこんなことをしなければ、雪英様はもっとお元気だった! 私は雪英様の元を遠ざけられたりしなかった! 私はこんな格好をして、こんな化粧をして、あなたの元に侍りたいなどと願いはしなかった!」
凜凜は泣きながら、喉からそう叫んだ。
「ただ、ただ、雪英様が幸せならそれでよかった……あの方が昔のように屈託なく笑えるのなら、何でもよかった……」
そう言い切ると、凜凜は咳き込んだ。
皇帝は寝台の横に置かれた茶を凜凜に差し出した。
少し冷えた茶を凜凜はちびちびと喉に押し込んだ。
「こんなこと……望んではいなかった……!」
凜凜は一晩中、泣き続けた。
皇帝は何も言わずにそんな宮女を表情の見えない目で見つめていた。
凜凜が泣きぐずっている間に、空は白み始めた。
凜凜は自分がとんでもない無礼を働いたことに遅まきながら気付いたが、それを弁明する気にもなれなかった。
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